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ひのくに戦記1913 -戦火の世界-  作者: 茂野夏喜
第一章 
81/134

衝突 3

 「おい、やめとけって!」

いよいよマズイことになると判断し、勇田上等兵は再び刻峰の肩を掴む。


 「そうだ、賢明なそこの上等兵に従いたまえ。”よそ者”」

伍長は、勝ち誇ったような顔をしている。もう俺には、目の前の男が完全に悪人として映っていた。


 「……間違っている、コトを。見て見ぬふりはできません」



 思えば、軍隊組織ってのは殺人という究極の暴力に染まった社会だ。最初に配属されたのが最前線に立たない輜重部隊、次に配属されたのが変わり者の集まりである嶺善班だっただけに、すっかり見落としていた。本来は荒くれ者の集まり、それも武器や力を持った連中の跋扈する世界だ。


 そんな中で、こういう暴力沙汰はいくらでも発生しうるだろうし、しかも仲間を死なせたという経験も重なってしまうと……。



 最初に襲われたときのことを思い出す。前線の拠点へ物資を運んでいたとき、仲間が皆殺しにされたときのこと。俺は一人逃げ延び、虫の息だった仲間へ止めを刺した敵に、そしてそのほかの敵全員に、これ以上ない殺意を向けた。味方の仇討ち、復讐って意味合いもかなり強かったと思う。


 …・・けれど。それはあくまで、戦場での話だ。敵兵と戦ったって話だ。



 「きっと、あなたは大事な部下を失ったのでしょう。やるせないでしょう、怒りが収まらないのでしょう。俺にも分かりますよ、目の前で苦楽を共にした仲間たちが殺されていく光景は、未だに忘れられません」


 ……さっきの腹パンが疼く。息を吸うたびに、鈍い痛みが走る。


 「でも、違う。彼は民間人であり、あなたの部下を殺した犯人ではありません。本当にお仲間の仇を討ちたいというのなら、それは戦場で敵兵を叩き潰すってのが筋でしょう」



 ”格下”の説教に見る見る表情を険しくする。


 ――ビビるな、俺。



 「こんなとこで非武装の民間人を相手に拳骨振るって、それで復讐できるなんてのは筋違いです。軍人としての責務と義務を離れた、ただの犯罪行為だ!」


 


 「だから、やめろって!」

「屑が、調子に乗るな!!」


 怒りに顔を紅潮させた伍長が、もう一度拳を握りしめる。今度は俺の顔面目掛けて拳が飛んできて――避けきれないっ!――、それを真正面から額で受ける。


 当然、俺の額には覚悟していた以上の鋭い痛みが走る。だが、殴った伍長も拳を痛めたらしく――当然だ、額ってのは人体で最も頑丈な部位の一つだ――、殴った拳をもう片方の掌で抑え、こちらを睨みつけた。


 「……イッテェ……いい加減にしろ!」

「黙れ!お前に何が分かる!?」


 勇田の手は、さっきのタイミングで俺の肩を離れている。”枷”が外れたと認識。俺は愚かにも、目の前で暴れる強情な男に対する怒りを抑えきれなくなってしまった。



  「俺よかずっと軍歴長い癖にこんな馬鹿やるなんざ、あんた腐ってんぞ!」

「ガキが調子乗るな!」

今度は勢いよく胸倉を掴まれた。流石に地面から足が離れるって程じゃないけど、結構な力。


 いよいよ抑えきれなくなった。”コイツ”、ルールも守れず弱者をいたぶりやがって。調子に乗ってんのはどっちだよ……!



 「クソがぁ!」

襟を掴まれたまま、右脚を相手の両足の後ろに滑りこませ、右手で顔面を掴み――そのまま、右手に全体重をかけて思いきり右下へと力を加える。体格の差は殆どなかったが、基本的に無抵抗な俺の態度に油断していたのか、伍長はものの見事に後ろへと倒れこみ、頭と背中を地面に衝突させた。


 「クハッ……こ、こんの……」

怒りで頭に血が上るが、極力余計な暴力は加えないようにってことは意識している。今の投げで相当に体を痛めたはずだし、追撃は避けたい。


 ……だが、こいつを”黙らせたい”。



 動き出す前にサッサと伍長をうつ伏せに転がし、片膝を背中に乗せて体重をかける。そんで両腕を後ろ手に握り拘束し、一切の抵抗ができないようにした。


 ――ひのくにでの格闘訓練と、今までの格闘戦の成果だ。



 「動かないでください。痛いですよ?」

言って、膝に力を籠める。『ングッ』と声を上げて痛がる様子を見せ、さらに憎悪の籠った顔で俺の方を強く睨みつける。


 「お前、自分が何をしているのか分かってるのか?上官に盾突き暴行まで……ただで済むと思っているのか!?」

「それは軍法会議で話しましょう」

「貴様……!」


 伍長でない者の声。気づいた時には既に遅く、頬に思い切りのいいパンチを食らう。


  「……クッ!」

野郎、結構な力でぶん殴りやがった。口の中で肉が切れ、鉄分を多量に含んだ生臭い味と臭いが味覚と嗅覚を強く刺激する。だが態勢は崩さず、相変わらず伍長をひっ捕らえたままの姿勢をキープ。



 「伍長に何をするか!馬鹿者!」

「裏切者を庇うとは、貴様も敵だな!」

小うるさい伍長を黙らせている間、体のありとあらゆる場所に殴打が、平手打ちが、蹴りが飛んでくる。頭に血が上った二人の部下は、新たな攻撃の対象にただただ己の不平不満を暴力という形で押し付ける。


 こいつらはもう理性で動いてない。なぜか。俺を持ち上げるなり引き倒すなりして上官を助けようとしないから.

どうせハナから、仲間が死んだ憂さ晴らしの相手でも探していたんだろう。鉄砲店の店主ともなれば、そりゃ格好の餌食になりえたわけだ。



 それが、俺に逸れただけ。彼らにとって攻撃の大義名分を行える相手が一人増えただけ。目や耳を狙われないあたり、この連中も最低現は”弁えて”いるらしいが。



 「あんたらは何のために戦ってるんだ、何のために命かけて敵と殺し合ってんだ。憂さ晴らしのためか?弱者をいたぶり弄ぶためか?」

「うるせぇ!」

「さっさと伍長を放せ、馬鹿者!」

聞く耳を持たないらしい。何度も何度も執拗に、胴や背中目掛けて殴るけるの連打が続く。俺も頭に血が上っているせいか、それほど痛みは感じない。


 感じないが。ぶん殴れらた分だけ、俺の中でもフラストレーションが溜まっていく。理不尽な暴力に、愚かな嬲りに、どんどん怒りが増幅されていく。



 「……ウッ!」

無意識に力が込められていたらしく、押さえつけられた伍長は呻き声をあげる。


 「……放してほしけりゃ、今すぐリンチを止めるように言ってくださいよ」

「ふざけるな、裏切者が!」


 この男も降参するつもりはないらしく、強情に俺から離れようと体を捩じらせ、手足をばたつかせて抵抗を試みている。



 このままじゃ長くは持たない。アドレナリンやら何やらのおかげで痛みを我慢できてはいるが、流石に一方的な暴力の嵐に耐えられるかはわからない。


 かといって、俺の”自己満足”のために始めた諍いに勇田を巻き込みたくもない。場合によっては俺も軍法会議にかけられるのだろうし、なおさら無実の勇田に罪を着せるわけにはいかない。



 「あんた、サッサと行け!」

落ち着きを取り戻して立ち上がった店主に叫ぶ。彼が本当に処罰の対象になるのかは知らないが、例えそうであったとしても適切な手続きと調査を経た上でそうさせるべき。例え本当に処罰されるにしても、それは私刑という形で行われるべきじゃないんだ――。



 「やはり……貴様!」

「内通していやがったか!」

……きめつけも良いとこだ。馬鹿野郎。



 「勇田、はやくあの男を逃がし……?」

この暴力に加わっていない傍観気味の一人は、例の店主を押さえるでもなく煙草を咥えてこちらを傍観している。この状況なら勇田に動いてもらうのが最善と考えたが。


 勇田は、拳を握りしめ、静かに俯いていた。

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