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ひのくに戦記1913 -戦火の世界-  作者: 茂野夏喜
第一章 
62/134

奇襲 4

 *   *   *




 「はぁ…はぁ…」

先ほどの戦場から離脱したもう一人、バッヘレ二等兵。彼はある程度の距離まで後方へ逃げ走ったところで物陰に隠れ、足元をじっと見つめながら一息ついている。


 最後に見た上官――目の前の敵と懸命に戦うヴィンストル上等兵と、デラトマ上等兵――の背中を思い出し、自分が何の役にも立てず尻尾を巻いて逃げた負け犬なのだと自責の念に駆られる。



 「……畜生」

そもそも、素朴な青年だったバッヘレ二等兵は軍隊に志願する気などさらさらなかった。実家の牧場を継ぎ、そのうち気が合う女と結ばれて平穏な将来が約束されているのだろうと信じていた。


 そんな彼が軍隊へ志願したのは、ひとえに友人への憧れにある。幼いころから友人であったジョン二等兵、彼はバッヘレにとって憧れの人間だった。


 彼を取り巻く人々の中で最も勇敢で、何事にも情熱的だった彼。特に、国を守るという一大事に関しての熱意は人並み外れていたように思う。子供のころから人の役に立ちたい、多くの人を助けたいという気持ちを強く抱え、最も分かりやすく”全体”を守る職を志すに至った彼はバッヘレ二等兵にとって身近なヒーローであった。



 そんな彼に影響され、「これも人生経験になるかもしれない」と軽い気持ちで志願したことを。バッヘレ二等兵は、人生最大級の後悔と共に振り返る。


 我が軍は無敵ではなかったのか。最強ではなかったのか。ひのくに軍が台湾でイギリスを破ったことは聞き及んでいるが、まさかこんな事態になるまでの相手だとは誰も思っていなかった。彼らは身体能力で劣り、数の暴力以外に取り柄はない集団ではなかったのか……。



 何も考えずに全力疾走してきた体、しかし呼吸は段々と落ち着きつつある。後方の友軍の元まで行けば、たとえ多少の誹り――仲間を見捨てて逃げてきた卑怯者というレッテル――を受けたとしても、軍法会議までかけられることはないだろう。


 最前線からは遠ざかったこの場所、さすがに敵もいないとは思うが……一応は警戒しつつ、出発の機をうかがう。



 「やっぱ、逃げちゃうよね」

「!?」

顔を上げると、目の前には一人の敵兵――ひのくに軍の制服を着て、ライフルを構えている――の姿。眼鏡をかけており、慎重は自分よりも低め――。


 「オーストラリアってことは……さっきの塹壕から逃げてきたのかな。流石に疲れるよね、うん」

敵は、感心したような態度で自然に話しかけてくる。なんだ、こいつは?


 「ここ周り敵居ないみたいだし、降参するなら助けてあげるよ。死にたくないなら、銃を捨てることだね。どうせ抵抗しても死ぬだけだよ、そんなの嫌でしょ?」

敵兵は、憐れんでいるようなニヤけているような、真意の読みにくい雰囲気で降伏を促してくる。それでも、銃口をこちらに突き付けたまま動かないあたり警戒は解いていないらしい。


 「どうする?生きたい?」



 ……そうか。なるほど。


 呆気に取られて思考が遅れたが。


 そうだ、俺が生き延びる手段は、なにも友軍の元へ逃げ延びることだけじゃなかった。敵は捕虜の扱いが”マトモ”だと聞く、捕まれば命だけは保証されることだろう。どんな捕虜生活が待っているかは分からないが、戦争が終わって国に返してもらえば平穏な生活に戻れるはずなんだ。


 しかもこの状況、逆らえば死ぬし従えば生きられる。俺は銃は肩にかけているし、既にこちらへ銃口を向ける敵に勝てる状態でもない。無駄死にするくらいなら、今すぐこの銃を放り投げて諸手を掲げてしまった方がいいに決まっている。


 そうだ。捕まってしまえば、もうこんな殺し合いの現場で身を危険にさらすこともないのだ。生き延びるには最高ともいえる選択肢、しかも目の前の敵がわざわざご丁寧に勧誘までしてくれている。



 ――ただ。降伏の決意を妨げるものも、彼の心中には存在していて。



 「……こんな、」


 こんな。


 「……こんな、ところで」


 こんなところで。



 勇ましい友人に感化され、わざわざこんなところまでやってきて。命懸けの戦いからほうぼうの体で逃げ出して、敵に情けを求める?


 国を守るために、この戦争に勝つために国からこんなとこまでやってきておいて、死んだ仲間に、見捨てた仲間に目をつむって降参する?


 大事な仲間たちを殺した敵連中に?



 ……今更だけど。到底、受け入れられない――!!




 「どうしたの?死にたいの?」

敵は、余裕の笑みでこちらの行動を観察している。本当に助けるつもりなのか、それとも”試して”いるのか?こちらが戦場から逃げるような臆病者と踏んで、遊んでいる?


 「馬鹿に、」

――ふざけけんな!!!


 「馬鹿に、するなぁ!!!」


 銃は持てない、さすがに間に合わない。敵との距離はほんの数メートル、勢いよく掴みかかれば倒せる可能性だって――



 ドンっ



 最後の最後、彼を戦いへと後押しした勇敢な心と義憤は。彼自身を、彼の友人と同じ結末へと導いてしまった。


 完全に意識が途切れるまでの数瞬、彼は故郷の家族と、此処での仲間のことを想い。そして、最後にはこのようなジャングルの中で客死してしまう自らの運命を、これ以上ないくらいに呪うのであった。




 「……はぁ」

バッヘレ二等兵――彼から見れば名もなき敵の一兵卒――射殺で発生した返り血を気にしつつ、最後の最後に勇敢で無謀な挑戦を試みた敵の死体を眺めながら、光峰一等兵は小さくため息をついた。


 「本当に助けてあげようと思ったのに、なんでわざわざ死ぬんだろう。人間って不思議だなぁ」




*   *   *




 この日の戦闘は、最終的にひのくに軍の勝利と言える結果に終わった。事前にニュージーランドとオーストラリアが設えた数々の陣地はすべてひのくに軍に奪取され、また一人の貴重な人材も俘虜となる。初戦で秘密兵器を早々に攻略され、大敗を喫したニュージーランド‐オーストラリア連合軍は、敵の戦力を見誤っていた事実に今更気づくことになる。


 迫撃砲の陣地奪取を完了させた後、その勢いに乗ったひのくに軍は更に前進。間髪入れぬ猛攻の前に、後方のニュージーランド軍は撤退を余儀なくされた。


 ルソン島のごく一部で発生した戦いの余韻は、結果として島の半分以上をひのくに側に占拠される結果となり、防衛にあたって重要とされる拠点のうち複数を敵に明け渡すこととなった。


 しかし、勝利を収めた側も当然に多くの犠牲を払っており。特に、新兵器”迫撃砲”の脅威にさらされた部隊の被害は甚大なものであった。



 俺は嶺善班長に連れられ、戦闘の跡を回ってきた。生きている味方の捜索と負傷者の救護を兼ねた者であったが、そこで見た光景は――。



 「戦争ってのは、俺たちがこうなるかもしれないってことだ」

片方の手を失い、紅に染められた包帯でぐるぐる巻きにされている者。下半身と泣き別れ、約束された死を待ちながら微かに呼吸を継続している者。顔の半分を吹き飛ばされ、力なく項垂れている者。途中塹壕に腰掛けているような姿を見かけたが、近寄ってみると下半身を失った死体であったりもした。


 「助かる者は、おおよそ運び出されているようだな。ここにいる者たちは、もう死んだも同然だ」

「……」


 結局、一人の生存者も見つけることはできなかった。いまだ心臓の鼓動が止まらずとも、助かる見込みのない者を生きているとは扱えないらしい。


 夥しい死体の山と絶望の数々を前にして、俺は情けなく何度も嘔吐してしまった。嶺善班長は、そんな俺の姿を物も言わずに見守っていた。

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