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ひのくに戦記1913 -戦火の世界-  作者: 茂野夏喜
第一章 
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奇襲 3

 「……このっ!」


最後に一人残ったヴィンストル上等兵は、目の前の出来事に衝撃を覚えつつ、力いっぱいの一撃で目の前の敵を切り飛ばす。


 そして最後に戦友の仇を取らんと、小柄な女へマチェットを振り下ろそうとして――胸に鋭い痛みを覚える。



 ……!?


 致命的な刺激に対して、体が硬直するのを感じる。それでも攻撃の主に目を向けると、感情のない目をした敵兵がこちらの目を正面から覗き込んでいた。




*   *   *




 走って、走って、時折戦闘中の味方の援護をして、また走って。辿り着いた先には、戦闘の決着が待ち受けていた。



 塹壕の端、幅が少し広がった場所に味方が複数詰まっていて、その間から複数名の味方兵と敵兵が倒れているのを目視。更に奥へ目を遣ると、信濃原一等兵の姿と、敵に銃剣を突き刺している滝隅上等兵の姿があった。



 「……」

「……」

刺している滝隅上等兵と敵兵は、お互いに無言。お互いの目を合わせているが、殺す者と殺される者がお互いに何を思って見つめあっているのか俺には理解できそうもない。


 2秒ほどたったのち、敵は片手に持ったマチェットをゆっくりと振り上げ――滝隅上等兵は微動だにしない――、刺さった銃剣に叩きつける。銃剣の先は敵兵の傷口を広げたが、信じられないことに銃剣の刃先を叩き折ってしまった。


 体に突き刺さった敵の銃剣という皮肉な支えを失った敵は、しばし揺らいだ後前かがみに倒れ、それを滝隅上等兵が受け止める形で静止した。


 ――死んだ、と理解される。滝隅上等兵は、それをゆっくりとした動作で彼の体を動かし、塹壕の壁に背中を委託させる形でそっと座らせる。



 敵の表情。口元が、微かな笑みを浮かべているように見えた。




 「終わり、だな」

最後の敵を始末した滝隅上等兵は、小さな声でそう呟いた。周囲には数名分の敵の死体と、それを超える数の味方の死体。道中はやられた敵の方が目についたが、ここで粘った敵連中は相応の手慣れだったらしい。


 「塹壕の制圧は完了した。各員、周囲を警戒。援軍到着までここを守備だ」




 *   *   *




 塹壕を脱出したビリー中尉は、護衛を失い一人で後方へと逃げ走っていた。森の中へと逃げようとしたが、その先からの銃撃で護衛が一人、また一人と正確に撃ち殺されていったのだ。


 ――くそ!くそ、くそ、くそ!


 大勢の部下を失い、見事な奇襲を食らって敗走し、その中でも数少ない生き残りが一人また一人と失われていく。彼にとって初めての実戦経験は、今や最悪に近い形で終了しようとしている。


 今の彼にはもはや、最悪の事態を避ける努力――自らの死または俘虜となることを避ける努力――しかできない。できるだけ安全そうなルートを、できるだけ素早く進んでいく。敵が自分を敢えて撃ち殺さなかったのは恐らく俺が将校だから。取っつ構えて、洗いざらい情報を引き出したいからに違いない。


 どこで間違ったのか、なぜこんなことになったのか。俺の、いったいどこに間違いがあったというのか。逃げながら、脅えながら、泣き叫びたい気持ちを抑えつつ彼は考える。




 ビリー中尉は、もともと軍人を目指す人間ではなかった。偉大な父の期待に沿うことを選ばず、高等教育を修了した彼は民間企業に勤めていた。


 軍人の道を選ぶということは、つまり父の威厳を背負っての出世コースを歩むことだと、若い彼にも理解できていた。若い反抗心は、彼を独力での立身出世の道を進ませようとしていた。


 実際、勤め先では人並み以上に努力していたと思うし、実際結果も出していた。いくつもの困難な交渉をこなしてきたし、ある程度のところまで出世し大勢の部下を動かす側になったときも上下から尊敬される人格者でもあった。彼自身、自分が”できる”人間だという自覚もあった。


 ――だが。彼は自分を客観的に評価すると同時に、限界を迎えてしまった事実を悟る。


 人と話す、人を動かす、人に動機付けをする。そういうことは、時間と熱意を掛ければどうにでもなったように思う。だが、自分自身に商才や細かい機知が足りないことに気づいてしまったのだ。


 彼は悩んだ。このままでいても人並み以上のビジネスマンではあるし、自分の地位を恥じることなどない。だが、父の背中は今の自分よりももっともっと遠くにあって、それと比較できるだけの実績や能力が自分にあるのかと、虚しい気持ちになってしまった。


 思い悩んだ末、彼が目指したのは父と同じ道。年齢を重ねた上での幹部志願であったが、英雄の息子というブランドもあってかすんなり受け入れられた。


 そこからも彼は懸命に学んだ。過去に父から聞きかじった知識をもとに、軍人としてのあるべき姿を自分の中に一生懸命叩き込んできた。英雄の息子、未来の英雄、その期待に応えんとするために誠心誠意努力を重ねてきた。



 だが、彼はここでも躓いてしまう。



 ある日配属された新兵器”迫撃砲”を扱う部隊、そこのトップに推薦されたときは『努力が実った』ものだと嬉しい気持ちになったものだ。部下も自分を信頼してくれる、そして部下たちも自分が心の底から尊敬できるような気のいい連中ばかりだった。


 そして。


 彼は、本物の天才に出会う。



 彼の部隊に所属していたヴィンストル・レグリオス上等兵。彼は努力と才能の申し子であり、この新兵器について誰よりも熱心に研究を重ね、誰よりも実際に弄り倒し、更には効果的な使い方ができるように数学・物理・化学、果てには心理や歴史についても深く深く学ぶ男であった。


 ……俺には。そこまでする覚悟も気力も、発想すらもなかったのだ。


 だから、彼はヴィンストル上等兵を自分よりも頼れるものと考え、実戦では彼の指導に従うものと決めていた。自分よりもずっと優れた判断ができる彼に託した方が、よりマシな戦果を挙げられることは明白だったから。


 心の奥底では劣等感を抱きつつ、”適切な判断”をするための公平で合理的な手段として、彼は一人の部下に自分の全権を――そして責任までもを、委ねてしまったのだ。




 そのうえで失敗した作戦、負けた戦い。


 ……そんな自分が生き延びて、逃げ延びて、何になるんだという疑問を必死に殺しつつ、彼は懸命に逃げている。



 ここは前線に近い陣地だが、後方の友軍陣地までの距離はそれほど近くない。急がねば。凹凸のある地面を駆け、時折現れる岩や倒木を乗り越えて、彼は懸命に走る。片手に握る拳銃の重みは、安心感をもたらさない。



 そして、突然に衝撃を覚える。襟が何かに引っ掛かったような感触。停止した衣服に動く体が勢いよくぶつかり、一瞬首が締まるような苦しさを感じる。『カ八ッ』という乾いた呻き声をあげ、そのまま何者かの力によって背から地面に叩きつけられる。


 更に強烈な二度目の衝撃に、体が対応できない。背中と同時に頭も打ち付け、痛みに加えて軽い吐き気も催してしまう。


 そして間髪入れず体を転がされ、有無を言わさぬ力強さで両腕を後ろ手のまま握られる。理解が追い付かない脳波、最大限の危険信号と痛みの感触を無遠慮に撒き散らすばかりだ。



 ――いったい何が。




 「動くな」



 足音すら気づかせないままに背後へ接近し、大の大人一人を引き倒す力の持ち主。そのイメージとはかけ離れた声色で、声の主はシンプルな命令を口にする。


 「殺すなと言われていますが、逆らわれては”仕方ありません”ので」


 やっとこさ事態を理解したビリー中尉が後方を振り返って目にしたのは、年若い一人の女性兵士の姿。


 「大人しくしてくださいね」



 白楼上等兵の殺意と腕力にねじ伏せられたビリー中尉。逃げようにも腕は極められて動かせず、助けを呼ぶことすらも絶望的。逃げるという選択肢を失ったと理解した彼は、もはや抵抗する気力すらも失ってしまっていた。

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