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ひのくに戦記1913 -戦火の世界-  作者: 茂野夏喜
第一章 
45/134

戦うってこと 3

 先に動いたのは俺。ヤバい、ヤバい、ヤバい。大声を出されたり、銃を撃たれればアウト。仲間を呼ばれる。位置がバレる。森林の戦いに手慣れているであろう連中に囲まれ、確実に殺される。


 そんなことはわかりきっている。考えるより前に、俺の体は動いていた。


 銃は撃てない、銃剣も着けていない。一先ず黙らせないことには俺の命はない。銃を強く握りしめ、即座に敵の鳩尾へと差すように銃口を突き立てる。



 完全に殺す気で、思い切りひと突き。


 直前何かを叫ぼうとしていたのだろう、大きく口を開けたのが目に見えたが、声が出る前に俺の攻撃が当たった。「ヴッ」だか「ヴァッ」だか情けなくも聞こえる呻き声を漏らし、銃を手放してその場に硬直。



 間髪入れず、銃床を顔の当たりに叩きつけてそのまま仰向けに押し倒す。敵兵は満足な抵抗もできず、ただただ腹部を守るようにして苦悶の表情を見せるのみ。俺も銃を手放してそのまま馬乗りになり、”絶対声を出させないようにするため”敵の首に両手を添え、そのまま思い切り握りしめる。


 これも手は抜けない。さっきのが殺す気の勢いなら、今度は握りつぶす覚悟で思いっきり力を籠める。




 敵兵は相変わらずの表情だが、本能的だか反射的だか素早く俺の手を握り返してくる。……かなりの握力。この世界で鍛えられる前の俺なら、たまらず手を放していたに違いない。必至に生きようとする敵の掌から、手首の動脈が止まってしまったように思えるほどの力を感じる。


 それでも手を緩めない。ここで手を離せば俺は死ぬ。ここで手首に走る痛みと自分の命、天秤にかけるまでもない。俺の命にはここで起きたことの”情報”も含まれている、絶対に死ぬわけにはいかないんだ。



 十秒ほどそのままの態勢を維持。上手く絞められているかは確認できないが、必死にもがく敵の姿からは満足に呼吸できない状況であることが容易に見て取れる。やがて敵は小さく目を見開き、抵抗を続けつつ俺の顔を見つめ始めた。



 ……やめろ。


 見るな。見ないでくれ。


 恐らく、俺とそう歳は変わらないと見える顔。憎しみを感じさせない、ただただその生を懇願するかのような顔が、俺の顔を見返している。


 歴戦の猛者や古参兵なら、もっと殺気立った目つきをしているんじゃなかろうか。今まさに目の前で(かつ、俺の”手”で)殺されかけている若い男は、年相応に恐怖と委縮を感じさせるような目つきで、憐みを覚えさせるような目つきで、『死にたくない』『殺さないでくれ』と必死に訴えかけてくる。


 


 くそ!俺だって殺したくて殺してるんじゃない。戦争なんだ、殺し合いなんだ、殺さなきゃ殺される世界なんだ。俺だって命が懸かってるんだ。命だけじゃなく、色んなもの背負ってお前の首絞めてんだよ!ふざけんなよ!


 なおも抵抗と哀願を見せる敵に、俺は何を思うのか。仕方ないって言い訳をしたり、殺すなら確実にやるって覚悟しようとしたり、色々考えたけれど。結局、混乱するだけ。


 俺自身が生き延びようとする本能、殺さなきゃ殺されるという思考、目の前の男に対する憐み、初めてリアルに人を殺そうとしているという状況、色んなものが頭と心をぐるぐるぐるぐる目まぐるしく回っている。視界が揺れる、焦点が合わない。ただ極力息を殺すことだけを忘れない以外、ロクに頭が回っていない。



 ここで、敵の力が一層強まる。目の前の白人は顔を真っ赤にしつつ、生物として、死から回避しようとするため、最後の力を振り絞って懸命の抵抗を試みる。より一層強まる手首の痛みに耐え、俺も負けじと力を籠める。これはきっと最後の抵抗、これが果てればもうこの男は”言葉を発しなくなる”はずだ。


 敵を黙らせ、俺は生きるんだ。勝ったやつが生きる、負けた奴が死ぬ。俺は死にたくない、ならば負けるわけにはいかない。ここに引き分けなど存在しない、二者択一だ。情けを忘れろ、忘れてくれ。耐えろ、耐えろ、耐えろ。


 ――殺せ、ではなく、俺は自分に”耐えろ”と言い聞かせる。


 顔に汗か涙か分からない水滴が滴るのを感じつつ、ひたすらに耐える。




 …。




 何秒?何分?もう時間の感覚もあやふやだ。徐々に力を失う抵抗に対し、俺は一切力を緩めない。もう何も考えていない。後のことはこの男が”黙ってから”考えろ。



 ………


 ……


 …。



 みるみる力を失っていく敵の手。もはや、俺の手首に添えるだけの力しか残っていない。


 それでもなお、俺は力を緩めない、ここまで来ると妙に冷静になって、いや無心になって、俺はただ敵が沈黙するのを待つだけの存在と化していた。



 敵の手がずり落ちる。しかし、止めない。まだだ、まだ落ち切ったとは限らない。



 やがて男は力尽き、まるで電池が切れたかのように無力に横たわる。その様を見届けて更に数秒待ち、恐る恐る手を放す、掌の感覚が薄いが、各関節にジンジンと鈍い痛みを感じる。



 男を見る。真っ赤にしていた顔は少しばかり血の気を失い、まさにぐったりって言葉がちょうど当てはまるような様子で草木に埋もれている。不安定な思考の中で、「マネキンみたいだ」と思った。



 しかしそのマネキンは、ついさっきまで普通に生きていて、息をしていて、何かを感じていて、少なくとも俺に対し恐怖だか憎悪だかを感じつつ必死にもがいていたはずなのだ。


 彼が生きているのか、死んでいるのか、よくわからない。ただ無理やり呼吸を止められるってのは、生物にとって致命的な結果をもたらす深刻な害であるはず。俺には蘇生法の心得もないし、どのみちこの男は死ぬ。




 ……俺が、殺したんだ。


 この手で。




 掌を見る。広げようとするが、不自然に握られたままの状態で硬直している。さっき殺人に使ったままの形でそこにある。俺は、この手で人を殺したんだ。戦場という特殊な環境下、それも自分の生存が懸かっているという極限状態の中で、俺は人を殺した。




 ……何をいまさら。俺は既に何人も撃ってきた。恐らく死んでいるだろう、人殺しなら、もうやった。




 そんな心の言い訳とは裏腹に、俺は震えていた。上手く言えないが、ある種の恐怖を感じていた。事実に、状況に、目の前の光景に、あらゆるものに対して恐怖していた。



 『人を殺せるのは、才能だ』



 あぁ、そういうことなんだな。分かる気がする。


 こうやって目の前で息の根を止めること。想像を絶する苦痛と恐怖を与えながら、最も殺人の実感が湧く方法で人を殺めること。その一部始終を加害者として終えた今、俺は達成感や勝利の味など微塵も覚えていなかった。



 そこにあったのは、ただの虚しさと恐怖だけ。


 一刻も早くこの場を離脱すべきだというのに、俺はその場で何も言えず、何もできずにいた。




 近くで物音がする。

 

 一応、目線はそちらへ動かす。



 そのうち、敵の姿が見える。


 ……。


 敵は立ち尽くす俺と目の前で倒れている仲間の姿を目に入れ、迷わず俺に銃を向ける。


 あぁ、撃たれるのか。



 ……撃たれる?


 つまり、俺は死ぬ?




 ……いやだ。


 死にたくない。死にたくない。


 死にたくない……!



 突如として生存本能の叫びに気づくも、もう色々と手遅れ。


 そしてそのまま、ダンッ!と、銃声が鳴った。




 ………


 ……


 …。




 その音の直後に敵兵はドサッと倒れ、銃もその手から落下。その銃口には微塵の煙も燻らず、熱も帯びていない。



 音がしたのは敵兵よりもすこし奥から。



 そこには、見覚えのある人物が立っていた。


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