窮地 1
「とにかく、ここでジッとしてるのはマズイ」
光峰一等兵は、意を決したように動き始めた。
「足止めする。だから、二人で逃げてほしい」
「そんな……」
確かに、戦えない二人がここに居ても出来ることは少ない。それに、下手をすれば足手まといにだってなりかねない。
だけど、
「無茶です、敵の規模も分からないんですよ!?」
嶺善班の面々は、贔屓目なしに見ても能力が優れた人ばかりだと思う。だが規模も位置も見えざる敵を前にして、光峰一等兵が一人で対処しきれる光景はとても想像できなかった。
「本気で戦うわけじゃないし、足止めするだけ。黒桐伍長は走れないし、君もマトモに戦えないでしょ?僕がやる」
どうやら、本気で言っているらしい。
「……すまんな」
「いえいえ」
黒桐伍長は、即座にその提案を受け入れた。
「ひとまず後退する。仲間と合流したらここに戻るんだ」
「……」
信じろ。
「了解」
「はいよ。そんじゃ、銃声なったら移動始めてください」
「あぁ」
光峰一等兵は一人、ゆっくりゆっくりと横に移動する。這いつくばった姿勢のまま、片手、片足、上半身、下半身、残りの片腕、片足と体のパーツを一つずつ丁寧に動かしているようだ。一分ほどたったタイミングで、少し離れた位置から物音が鳴り……そこへ目掛けて即座に敵の射撃が浴びせられる。
「行くぞ」
「はい」
合図は、銃声。それを聞くと同時に、俺達も後ろへと後退していく。先ほどの光峰一等兵を真似るように動いてみると、動かす部位ごとに意識が集中して障害物や物音を立てそうな物を避けつつ移動することができた。
……なるほど。森林での戦い方を一つ学べた気がした。
敵の意識は残った光峰一等兵の方へ集中しているらしく、時折近くを流れ弾が掠めるだけで俺達を狙った弾が飛んでくることはなかった。
……光峰さん。どうか、ご無事で……。
* * *
単独で敵の排除に向かうも、状況が悪い方へと動いているらしい。どうやら敵の包囲には失敗したらしく、残った味方は”囮”の敵目掛けて遠慮ない弾幕を張っている。
……まぁ、良い。恐らく、”囮”の方が少人数であろう。三人で動いているということは、その中に”逃がさねばならないほどの階級の者”は含まれていないだろうし、精々負傷した味方を助けようと考え抜いた結果であるはず。
それに、そういう”臭い”がする。二手に分かれた内の一人は多少やり手らしいが、これからどのような判断を下し動くのかは全部手に取るように伝わってくる。
先ほどのこれ見よがしな物音は、ただその辺に落ちていた棒切れや石ころを離れた場所にぶん投げただけの簡単なフェイク。味方はものの見事に釣られたようだが、俺はそんな手には乗らない。
……そりゃそうだ。さっきから、目星をつけたポイント付近に漂う”獲物”の気配が消えないのだから。
「……見つけた」
距離はざっと15メートルほど、まず外す距離ではない。敵は大きめの木に体を半分隠すようにしてジッとしているが、十分に命中させられる程度の面積は晒している。敵を狙い、引き金を絞り、そして撃つ。
……ほう。
射撃するほんの一瞬前、敵は図ったように動いて弾丸を避けることに成功。彼が居た場所に3発の銃弾が叩き込まれる。
なるほどね。やるじゃないか。
敵もそれなりに戦ってきた人間らしく、こちらが放つ殺気に近い何かを瞬時に感じ取ったのだろう。こういう場所で生き延びられる人間は運だけではなく、直感も優れている。
だが、先に姿を捉えたのはこっち。どう転んでも俺の有利は覆らない。きっと敵は運よく生き延びたことを安堵する余裕もなく、こちらの位置を想定するのに精一杯であろう。
「逃がさない」
狩猟を生業に生きてきたジェイコブ一等兵は、狩人としての本能が研ぎ澄まされていくような感触を覚えていた。難しく考えるでもなく、複雑な計算をするでもなく、ただ重ねられた経験と知識が無意識のうちに働いて、その結果だけが脳内に浮かび上がってくる。
その結果を逆算すると。恐らく、奴を仕留めるべき場所はあの木の近くじゃない。
「……やはりな」
敵のいた場所に近づくと、足元へ目立たぬように小さな罠が設置されていた。ほんの十数秒足らずで用意したとは思えないほど巧妙に偽装された罠。何気なく置かれた落ち葉の下には、踏み抜いただけで爆発する手榴弾でも仕込んであるはずだ。
敵は逃げに徹していると判断し、念のため罠を解除しておく。枯葉をどけると、思っていた通りの簡易的な地雷が設置されていた。
「……あいつ、もしかして」
ただし、想定外だったのは地面が思ったよりも感情であったということ。銃家の先で彫られたとみられる小さな穴は、どう見ても事前に――少なくとも、ジェイコブの銃弾が放たれる前に――用意されていたとしか思えない。
それを見て、彼は察する。なるほど、奴の得意は”こういうこと”か。逆に言えば、奴の技量はマトモに戦って俺に勝てるレベルのものではない、と。
――奴の痕跡に残された罠にだけ注意して、あとはいつも通りに始末しよう。
決意を固めたジェイコブは、敵の逃げた方へと足早に近づいていく。
* * *
追われる側の光峰一等兵は、まさにジェイコブの想定通りに動いていた。嫌な予感がして咄嗟に体を捻ると同時に敵弾が掠め、出来るだけ足音を立てないようにしつつ最速のスピードで敵から離れつつあった。
やばい。思ったよりも手強いかもしれない。
冷や汗が頬を伝う。巧妙に仕掛けた罠の数々が一切反応がないらしく、つまり追跡者側は自分の仕掛けた罠の存在、いや思考自体を的確に読んで動いているのだろう。
単独での戦いには慣れているし、囮として戦いつつ二人の後退を助けるつもりだったが、今はこの一人を引き付けるので精いっぱいである。そのうち、敵のいくらかは逃げた二人を追い回し始めるはずだ。
「参ったな」
誰にも聞こえないように小さくつぶやく。こうして逃げ回っている間に、もしかすると味方と合流するかもしれない。だがそれと同じくらいの確率で、更に潜伏している敵に遭遇してしまう可能性もある。
………。
……。
…。
逃げて、逃げて、逃げる。ひたすら逃げる。罠も通用せず敵の有利な環境で戦い続けている今、光峰一等兵にとっては完全に手詰まりな状況である。途中追跡者からの射撃音も足音も聞こえなかったが、追われているという気配だけは常に感じ取っていた。敵は少しづつ、少しづつ、こちらに気取られぬように距離を詰めているらしい。
「しつこいなぁ……」
いよいよ追い付かれるというその時、先の方で黒い軍服が目に入った。
――!
「味方だ、撃つな」
響かないような声量で、しかし目の前の相手にはハッキリ聞こえるように声を出す。突然の出来事に銃を向けられるも、そのまま引き金を引かれることはなかった。
ようやく、ようやく運が良いほうに傾いてきたらしい。とりあえず、味方の一団――とはいっても、十数名程度の規模ではあるが――と合流することに成功した。
「何があった」
指揮官らしき男が質問してくる。
「危ないんです、僕、敵兵に追われていて。人数はそれほどじゃないと思いますが、もうすぐ近くに来ているはずです」
「……分かった。各員、敵の襲撃に備えつつ進むぞ」
部下たちは小さく頷き、目の前に広がる森の風景に目を凝らしながら進み始めた。
……一先ず、”自分のピンチ”は切り抜けたと見てよさそうだ。光峰一等兵はほっと胸を撫でおろすと同時に、残してきた二人をどうやって助けに行くかに思考を切り替えることにした。




