第44話 夜明け前
一体どれくらいリースは泣き続けていただろうか。闇色の幕を引いた結界内からは月も星の動きも見えない。
全身の水分が干上がりかねないほどに涙を流し続けて、ようやくリースは泣き止んだ。もう顔中涙痕でぐしゃぐしゃだ。洗ってやりたかったが、生憎この結界内にある水分はリースの涙と俺の血液だけだった。こんなもの触媒にして術を使ったところで汚れが増えるだけか。そもそももう魔力なんて完全に空っ欠だからな。水滴矢1本も作る余力はない。
「……オーダクレストの言葉と、あの何も考えずにただ術を放っていく感覚で気づいちゃった。やっぱり私はヒトに擬態した兵器だったんだって。……人よりも個々は屈強なはずの魔族まで、私のことを兵器だって呼んだ。ヒトは私を魔族と呼ぶけど、私は魔族ですらなかったの……」
「ばーか。そんなわけないだろ」
その理屈で言えば7人の勇者は全員兵器か? そんなことは無い。光の勇者は女の子にモテモテだ。俺が死ねば良いと思うくらいには、人に好かれている。
「……フォンのばか。フォンが優しいから、私は、私がヒトなんじゃないかって勘違いしてた」
「リースの大馬鹿。お前の方こそとんだ勘違いだ」
売り言葉に買い言葉。ちょっと強い言葉を掛けてやると、少しだけリースがムッとした表情を見せた。喜怒哀楽の内で嬉や楽が見えにくいが、心の中はこんな口先のやり取りだけで動くほどに豊かなのだ。そんな兵器なんて危なくて使えないだろ?
「……兵器に愛着を感じるなんて、フォンはヒトの枠から外れた馬鹿」
「じゃあ人の枠を超越した超馬鹿のリースに、良いことを教えてやるよ」
そう言いながら俺はリースの目尻に残った涙を指で払ってやった。これが答えだ。
「兵器は、涙なんて流さないんだよ」
弓矢は涙を流さないし、剣が声を上げて泣くことはない。そんなこと当たり前のことじゃないか。嬉しいと思ったら微かに笑い、憤りを感じればツンツンに態度を硬化させて主張して来る、そんな女の子が兵器であるわけがないだろ? リース――魔王への復讐だけが残された人生の全てだった俺に、生きる意味を与えてくれた女の子。強さではなく、彼女が俺を求めてくれたことで俺は救われた。だから――
「お前はヒトだ。俺の相棒だ。兵器なんかじゃない」
「……良いのかな、そんなこと、私が思って」
「事実を事実と感じてはいけないなんて法はないからな」
まあ仮にそんな法を作る国があったら俺が魔王に代わってぶっ潰してやることもやぶさかではないけどな。
俺がそう締めくくってやった後リースはもう何も言わず、ただ小さく頷き、くぐもった声を漏らしただけだった。
さて、後はリースの中に残ったエンザイ草の効果を抜くだけだ。頭痛と眩暈に耐えながら、残り全ての気力で闇の魔力を練り上げる。
「もう疲れただろ。俺が傍にいるから、少しだけ休め――褥の帳」
かつてリースが俺に教えてくれた、最大規模の催眠魔法。さっきリースに軽々と跳ね除けられたそれは、敵対者を覚めない眠りに落とすだけではなく、悪夢さえ見せない深く安らかな眠りをもたらすものだと今の俺は知っている。闇は心の傷を覆い隠し安らぎを与えるものだと。
リースが眠りに落ちたことで魔力の供給不足が起きたのだろう。少しずつ闇の衣が結界の暗がりに散っていく。露わになった生白い四肢は、この数日の飲まず食わずの拘束で俺と再会した頃と同じくらい細くなっていた。
「俺が日除けになってやるよ。だから、今だけは安らかに眠れ」
リースの背を抱き、横抱きで抱き抱える。ほっそりとした首筋を腕で支え、肉感のない大腿を支え、俺も座り込む。心身共にとっくに限界なんて超えたと思ったのに、どういうわけかまだ魔力は切れない。
『うふふ、良く寝てるわね』
「精霊様、もしかして結界維持してくださっているんですか?」
『違うわよ。これはフォンの力。勿論私が貴方に与えた力ではある訳だけどね』
精霊様はなんだか嬉しそうだが、俺は少しだけ心が晴れなかった。リースも寝ているし、精霊様に相談させてもらうことにしよう。
「……精霊様。俺も、リースを魔王討伐の道具にしようと、彼女と契約しました。本当はあんなこと俺が言えた話でもなかったかもしれないのに。俺は……。俺は、阿漕なことをしてるんでしょうか……?」
『リースの力が目的だったことくらい私も知ってるわよ。私はずっと貴方たちの旅を傍で見ていたんだもの。でも、今は違うでしょ?』
そう言えばそんなこと言ってたな。いつも傍にいたとかなんとか。
『勿論フォンがソロ専門で冒険していたことも知ってるし、たまに連携したように見せかけてもただ自分で事を済ますために他者を利用するだけだったことも知ってる。でも貴方がリースのために今回動いたのは貴方自身のこの子への好意や情に裏打ちされていたわ。その心があるだけで、この子は十分に救われたわ――リースの顔を見てみなさい、幸せそうな顔をしてるでしょ?』
「エンザイ草の薬効を断つ特効薬は、俺が知る限り深い眠りによる精神的疲労の回復しかないからな……。眠りが効いて来たんだと思います」
『一番の薬は愛と幸福よ。まあフォンが一度眠りに落としたからこそ思い出せたのかもしれないけどね』
「え……?」
『え……? って何? 私は精霊よ? 仮にも神の爺の承認の下、貴方たちにスキルを与える存在なのよ? 特定の精霊以外与えることの出来ない特異スキル以外のことなんて網羅していて当たり前でしょ?』
確かにそうだけどさ。その可能性は全く考えてなかった。だったら俺、先に精霊様に聴いておけば解決だったんじゃ……。
『そんなチートは許さないわよ』
ああそうか。心結びしてるから俺の思ったことは筒抜けなのか。ならなんで今になって教えてくれたんだ?
『……打開策を私から提供したら神の爺に世界への過干渉を怒られるから』
精霊って言うのも案外不自由なんだな……。というか光の精霊さまの言葉はいいのかな? あれ過干渉どころか国々の政治にまで影響与えてるけど。
『まあ私のことはおいておいて。とにかく、幸せな思い出を心の中に呼び起こすだけで、自分は生まれながらに罪人ではなく、幸せになる権利があることを知る。彼女にその権利をあげたのは、紛れもなく貴方よ』
精霊様はそう言って、少し笑ったような気がした。俺の腕の中でリースの小さな唇が小さく動く。囁くような寝言だったが、その言葉は呪文の詠唱のように俺の耳を捕まえた。
「ふぉん……。わたしもだいすき……」
『“私も”、ねえ……。夢の中では貴方から伝えているみたいね』
「みたいですね」
現実の俺には言えそうにないけどな。『だいすき』だなんてどんな顔して言うんだよ。
『私の知る限り、この子が一番安心している相手はフォン、貴方よ。今はもういない両親よりも貴方を頼りにしてる――ってそれはフォンも同じだったわね(笑)』
「精霊様、(笑)って声に出すって相当失礼ですよ。それから、そのこと絶対リースには言わないでくださいね?」
『私は声になんて出してないもーん。大体勇者に言って、私に言って、リース本人にも『お前は俺の物』なんて言っておいて今更何を恥ずかしがっているんだか。ま、どうするかは今後の貴方の私への忠誠次第ね。必要とあらば馬車馬扱いも覚悟しておきなさい』
「……お手柔らかにお願いします」
果たして何をやらされるんだ? 俺もしかして大変な奴隷契約を精霊様と結んでしまったんじゃないだろうか? リースとの大魔王契約に続いて精霊様との奴隷契約。俺の首にどんどん枷が着いて行く幻覚が見えるようだった。
『でも、今は貴方も休みなさい。後のことはあの元勇者、クージスとやらが何とか取り成すでしょ』
「おやすみ、リース……」
本当にこれで終わったのか俺には良く分からないけど、腕に掛かるリースのあまりに軽い温もりと鼓動を実感したとたん、緊張が解けたのか一気に眠くなってきた。魔力の供給が滞り結界が裂けるのが見えた。
地平線の向こうには糸ほどに細い三日月が今まさに沈もうとしていた。
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