第43話 辿り着く場所
「お待たせ、リース。助けに来るのが遅れて悪かったな」
物言わぬ死体になったオーダクレストから槍を抜き、再度リースの前に立つ。光術行使のために焚かれた篝火の光すら届かない闇に佇むリースの表情は、ただただ痛ましかった。
張り付いた仮面のように笑いながら滂沱の涙を流し、理性すら感じ取れないだらしなく開いた口からはダラダラと零れた唾液が銀の糸を引いていた。
エンザイ草のエキスに飲ませて効果のある特効薬はない。俺のスキル【農家】で分からないのなら、分かるのはせいぜい【薬師】のスキルくらいだろうが、そんなレアスキル持っている奴はここに居ない。ただ1つだけ、薬の代わりになりうるものがあることだけを【農家】のスキルは知っていた。やっぱり便利だな。スキル。
「リース、一緒に帰ろう」
「……もう無理だよ。帰れない。私、ヒトの敵になっちゃった」
「大丈夫だ。ヒトは誰も死んでない。お前は誰も殺してなんかいない」
「……でも、もう無理だよ。これだけのヒトの前で力を晒して、明日からまた逃げ隠れる生活が続くんだよ? もう嫌だよ……。お母様が居なくなった時みたいに、次はフォンがいなくなる。この薬を飲んで分かった。私は、フォンを求めたこと自体が間違いだったの……。ねえフォン、私を殺して」
「それは聴けない」
全身全霊を込めて、リースの懇願を跳ね除ける。そんなことのために俺はわざわざ死ぬ思いまでしてこんな闇の加護持ちを迫害する国に来たんじゃねえ。
全部リースを取り返すために勇者の仲間も、勇者も魔王の使いも倒してこうして立ってるんだ。
「……ギロチンで見せしめのように殺されるのも、その辺で転がってる勇者に殺されるのも嫌だ。せめて、せめて死ぬ形くらい自分で決めさせて……」
「俺がお前を殺せるわけねえだろ」
実力的に無理とは、今は言わない。ただ俺にリースを切るという一点が実行出来ないだけだ。そもそも相互的に害することが出来ない契約を作ったのはリースだろ。
「……お願い。せめて、最後は好きな男の子にお願いしたい」
「ふざけんなよ……!」
あまつさえ俺に好きな女の子を殺せと? ふざけているにも限度がある。
「俺は確かにお前の物になった。だがアレは相互契約のはずだ。俺がお前の物であることと同じくらい、お前は俺の物だ。勝手に死にたいだ殺して欲しいだ、俺が認めるわけねえだろ」
「……フォンも、私のお願いは聴いてくれないんだね」
「他のお願いだったら幾らでも何でも聴いてやるよ! だがそれだけはしてやれない」
リース纏う闇の衣に掛けられた魔力は膨大だが、リース本人は大した戦闘準備をしているようには見えない。だらりと力の抜けた両手は本当に力が入っておらず、今の俺なら間違いなく先手を取れることは確信出来た。
さっきはオーダクレストに邪魔されたが、今度は決める。
「リース、一眠りすれば気分も良くなるさ。闇術――褥の帳!」
「無駄。私には効かない」
俺の最大規模の魔法が生じさせた闇霧は何食わぬ顔で跳ね除けられた。リースを中心に渦を巻く膨大な魔力は、図らずとも俺がクージスの雷槍を掻き消したように、俺の術を魔力ごと散らしてしまった。
「チッ……。やはり一撃は要るか」
「……最後まで一緒だよ」
リースの言葉は理性的でありながら、目の前の俺を打ち倒す以外の選択肢を考えられない狂気を帯びていた。どうやらあのエンザイ草の薬が本当に身と心に馴染んできているらしい。あまり時間は取れなさそうだし、俺も連戦による心身の疲労や出血で長くは保ちそうにない。
「私はもう、人の世界にはいられない。あの薬を飲んでただ命令されるままにあの勇者を撃って分かった。私は戦場でただ敵を撃ち続ければいい。そうすれば悲しくもないし痛くもない。ずっとそうしていればいい」
「そんなものがお前の幸せか? そんなものが人生になって満足か?」
「……私だってそんなの嫌だけど、そもそも私にはこれしかなかったんだって、分かっちゃったの! 誰かと一緒に、誰からも迫害されない穏やかな生活なんて、求める方が馬鹿だったんだって!」
「それを望んで何が悪い! お前はお前の望みで動いていいんだよ!」
何も楽しみもなく、心の平穏さえ与えられず命令のままに敵を討つことでしか生きられないなんて悲しすぎる。一緒に食べるご飯も、一緒に当たる焚火の暖かさも、寒さに身を寄せ合って仰ぎ見た星空も、彼女の中からその全てが色を失うなんて耐えられない。
「……精霊様、アレを使おうと思います」
時間もない。魔力の残りも少ない、味方もない、何もかもが足りない俺に残された最後の選択肢を脳裏に描く。もはや頑なになり過ぎたリースを諭すには、言葉では駄目だ。俺が、俺の力を以てあいつを引き戻し、助ける。
これは自分のエゴをリースに押し付けているだけか? 槍を構えながらそう自問する。
『ええ、よくってよ。全て貴方に任せるわ』
何が正しいか、そんなことを全て悟れるほど俺は賢くもないし、無私にもなれない。世の中の原理原則ではない、諦観から生まれたリースの望みを踏み砕こうとしているのは、俺の想いだ――俺は、リースと生きたい。
浮かぶ対抗策は1つしかない。果たしてぶっつけ本番でどこまで出来るか分からない。だがやる以外にリースを助けられないのなら、やってやるしかない。
一条の形を持った闇としか形容出来ない術が迫る。逃げるのは無理か。
「受け止めるしかないか。火の禍を防ぎ我が身を守護せよ、水術――血竜の盾!」
ボタボタと地面に落ちていく血液に、残った水術の魔力をありったけ込めて巨大な盾にした。だが過去最大の力を込めて作った水術の大楯が、噛み合い阻むことさえも出来ずに一瞬で食いちぎられた。瞬きする間として拮抗すら出来ないのかよ。
瞬きするより早く俺の姿が形を持った闇に射抜かれ、地面に倒れ伏した。リースの放った術は俺の盾の魔法などなかったかのように広場の見張りに作られた石造りの塔を抉り、倒壊させて消失した。
「……さよなら、フォン。大好きだったよ」
「俺が過去形にはさせねえよ」
リースはそこにいない俺に呟いたつもりだったんだろうが、俺は生きている。死んでやるわけには行かねえよ! 俺は大きく息を吸い込んで影の中からリースの背後に飛び出した。先の愚は犯さない。ある程度の距離を取って、再度全力で魔力を練り上げる。
リースが反射的に走って距離を取ろうとするが、俺もボロボロの身体を引き摺って距離を詰める。流石にこの状況でも、走ってリースに負けるほど遅くはない!
「フォン、なんで生きて——」
「影を触媒に自分の人影だけを再現する影分身だ。リースは魔力でしか感知しないから、殺ったと確信が持てて、魔力を感じなければ油断すると思ったよ」
ただの影潜だけでは全力で探知され出現地点を撃たれて死ぬだろうが、その前に自らの死を偽れば、魔力をわざわざ探知しないだろうと読んでいたが、正解だったらしいな。
「とりあえず、少し2人きりになろうぜ……!」
少なくともさっきの大技でリースは魔力をあらかた消費し切ったはず。再度練り上げて大技を使うには少し時間がある。一方で俺は影に潜みながらギリギリまで魔力を練り上げてある。この一瞬だけなら、俺はリースに先手を打てる。
これは俺自身が完全に初めて使う魔法。見たことも聴いたこともなかった魔法を、ただ記憶を頼りに詠唱する。不安だが『これ』しかリースに迫る方法は今の俺にない。
「闇を満たして世界を閉じよ――傷を隠し、痛みを隠す影の中の優しき隔離世よ――触れ得ぬこの世の幽世へ俺を導け、闇結界術――春夜夢帳!」
詠唱が終わり、魔法が発動すると同時に、俺とリースを包むように星空の黒に染めたようなヴェールが生じる。徐々にその壁は漆黒の度合いを増し、外を見透かすことの出来ない空間を遮断する壁となった。
だが問題はこの結界の維持の方だ。新たに練り上げた魔力が練り上げた端から全て結界の維持に回されていく。幾ら集中して魔力を早く練り上げたところで練り上げた魔力をほとんど結界が食い散らかしていく。
「この勢い、やばいな……! 魔力が幾らあっても足らねえ……!」
「……どうせ結界魔法やるなら私1人だけを封じてくれればよかったのに」
「そいつは無理な相談だ。どうせ俺ではそう何分も維持たねえよ」
体力気力が漲っていてもおそらくは1時間。出血を術に変え、全身を酷使し、精神を擦り減らして魔力を練り上げ続けてこうしてリースまで迫った今、おそらく持続時間は数分しかないだろう。
もう俺に打てる手は全て打った。後は俺の全てを燃やして魔力を練り上げ結界を維持し、倒れるまでにリースを取り返すだけだ。
「リース、今なら聞こえるだろ? 応えてくれ! エンザイ草がお前に見せたことだけがお前の人生の全てだったか?」
あの薬は苦しかった思い出とその因果だけを見せ、人を苦しめ、自分が罪人だった自覚を植え付ける悪魔の薬だ。決してリースが生まれながらの罪人だったわけではない。
「……来ないで。何も聴きたくない。何も感じたくない……!」
俺の言葉をリースは只否定し続ける。こうも頑なだとイライラするな。
叫びたいのに頭が痛い。どうやら魔力を練り過ぎたか、体が休養を欲しているみたいだ。一歩踏み外せばそのまま意識が闇に落ちそうな中、精霊からの借り物の槍を杖に足を引き摺り一歩、もう一歩前に出る。
何も感じないで時間だけが過ぎるなんて死んでいるのと同じだ。俺は、リースを死なせたくはない。
「来ないで!」
「嫌だね。これだけはお前にも譲ってやれない……!」
左半身は既に左腕から流れ出た血液でべっとりと濡れている。光や炎の精霊の加護を持っていない俺には、すぐに傷を治す方法はない。何発か血液で水術を放ったりもしたが、流石に血を流し過ぎたらしい。息が苦しい。頭に心臓があるように拍動の音が喧しく聞こえてくる。
「……ちょっと待ってろ。今、そこまで」
頭がふわふわする。もう足もどこに着いているのかわかりやしない。辛うじて3本の足で立っているから地面が分かるだけだ。それでも、目の前のリースに一歩でも近づく。
「行ったら……」
「来ないでって言ってるのに、なんで来るの!」
リースの小さな左手が魔法の印を結ぶ。全文詠唱破棄か。やっぱりここに至ってもリースの才覚は凄まじいものがあるな。
夕闇の迫る空ほどの暗さの中に、漆黒の塊が幾つか浮かび上がる。リースの魔力で作った闇の飛沫か。だがここは俺の作った結界の中だ。少し魔力の流れを変え、半分は掻き散らして霧散させる。
「闇の飛沫か……。もう半分を避けるのは、無理だな」
俺の作った俺の魔力が充満する結界の中ですらリースは術を使えるか。本当にどこまでも規格外だな。追い縋っても、どこまでも遠い。
もう逃げることも出来なければ、魔法で防ぐことも出来ない。ただ目を瞑り、吹き荒れ出した黒い雨粒のような飛沫の中をもう一歩踏み出す。浴びれば心を弱らせ諦念や憤り、無気力に突き落とす闇魔法も、闇の精霊の加護は防いでくれている。
「……こんなもんで、俺が、止まるか……! 止まってたまるか……ッ!」
『フォン、無理は禁物よ。相手がリースならこの状況下でも貴方の加護すら抜いて来る可能性もあるわ』
「だからこそ、今、前に出るしか、ないんです……! 今逃げたら、リースは俺の手の届かないところまで行くからな……!」
「……来ないで。来ないでってば……!」
ヒビ割れた叫び声と共に、リースの手元に真っ黒な刃が生じる――闇刃か。だがあくまでリースは術師、俺は剣士だ。振るわれる刃の軌道を読み、槍で受け流す。物理干渉を可能にした魔力の刃とはいえ、振るうのはリースの細腕だ。足を1本失いながらもなんとか受け止める。
左の腹部を薙ぐ1撃、脳天を唐竹割にしようとする2撃目を防ぐが、3撃目――頭上で受け止めた刃が形を変え背中を突く一撃は避けられなかった。不意に心に風が吹くような虚しさが湧き上がる。闇術による精神干渉作用か。察するに血は流れていないが、ここが結界外なら心臓一突きで死んでいたな。だが――
「止まるな。リースを取り戻すまで止まるんじゃねえ……」
改めて決意を口にすることで、精神干渉を跳ね除ける。所詮影に物理的な力を介在する力は限定的でしかない。詠唱破棄した脆い刃は俺が一喝すると薄暗がりに溶けて消えた。心を折り、人を諦念に支配させるリース闇術も今の俺には効かない。大丈夫、まだ歩ける。
『フォン!』
「……大丈夫だ、精霊様。俺はあいつを取り戻すまでは止まらない」
失血と疲労感が辛い。視界はもうほとんど真っ黒に塗りつぶされて何も見えない。でも、すぐそこで泣いているリースだけは見えていた。
伸ばした手が小さな肩に触れた。ああ、やっぱり震えてるじゃねえか。リースのばか。
「……フォン。なんでここまでして……?」
「……お前の生活全てを守る契約だっただろ? お前がいなかったら、俺たちの生活は何も始まらねえじゃねえか……」
「……そんなこと、忘れてくれてよかったのに」
忘れられる訳ねえだろ。ばか。違約したら死よりも恐ろしいことが起こる契約だぞ?
「……闇術――闇の衣」
リースが俺からそっぽを向き、全身を覆い隠す闇の衣の術を再発動し、顔を覆う闇色のヴェールを作り出した。まさか俺の作った結界の中で、結界に匹敵する術まで扱うとは流石だな。しかし魔王の術とは言え所詮は闇術。闇の精霊の加護を直接受けている今の俺は空気のように軽く、絹織物のように滑らかな肌触りのそれを、この手で掴むことが出来た。
御簾のように顔を隠す闇のヴェールを払うと、泣き腫らした紅い目に、白い肌を這う銀に光る涙痕の、泣き虫な女の子がそこにはいた。
「ちゃんと顔を見せろよ」
「嫌だ! 見ないで!」
俺の接近を拒んだリースの小さくボロボロになった手が俺の鼻先を掠めた。纏った闇の衣の魔力が、槌か何かのように通り過ぎ様に俺の顔面を打ったらしく、一瞬意識が飛びかけた。ヤバイ、結界が切れる――!
『フォン、貴方にもう少しだけリースと2人きりの時間をあげるわ。精霊の導きに感謝しなさい』
一瞬結界に裂け目が出来たかのように見えたが、目を再度開くとさっきと変わらぬ日の落ちた薄暗がりの空間の中に、俺とリースだけがポツンと居た。
リースの目は戸惑いを映しながらも、俺の姿を正視していた。どうやらエンザイ草のもたらす衝動が一旦鳴りを潜めたらしい。もっとも波があるからこの後まで安全とは言えないが。
「待たせたな。これで――やっと着いた」
「……ふぉん」
抱きしめ、見つめ合った瞬間、泣き腫らした真っ赤なリースの目からまた止めどなく涙が溢れ出てくる。しかし、俺にはそれを止めてやることは出来なかった。
次回:リース拉致編最終回




