第34話 心結び
道行く人の頭の中をこっそり術で攫って、得られた断片的な情報を繋ぎ合わせた結果、ソーラライで明日の昼行われるという魔王の使いの処刑というのが、おそらくリースの処刑だろうということまでは分かった。
ギルドで鳥竜を借りられればある程度余裕を持ってソーラライまで辿り着けたかもしれないが、依頼もなしに借りられるほどギルドの管理も杜撰ではない。最悪の手段として調教師を眠らせて強奪するという手も考えたが、そんなことをしたところで後から俺たちを追って来る追手が増えるだけだ。
『……』
とにかく、今すべきことに迷いはない。人目を避け、魔物除けの外縁の壁を術で強化した脚力を以て踏み越える。外見まで指摘される程に加護が体に馴染んている今、喪ったバスタードソードに代わる代替の武器も購入は出来ない。
ぽつぽつと胸中に噴き出す焦りの中、とにかく術は最大強度を維持。上り行く月を目指すように街道を駆ける。昼間なら相当数の往来もあるだろうが、今は無人――時折夜を徹して輸送業を全うするヒトもいるが、一跳びで頭上を追い越し、一駆けで感知すら出来ない距離まで離れる。
『……』
果たして間に合うだろうか。夜風すら追い越す速度で駆けても、夜が明けるよりも先にソーラライの処刑場からリースを奪い返すところまで行かなくてはならない。夜が明けてしまえば、勇者のパーティーを前に先の敗北の二の舞を演じることになる。
『……』
さっきから何だ?
人気のない荒野をただ走っている。風の音しか聞こえないはずだ。それなのに耳を通り過ぎていく誰かの声がする。木々や草の騒めく音か? あるいは石を打つ風の音か? だがどちらもこんな煮えくり返った腹の底が冷えるような『声』にも似た音にはならないはずだ。
「誰だよさっきから笑ってる奴は。出て来いよ!」
『うふふ……』
気が立っているときに人のことをクスクスと笑いやがって! この荒野のど真ん中でわざわざ俺を嘲り笑う奴って誰だよ! あいつ等が近くで見てるのか!?
「誰でもいいから出てこい! こっちは急いでるんだよ!」
やるならこの場でやってやる。武器も触媒もないが、日が沈み切った今なら、戦う術はない訳ではない。影外殻の容量で手元に影を集め、一振りの短剣を形成する。
『あらあら、もしかして私の声が聞こえたかしら?』
「誰だよお前。姿を見せろ!」
質量も物理干渉力もない影で大剣や槍を作ったところで、所詮は影。脆弱で殺傷能力がないこけおどしに過ぎない。この短剣一振りが今の俺の持てる武器の全てだ。
『姿を見せろと言われてもねえ……。生憎だけど、私に姿なんてものはないわ。貴方の心に話しかけているだけなんだもの』
「……」
明らかに危険な感じがする。苛立ちを沈めてすぐに周囲の魔力を感知しようとするが、全く感知出来ない。声はすれども完全に魔力を隠蔽されている? 形跡さえ掴めないとなると、隔絶した力の差があるぞ? 少なくとも、勇者が姿を隠し魔力を隠す工作をしたところで、俺やリースなら気付ける。この声の主は、それすらも遥かに超えている。
『まあ折角話してくれた訳だし、初めましてではないけど私も名乗るわ――私は闇の精霊。夜の帳と人の心の深淵を愛する傷つき易い子らの庇護者。お久しぶりねフォン』
一体何の話だ? 精霊? それはこの世界の生きとし生ける者に加護を与える存在と言われる、アレか? だが、本当だったら何でそんな存在が俺のところに?
「……精霊? お久しぶり?」
『あらあら疑り深いのね。リースはすぐに信じたわよ?』
「リースのことを知ってるのか?」
『加護を与えた眷属たちのことを把握しているのは当然でしょう。ヒトの世界には貴方達しか眷属はいないんだから』
それは多分勇者のパーティーに同行して『今のヒトの世界の外』まで調べた俺とリースしか知らないことだ。それを知っているということは、本当に精霊なのか……?
『貴方もリースもヒトにしては珍しい私の加護を受ける者。そんな貴方たちが2人とも私と【心結び】を起こしてくれるなんて、精霊としては嬉しい限りよ』
「心結び? いきなり何の話だ」
『もう、理解の遅い子ね。【心結び】は加護を与えた私たち精霊を自身の心に呼ぶ術よ。正確には各々の中にいた私たち精霊に語り掛け、私たちの力を引き出す術ね』
「聞いたことない……」
『まあこれは体系化されてないから仕方ない部分もあるかもしれないわね。心結びの有名な例だと、光の精霊から勇者に与えられる『神託』なんかがあるけど、あれだって今の貴方のような私たちに語り掛けられるようなものではなく聴くことが出来る程度に過ぎないわ。まして私の声なんて現6魔王の小僧どもにも聞けないのに』
俺も勉強したから『神託』の存在は知っている。だが、光の精霊以外とヒトのパスが繋がったなんて話はどの文献にも載ってはいなかった。
『ヒトでは珍しいわね。……そもそも貴方達以外で最後に私の声を聴いたのはだいまおーちゃんが100年以上前に聴いてくれたのが最後だったっけ』
「……俺やリースは魔王よりもそっち側なのか」
『貴方リースと同じことを言うのね。そんなに闇が嫌いなの?』
「俺自身は嫌いじゃないけど、闇の加護を受けているだけで迫害されるから好きじゃない」
耳を澄ませば聞こえてくる声は、確かに10年以上前に一度だけ俺の胸に響いていた声だ。
当時の俺は魔王に家も両親も幼馴染も焼かれ、行き場もなく魔族を殺し続けていた。闇術が常時発動していたせいでリースのように瞳も髪も真っ黒で、街に入れば石を投げ付けられ、時には人狩りの集団に攫われかけた。こんな加護、好きになれるわけがないだろ。
『……正直で結構。……結構傷ついた』
「精霊さま、意外とナイーブなんだな」
『当り前よ。傷つき易い子らの庇護者っていうけど私だって相応に傷つき易いタイプなんだから』
人間の持つ強さなのか、適当さなのか、或いは鈍感さなのか、不意に思い出した苦い記憶を辛いとは思っても悲哀や恨みといった悪感情に心全てを呑まれることはなかった。
『貴方はずっと私の声を拒絶して私の加護を拒絶していたわ。初めて私の声を聴いたのはもう10年前にもなるのに、一度話した男の子に拒絶され続けるなんて悲しかったわ』
それは何か悪いことをしたような気にさせられるな。もっとも、今までだって闇術は何度も行使してきたんだけどな。それでは闇の精霊様に近付くには不十分だったのか?
『足りるわけ無いじゃない。私は貴方たちの魔力ではなく心に呼応する。貴方たちの絶望や鮮烈な心の傷に呼ばれてようやく心に入り込める。今回も大切な人がいなくなったことで私を呼ぶなんていうのは、正直皮肉だと思うけど』
今回も――そうか。そう言うことか。かつて魔王に敗れた後、目に付く全ての魔族・魔物を殺して回っていた時の力の源はそう言うことだったのか。
『ねえフォン、リースちゃんを助けたい?』
なんで精霊さまは突然リースを『ちゃん』付けで呼び出し、猫撫で声で俺にそんなことを訊くのだろうか。まあヒトならざる存在の理屈は分からないが、答えはイエスだ。俺は無言で首を縦に振った。
『そう……。彼女を助け出すには、貴方は勇者を手に掛けることになると思うわ。きっと人の世界を追われる。魔王の小僧を討伐したところで、決して人々は貴方に感謝をすることは無いわ。それでもあの子を助けたい?』
決まっている。俺とリースにとって、もはやそんなことは些末な問題でしかない。
「当たり前だ。俺は誰かの評価が欲しくて魔王を殺すんじゃない。俺が俺の意思で、俺の満足のためにやるんだ」
『それならあの子のことは見捨てて、もう一度別の勇者のパーティーに志願することだって貴方の選択だったはずよ? それでもあの子を助けたいのは何で?』
精霊さまに指摘されるままにリースと居た日々のことを思い出す。ぺったんこで、嫉妬深くて、無表情で、冷静で、その癖思わぬところで泣き虫だったり、俺のことが最優先で、時々見せる照れ顔や笑顔が可愛い、そんな彼女との道中のことしか思い出せない。
認めるしかない。アイツが俺に掛けた契約の魔法は、俺の心を奥底から縛り付けていた。アイツだけが欲しい。あの感情表現が不器用な真っ黒い魔女・リースが欲しい。
「……好きな女の子を助けたいから、それだけだ。精霊様」
『はあ……。本当に貴方たちって似た者同士ね。リースちゃんがあんな素直に微笑んでいるところなんて私見たことないのに』
なんか精霊様本気で呆れてないか? つーか人の思考読むなよ。同じことをリースに何度も言ってるけどさ。
リースが傍にいないもどかしさと、それを奪った奴らへの明確な苛立ちと、それとは別の胸を締め付けるような俺の心をかき乱し、怪しくざわつく心が強力な闇の触媒となる。もどかしさはあるが、ただ復讐することだけに心を囚われたりしない、
気は急いているのに、頭の中だけは妙にクリアに、リースのことを考えていた。これは惚気ているのかな?
『うふふ、ご馳走様。貴方の心で蟠っていた劣情と独占欲と愛情のドロドロした感情の昇華。とっても美味しかったわ』
「……精霊さまって案外俗なんですね」
『……それ、あの子にも言われたわ』
そもそも俺はリースに劣情なんて抱いたことはねえよ。そこだけは勘違いするなよ。
それでも、精霊さまの誘導のおかげか心の中にあったゴチャゴチャとしていた何かがスッと溶けていく。今俺がしたいことは、リースを助けること。それだけに焦点が絞られる。
「とりあえず後でリースにはお仕置きだな。俺以外の男の手に落ちて、俺がそいつらと戦う羽目になってて、これで助けられなかったらアイツの持ち物の全てまで俺から奪われるんだぞ? あの契約の2,4,5条違反だからな。ちょっと泣かせてやる」
『そんなこと言いながら凄く優しい顔しているわよ』
「……言わないでください」
さて、時間はない。だが今俺は自分の魔力も、闇の精霊の加護も猛烈に強くなっていることを感じている。闇術を全身強化に回せば走って今夜の内にソーラライ領の処刑場までたどり着くことも不可能ではないだろう。魔力を練り上げるだけで、呼応するように影が踊り出す。
『精霊の声を聴く術――【心結び】を為した以上、もう走る必要もないわ。貴方にとっておきの術を授けてあげる』
「精霊さま凄い俺たちに肩入れしてくれますけど、それでいいんですか?」
俺は助かるが、世界を見守る立場の精霊が俺やリースといった個人に肩入れしていることは、世界の理として許されるのか?
『神の爺だってそこまで融通が利かない訳じゃないわ。現にこの世界の【勇者】は、光の精霊の奴に心身共に干渉されまくっているわけでしょ?』
「確かにそうらしいですけど」
『だから気にする必要はないわ。どうせ今のこの世界で私の声が聴こえるのはだいまおーちゃんと貴方とリースちゃんだけなんだから。7人も干渉している光の精霊に比べたらこちらの方がまだ手心加えているわ』
そう言われてみれば、確かに光の精霊は勇者を媒介に民心を集めているし、闇の精霊よりもずっとこの世界に干渉しているか。そんな見方はしたことなかったな。そして精霊さま、大魔王を「ちゃん」付けか……。
『いいから、地面に手を着きなさい。そしてありったけの魔力を流し込んで影に沈み込むイメージ。今は繋がる影全てが貴方の分身であり、領域よ。どこに行きたいかイメージして、影に飛び込みなさい』
精霊さまの説明雑過ぎやしないか? そう思ったのも束の間、大地の底が抜けたかのように闇の中に落ち込み、天地を定めて立つことすら出来なくなる。
この感じ、スキルを発現した時と同じだ。脳や肉体に刻み込まれるように、それが出来ることが自然である様に心身が切り替わっていた。
『フォン、貴方はどこに行きたい?』
精霊の問に答えは返せない。口を開いたつもりだが音にならない。それでも潜り込んだ闇の向こうに見えたのは、確かに俺の望んだ場所だった。




