第28話決戦②
撃ち放たれた魔法の閃光よりも早い一撃が奴の肉を裂き、ドス黒い悪魔の血を噴き出した奴が低く呻くが、呻けるのは生きている証拠だ。
「ッチ、浅いか……!」
こちらが騙し討ち同然の手を使った最速の一刀にも関わらず、アークデーモンは超人のそれすら超えた反射神経で心臓を守った。
俺のバスタードソードは奴の2本の前脚の1本を切り飛ばし、2本目の肉に阻まれ止まっていた。
「ほう、良い腕だ。術のキレも人であることが惜しいくらいだ。これは久しぶりに養殖ではない昏い魂を喰らえそうだな! 我が魔王の戦に馳せ参ずる前の、最高の贄ではないか!」
久しぶり――その言葉に心の奥底がチリチリと焦げる。俺とリース以外に、ヒトの世界の闇術師はここ10年で俺のいた村の人たちと、リースと、リースの母しかいないはずだ。
つまり、こいつは俺たちを――俺を知っていなくてはいけない。なんかウダウダ言われたが、重要なのはその一点だ。
「チッ」
奴の腕を蹴り、筋繊維に絡めとられた剣を引き抜きつつ距離を取る。背筋をゾクゾクと走る感覚はなんだろうか? 恐れか? それとも高揚か?
「久しぶり、か。10年少々ってところか……?」
「ヒトの暦など知らぬが、我らの王たちが人の世を滅ぼすために共闘し立ち上がった頃だ。時間さえあればその魂の残渣まで絞りつくしてやりたかったが戦地への行軍中故、泣く泣く捨て置いたが――」
「そうかい。あの時の俺は美味かったか? あいつは美味かったか? あ?」
間違いない。魔王に粉々に打ち砕かれた俺の魂、魔王に胸を貫かれた“あいつ”の魂を喰らった存在だ。奴もそれに気づいたらしい、その味を思い出したかのようにベロリと生臭い舌が奴の口元を這った。
「ほぅ……。なんと、奇縁もあったものだ。敢えて言うならお前の魂、真に美味であったぞ。お前が這いつくばって最後まで名前を呼んでいたあの娘も、レッサー共が骨まで美味しく喰らってやったぞ」
そこに何の嘲りもなく、それが当然であるかのように奴は言った。いや、デーモンにとってそれは当然のことなんだろう。その言葉に熾火のような小さくも熱く滾っていたドス黒い感情が堰を切って溢れ出し、身を焦がす。
懐かしい感情だ。ルドに伝えた「理性で再現した」言葉ではない、俺の本当の願望が剥き出しになる。
「……そうかい」
夜の闇も、真黒に塗り潰された心も全てが術に馴染み、一片の淀みもなく身体に染み渡っていく。義務感ではなく、ただ魂が目の前の物を粉砕しろと吼える。
「……影外殻。もっとだ」
腹の底が燃え滾るほどに熱いのに、何故か穏やかな気分だった。砦で防戦を強いられているだろうルドやアルさん、少し離れたところで俺のためにどれだけいるかも分からないデーモンの群れを殲滅してくれているリースのことさえ頭から遠のく。何故か酷く懐かしくなる微かに甘い陶酔感の中で、ただ剣と、俺の魂が奴の血を求めていた。
策はない。ただ最速で真正面から踏み込み、振り被りから叩き込んだ一撃が奴の角に阻まれる。そのまま角を胸元に抉り込まれるが、痛みはない。密度を上げた影外殻は衝撃も、痛みも全て消してしまえるらしい。
「……」
「どうした、魔力は凄まじいが力はその程度か! それで魔王様と戦おうなどと――!」
何か言ってるな。まあ、何言ってても関係ないか。一合打ち合わせて砕けないなら、それが圧し折れ、粉微塵になるまで叩き潰すだけだ。
奴に生半な魔法など利きやしないだろうが、文献や死人を見送って来た経験から言って向こうのとある魔法は“喰らえば”必殺だ。故に距離を離さず四肢に力を込めてその双角と殴り合い、弾き合い、打ち込み合う。
「ほう、我と足を止めて打ちあうか! 我らの王に何も出来ず蹂躙されたガキが、出来るようになったではないか!」
奴が何か言っているが、耳元にはただ風の音とクスクスと嗤う誰かの囁きが聴こえる。
誰の声だろうか、酷く懐かしいような気がする。だがその囁きが消えると、奴の声もその何者かが俺の憎悪を掻き立てるように、クリアに耳に届いた。
「ヒトにしておくには惜しいだけの闇の力だ。魔王様の近くであればその力も無駄にはならなかったものを!」
「その魔王を殺しに来たんだよ、お前ら共々な!」
「確かにその心の黒さ、混じり気の無い魔王様への拒絶がその力の根源か! 愉快な馬鹿だ! 死ぬために生きて来たとはな!」
「死ぬのはお前らだ!」
湧き上がる衝動に任せて大剣を振るうが、頭部を狙った太刀筋はなおアークデーモンの強靭な角に阻まれる。奴の爪も、角も、詠唱破棄された闇術も弾き、無効化し、正面から叩き伏せようと剣を叩き付けるが、決定打にはならない。
50、60を超える打ち合いのさ中で突如アークデーモンが身を翻し距離を取った。
「確かにヒトとしては規格外になり得る強さだ、だが――!」
アークデーモンの角先に青い光が迸る。竜種が体内に触媒となる種火を持つように、デーモンにも触媒となる雷を生じさせるための器官が備わっている。それは触媒を携帯するしかないヒトへの圧倒的なアドバンテージだ。
「だが悲しいかなお前の身体は所詮ヒトのそれだ! これで消し飛ぶがいい。召——!」
角先から迸る紫電が次第に大きくなる。バチバチと音を立てて走る紫電を膨大な魔力で増幅して放つ雷術は、影外殻で身体機能を強化しているだけの俺ではまともに食らったら炭しか残らないだろう……。ただし喰らえばの話だ。
闇術を解除し、放った異なる属性の魔力が奴の角先で光る紫電を捉えた。
「空に轟く光の槍よ、来りて俺の敵を討て、雷術――召雷!」
遠隔魔法は自分の手元に触媒が『無くてもいい』。自分の魔力が触媒を捉えてさえいればその触媒を通して術を行使出来る。俺の魔力では範囲は期待出来ないが、一点に集中すれば敵自らが保持する触媒すら通して術が繰り出せる。
流石に地面に落ちて散った水程度ではどうにもならないが、自らの優位性を示そうとするように、馬鹿正直に見せびらかすようにピカピカと光らせてくれた電撃を、今の俺が触媒として捉えられない訳はない。
「馬鹿な——!?」
これ見よがしに真正面から詠唱し練り上げた魔力を術に変換しようとするより一手早く、俺の術の練り上げが完了した。
轟音を上げ、月を覆い隠した分厚い黒雲から尾を引かれた雷がアークデーモンの角先で爆ぜ、地面が衝撃に耐えきれず大きく抉れる。砂塵が、土が、石榑が、木々の枝が全て一緒くたに無慈悲に吹き飛ばされる。
「私の術が、こんな人間ごときに……!?」
自分の生み出した雷を利用されて、なおかつ一歩後手に回った俺に先に術を行使されたことで明らかにアークデーモンが驚愕していた。
練られた魔力は霧散し、焼け焦げた目を大きく見開き俺を見ていたが、俺からしてみれば筋繊維を焼き切りヒトなら即死するだろう雷撃を受けてなお、奴が黒焦げながらまだ立っていることに驚いた。
ま、一撃耐えようが関係ない。殺し切るまで殺し続けるだけだ。
「影外殻」
周囲全ての影と闇と、俺の心に渦巻く真っ黒に塗り潰された恨み、辛み全てを綯い交ぜにし、影を1つの外骨格として纏いなおす。
奴が無詠唱で闇飛沫をぶつけてくるが、精神に作用し心身を弱体化させる闇術も、同じように破壊と拒絶を綯い交ぜにした闇で創られた外殻は全て弾き退ける。奴のせめてもの抵抗だろうが、何の痛痒もない。
「お前に喰われた分、返してもらうぞ」
固かったアークデーモンの外殻も一度焼き払ってしまえば脆いモノ。一撃の下に首を刎ね、そのまま首のない胴体を唐竹割に股関節まで完全に二分する。
悪魔は竜種には劣るが高い生命力を持っている。少なくとも頭と心の臓、両方潰さない限り死ぬことはないとされている。ならばこそ、地に転がったその頭にバスタードソードを1撃、2撃、3撃——脳漿を垂れ流し、その自慢だった角がただの剝片になるまで叩き付け続ける。
正気でいれば嘔吐せずにはいられないような濃密な血の臭いと、飛び散る脳漿の感触。木々が涙を流しているかのように、飛び散った血がそこらの枝葉から滴る。もうアークデーモンは動くことなく、俺の耳元にいた誰かも囁きを止めた。
もはや原型も留めないほどに粉砕し、身体も2つに割いてやったというのに駄目だな。やはりこいつを殺したところで、俺の喰われた魂は還ってはこなかった。……俺の物じゃない魂はどうだろうか?
「……なあリィズ、聴こえるか?」
10年ぶりに口にした、守れなかった人の名前。ただ懐かしく心に鈴のように響くその名前を祈りのように呟く。
「…………リィズ。お待たせ」
10年以上経って、リースという味方を連れて、俺は漸く復讐の一端を果たした。しかしこれはきっと俺1人では成し遂げられなかっただろう。俺にはアークデーモンの随伴についてくる下位のデーモンを殲滅しながらアークデーモンを倒すなんて出来ないからだ。
「……遅くなって、ごめん。やっと、これで……」
デーモンに魂を喰らわれたものは血を裏切った者と同じように精霊の下に召されることはなく、死後もその魂を束縛されるという。
あのアークデーモンを屠り、胸も腹も引き裂いたことで彼女は開放されただろうか? それとも魔王の野郎が今でもその腹に収めたままなんだろうか。俺には分からない。
「……フォン、お待たせ。やっと倒せた。……大丈夫? どうして泣いてるの?」
「ごめん、大丈夫だ。ただ、ちょっとだけ昔のことを思い出しただけだ」
まだ小さかった俺の肩に残る微かな感触と、いつも何かを隠しているように柔らかくにっこりと笑って見せる幼馴染の少女。
手を伸ばしても勇者でなかった俺には何も出来なかった苦い記憶を悪夢にまで見させられて、ようやく俺とあいつを喰ったデーモンの個体を見つけ、仕留めたのになお気分は晴れない。
「……フォンの、大事な人のこと?」
「…………大事な、凄く大事な人だった」
いつかは彼女――リィズのことを振り切って自分の人生を歩まなくてはならないことは頭では理解している。
それでも俺は――アークデーモンに魂を喰われ、空虚なまま残った肉体に俺は魔王への復讐心と彼女への申し訳なさだけを詰め込んだ。
闇の加護に馴染み、大きくなり過ぎたそれらが今でも俺を魔王との戦に駆り立てている。良くて相打ち、ほぼ犬死。頭でそれが分かっていたから勇者と行くことを考え、追い出されてもなお諦めきれないからこうしてリースを連れて歩き続けている。
もはや自分では止まることさえ出来なくなってしまった俺を見たら、彼女は笑うだろうか? それとも悲しむだろうか? どうせあの何か企んでいるような笑顔で何も言わずに見ているんだろうとは思うけど。
「俺の家族は皆デーモンに喰われた。魔王に殺されて、レッサーに喰われて亡骸もない。残っているとしたら、このアークデーモンか、魔王が腹に収めて行ったアイツの魂だけだ。それを、俺は取り返さなきゃいけない」
いや、義務ではない。そうしない道もあったのに必死の想いで凡人を自覚しながら勇者たちのパーティーメンバーとして食い下がり、魔王を討とうとしたのは俺だ。俺自身の願望だ。
「……悪いリース、俺の個人的なことを話し過ぎたな。もう敵は引いたはずだが、ルドやアルさんが心配だ。早く戻ろう」
「……少しだけ待って」
辺りの木々は白く煙を上げ、空に昇っていく。願わくばリィズの魂の一部も一緒に天に昇り、精霊様に受け入れられまたこの世界に戻って来られるよう祈る。暴力以外の力を持たない俺には、今はただこうして祈ることしか出来ない。
「…………リィズさん。フォンのことは心配しないで、精霊様の元へ向かってください。彼は私がちゃんと守ります」
俺の隣に跪いて、小さく呟きリースもその願いが精霊様に届くよう手を合わせてくれる。確か彼女の加護も闇だったし、もしかしたら精霊様も聞き入れてくれるかもな――そんなことを思いながら、昇って来る朝日に加護が切れ俺とリースは地面に突っ伏した。
深夜から明け方まで飲まず食わずで心身を削りながら剣を振るい魔術を垂れ流し続けた代償としては仕方ないだろうが、もう少し強くならないとな。そんなことを思いながら隣で空腹の赴くまま鳴り続けるリースのお腹の音を聞いていた。
木陰まで何とか移り一眠りして事なきを得たが、砦に戻ることが出来たのは昼頃になってからだった。
次回ノトス編エピローグ




