第三十六話 流れるは涙
ぴとぴとと肩に落ちる滴の感触で目が覚める。
硬い石造りの床や壁に囲まれる見慣れない部屋は、いかにも牢獄といった雰囲気だ。
鉄格子越しに差す頼りない蝋燭の明かりだけが、薄暗い部屋の中を照らしていた。
「起きたか、ユウ」
心配そうな亡霊さんに呼び掛けられ、意識がはっきりと覚醒する。
「そうか、俺は」
森で木人と戦った後、突如現れたガイに拘束された。この状況を見る限り、俺達は相克の徒によって捕えられてしまったらしい。
体に怪我は無いが、全身をきつく縛られた縄でがっちりと拘束されており、身動き一つとれない。
「何故奴はユウを攫ったのだ?」
「多分、コヨミと同じ理由だ」
あいつらがコヨミを連れてきたのは、黄泉の世界への扉を開く鍵として。
鍵になる条件が他の世界の人間なら、コヨミを追ってここに来た俺だって当てはまる。
「つまり、奴らはお前を生贄にしようとしているのか」
殺さないでわざわざ拘束しているのも、奴らの儀式に利用するためだろう。キョウトで行ったものと同様の儀式を行って、黄泉の国から死者を蘇らせようとしているのだ。
何にせよさっさと逃げ出さないと、このままでは座して死を待つだけだ。
刀は取り上げられていて、キリの気配も感じない。縄と暫く格闘してみるも、二重三重に縛られたそれはびくともしなかった。
「ユウ、私に体を貸してくれ」
「何か思い付いたんですか?」
「上手く行くかはわからんが」
体を借りた亡霊さんが暫しもぞもぞと動くと、ぷつりという軽い音が聞こえ、あれだけ固く縛っていた縄が一瞬で解けていた。
「今の、どうやって」
「これを使った」
そう言って亡霊さんが掲げたのは、30㎝程の薄汚れた木の切れ端。
亡霊さんは牢獄に転がっていたそれを拾い、手首の動きだけで縄を断ち切っていたのだ。
「ここに長居している必要はない、早く逃げよう」
「あ、はい」
相変わらずの技量に呆然としている俺とは対照的に、亡霊さんは牢獄の鉄格子も木材で両断しずんずん先へと進み始めた。
「ここは一体何処なんだ」
「多分地下だと思いまずけど」
狭い通路には窓もなく、照明と呼べるものは等間隔に設置された燭台があるのみ。
僅かに感じる空気の流れを頼りに、出口と思わしき場所を目指していく。
「生贄が逃げたぞ、追えっ」
「見つかったか」
と、通路の奥で、突如大声が挙げられた。声は洞窟の中を反響して進み、あっという間に洞窟全体へ響き渡る。
「こっちにいるぞ」
「追え、追え」
その声に反応して、オニやテングなど見慣れたアヤカシ達が次々に殺到する。
数秒もしない内に、俺達は周囲をアヤカシに包囲されていた。
「こうなれば」
小声で呟いた亡霊さんは近場にいたオニへ突進を繰り出し、体勢を崩したオニから一瞬で刀を奪い取っていた。
「お前、何をする」
「この数、やはり刀が無ければ辛いのでな」
奪った刀を閃かせ、周囲を取り囲んでいたアヤカシを切り捨てる亡霊さん。
「やはりなまくらでは駄目か」
切った数が十数に達しようかという頃、甲高い音を立てて刀が中央から折れていた。
「貰った」
「死ねぇっ」
武器を無くした今が好機とばかりに、新手のアヤカシが襲い掛かる。
「甘いぞ」
亡霊さんは四方八方から繰り出される攻撃を難なく避け、今度は両手に刀を持っていた。
左右から放たれる剣閃で、再び周囲のアヤカシ達が両断されていく。
質が低いのなら数で補えばいいとばかりに、亡霊さんは次々と刀を使い捨てて戦い続けた。
「もう終わりか」
切り合いが始まって数十分後、亡霊さんの周囲に動くものは無く、ただアヤカシの死体が転がるのみだった。
限界まで酷使された刀をその場に打ち捨て、牢獄の外へと走り出した。そのとき。
「大人しくしているとは思わなかったが、ここまで派手にやってくれるとはな」
底冷えする瘴気を伴って、通路の奥からガイがゆっくりと姿を表した。
動きを止めた亡霊さんに、ガイは徐ろに手に持った何かを放り投げる。金属音を立てて床に転がったのは、鞘に収められた影切丸だった。
「何のつもりだ、ガイ」
「それを取れ、刀を持たぬお前と戦っても意味は無い」
自らの腰に差した二刀を抜き放ち、一気に殺意を爆発させるガイ。もしここに立っているのが俺であれば、そのまま気絶していたかもしれない圧倒的な闘気。
「刀を持ったところで、また俺が勝つことに変わりはないがな」
空間さえも歪めてしまいそうなそれを抑えることもせず、ガイは不敵に微笑んでいる。
「わらわを乱暴に扱いおって」
と、拾い上げた刀から、怒ったキリの声が聞こえた。
「亡霊よ、あんな奴さっさと倒してしまえ」
ぷりぷりと怒りを露わにしながら、亡霊さんに呼びかけるキリ。
「しかし、私は」
再び現れたガイを前にして、亡霊さんは今までにない程動揺しているようだった。
通路は狭く、この前のように戦闘を避ける訳にはいかない。ここで生き残るためには、ガイを倒さなければならなかった。
「お主に昔何があったかは知らん、じゃがここで負ければ、お前だけではなくユウの命も失われることを忘れるな」
キリの忠告を受け、亡霊さんの視線が俺へ向く。不安げな目でこちらを見た亡霊さんへ向け、ただ無言で頷いた。
ここまで来たら言うことはない、例えどんな結果になろうと、ここまで一緒に戦ってきた亡霊さんを恨むはずもない。
「亡霊さん、貴方の思うとおりに戦って下さい」
「わかった」
一瞬驚いたように瞳を震わせた亡霊さんは、いつもの冷静な表情に戻って大きく頷いた。
「最期の別れは終わったか?」
「ガイ、私はもう迷わない。私の全力を以って、お前を止める」
嘲るように嗤うガイに、亡霊さんは力強く答える。
「巫山戯るなよ、ジョウ。手加減していなければ、俺がお前に負けていただと」
亡霊さんの言葉を受けたガイは、額に手をかざし全身を震わせていた。
「そんな戯言に、惑わされるかぁっ」
激昂したガイは、奇声を挙げつつ瞬時に刀を抜き放った。光にすら届きそうな神速の一撃が、真っ直ぐに亡霊さんへ迫る。
「心を失った剣に、魂は宿らない。師匠の教えを忘れたのか」
が、突進を難なく交わした亡霊さんの居合で、ガイの片方の刀が叩き折られていた。
「貴様も俺と同じ筈だ、剣の道を極めたのは、その力で覇道を進むためだろう?」
「私は、そんなものは求めていなかった」
よろめいたガイへ向け続けざまに繰り出された一閃で、もう片方の刀もあっけなく砕かれる。
「ぐっ」
「もう勝負は付いた、終わりにしよう」
両方の刀を失い蹲って呻くガイに、刀を下ろした亡霊さんは優しげな声で呼びかける。
「こんな所で、止まれるかぁっ」
懐に隠し持った短刀を瞬時に構えたガイは、がら空きになった亡霊さんの胴に向けそれを繰り出した。
「私はただ、友や師匠と一緒にいるだけで」
が、瞬時に半身になった亡霊さんを前に、短刀は虚しく空を切り。
「それだけでよかったのだ」
反射的に振るわれた一刀が、ガイの体を両断していた。
「終わるのか、俺の道が」
吹き出す血を止めることもせず、地面に倒れたガイは高笑いを挙げる。
「ガイ」
「安心しろ、貴様のように化けて出ては来んさ」
打って変わって穏やかな表情になったガイの顔から、血の気が急速に失われていく。
「最後に一つ教えてやろう、相克の徒は、既に扉を開けている」
意味深な言葉を最後に、ガイはゆっくりと目を閉じた。
「結局私には、こうすることしか出来なかった」
かつて友と呼んだ男の亡骸を胸に抱いた亡霊さんの瞳から、静かに涙が流れる。俺は何も言えず、ただその光景を眺めていた。
周囲は静寂に包まれていて、亡霊さんの押し殺したような嗚咽だけが、明かりの差さない薄暗い通路に響いていた。




