第三十二話 血は水より濃くて
「どうして今更」
驚きが収まったルリは、吐き捨てるような口調で憎々しげに呟いてから、女性に鋭い視線を向け。
「る、ルリ?」
引き止める間もなく、売り子の白い上着を一瞬で脱ぎ捨てどこかへ走り去ってしまった。
「待ちなさい、オオルリっ」
ルリを追って、着物の女性も何処かへ去っていってしまう。
「行っちゃっ、た」
急過ぎる展開に圧倒され、そのまま取り残されてしまった。何が何だか分からないが、ここは追いかけた方が。
「すみません、お会計を」
「あ、はーい」
と、別のお客さんから話しかけられ、やむなく応対することに。
いきなり走って行ってしまったルリが心配だけど、ここを離れるわけにもいかないし。
「ユウ、君が売り子をやってるのかい?」
そのとき、たまたま通りかかったと見えるコヨミが不思議そうに売り場へ声を掛けた。
コヨミは手に食べかけのまんじゅうを持っていて、頬には餡の欠片が付いていた。
「丁度良かった、ここ頼む」
これ幸いとルリが脱ぎ捨てていった上着をコヨミに投げ渡し、店の外へ出る。
コヨミには悪いが、やっぱりルリをあのままにはしておけない。
「ちょっ、いきなり何をっ」
驚いたコヨミの声を背中に受けつつ、ルリが去った方向へ走り出した。
※
ルリを見つけたのは、既に日も傾きかけた頃だった。
「ここにいたのか、ルリ」
「ユウ」
ルリがいたのは、神社からほど近い森の中。いつか俺が幽霊の女の子と出会ったとき、ルリと心を通わせた場所だ。
手ごろな大きさの石に腰かけ、何をするでもなく座り込んでいた。夕日に照らされる俯いた顔は、いつもの快活さの影もなかった。
「どうしたんだよ、急に走ってさ」
「何でもない」
そっぽを向き、怒ったような口調で答えるルリ。
「お姉ちゃん、なのか?」
もしかしたらと思って発した言葉に、ルリはゆっくり振り向いた。
「聞こえてたのね」
「聞くつもりはなかったんだけど、ゴメン」
やはり、あの女性はルリの姉らしい。
「いいわ、いずれ分かることだもの」
寂しげに答えたルリは、立ち上がって服に手を掛けた。
「少し後ろ向いててくれる?」
「あ、ああ」
状況が把握できないが、言われるがままに後ろを向く。すると背後から衣擦れの音が聞こえ、ルリが服を脱いだとはっきり認識できるた
「もういいわ。今まで黙っていてごめんなさい、私は」
深刻な口調で話し出したルリの言葉が、不意に止まる。
「って、どうして目を閉じてるのよ」
正面にあるだろうルリの裸体を、俺は全く見れていなかった。両手で視界を完全に塞ぎ、瞼を全力で閉じていたから当然だ。
「ま、まだそういうのは早いし、ええと、その、りょ、両親に挨拶してからじゃないと」
ルリのことは嫌いではない、というかむしろ好きだ。けど、いきなりこういう展開になるとは思わなかった。
好き合う二人がそういう関係になるのは当然とも言えるが、まだ二人とも若いわけだし、ここは一旦話し合わなければ。
「何言ってんのよ、いいから見なさいってっ」
どうすればよいか分からずわたわたしている内に、無理やり手を掴まれて押しのけられ、驚いて思わず眩が開いてしまう。
視界が広がったそこに見えたのは、予想外の光景だった。
「白い、羽?」
ルリのしなやかな背中から、天使のような白い羽が一つ生えていた。間近で見るそれは羽毛の一つ一つまではっきりと見え、作り物ではなく実際に生きているものだと実感できる。
対がない片方だけの羽は、美しさの中にどこか寂しさも持っているようだった。
「あたしは、アヤカシなの。どっちかって言えば、半分アヤカシって言ったほうが近いかしら」
いきなり告げられた事実に、衝撃で頭が追い付かない。さばさばした口調で話すルリとは対照的に、こちらは全く言葉を発せなかった。
「あんたには、話しておかなきゃいけないわよね」
ルリはふうっと一つ溜息をついてから、どこかすっきりとした顔で語り始めた。
「私がアヤカシ退治の名人だって話、あれは嘘よ。実際はね、ユウに会うまでアヤカシと戦ったことなんて一度もなかったの」
「でも、実際にルリはアヤカシと戦ってみせたじゃないか、交渉まで上手くやってくれたし」
ルリの陰陽術には何度も窮地を救われたし、アヤカシ退治の際の交渉でも助けられた。
「陰陽術も話し合いも、本で読んだだけ。あんなに上手く行くなんて思ってもみなかった」
そう言ってルリは軽く笑う。
「本当のあたしは、ずっとお屋敷に閉じ込められてたの」
外に出ることは許されず、家の中で読む本だけが友達だったという。その中で展開されていたのは、邪悪な存在を選ばれしものが倒す英雄譚。
ルリは荒唐無稽な物語にあこがれ、いつかは自分も登場人物のように活躍したいと夢見ていたそうだ。
一人で生き抜く為の手段として、家に納められていた蔵書の中から陰陽術に関わるものを発見し、独自に腕を磨いていたという。
交渉術も、同様に本から得たものであり、物語の人物が言っていた台詞をそのまま使っていたとか。
「どうしてそんなことになってたんだ?」
「あたしの生まれた家はね、アヤカシの中でも由緒正しい家らしいのよ」
ルリが属するヤタというアヤカシの一族は、古くからアヤカシの中で高い地位を持っており。ルリの生まれた家はその中でも特に位の高い家系だったという。
そんな家にとって、ルリは望まれた子供ではなかった。格調高い家計に、人間の血は不要だったのだ。
家はルリの存在そのものを疎み、人間との間に生まれた子がいるという事実が外に漏れることを許さなかった
外に出て生活するには、片翼というあまりにもはっきりとした特徴があった。
俺達と暮らしていたときのように、翼は任意で隠すことも出来る。だが、同じ 族の中では、いつ翼を見せろと言われるか分からない。不測の事態を防ぐために、ルリの意思は無視され続けていたのだ。
「お母様が生きていたころは、まだましだったんだけどね」
人間の身でありながらアヤカシと結ばれ、ルリを生んだ母。元々体の弱かった彼女は、ルリが幼いころに命を落としたという。
遠くを見つめながら話すルリの横顔は、どこか寂しげだった。
「お姉さんは?」
「あの人は違う、ちゃんとしたアヤカシ同士の子供で、あたしと違って期待されていたから」
姉のことを話すルリの口調は、少し棘があるように聞こえた。
例え血を分けた姉妹であっても、腹違いの子供という立場では複雑な感情を抱いてしまうのだろうか。
「そんな状態のあたしが家から抜け出しても、誰も追ってくる心配なんてなかったわ。なのに、どうして今になって」
ルリの言う通り、集落から出て普通の人間として暮らす分には何の問題もないと思える。
だが女性の言葉からは、瑠璃を探さなければならない事態が生じたと察せられた。
「だったら、聞いてみよう」
「えっ」
「分からないなら、聞いてみるしかないだろ?」
ここで話し合っていても仕方がない、疑問があるのなら当人に直接ぶつけるのが一番早いだろう。
こちらの言葉を聞いたルリは、目を瞬かせてこちらを見つめていた。
「ごめん、ちょっと生意気だったかな」
驚いたようなルリの反応に、家族という個人的な問題に踏み込み過ぎたかと後悔しかけた、そのとき。
表情を柔らかなものに変えたルリは、ゆっくりと首を振ってから答える。
「確かに、そうかもしれないわね。逃げまわってるばかりじゃ、何も解決しないもの」
そう言ってルリは立ち上がり、頬を何回か叩いてこちらを向いた。
まっすぐに村の方向を見るルリの顔は、いつもの頼もしいそれに戻っていた。




