第二十六話 見知らぬいつか
目の前に映し出されているのは、見覚えのない風景だった。判然としない意識の中でも、何故だかこれが夢だとはっきり認識できていた。
酷く古びた道場の中で、誰かと誰かが木剣で打ち合っている。片方は長い髪と髭を生やした老人で、もう片方はまだ十歳かそこらの少年だ。少年は老人に何度も打ち掛かっては、その度に軽くあしらわれていた。が、二人の顔には笑みが浮かんでおり、激しい剣戟を繰り広げながらもどこか楽しげであった。
いつの間にか場面は移り変わり、今度は少年と老人がこちらへ話し掛けているものや、三人で鍋を囲んでいるものなどが次々と展開されていく。
現実感のない光景は靄がかかったように判然とせず、登場する人物の顔もよく分からない。全く見覚えがないにも関わらず、何故だかその景色はとても暖かく尊いもののように感じられた。
まどろんだ感覚の中で次第に靄は濃くなり、耳には誰かの声が聞こえ始めた。
「ユウ」
それは、今まで何度も聞いたものであり。
「ユウが、ユウがおきたよっ」
「全く、心配かけおって」
目を開けたそこにいたのは、心配そうに覗き込むルリ達だった。
ルリ達の後方に見える天井と後頭部に当たる枕の感覚で、自分が布団に寝かされていると気付く。
どうやら、影切丸の力を使った後に意識を失っていたようだ。
「よかった、突然倒れたから心配してたんだ」
話し声を聞き付けたのか、アイさんが部屋に入ってきた。
軽く笑うアイさんの手足には包帯が巻かれており、あの戦いで多少なりとも手傷を負ったことが分かる。
「済みませんアイさん、俺のせいで」
「何言ってんのさ、急に襲い掛かってきたあいつが悪いんだ」
戦いに巻き込んでしまった罪悪感を抱えていた俺にとって、そう言ってくれるのはとてもありがたかった。
「事の次第はだいたいアイさんから聞いたけど、一応ユウも話してくれる?」
「ああ」
ルリ達を前に、あの廃墟で起こったことを説明する。亡霊さんが急にあそこに移動したこと、岩石男に襲われたこと、亡霊さんが全く反応してくれなかったこと。
亡霊さんのことを聞いたアイは少々面喰っていた様子だったが、こちらが嘘を言っていないと分かると納得してくれた。元々アヤカシということもあり、霊などに対しても耐性があるのだろう。
「にしても、どうしてあいつは俺達の場所が分かったんだろう」
あの岩石男は、狙いすましたように廃墟へ落ちてきた。俺達があそこにいることをどうやって把握したのだろうか。
「多分これね」
そう言ってるルリは、俺の体にくっついていた細い糸の切れ端を掴む。
「今は糸だけになっているけど、これは鳴子って言ってある場所を人が通ると知らせてくれるものなの」
細い糸を建物の入り口などに張り巡らせておき、誰かが通れば糸が切れて激しく音が鳴って侵入を知らせるものだという
「そんな音は聞こえなかったけど」
「恐らく、これは普通の鳴子じゃないわ。多分だけど、陰陽術の一種ね」
糸を手に取ってまじまじと見つめつつルリは言う。
陰陽術を応用した特殊な鳴子なら、仕掛けた本人にしか分からない形で侵入者を知らせることが可能らしい。
鳴子は、事前に配置しておかなければならないもの。つまり俺達を狙っている何者かは、あの廃墟を訪れることをあらかじめ知っていたことになる。
あの場所に行ったのは、亡霊さんに導かれたからだ。でも、あの岩石男は亡霊さんのことを知らなかった。
一体どういうことなのだろう。当事者である亡霊さんが全く反応してくれない今は、憶測を巡らせることしか出来ない。
「ユウもおきたんだし、みんなでごはんたべよう」
モモの明るい言葉が、覆い始めた心の影を払う。
「もうお昼だし、丁度いいわね」
立ち上がって、居間へと移動し始めるルリ達。
「そういえば、俺はどれくらい寝てたんだ?」
「昨日運び込まれてからさっきまでだけど」
「そう、なんだ」
この前あの技を使ったときは、確か三日程寝込んでいた筈だ。今回一日足らずで済んだのは、体が慣れたってことなのかな。
「もう動けるかい?」
「ええ、特に怪我もないですし」
壁に直撃した部分が少し痛むが、幸いなことに目立った異常は無い。
と、丸一日食べ物を補給していないすきっ腹が、大きな音を立てて自己主張していた。
「腹が鳴るってことは、元気ってことだ」
「そ、そうですね」
柔らかく笑うアイを前に、こちらは首筋を掻いて照れ笑いを浮かべることしか出来ない。
何も言えずに空を見れば雲一つない快晴で、厨房からは香ばしいうどんの匂いが漂い始めていた。
※
皆が寝静まった頃、一人狭い裏庭に立って月を見上げていた。今日は湿度も低く、ひんやりとした心地よい空気が流れている。
と、不意に背後の裏口が開き、誰かの気配を感じた。
「こんなところで何してんだ?」
寝間着姿のアイは、目を擦って少し眠そうだ。
「ちょっと眠れなくて」
昼間まで寝ていたせいか、どうにも寝付けなかった。無理に寝ようとするのを諦め、こうして夜空を見上げていたとアイに告げる。
「起きてたいならそれでいいけど、早く寝た方が明日が楽だよ」
黙って説明を聞いていたアイは、こちらの目を少しだけ見てからそう告げた。
月明かりを反射して爛々と光るアイの瞳に見つめられると、心の内全てを見透かされているような気分になる。
「はい、ありがとうございます」
こちらの礼に手を挙げて背中で答え、アイは部屋へと帰っていった。
「初めて、だよな」
多分、アイは気付いていたのだろう。今夜どうしても眠れなかったのには、もう一つ理由があった。
ゆっくりと鞘を握り、腰に刺した影切丸の重さをもう一度確かめる。脳裏には、岩石男の目を刺し貫いたときの生々しい感覚がよぎる。
あのとき、初めて自分の意思で誰かを殺めたのだ。相手はアヤカシで、あちらから襲い掛かってきたということもある。けれど、一つの命を奪ってしまったことに変わりは無い。
こんな迷いは、散々戦ってきておいて今更なのかもしれない。亡霊さんに任せていたとはいえ、今まで戦ったアヤカシ達を切ったのは紛れもない自分の体だ。
亡霊さんは、いつもこんな思いを抱えていたのか。それとも、もう何も感じなくなっているのだろうか。
と、そのとき。
「ユウ」
「ぼ、亡霊さん?」
目の前の空間が一瞬空間が揺らぎ、何の前触れもなく亡霊さんが現れていた。丁度亡霊さんのことを考えていただけに、少し驚いてしまう。
「もう大丈夫なんですか」
「すまなかった、ユウ」
亡霊さんは、言い訳もせずに頭を下げている。
「気にしないで下さい、結局俺もアイさんも無事だったんですし」
自分のせいで岩石男に襲われたことで、責任を感じているのだろう。
確かに色々と大変だったが、そのことで亡霊さんを責めるつもりは無い。勿論あの廃墟についての説明は欲しいが、起こってしまったことをぐちぐち言うつもりはないから。
「いや、そうではない」
しかし、亡霊さんは頭を下げ続けた。
真っ直ぐに下げられた頭は心からの謝罪を表していて、察しの悪い俺でもどうやらただ事ではないと分かった。
暫しの沈黙の後、次に亡霊さんの口から告げられた言葉は、全く予想外ものだった。
「君を、君の朋友をこの世界に連れてきたのは、私なのだ」




