薬師の手伝い
エダの家には、薬草の匂いが染みついていた。
乾燥させた葉。
木の皮。
すり潰した根。
それぞれに違った香りがあり、混ざり合うと少し苦い匂いになる。
リーフは、エダに言われた通り、薬草を種類ごとに分けていた。
「それはヒナユキ草。こっちは赤根草。間違えると大変だから、葉の形をよく見な」
「はい」
リーフは1枚ずつ確認しながら、籠へ入れていく。
ヒナユキ草は白い葉脈がある。
赤根草は、葉の裏側が少し赤い。
昨日までなら、見分けるだけで精一杯だった。
けれど、エダの説明は分かりやすかった。
薬草の名前だけでなく、どんな傷に使うのか、どの時期に採るのか、乾燥させるときに気をつけることまで教えてくれる。
「薬草は、ただ採ればいいってものじゃないよ」
エダは作業をしながら言った。
「根っこまで抜いてしまえば、次に生えてこなくなる。葉を採るときも、全部取ってはいけない。来年も使えるように残すんだ」
「分かりました」
「それから、採った場所も覚えておくこと。薬草は同じ場所に生えるとは限らないからね」
リーフは頷き、籠の横に置かれていた木札へ、採取した場所を書き写した。
文字を書く作業は、屋敷で習っていた。
ペンを持つ手が自然に動く。
エダはその様子を見て、少し驚いた顔をした。
「字が書けるのかい」
「はい。勉強は教わっていました」
「薬草の名前も、ずいぶん読めるじゃないか」
「家で習ったので」
「ふうん」
エダはそれ以上聞かなかった。
リーフも、自分から話すことはなかった。
男爵家で育ったこと。
父に追い出されたこと。
家名を名乗れないこと。
どれも、まだ誰かに話す勇気がなかった。
話してしまえば、今の場所まで失うかもしれない。
だから、聞かれない限り黙っていることにした。
隣では、緑色のスライムが薬草の籠を見つめていた。
「君は、食べたら駄目だよ」
リーフが言うと、スライムはぴたりと動きを止めた。
「これはエダさんの大切な薬草だからね」
スライムは、しばらく籠を見たあと、リーフの足元まで戻ってきた。
エダがそれを見て、鼻で笑う。
「ずいぶん聞き分けがいいじゃないか」
「たぶん、言葉が分かっているわけではないと思います」
「それでも、近くにいるんだろう?」
「はい」
「珍しいね。普通のスライムなら、もっと食べ物を探して動き回るものだよ」
リーフはスライムを見下ろした。
この子が、なぜ自分についてくるのか。
まだ、分からない。
ただ、離れようとするとついてきて、休もうとすると隣で丸くなる。
まるで、最初からリーフのそばにいることを決めているようだった。
昼近くになると、エダが小さな鍋を火にかけた。
鍋の中には、豆と野菜の入った薄いスープが入っている。
それから、固いパンを1つ。
「仕事の分だよ」
エダが、リーフの前に食事を置いた。
「ありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくていいよ。薬草を分けてもらったんだから、こちらも払うのが当然だ」
「でも、僕はまだ何も知らないので……」
「知らないなら、これから覚えればいい」
エダはスープを飲みながら言った。
「働いた分だけ食べる。それで十分さ」
リーフはパンを見つめた。
昨日、自分の残りをスライムに分けた。
そのせいで、今日は食べるものがないと思っていた。
目の前のパンは、屋敷で食べていたものよりずっと小さく、硬い。
それでも、リーフにはごちそうに見えた。
「いただきます」
両手を合わせてから、パンをちぎる。
エダが目を丸くした。
「食べる前に、そんなことをするのかい?」
「家で教わりました。食べ物を作ってくれた人に、感謝を伝えるためです」
「ふうん。変わった挨拶だね」
リーフはパンを口に入れた。
硬い。
少し酸っぱい。
けれど、空腹だった体には何よりもおいしかった。
夢中になって食べそうになり、慌てて手を止める。
食事中に急いではいけない。
姿勢を崩してはいけない。
父と母から教えられた作法を思い出し、背筋を伸ばす。
エダはその様子を、何も言わずに見ていた。
「お前さん、本当にどこで育ったんだい」
リーフの手が止まる。
「……普通の家です」
「普通の家の子供は、そんなふうにパンを食べないよ」
エダはからかうように言ったが、追及する気はなさそうだった。
「まあ、話したくないことなら話さなくていいさ」
「すみません」
「謝ることでもないよ」
エダは、残っていたスープを少しだけスライムの前に置いた。
「その子にも、飲ませてみるかい?」
スライムが、すぐに鍋へ近づいた。
「熱いから、気をつけて」
リーフが言うと、スライムは鍋の縁で止まった。
体の一部を細く伸ばし、スープに触れる。
スープが少しずつ減っていく。
「汁まで飲めるのかい」
エダが呆れたように呟いた。
スライムはスープを吸収すると、体を大きく膨らませた。
淡い緑色が、少し濃くなる。
リーフは、その変化に気づいた。
スライムが元気になるたび、体の中の光も強くなっている。
やはり、この子には何か特別な力がある。
けれど、無理に調べる方法は分からなかった。
テイマーのスキルを使えば、魔物の能力が分かるのだろうか。
リーフは、まだスキルを使ったことがない。
鑑定のときに発現しただけで、使い方を教えてくれる人はいなかった。
午後も薬草の整理を続けた。
エダが薬を作る様子を見ながら、道具の使い方を覚える。
葉を細かく刻む。
根を乾かす。
すり鉢で粉にする。
どれも地味な作業だが、リーフは嫌いではなかった。
自分の手を動かした分だけ、薬草の束が整っていく。
何かが形になっていくことが嬉しかった。
夕方、家の外から子供の泣き声が聞こえた。
「エダばあちゃん!」
扉が勢いよく開く。
村の少年が、左手を押さえて立っていた。
手のひらから血が流れている。
「どうしたんだい」
「木を削ってたら、ナイフが滑って……」
「見せてごらん」
エダは少年の手を取り、傷を確認した。
それほど深くはない。
しかし、傷口は大きく開いていて、血が止まっていなかった。
「水で洗うよ。少し痛むから我慢しな」
エダが桶を用意する。
少年は顔をしかめた。
リーフも、何か手伝えないかと周囲を見た。
そのとき、スライムが動いた。
リーフの足元から離れ、少年の前へ進んでいく。
「あっ、こら!」
少年が驚いて後ずさった。
エダが眉をひそめる。
「止めな、リーフ」
リーフはスライムを呼び戻そうとした。
けれど、スライムは少年の手に触れた。
淡い光が生まれる。
少年の傷口から、流れていた血が止まった。
「え……?」
少年が目を見開いた。
傷口が、ゆっくりと閉じていく。
赤く腫れていた皮膚から、痛みが消えていくのが見て分かった。
「治った……」
少年が呟く。
エダも、驚いた顔で傷を確認していた。
「これは……本当に、治癒の力を持っているね」
扉の外にいた村人たちが、一斉に声を上げた。
何人かが家の中を覗き込み、スライムを見つめる。
「治癒スライムか?」
「そんな魔物、本当にいるのかよ」
「珍しい個体だって言ってたぞ」
人々の視線が、スライムへ集まっていく。
リーフは慌ててスライムを抱え上げようとした。
しかし、スライムの体は柔らかく、両手の間からすり抜けてしまった。
スライムはリーフの足元へ戻ってきた。
まるで、ここが自分の場所だと言うように。
「この子は、まだ弱っています」
リーフは村人たちへ向かって言った。
「無理に触らないでください。治せるからといって、何度も力を使わせたら、この子が苦しくなるかもしれません」
村人たちが黙った。
10歳の子供に言われたからではない。
リーフがスライムを心配そうに見ていたからだ。
エダがゆっくり頷く。
「その通りだよ。珍しい力を持っていても、何でもできるわけじゃない。治癒にも限界はある」
「限界があるんですか?」
「生き物の力だからね。使えば疲れるし、傷が大きければ治せないこともある」
リーフはスライムを見下ろした。
スライムの体は、少しだけ色が薄くなっている。
やはり、力を使ったせいで疲れているのだ。
「ごめんね」
リーフが謝ると、スライムは弱々しく揺れた。
少年の母親が、リーフの前へやってきた。
「この子を治してくれて、ありがとう」
「僕ではなく、この子が治したんです」
「それでも、あんたが連れてきてくれなければ、息子はまだ痛がっていたよ」
母親は深く頭を下げた。
リーフは慌てて、さらに深く頭を下げ返す。
「いえ。お役に立てたなら、よかったです」
その様子を見て、村人の1人が呟いた。
「ずいぶん礼儀正しい子だな」
「やっぱり、どこかの金持ちの家の子じゃないのか?」
「でも、あの格好で森から来たんだろ」
小さな声が、耳に入る。
リーフは聞こえないふりをした。
エダは村人たちを追い返し、少年の母親にも家へ帰るように言った。
家の中が静かになると、リーフはスライムを見つめた。
「今日はもう、力を使わないでね」
スライムは、リーフの靴に体を寄せた。
その動きは、少しだけ重い。
リーフは布を敷き、その上にスライムを乗せた。
エダがその様子を見ながら言う。
「今夜、その子を休ませる場所はあるのかい?」
リーフは首を横に振った。
「森へ戻るつもりでした」
「雨が降るかもしれないよ」
「でも、他に行く場所がありません」
エダはしばらく黙り込んだ。
それから、家の裏手を指さした。
「薬草小屋がある。古いけれど、屋根はあるよ。使っていないから、今夜はそこで寝な」
「いいんですか?」
「働いた分の礼さ。村の中に置くより、そっちのほうが村人も安心するだろうしね」
「ありがとうございます」
リーフは深く頭を下げた。
「何度も頭を下げるんじゃないよ。首が痛くなる」
エダは呆れたように笑った。
その夜、リーフは古い薬草小屋の中で眠った。
床は硬く、隙間風も入ってきた。
それでも、森の木の根元よりはずっと暖かい。
隣には、緑色のスライムがいる。
まだ名前はない。
契約もしていない。
ただ、今日もリーフのそばにいる。
「おやすみ」
リーフが声をかける。
スライムが、小さく体を揺らした。
村の中からは、夕食の匂いが漂ってくる。
遠くでは、村人たちの話し声が聞こえた。
ここにいてもいいのかもしれない。
そんな考えが、ほんの少しだけ胸に浮かんだ。
リーフは外套に包まり、目を閉じた。
明日も、薬草の手伝いをする。
そして、いつか自分にできる仕事を見つける。
スライムと一緒に、生きていくために。




