↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
役立たずテイマー、魔物たちと人助けを始めます。  作者: ぱお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/10

門の外

 朝は、思っていたより早く訪れた。

 リーフはほとんど眠れなかった。

 ベッドに横になっても、目を閉じるたびに父の声が蘇る。

『明日の朝、屋敷を出ろ』

 何度思い返しても、その意味は変わらなかった。

 父は冗談を言っていない。

 怒りに任せて口にしただけでもない。

 リーフは、本当にこの家を出るのだ。

 部屋の隅には、昨夜渡された布袋が置かれている。

 中身は古い外套、着替えの服、硬くなったパンが2つ、水筒。それから、使い込まれた小さな布が1枚だけだった。

 剣はない。

 お金もない。

 家名を証明するものも持っていけない。

 リーフが持ち出せるのは、この袋に入るものだけだった。

 窓から差し込む空が、少しずつ明るくなっていく。

 リーフはベッドから降り、部屋の中を見回した。

 壁には、幼い頃に母が描いてくれた絵が飾られている。

 少し歪んだ家の絵。

 その隣には、レオンと一緒に作った木の馬が置かれていた。

 子供の頃、2人で庭の木の枝を拾い、使用人に削ってもらったものだ。

 片方の足が短く、立たせると少し傾いてしまう。

 それでも、リーフはその木馬が好きだった。

 持っていきたいと思った。

 けれど、布袋に入れる余裕はない。

 リーフは木馬を手に取り、しばらく眺めたあと、元の場所へ戻した。

「……行ってきます」

 誰もいない部屋に向かって、頭を下げる。

 それから、布袋を背負った。

 廊下に出ると、いつもなら使用人たちの声が聞こえてくる時間だった。

 しかし、今日は誰もいなかった。

 わざと姿を見せないようにしているのかもしれない。

 リーフは足音を立てないように歩いた。

 食堂の前を通り過ぎる。

 扉の向こうには、家族が朝食を取っているかもしれない。

 父も、母も、レオンも。

 リーフは扉の前で立ち止まった。

 別れの挨拶をしなければならない。

 貴族の家の子供として、それは当然のことだった。

 リーフは深く息を吸い、扉を開けた。

 食堂には、母とレオンがいた。

 父の姿はない。

 母は席に座ったまま、両手を膝の上で固く握っていた。

 レオンは食事に手をつけておらず、リーフの姿を見るなり椅子から立ち上がった。

「リーフ……」

「おはようございます、母上。兄上」

 リーフは、いつものように頭を下げた。

 母の唇が震えた。

「おはよう、リーフ」

 その声は、ひどくか細かった。

 レオンは駆け寄り、リーフの肩をつかむ。

「本当に行くのか?」

「うん」

「父上に、もう1度話そう。僕からも頼むから」

「父上が決めたことです」

「でも、リーフは何も悪いことをしていない」

 レオンの目に、涙が浮かんでいた。

 リーフは胸が苦しくなった。

 自分が泣けば、レオンはもっと悲しむ。

 だから、笑わなければならない。

「兄上は、剣士スキルを授かったんです。これから、父上の期待に応えないといけません」

「そんなの、リーフがいなくてもできる」

「僕がいると、兄上の邪魔になるかもしれません」

「ならない!」

 レオンが叫んだ。

 食堂の壁に声が跳ね返る。

 リーフは驚いて目を見開いた。

「僕は、リーフと一緒にいたいんだ。ずっと一緒だったじゃないか」

「兄上……」

「双子なのに、片方だけ追い出されるなんておかしいよ」

 リーフは答えられなかった。

 おかしいと思う。

 どうして自分だけなのかと思う。

 けれど、父が決めた。

 男爵家の当主であり、領地と家族の責任を背負う父が決めたことだ。

 その決定に逆らえるほど、リーフは強くなかった。

「レオン」

 母が静かに呼んだ。

 レオンは振り向かない。

 母は立ち上がり、リーフの前まで歩いてきた。

 昨日までなら、抱きしめてくれたかもしれない。

 熱を出したときには額に手を当て、眠るまでそばにいてくれた。

 けれど、今日は手を伸ばさなかった。

 ただ、細い指でリーフの襟元を整える。

「外は寒いわ。外套のボタンをきちんと留めて」

「はい」

「食事は、食べられるときに食べなさい。知らない人について行ってはいけません。夜は、できるだけ明るい場所にいなさい」

「はい」

「困ったことがあったら……」

 母の言葉が途切れた。

 助けを求めなさい、と続けるつもりだったのだろう。

 しかし、リーフには助けを求められる場所がない。

 母もそれを分かっていた。

「……気をつけて」

「はい」

 リーフは深く頭を下げた。

「今まで育ててくださって、ありがとうございました」

 母の顔が歪んだ。

 それでも、リーフは頭を上げなかった。

 貴族の家で育った者は、別れの場で取り乱してはいけない。

 それは母から教わった作法だった。

 礼を失わず、姿勢を崩さず、相手への感謝を言葉にする。

 涙がこぼれそうになっても、顔を伏せたまま耐える。

「リーフ……」

 レオンの声が震えた。

 リーフは彼の手を握った。

 小さい頃から何度も繋いできた手だった。

「兄上も、お元気で」

「兄上って呼ぶなよ」

 レオンは泣きながら笑った。

「僕たちは双子だろ」

「でも、兄上は兄上です」

「リーフ……」

 もう1度、レオンの手を強く握る。

 これ以上ここにいたら、出ていけなくなる。

 リーフは手を離し、食堂を出た。

 背中から、レオンの声が追いかけてくる。

「リーフ! 絶対に、また会おう!」

 リーフは振り返らなかった。

 振り返れば、足が止まってしまう。

 廊下を歩き、玄関へ向かう。

 広い玄関には、誰もいなかった。

 大きな扉を開けると、冷たい風が吹き込んできた。

 空は薄曇りで、細かな雨が降り始めている。

 門の外には、見慣れた街道が伸びていた。

 いつもなら馬車に乗って通る道。

 父の隣に座り、領地の村へ向かうときに眺めた道。

 今日は自分の足で歩かなければならない。

 リーフは屋敷を振り返った。

 高い石壁。

 尖塔。

 朝の光を受けた家紋の旗。

 ここで過ごした10年間のすべてが、そこに詰まっている。

 楽しかったことも、苦しかったことも。

 父に剣を教えてもらった日。

 母に礼儀作法を叱られた日。

 レオンと庭を走り回った日。

 すべてを置いていく。

 リーフは家紋の刺繍に触れた。

 家名を名乗ることは許されない。

 それでも、今まで育てられた事実まで消えるわけではない。

 リーフは屋敷へ向かって、深く頭を下げた。

「行ってきます」

 返事はなかった。

 門番が重い門を開ける。

 門の外へ出た瞬間、背後で金属の音がした。

 門が閉じられていく。

 屋敷と街道を隔てる鉄の門が、ゆっくりと閉じていく。

 リーフは最後まで、その場を動かなかった。

 やがて門が完全に閉じる。

 もう、向こう側へ戻ることはできない。

 リーフは布袋を背負い直し、街道を歩き始めた。

 行き先は決まっていない。

 町へ向かう道は分かる。

 けれど、町に着いたところで何をすればいいのかは分からなかった。

 宿に泊まるお金はない。

 仕事を探すにしても、10歳の子供を雇ってくれる場所があるか分からない。

 教会に行けば、もしかしたら助けてもらえるかもしれない。

 しかし、そこへ行く道も知らない。

 歩くたびに、靴の底から冷たさが伝わってくる。

 雨は少しずつ強くなっていた。

 外套の布地に水が染み込み、肩が重くなる。

 それでも、リーフは歩いた。

 屋敷を離れてすぐに戻るわけにはいかない。

 戻れば、父に迷惑をかける。

 家族の決定を覆そうとすることになる。

 だから、歩くしかなかった。

 街道の脇に、古い石の道標が立っている。

 片方は領都。

 もう片方は、森と小さな村へ向かう道を示していた。

 領都へ行けば、人が多い。

 仕事も見つかるかもしれない。

 けれど、貴族の子供だと知られたら困る。

 家名を使ってはいけないのだから、身分を明かすこともできない。

 リーフは森へ続く道を見つめた。

 森の向こうには、確か小さな村がある。

 父から聞いたことがあった。

 薬草を採り、木材を切り出して暮らす村。

 魔物が出ることもあるが、村の近くには比較的安全な場所もあるらしい。

「……まずは、村へ行こう」

 声に出すと、少しだけ勇気が出た。

 雨の中、リーフは道標の示す方向へ歩き出した。

 けれど、森へ近づくほど道は細くなり、やがて人の姿も馬車の音もなくなっていく。

 背中の布袋は重い。

 お腹も空いてきた。

 足には小さな痛みが広がっている。

 それでも、リーフは歩いた。

 夕方になる頃、森の入口にたどり着いた。

 黒い木々が、雨に濡れながら立ち並んでいる。

 枝葉の向こうは暗く、奥へ進めば何がいるのか分からない。

 リーフは足を止めた。

 怖かった。

 屋敷を出てから初めて、本当の意味で怖いと思った。

 森には魔物がいる。

 父が何度もそう教えてくれた。

 近づいてはいけない場所。

 子供が1人で入る場所ではない。

 けれど、街道へ戻ることもできなかった。

 雨は、まだ降り続いている。

 夜になれば、外で眠ることもできない。

 リーフは森の入口にある大きな木の根元を見つけた。

 根が地面から盛り上がり、幹の下に少しだけ雨を避けられる空間がある。

 そこなら、今夜だけは過ごせそうだった。

 リーフは布袋から古い外套を取り出し、根元に敷いた。

 硬い地面に腰を下ろす。

 パンを1つ取り出したが、すぐには食べられなかった。

 食べてしまえば、残りは1つしかない。

 いつ次の食事にありつけるのか分からない。

 それでも、空腹には勝てなかった。

 固いパンを少しずつかじる。

 味はほとんどしなかった。

 それでも、温かい食事のことを思い出してしまう。

 父と母とレオンで囲んだ食卓。

 明日から、あの場所には戻れない。

 リーフは膝を抱えた。

「僕にも、できることがある……」

 誰もいない森へ向かって呟く。

「僕のスキルだって、きっと……」

 言葉の続きが見つからなかった。

 できることなど、まだ何も分からない。

 テイマーとして、どうすればいいのか。

 どんな魔物なら契約できるのか。

 契約した魔物と、どう暮らせばいいのか。

 何も分からない。

 ただ、鑑定石の中で揺れていた淡い緑色の光だけが、心の奥に残っている。

 リーフは外套を肩にかけ、木の根に背中を預けた。

 雨音が、森を満たしている。

 遠くで、何かの鳴き声が聞こえた。

 リーフは身を強張らせたが、逃げる場所はなかった。

 怖い。

 寂しい。

 帰りたい。

 それでも、帰ることはできない。

 リーフは震える手で、胸元の家紋を握った。

「……おやすみなさい、父上」

 小さな声は、雨に溶けて消えた。

 その夜、リーフは初めて、家族のいない場所で眠った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

面白いと思っていただけたら、評価や応援をしていただけるとうれしいです。次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。