テイマー
鑑定石の奥で生まれた淡い緑色の光は、静かに揺らめいていた。
リーフは両手を石に置いたまま、息をすることさえ忘れていた。
何か特別なスキルかもしれない。
剣士ではなくても、家族の役に立てる力かもしれない。
そう思いたかった。
神官は鑑定石の中に浮かび上がった文字を確認し、ゆっくりと口を開いた。
「テイマースキル。スキルレベル1です」
声が、広い礼拝堂に響いた。
それだけだった。
レオンのときに上がった歓声も、母の喜びに満ちた声もない。
誰もが、言葉を失ったように黙り込んでいた。
「テイマー……?」
リーフは呟いた。
「はい。魔物と契約し、従えるためのスキルです」
神官が答える。
その声には、わずかな戸惑いがあった。
「魔物を……従える?」
「そうです。契約した魔物に命令を与えたり、簡単な意思疎通を行ったりできます。ただし、テイマーが従えられる魔物は、本人の力量やスキルの成長によって変わります」
説明を聞いても、リーフにはまだ実感がなかった。
魔物と契約する。
森にいる魔物を、自分の仲間にする。
それは、思っていたよりもずっと不思議な力に思えた。
けれど、父の表情を見た瞬間、その小さな期待は消えていった。
父は鑑定石ではなく、リーフを見ていた。
その顔に浮かんでいるのは、喜びではない。
困惑と、深い失望だった。
「テイマー……」
父はもう一度、その名を口にした。
まるで、聞き間違いではないことを確かめるように。
「はい。テイマーです」
神官が答えた。
「魔物を使役するスキルとしては、珍しいものではありません。ただ、戦闘を目的とする場合、扱える魔物の能力に大きく左右されます」
「つまり、強い魔物を従えられるとは限らないのだな」
「その通りです。一般的には、小型でおとなしい魔物と契約する者が多いかと」
父の目が細くなる。
「小型で、おとなしい魔物……」
その言葉の意味を、リーフも知っていた。
スライム。
角ウサギ。
小さな鳥の魔物。
どれも人の暮らしを脅かすほどの力はない。
剣士なら、一撃で倒せる魔物たちだ。
リーフは、先ほどレオンが立っていた場所を見た。
レオンは剣士スキルを授かった。
父は誇らしそうに笑った。
母も嬉しそうに微笑んでいた。
自分のときは、誰も笑っていない。
「テイマーにも、できることはあると思います」
リーフはおそるおそる口を開いた。
声は震えていたが、言葉だけは止められなかった。
「魔物に荷物を運んでもらったり、森の中を案内してもらったり……。もし、傷を治せる魔物がいるなら、誰かを助けることもできます」
「誰かを助ける?」
父の声が低くなる。
「はい」
「魔物を使ってか」
「……はい」
リーフは両手を握りしめた。
「魔物にも、できることがあるはずです。人を襲う魔物ばかりではないと思います」
礼拝堂の中に、重い沈黙が落ちた。
自分でも、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。
魔物をテイムしたことなど、一度もない。
魔物と話したこともない。
それでも、スキルが役立たずだと決めつけられるのが嫌だった。
何より、父に見放されたくなかった。
「リーフ」
父が呼んだ。
「はい」
「お前は、この家が何を求めているのか分かっているか」
「……騎士として、領民を守ることです」
「そうだ」
父は短く頷いた。
「ヴァルグレン家は、代々剣を振るってきた。魔物の群れが現れれば先頭に立ち、盗賊が領地を襲えば剣を抜く。領民が頼るのは、魔物を連れた少年ではない。自ら剣を取り、危険の前に立つ騎士だ」
リーフは黙って聞いていた。
父の言っていることは正しい。
少なくとも、この家の考え方では正しい。
「僕も、危険の前に立ちます」
「お前が?」
父の言葉が、鋭く胸に刺さった。
「剣もまともに振れないお前が、どうやって魔物の前に立つ」
返す言葉がなかった。
剣の稽古をしてきた。
毎朝、誰よりも早く起きた。
何度も転んだが、逃げたことはない。
それでも、兄のように剣を振ることはできなかった。
「申し訳ありません……」
リーフは頭を下げた。
「申し訳ないと言えば、家の役に立たないスキルが変わるのか」
父の声に、怒りが混じった。
母が小さく息を呑む。
レオンも不安そうに父を見た。
「父上、リーフはまだスキルを得たばかりです。これから鍛えれば――」
「黙れ」
レオンの言葉を、父が遮った。
「お前は剣士スキルを授かった。これから鍛錬を積めば、騎士として成長できる可能性がある。だが、リーフは違う」
「違いません。リーフだって、これから頑張れば」
「何を頑張る?」
父はレオンを見た。
「魔物に餌を与えることか。スライムを連れて歩くことか。それで剣を持つ騎士と肩を並べられると思うのか」
レオンは唇を噛みしめた。
リーフは弟として、兄にそんな顔をさせたくなかった。
「兄上、もういいです」
「リーフ……」
「僕が、ちゃんとできなかったから」
言葉にした瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
ちゃんとできなかった。
剣を振ることも。
父の期待に応えることも。
家の名にふさわしい子供でいることも。
全部、自分ができなかったからだ。
神官が気遣うように声をかける。
「男爵様。テイマースキルは、決して無価値なものではありません。魔物の中には、探索や採取に優れた能力を持つものも――」
「神官殿」
父の言葉が、神官を止めた。
「あなたは、この子が騎士の家に生まれたことを知っているはずだ」
「……はい」
「ならば分かるだろう。我が家に、魔物を連れ歩く者の居場所はない」
その言葉を聞いたとき、リーフの中で何かが音を立てて崩れた。
居場所がない。
今まで暮らしてきた屋敷。
毎朝、食事をした食堂。
父と剣を振った訓練場。
母に作法を教わった部屋。
レオンと遊んだ庭。
そこに、自分の居場所がない。
「父上……」
どうにか声を絞り出す。
「僕は、どうすればいいですか?」
父は答えなかった。
鑑定石の青白い光が、父の横顔を冷たく照らしている。
しばらくして、父は神官に向かって言った。
「鑑定は終わった。記録を頼む」
神官が頷く。
リーフはその場から動けなかった。
誰も自分を見ていない。
レオンだけが、心配そうにこちらを見つめている。
礼拝堂を出たあと、レオンはすぐにリーフの隣へ駆け寄ってきた。
「リーフ、待って」
「兄上」
「父上は、今は驚いているだけだよ」
レオンはそう言ったが、その声にも不安が滲んでいた。
「テイマーが本当に役立たずかなんて、まだ分からない。リーフなら、きっと何かできる」
「ありがとう」
リーフは微笑もうとした。
けれど、頬がうまく動かなかった。
「でも、父上は僕に居場所がないって言いました」
「そんなこと、まだ決まってない」
「決まっているように聞こえました」
レオンは何も言えなかった。
2人は廊下の窓の前で立ち止まった。
外には、いつも稽古をしている訓練場が見える。
レオンが剣を振り、父が指導する場所。
リーフも何度もそこに立った。
木剣を握り、足を踏み出し、何度も転んだ。
それでも、父は毎回言ってくれた。
「立て。騎士は転んだままでは終わらない」
あの言葉を、リーフは信じていた。
今も、信じていたかった。
けれど、もう父は自分に立てと言ってくれないかもしれない。
夕食の時間になっても、父は姿を見せなかった。
母はほとんど口を開かず、レオンも何度もリーフの様子をうかがっている。
料理の味は、よく分からなかった。
食事を終え、自室へ戻る。
窓の外には、夜の闇が広がっていた。
リーフはベッドの端に腰を下ろし、昼間の鑑定石を思い出していた。
淡い緑色の光。
自分の中に生まれた力。
あれが本当に役に立たないものなのか、リーフには分からない。
ただ、誰かを助けられる可能性があるのなら、捨てたくはなかった。
そのとき、扉が叩かれた。
「リーフ。入るぞ」
父の声だった。
リーフは慌てて立ち上がり、扉を開く。
父はいつものように背筋を伸ばしていた。
ただ、腰に剣はなかった。
「父上、お話とは何でしょうか」
「座れ」
父は部屋の中へ入り、机の前に立った。
リーフがベッドに腰を下ろすと、父はしばらく黙ったまま彼を見つめた。
その目には、怒りよりも迷いがあった。
「お前のスキルについて、家臣たちと話し合った」
「はい」
「この家でテイマーを育てることはできない」
リーフの胸が冷たくなる。
「僕は、頑張ります」
「何を?」
「魔物のことを学びます。剣も、これからもっと練習します。父上の役に立てるように――」
「リーフ」
父が遮った。
「明日の朝、屋敷を出ろ」
時間が止まったように感じた。
「……どこへ、ですか?」
「好きにしろ」
「僕は、まだ10歳です」
「ああ」
「一人では、何もできません」
「それでもだ」
父は机の上に、小さな布袋を置いた。
「古着と食料を入れてある。家名を名乗ることは許さん。金も渡さない」
「父上……」
声が震えた。
「僕は、息子ではないのですか?」
父の表情がわずかに歪む。
けれど、答えは返ってこなかった。
父は扉の前へ向かい、最後に一度だけ振り返った。
「明日の朝だ」
扉が閉じる。
リーフはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
やがて机の上の布袋を見つめる。
そこには、古びた外套と、硬くなったパンが入っている。
10年間暮らした家を出るには、あまりにも小さな荷物だった。
リーフは胸元に手を当てた。
そこには、家紋の刺繍がある。
銀の盾と、1本の剣。
リーフはその紋章を、指先でそっと撫でた。
明日の朝、自分はこの家を出る。
父の期待に応えられなかった子供として。
役立たずのテイマーとして。
それでも、胸の奥に生まれた淡い緑色の光だけは、まだ消えていなかった。
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