第6話
朝、いつものように森へ向かうと、入口に見慣れない男が立っていた。
長い金髪。
背筋を真っ直ぐ伸ばし、身につけている服も明らかに上等だ。
剣を下げている騎士たちとは雰囲気が違う。
どちらかというと、書類を持って人に指示を出すほうが似合いそうだ。
しかも、門にいる騎士たちが妙に緊張している。
また貴族か。
そんなことを考えながら許可証を出す。
「おはようございます」
「ああ」
門を通ろうとすると、金髪の男がこちらを見た。
顔。
服。
髪。
手。
上から下まで順番に視線が動く。
最後に、オレと周囲の人間との距離を見る。
何だ、この人。
品定めでもされているみたいで、少し腹が立つ。
「君がセナ・ロウか」
「そうですけど」
「王立国獣院のユリウス・エルフォードです」
「国獣院?」
聞いたことはある。
ミレーヌも王立国獣院に所属していると言っていた。
でも、普段オレが一緒に働いているのは護獣騎士団だ。
「国獣の管理方針、環境整備、法令、監察などを担当しています」
「はあ」
「今回は君に用があって来ました」
「オレ?」
何もした覚えはない。
そのとき、
「ユリウス」
後ろから声がした。
カイルだ。
ユリウスがそちらを見る。
「お久しぶりです、カイル」
「相変わらず急に来るな」
「事前に通知はしました」
「昨日だろう」
「通知は通知です」
何だ、
知り合いなのか。
しかも普通の仕事相手より、ずいぶん話し方が遠慮ない。
「相変わらず、現場の判断が早いようですね」
「お前は相変わらず慎重過ぎる」
「慎重で困る仕事ではありませんから」
笑っているわけじゃない。
でも、本気で喧嘩している感じもしない。
何だ、この二人。
「学生時代から変わりませんね」
ユリウスが言う。
学生時代。
やっぱり昔からの知り合いらしい。
「それで?」
カイルが尋ねる。
「今日は何を確認する」
「彼です」
ユリウスの視線がオレへ戻った。
「セナ・ロウを正式に監察します」
「監察?」
「はい」
嫌な言葉だな。
「現在、外国人の平民が、十分な審査も正式教育も受けないまま国獣の主要な飼育に加わっています」
オレを見る。
「国獣院として看過できません」
「……オレ、何かしました?」
「何かをしたから来たわけではありません」
「じゃあ何で」
「何かが起きる前に確認するのが監察です」
ああ、
面倒くさい人だ。
「ラグナが懐いた。それだけで国獣の管理を任せるのですか?」
ユリウスがカイルを見る。
「それだけではない」
「なら確認させてもらいます」
「好きにしろ」
簡単に話が進んでいる。
「ちょっと待ってください」
二人がオレを見る。
「オレ、追い出されるんです?」
「監察結果によっては、国獣との接触範囲を見直す必要があるでしょう」
「やっぱり追い出される可能性あるじゃないですか」
「可能性の話です」
ユリウスは淡々としている。
「君はルヴェリア国民ではない。国獣管理について正式な教育も受けていない。王立機関での勤務歴もない。資格も身分保証もない」
「……はい」
「さらに、君の特殊体質が国獣へ与える効果も長期的には検証されていない」
一つずつ言われる。
聞けば聞くほど、
確かにと思う。
「これほど不確定な人間を国獣管理の中心に置くのは、極めて異例です」
「言われてみればそうですね」
「セナ」
カイルが少し呆れた顔をする。
「だって間違ってないでしょ」
外国人。
平民。
資格なし。
文字だって今覚えている途中。
そんな奴が突然、国で一番大事な獣の世話をしている。
知らない人が見たら、不安になるのは普通だ。
「あなたはあの平民を信用しすぎです」
ユリウスがカイルへ言った。
「お前は身分を信用しすぎだ」
「身分ではありません。積み上げられた信用です」
ユリウスは即座に返した。
「誰が教育したのか。誰が責任を持つのか。問題が起きたとき、誰が保証するのか。それが制度でしょう」
「制度がラグナを落ち着かせたか?」
「結果が出たから手順を無視していいという話ではありません」
二人の間の空気が少し硬くなる。
でも、どっちも言っていることは分かる。
カイルは今困っているラグナを何とかしたい。
ユリウスは、そのやり方が正しいのかを確認したい。
「この青年について、あなたは何を知っているのです」
「全部は知らない」
「なら――」
「だから見ている」
カイルが言葉を遮った。
「お前も見ろ」
ユリウスが黙る。
「ラグナへの接し方も、変化に気づけるかも、危険なときに止まれるかも。俺は実際に見て判断している」
「一時的な印象では制度の代わりにはなりません」
「だからお前も見ろと言ってる」
オレは二人を交互に見た。
このまま聞いていても終わらなそうだ。
「じゃあ」
口を挟む。
「何したら認めてもらえるんですか?」
ユリウスが少しだけ目を見開いた。
「私に認められたいのですか?」
「別に」
「……」
「でも、認めないから仕事させないっていうなら困ります」
「なぜ?」
「ラグナの世話ができなくなるから」
それ以外に何があるんだ。
せっかく仕事も覚えてきた。
ミアナの子供だってこれから生まれる。
途中で放り出すのは嫌だ。
ユリウスがしばらくオレを見る。
「では見せてもらいましょう」
「何を?」
「君の仕事を」
「今日?」
「今日です」
「どのくらい?」
「一日」
「ずっと?」
「問題がありますか?」
「やりづらい」
「監察とはそういうものです」
やっぱり面倒くさい人だ。
◇
「ドルガ。それは違う」
朝の餌やり。
自分の分を食べ終わったドルガが、当然のように隣の桶へ顔を伸ばす。
鼻先を押す。
「駄目」
ドルガがこっちを見る。
「見ても駄目」
もう一度、隣の餌へ。
「だから、それネーヴェの」
「ずいぶん懐いていますね」
少し離れたところからユリウスが言う。
「まあ」
「君の匂いに反応しているだけでは?」
「それもあるんじゃないですか」
「否定しないのですね」
「実際そうなんだから、否定しても仕方ないでしょ」
ドルガを元の位置へ戻す。
「でも、懐いてるからって好きなだけ食わせるわけにはいかないんで」
ドルガがまた物欲しそうに見る。
「追加なし」
オレはちらりとカイルを見る。
「隊長みたいに、こっそりやったりしないから」
カイルの目が細くなった。
「セナ」
「何ですか?」
「仕事に集中しろ」
「してますよ」
ユリウスがオレたちを見る。
「……何の話ですか?」
「何でもない」
カイルが即答した。
やっぱり認める気はないらしい。
◇
給餌のあと、森の奥へ入る。
ネーヴェが少し離れた木陰にいた。
最近は前より近くへ来るようになった。
それでもルウみたいに自分から身体を押しつけてくることはない。
オレを見る。
鼻を動かす。
そのまま座っている。
「君なら近づけるのでは?」
ユリウスが聞いた。
「近づけますよ」
「では、なぜ行かないのです」
「向こうが来たくないから」
「……?」
「匂いが気になるのと、触られたいのは別でしょ」
ネーヴェを見る。
「近くにいたいだけなら、それでいいし」
「君の匂いには反応している」
「してますね」
「それでも?」
「それでも」
無理に触る必要なんてない。
世話をするのと、好き勝手に触るのは違う。
ユリウスが何も言わなくなった。
顔を見ると、さっきまでとは少し違う目でネーヴェを見ている。
「何ですか?」
「いいえ」
何か言いたそうなのに言わない。
カイルと似てるな。
本人に言ったら、両方嫌な顔をしそうだけど。
◇
昼前。
七頭の様子を順番に確認していると、一頭が歩いてきた。
シエラだ。
いつも動きが軽い。
木に飛びついたり、他のラグナの尻尾を狙ったり、とにかくじっとしていない。
そのシエラが、
「……ん?」
少しおかしい。
歩く。
止まる。
また歩く。
「シエラ」
呼ぶとこちらへ来る。
普通に見れば問題なさそうだ。
でも、
右の前脚を地面につけたときだけ、一瞬体重を逃がしている。
「ちょっと待って」
しゃがむ。
脚には触らない。
まず歩かせる。
もう一度。
やっぱりだ。
「先生呼んでもらえますか?」
近くの隊員に言う。
ユリウスがこちらを見る。
「何か?」
「たぶん、痛いところある」
「どこです」
「右の前脚」
「歩けていますが」
「歩けるけど、ちょっとかばってる」
すぐにミレーヌが来た。
「どうしたの?」
「先生、シエラの右の前脚見てください」
「触った?」
「まだ」
「分かった」
ミレーヌがシエラの様子を見ながら近づく。
オレも横にいる。
シエラはオレの匂いを嗅いで、少し身体の力を抜いた。
「いい子ね。ちょっと見せて」
ミレーヌが慎重に前脚を持ち上げる。
肉球。
爪。
毛の間。
「あった」
小さな棘のようなものが刺さっていた。
「木片ね」
「深い?」
「深くないわ。これならすぐ取れる」
処置を終える。
シエラを歩かせると、さっきより自然に脚をついた。
「大事じゃなくてよかった」
「早めに見つけてくれて助かったわ」
ミレーヌが言う。
横を見ると、ユリウスがこちらを見ていた。
「何ですか?」
「……彼の観察はいつもこの程度に正確なのですか、ドクターミレーヌ」
「今のところね」
ミレーヌがあっさり答える。
「匂いだけなら、アタシだって読み書きまで教えようなんて思わないわよ」
「それ関係あります?」
「あるわよ。見つけられるなら、記録まで残せたほうがもっと使えるもの」
「人を道具みたいに言わないでください」
「高待遇の道具よ」
「前にも聞きました、それ」
ユリウスがオレを見る。
「読み書きを?」
「今、先生に習ってます」
「国獣の飼育記録をつけるために?」
「はい」
「……そうですか」
また何か考えている顔。
本当に分かりにくい人だ。
◇
午後。
記録帳を確認しているユリウスの隣で聞いた。
「オレが仕事できたら、それでいいんじゃないですか?」
ユリウスが顔を上げる。
「君一人ならそうでしょう」
「?」
「では聞きます」
記録帳を閉じた。
「君が明日いなくなったら?」
「……明日?」
「病気になる。怪我をする。国へ帰る。何でも構いません」
「まあ、あり得ますね」
「そのとき、ラグナはどうします?」
答えが止まった。
「君が来る以前の状態に戻る可能性がある」
「……」
「国獣の安定が、一人の特殊体質に依存している」
ユリウスの声は淡々としている。
「国家としては、それ自体が危険なのです」
そこで、やっと分かった。
この人が気にしているのは、
オレが平民だから、だけじゃない。
外国人だから嫌い、でもない。
「だから人工香の研究を止めるべきではありません」
「止める気ないですよね?」
「もちろん」
「じゃあいいんじゃないですか」
今度はユリウスが少し驚いた顔をした。
「何がですか?」
「君は反対しないのですか?」
「何で?」
「人工香が実用化されれば、君の必要性は低下する可能性があります」
「それでラグナが平気なら、そのほうがいいんじゃないですか」
「……」
「オレが風邪ひいて休んだだけで全部荒れるとか、困るでしょ」
カイルが近くで聞いていた。
「使えるものは使えばいい。俺も人工香の研究に反対するつもりはない」
「ただし」
ミレーヌが続ける。
「アタシはデータが揃うまでは慎重に使いたいわね。効くことと、長く使って問題がないことは別だから」
「だからこそ検証を続ける必要があります」
ユリウスが言う。
「一個人への依存を減らすためにも」
全員、少しずつ言うことが違う。
カイルは、使えるなら使う。
ミレーヌは、安全か確かめてから。
ユリウスは、国の仕組みとして必要。
オレは、
ラグナが困らないなら何でもいい。
「君は」
ユリウスがオレを見る。
「自分の価値が失われても構わないのですか?」
「ラグナが困らなくなるなら、別に」
「……本当に?」
「はい」
自分にしかできない仕事だから偉い。
そんなことを考えたこともない。
人工香で代わりができるなら、それでいい。
仕事がなくなるなら、そのとき別の仕事を探せばいい。
「変ですか?」
「……少なくとも、私が想定していた答えではありません」
「何て答えると思ってたんです?」
「それを君に言う必要はありません」
「やっぱり面倒くさいな、この人」
「聞こえていますよ」
「聞こえるように言いました」
横でミレーヌが笑った。
◇
一日が終わるころ、
カイルがユリウスへ声をかけた。
「どうだ?」
「一日の監察で結論を出せと?」
「早い判断は嫌いだったな」
「早ければいいわけではありませんから」
「学生のころから変わらない」
「あなたこそ」
仲が悪いのか、
いいのか、
やっぱり分からない。
「セナ・ロウ」
「はい」
ユリウスが今度はオレを見る。
「一つ聞いても?」
「どうぞ」
「ラグナを怖いとは思わないのですか?」
「怖いですよ」
即答すると、ユリウスが少し目を見開いた。
「怖い?」
「噛まれたら普通に死ぬでしょ」
「それは……そうですが」
「力も強いし、興奮したら危ないし」
実際、最初に見たときは固まった。
「ではなぜ、あれほど平然と近くにいるのです」
「怖いのと世話するのは別でしょ」
怖いから見ない。
触らない。
近づかない。
それでは、具合が悪くても分からない。
「危ないなら危ないなりに見ればいいだけです」
「……」
ユリウスはしばらく黙った。
それからカイルを見る。
「少なくとも」
少し間を置く。
「匂いだけで国獣のそばにいる人間ではないようですね」
「だから言っただろう」
「認めたとは言っていません」
「まだ駄目なんですか」
「当然でしょう。一日見ただけです」
「厳しいな」
「国獣ですから」
でも、
朝とは少し違う。
「当面、現在の勤務を継続することについて、国獣院から異議を出すつもりはありません」
「それって認めたんじゃ」
「違います」
「ほぼ同じじゃないですか」
「違います」
「頑固ですね」
「慎重と言ってください」
本当に面倒くさい。
でも、
最初ほど感じは悪くない。
「では、今日はこれで」
ユリウスが帰ろうとする。
「また来るのか?」
カイルが聞いた。
「当然です。監察ですから」
「暇だな」
「あなたに言われたくありません」
「俺は忙しい」
「ドルガへの給餌に?」
カイルが止まった。
「……誰から聞いた」
「先ほどの会話で十分です」
「セナ」
「オレ何も言ってないです」
「十分言っていただろう」
ユリウスはそのまま立ち去っていった。
後ろ姿を見送る。
「仲悪そうなのに、妙に慣れてますね」
「長い付き合いだからな」
「隊長、あの人昔からあんななんですか?」
「あんなだ」
「仲良いんですか?」
「どうだろうな」
「本人に聞いたら絶対否定しそう」
カイルが少し笑った。
「それはそうだろうな」
オレも笑う。
少ししてから、ユリウスが去った方向を見る。
「でも」
「何だ?」
「ユリウスさんの言ってること、間違ってないですよね」
「ああ」
即答だった。
「そう言うんですね」
「なぜだ?」
「もっと反対するのかと思ってた」
「俺はユリウスの考えを全部否定しているわけじゃない」
カイルは森を見る。
「お前がここに必要なのは事実だ。だが、何も覚えなくてもいいという意味じゃない」
「……はい」
「読み書き。記録。ラグナの知識。それに国獣を扱う上で必要な制度もだ」
「覚えること多いですね」
「だから一つずつでいい」
カイルはそれだけ言って歩き出した。
オレの味方だから、ユリウスを否定したわけじゃない。
必要だから連れてきた。
でも、必要なものは覚えろと言う。
そのほうが。
何でも「お前なら大丈夫だ」と言われるより、信用できる気がした。
◇
夕方。
仕事を終える前に、もう一度ネーヴェのところへ寄った。
木のそばに伏せている。
オレが少し離れた場所へ座る。
追わない。
呼ばない。
ただいる。
しばらくすると、ネーヴェが顔を上げた。
鼻を動かす。
そして、
前より少しだけ、こっちへ近い場所まで歩いてきた。
それでも触れられる距離じゃない。
「今日はそこ?」
ネーヴェが座る。
「まあ、いいけど」
しばらく互いにそのままでいる。
ふと、今日一日ずっと後ろから仕事を見ていた金髪の男を思い出した。
「……ユリウスさんも、お前みたいなもんか」
ネーヴェの耳が動く。
警戒している。
すぐには近づかない。
でも、完全に拒絶しているわけでもない。
無理に近づけば、たぶん逃げる。
なら、
向こうが来るまで待てばいい。
「まあ」
膝を抱える。
「そのうち慣れるだろ」
ラグナも、
人間も。




