第18話
朝、
いつものように森へ入ろうとして、
止められた。
「身分証」
「……オレですけど」
「知ってる。出せ」
「毎日来てるのに?」
「団長命令だ」
門に立つ騎士へ、
仕方なく身分証を渡す。
確認。
次に、
持っていた鞄まで、
「中も見るぞ」
「今日厳しくないですか?」
「ああ」
「何かあったんです?」
「詳しくは団長に聞け」
出入り簿にも、
いつも以上に細かく時間を書かされた。
「……」
元々、
ラグナの森は、
誰でも入れる場所じゃない。
国の宝、
神聖な国獣、
それが暮らしている。
許可。
確認。
警備。
ちゃんとある、
そのはずなのに、
今日は、
明らかに違った。
◇
「しばらく警備を増やす」
カイルを見つけて、
すぐ聞いた。
「何で?」
「森の警備について、不必要に詳しく調べている者がいるらしい」
「誰です?」
「まだ分からん」
「ラグナ見たいだけじゃなくて?」
「それなら正規の見学申請を出せばいい」
「じゃあ何のため?」
「それを調べている」
カイルの顔が、
硬い。
「そんなにまずいんですか?」
「何もなければそれでいい」
「……」
「何かあってからでは遅い」
そう言われると、
反論できない。
◇
「また監察ですか?」
少しして、
金髪が見えた。
ユリウスだ。
「今回はあなたではありません」
「なんかちょっと嬉しい」
「喜ぶところではありません」
即答された。
今日は、
オレの仕事を見るためじゃない。
森へ入る人間、
許可証、
物資の搬入、
出入りの記録、
そっちを調べに来たらしい。
「無断で入るのって無理なんですよね?」
「かなり難しいでしょう」
「じゃあ大丈夫じゃ?」
「正規の許可を持っている者なら話は別です」
「……中の人?」
「可能性の一つです」
ユリウスが、
一冊の記録簿を開いた。
「数日前の物資搬入です」
「何か変なんです?」
「門で記録された時刻と、搬入担当者側の記録が一致していません」
「どれくらい?」
「大きな差ではありません」
「じゃあ書き間違いとか」
「その可能性もあります」
「じゃあ――」
「これだけなら、ただの不備です」
ユリウスが、
オレを見る。
「ですが、神聖な国獣を扱う場所で、“ただの不備”を放置する理由はありません」
「……」
こういうとき、
ユリウスは、
すごくユリウスだ。
◇
「その日のラグナの様子は?」
「オレの記録?」
「ありますね?」
「ありますけど」
自分の帳面を出す。
食事。
行動。
誰が。
どの個体の近くにいたか。
ちびが、
どこまで動いたか。
その日の簡単なことまで、
書いてある。
「……これも使うんだ」
「使えます」
ユリウスが、
真面目に読む。
ミレーヌが、
横から覗いた。
「だから記録しろって言ったでしょ」
「最初は字の練習だったじゃないですか」
「結果よければいいのよ」
「教育として適当すぎません?」
「読めるようになったでしょ?」
「それは」
「非常に雑な教育論ですね」
ユリウスまで入ってきた。
「ほら」
「何が、ほら、なのよ」
三人で話していると、
足元へ、
どん。
「うわ」
ちび。
「お前の話してるんだから大人しくしてろ」
オレの腰に下げていた布を狙う。
「こら」
ぱく。
「それ記録用!」
引っ張る。
ちびも、
引っ張る。
「離せって」
遊びだと思ってる、
全然分かってない。
少し離れたところでは、
ミアナが、
こっちを見ている。
さらに、
別のラグナも、
自然に、
ちびの動きを目で追っている。
カイルが言っていた。
『幼獣は群れ全体で守る』
今も、
変わらない。
「またルカリオ来られるといいな」
小さく言う。
泥だらけで、
ちびと走り回っていた。
『また来るからな』
そう約束していた。
次は、
いつ来られるだろう。
◇
「今日は幼獣を母獣から離すな」
カイルが言った。
「分かりました」
「森の奥へ連れていくのもなしだ」
「はい」
「それと」
「?」
「お前もだ」
「オレ?」
「一人で森の奥へ行くな」
「何で」
「念のためだ」
「オレまで狙われてるんですか?」
「分からん」
カイルの声が、
少し低くなる。
「だからだ」
「……」
ルカリオの婚約者、
特殊な匂い、
最近、
政治的に、
オレの価値がどうとか、
周りが勝手に言ってる。
「一人じゃないとできない仕事もありますけど」
「誰かつける」
「面倒」
「我慢しろ」
「最近過保護じゃないですか?」
「……」
カイルが、
一瞬、
止まった。
その間、
今なら、
分かる。
「それも」
聞く。
「隊長だからですか?」
「……そうだ」
少し、
遅い。
嘘ではない。
隊長だから、
部下を、
守る。
それは、
本当。
でも、
たぶん、
それだけじゃない。
以前なら、
分からなかった。
今は、
少し、
分かる。
だって、
オレも、
同じだから。
◇
午後、
ちびが、
また、
突然走り出した。
「待て!」
布の玩具を、
口に咥えたまま、
オレの横を、
一気に駆け抜ける。
「おい!」
捕まえようとして、
一歩、
横へ出る。
そのとき、
足元の湿った土で、
靴が滑った。
「――っ」
身体が。
横へ傾く。
すぐそこ、
木柵。
ぶつかる、
そう思った瞬間。
「セナ!」
腕を、
強く引かれた。
「わ」
身体ごと、
引き寄せられる。
肩、
胸、
全部、
カイルにぶつかった。
「……」
「大丈夫か?」
近い。
ほとんど、
抱えられている。
「怪我は?」
「……ないです」
「足は?」
「大丈夫」
「本当に?」
「はい」
カイルの手、
腕を掴んでいる。
反対の手は、
腰に近いところを、
支えている。
離れない。
本気で、
心配してる。
「……」
避けなきゃいけないって、
言ってたくせに。
どうして、
一番に、
助けにくるんだよ。
◇
数秒、
遅れて、
カイル自身も、
気づいたらしい。
ぱっと、
手が離れた。
「悪い」
「……何で謝るんです?」
「いや」
また、
一歩、
距離。
前なら、
そのまま、
流したかもしれない。
でも、
今日は、
嫌だった。
「隊長」
「何だ」
「こういうときだけ近いですよね」
「……」
「普段は避けるのに」
「今は危なかった」
「知ってます」
「だったら――」
「誰よりも早く助けてくれます」
カイルが、
黙った。
「……」
やっぱり、
聞きたい。
「本当に」
カイルを見る。
「婚約者だからだけですか?」
「……何が」
「避けてる理由」
「セナ」
「はい」
「それ以上聞くな」
「何で?」
目が、
逸れない。
「答えれば」
低い声。
「今まで通りではいられなくなる」
「……」
心臓が、
大きく鳴った。
それ、
ほとんど、
答えじゃないか。
でも、
オレが好きなんですか、
そこまでは、
聞けない。
聞いたら、
たぶん、
オレも、
答えなきゃいけない。
自分の気持ちを。
「でも」
口が、
勝手に動いた。
「もう今まで通りじゃないですよ」
「……」
「祭りの前とも違うし」
「セナ」
「婚約する前とも違う」
離れれば、
何も変わらない。
そんなの、
無理だった。
「オレは」
一度、
息を吸う。
「避けられるほうが嫌です」
カイルの目が、
揺れた。
ほんの少し。
でも、
分かった。
「……それを言われると困る」
「何で」
沈黙、
それから。
「近づきたくなるからだ」
「……」
今度こそ、
何も、
返せなかった。
胸の奥が、
熱い。
「オレだって――」
言いかける。
近くにいてほしい。
好きです。
どっちを、
言おうとしたのか、
自分でも、
分からない。
カイルは、
じっと、
オレを見ている。
「……」
「……」
でも、
頭に浮かぶ。
ルカリオ、
マリエル王妃、
王宮、
婚約。
「殿下との婚約がある間は」
カイルが、
先に言った。
「これ以上は駄目だ」
「……形式だけでも?」
「形式だからと軽く扱える立場じゃない」
「……」
そう言うと思った。
カイルだから、
余計に。
「じゃあ」
聞く。
「婚約がなかったら?」
「……」
完全に、
黙った。
何も変わらない、
そう言えばいいのに、
言わない。
「隊長?」
「……今、その話をしても仕方ない」
「ずるい」
「何がだ」
「そこまで言っといて答えないところ」
「お前に言われたくない」
「何で」
「お前も言いかけてやめただろう」
「……」
それは、
そう。
「お互い様ですね」
「そうだな」
少しだけ、
二人とも、
笑った。
「必要以上には近づかない」
「必要って誰が決めるんです?」
「俺だ」
「勝手」
「上司だからな」
「便利ですね、それ」
壁は、
残った。
婚約も、
なくなっていない。
正式には、
何も言っていない。
でも、
オレだけが、
離れられて、
理由も分からず、
立っているわけじゃない。
◇
「話は終わりましたか?」
「……」
「……」
後ろから、
声。
振り向く、
ユリウス。
「いつからいたんです?」
「聞きたくもないところからです」
「それどこ?」
「説明したくもありません」
ものすごく、
嫌そうな顔。
「終わっていないなら後にしてください。こちらは仕事中です」
「……はい」
カイルが、
咳払いする。
「続けろ」
「急に団長の顔に戻らないでください」
「うるさい」
ちょっと、
笑いそうになった。
◇
夕方、
笑っていられない話が、
一つ増えた。
「正規の許可証だった?」
ユリウスが、
記録を机へ置く。
「偽造の形跡は確認できません」
「じゃあ」
「本来許可された人間が他者へ貸した。正式な許可を何者かが悪用した。あるいは内部の者が関与した」
「中にいる人が?」
「可能性です」
カイルの顔が、
さらに硬くなる。
「門だけ固めても足りないな」
その晩から、
巡回、
増員。
ちびとミアナがいる区域、
重点確認。
飼料、
薬品、
人工香、
保管場所の施錠、
全部、
確認。
許可証も、
紙だけじゃなく、
本人まで、
もう一度。
◇
「そこまでします?」
思わず聞いた。
「本当に誰か」
森を見る。
「ラグナに何かすると思ってるんですか?」
「思いたくはない」
カイルが言う。
「だが、可能性があるなら備える」
「……」
ラグナ、
この国で、
神聖なもの。
国中から、
大事にされている。
わざと、
傷つける。
そんなことをする人が、
本当にいる?
「国獣だから傷つけられない、とは限らないわよ」
ミレーヌが、
横から言った。
「先生?」
「アタシたちが調べるのは、事故だけじゃない」
「……」
その言葉が、
少し、
胸に残った。
◇
帰る前、
ちびのところへ行く。
ミアナのすぐそばで、
遊んでいる。
「今日はもう大人しくしてろよ」
しゃがむ。
頭を撫でる。
ちびが、
手を舐める。
「警備増えてんだから」
もちろん、
分かってない。
頭を、
ぐい、
押しつけてくる。
「重いって」
元気。
いつも通り。
それを見て、
少し、
安心した。
◇
「送る」
仕事が終わると、
カイルが言った。
「一人で帰れます」
「一人で動くなと言った」
「仕事終わったんですけど」
「今日は従え」
「……はい」
二人で、
歩く。
祭りの帰り道を、
少し思い出した。
あの日も、
何も言わなかった。
今日も、
好きだとは、
言っていない。
でも、
あの日とは、
全然違う。
今は、
多分、
お互い、
知っている。
隣にいるカイルを見る。
近すぎない、
遠すぎない。
なのに、
今までで、
一番、
もどかしい。
◇
別れる前、
「隊長」
「何だ?」
「さっきの答え」
「……何だ」
「婚約がなかったらってやつ」
「……」
「いつか聞きますから」
少し、
間があった。
「そうか」
否定しない。
「そのときは」
カイルが言う。
「お前も答えろ」
「何を?」
「さっき言いかけたことだ」
「……」
言葉が、
詰まる。
カイルが、
少しだけ笑った。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
ずるい。
本当に。
◇
夜、
なかなか、
寝つけなかった。
『近づきたくなるからだ』
思い出す。
『婚約がなかったら?』
答えなかった。
でも、
答えなかったことが、
答えみたいだった。
それから、
オレが、
言いかけた言葉。
『オレだって――』
「……」
今なら、
続きが、
少し分かる。
オレだって、
近づきたい。
カイルの近くに、
いたい。
好きだから。
もう、
そこは誤魔化せない。
◇
でも、
森のことも、
頭から離れなかった。
正規の許可証。
記録のずれ。
内部の人間。
警備強化。
枕元に置いていた、
学習用の帳面を、
もう一度開く。
今日の記録、
ミアナ、
食欲、
問題なし。
ちび、
活動良好、
食欲あり、
よく走る。
オレの布を引っ張る。
外傷、
なし。
「……」
何も、
問題ない。
明日も、
森へ行く。
ちびに餌をやる。
ラグナを見て、
記録を書く。
いつも通り。
今日の記録の最後に。
『幼獣 異常なし』
そう書いた。
それを見て、
オレは安心して、
帳面を閉じた。




