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第2話

 カイルたちが再びやって来たのは、約束通り三日後だった。


「こんなもんか」


 家の中を見回す。


 床に置いた荷物は、それほど多くない。


 着替え、


 身の回りのもの、


 動物の世話に使っていた道具。


 それから、今まで貯めていた金。


 持っていく必要があるものだけ選んだら、簡単にまとまった。


 一人暮らしなんだから、こんなものだろう。


 忘れ物がないか確認して、最後に戸締まりをする。


 数日後には帰ってくる、という出かけ方じゃない。


 仕事がどれくらい続くのかも分からない。


 そのままルヴェリア王国に長く滞在する可能性もあると言われている。


 だからといって、特別な気分にはならなかった。


 ここへ帰ってくるかもしれない。


 帰ってこないかもしれない。


 まあ、そのとき考えればいい。


「セナ殿」


 外から声がした。


「今行きます」


 荷物を持って家を出る。


 カイルと、前にも見た騎士たちが待っていた。


 オレはカイルを見上げる。


「殿はいりません。ガラじゃないし。セナって呼んでください」


「了解した」


 道には馬と馬車もある。


 ずいぶん大がかりだ。


 オレ一人を外国へ連れていくだけなのに、と思ったところで、足元に何かがぶつかった。


「ん?」


 見れば、いつもの猫だった。


 あの日もいた黒と白のまだら模様。


「お前か」


 しゃがむ。


 猫がいつも以上にしつこく足へ身体を擦りつけてくる。


 荷物を持っているせいなのか、いつもと違うと分かるらしい。


「別に死ぬわけじゃないから」


 頭を撫でる。


 少し離れた柵では近所の犬が鼻を鳴らし、こちらを見つめていた。


 道端には小鳥まで何羽か下りている。


「お前もな」


 犬のほうへ手を振る。


 今生の別れでもないのに、大げさだ。


 立ち上がったところで、視線を感じた。


 カイルがこっちを見ている。


「何ですか?」


「いや」


 カイルは猫と犬、それからオレを順番に見た。


「本当に好かれているんだと思ってな」


「だから呼びに来たんじゃないんですか?」


「話に聞くのと、見るのとでは違う」


 変なことを言う。


「そういうもんですか」


「ああ」


 カイルはそれ以上何も言わなかった。


 馬車に荷物を積み、出発する。


 住み慣れた家が後ろへ遠ざかっていった。


 少しくらい何か思うかと思ったけど、特に何もなかった。


 窓から見える景色がいつもの町から街道へ変わっていく。


 それだけだ。


 仕事をする場所が変わる。


 それも外国になる。


 今のオレには、そのくらいの感覚だった。



 ◇



 ルヴェリア王国までは、一日で着くような距離ではなかった。


 途中で宿を取りながら進む。


 基本的には馬車に乗せてもらっていたが、道の状態によっては下りて歩くこともある。


 騎士たちは周囲を警戒しながら、慣れた様子で進んでいた。


「次の町までは?」


 前を行く騎士がカイルに尋ねる。


「予定通りなら日が落ちる前に着く。俺たちはこのまま街道を使う。先に二人行って、宿の状況を確認してくれ」


「分かりました」


 オレはカイルを見る。


 この前と喋り方が違う。


 前に家へ来たときは「私」と言っていたのに、今は「俺」だ。


 騎士たちに指示を出す声も、前に話したときより少し低くてはっきりしている。


 わざわざ聞くことでもないか。


 そういう使い分けをする奴なんだろう。


 それより気になっていることがある。


「隊長」


「なんだ?」


 何度か呼ばれているのを聞いて、オレもそう呼ぶことにした。


「そろそろ何の動物か教えてくれてもいいんじゃないですか」


「着けば分かる」


「まだ教えてくれないんですか?」


「隠しているわけじゃない」


「十分隠してる気がしますけど」


 カイルはこちらを見た。


「説明するより見たほうが早い」


「そんな動物いる?」


「いる」


 即答された。


 大型だということしか聞いていない。


 熊みたいなものだろうか。


 魔獣の類という可能性もある。


 それなら確かに、名前だけ言われても分からないかもしれない。


 まあ、何だっていい。


 実際に見れば分かる。


 犬でも猫でも馬でも、それぞれ扱いは違う。


 初めて見る種類なら最初は観察すればいい。


 これまでだってそうしてきた。


 そう思っていた。


 このときまでは。



 ◇



 何日かかけて国境を越えた。


「ここからルヴェリア王国だ」


 カイルに言われて周囲を見る。


「へえ」


 国境を一本越えた途端、何もかも変わるわけじゃない。


 土は同じだし、木も同じように生えている。


 ただ、進むにつれて少しずつ違いが見えてきた。


 まず、緑が多い。


 街道の両側には森や草原が広がっている。


 町へ入れば、家の造りや人の服にも故郷とは少し違うところがあった。


 店の看板に使われている文字にも、まだオレには読みにくいものがある。


 王都へ近づくにつれ、道幅も広がり、人や馬車の数も増えていった。


 外国って、こういう感じなのか。


 もっと全然違うものを想像していたけど、同じところも多い。


 そんなことを考えていると、別のものが目に入った。


「……何かあるんですか?」


 街道沿いの家々に花が飾られている。


 建物の間には鮮やかな布が渡され、旗まで出ていた。


 町の中へ入るともっとすごい。


 商店の前にも花。


 窓にも祝いの飾り。


 通りを歩く人たちも妙に楽しそうだ。


「祭りですか?」


 カイルに聞く。


「いや。ヴィオラ王妃殿下がご懐妊された」


「王妃が?」


「ああ」


 なるほど。


 それで祝いか。


 ……いや。


「王妃が妊娠すると、国中でこんなに祝うんですか?」


 オレの感覚では、会ったこともない王妃に子供ができたからといって、自分の家まで飾りつけるというのはよく分からない。


「王家に子が増えるのは、この国では大きな慶事だからな」


「へえ」


 国によって色々あるらしい。


 ルヴェリアの人間にとっては相当めでたいことなんだろう。


 ちょうど通りを進んでいると、店先から声が飛んできた。


「お祝いの菓子だよ!」


 騎士の一人が器用に受け取る。


 続いて、包みを一つオレにも渡してきた。


「はい」


「オレ、関係ないんですけど」


「国に入ったなら祝っとけ」


「そんなもん?」


「そんなもん」


 横を見ると、カイルまで普通に受け取っている。


 ならいいか。


 包みを開けると、甘い焼き菓子が入っていた。


 一口食べる。


「うまい」


「だろ?」


 なぜか渡してきた騎士が得意げだ。


 別にあんたが作ったわけじゃないだろ。


 でも悪い国じゃなさそうだ。


 少なくとも、今見えている範囲では。


 町中が明るくて、みんな浮かれている。


 故郷を離れたことより、無料でもらった菓子を食べながら外国の町を眺めていることのほうが、よほど変な感じがした。



 ◇



 王都が近づくにつれ、ある模様をよく見るようになった。


 門。


 旗。


 建物の壁。


 店の看板にまで使われている。


 四本脚の大きな獣。


 頭の形と長い尾を見る限り、猫の仲間に見える。


「あの動物、よく描かれてますね」


 カイルが視線を向ける。


「ああ」


「王家の紋章とか?」


「似ているが、少し違う」


「じゃあ何です?」


「この国にとって特別な存在だ」


 またそれか。


 この男は何でも少しだけ教える。


 聞けば答えるくせに、全部は言わない。


「それ、今から世話する動物と関係あります?」


 カイルは答えなかった。


 代わりに少しだけ口元が動いた。


「着けば分かる」


「またそれ」


 本当に、何を飼わせるつもりなんだ。


 王都の中心へ向かうのかと思っていたが、隊列は途中から大きく道を外れた。


 進む先には森が広がっている。


 かなり広い。


 奥が見えない。


「仕事場、森なんですか?」


「そうだ」


「動物園みたいなもの?」


 カイルが妙な顔をした。


「……違うな」


 否定の仕方が気になる。


 森の入口には立派な門があった。


 しかも騎士がいる。


 何人も。


 行き交う人間も勝手に通っている様子はなく、こちらの一団も門の前で一度止められた。


 カイルの姿を確認した騎士たちが道を開ける。


 ずいぶん厳重だな。


 ただ動物を飼っている場所にしては。


 そう思ったころだった、


 馬が急に鼻を鳴らした。


「どうした?」


 騎士の一人が手綱を引く。


 別の馬も落ち着きをなくし始めた。


 耳を頻繁に動かし、地面を蹴る。


 オレも森のほうを見る。


 何かいる。


 音がする。


 ざわっ、


 枝葉が大きく揺れた。


 それまで普通に話していた騎士たちの空気が、一瞬で変わった。


「団長」


「ああ」


 カイルが馬から降りる。


 他の騎士たちもすぐに動いた。


 剣へ手をかける者。


 馬を下がらせる者。


 周囲を確認する者。


 さっきまで菓子を食べていた奴らと同じには見えない。


 カイルもそうだった。


 柔らかかった表情が消えている。


 森を見る目は鋭い。


 この人、ちゃんと隊長なんだな。


 失礼なことを思った。


 その直後、


 森の中から、それが現れた。


「……」


 まず見えたのは頭だった。


 猫。


 いや、


 でかい。


 木々の間からゆっくり現れた獣は、どう見ても猫科だった。


 でもオレが今まで見たどんな猫より大きい。


 虎よりもさらに大きい。


 肩の高さだけで馬に届きそうだ。


 太い脚。


 筋肉のついた身体。


 長い尾。


 口元から覗く牙も、冗談みたいに大きい。


 綺麗だ、最初にそう思った。


 同時に、デカっ、とも思った。


「全員、動くな」


 カイルの声が飛ぶ。


 誰も動かない。


 巨大な猫は森の縁で足を止めた。


 こっちを見ている。


 すると、別の場所で枝が揺れた。


 もう一頭。


「……二頭?」


 さらに後ろ。


 もう一頭。


「三頭?」


 さすがに多くないか。


 騎士たちの緊張が一段強くなる。


「セナ」


 カイルがオレを見ずに言った。


「俺の後ろへ」


 言われた通りにしようとして、足を止めた。


 何かがおかしい。


 三頭の巨大な獣が、じっとこちらを見ている。


 いや、


 騎士たちじゃない。


 カイルでもない。


 全部、


 オレを見ている。


「……え?」


 一頭が鼻を動かした。


 ふん、と大きく息を吐く。


 また鼻を鳴らす。


 完全に匂いを嗅いでいる。


 もう一頭も同じだ。


「セナ、下がれ」


「待って」


 オレは獣たちを見る。


 耳、


 立っている。


 こちらを気にしているけど、後ろへ伏せてはいない。


 尾、


 大きく膨らんでもいない。


 目、


 少なくとも、こちらを獲物として狙っているようには見えない。


 姿勢にも威嚇するような硬さがない。


「……怒ってないですよ」


「分かるのか?」


「たぶん」


「たぶんで近づくには大きすぎる」


 それはそうだ。


 オレもそう思う。


 でも一頭が歩き始めた。


 ゆっくりだ。


 一歩。


 また一歩。


 大きな鼻先が空気を嗅いでいる。


 明らかにオレの匂いを追っている。


「止まれ」


 騎士の声が飛ぶ。


 当然、獣は止まらない。


 距離が縮まる。


 大きい。


 近くで見ると余計に大きい。


 さすがに、普通の犬や猫と同じ感覚で考えるのはまずい気がしてきた。


 その瞬間、


 獣が地面を蹴った。


「セナ!」


 一気に走ってくる。


 カイルがオレの前に出ようとした。


「待って!」


 反射的にその腕を止める。


 次の瞬間、


「うわっ!」


 巨大な頭が身体にぶつかった。


 突き飛ばされる、


 ――と思った。


 でも違った。


 ぐり、


 頭が胸元に押しつけられる。


「……は?」


 さらに、ぐりぐり。


 でかい頭がオレの身体に擦りつけられている。


 何だこれ。


「お前……」


 喉の奥から、低い音が響いている。


 聞き慣れた音に似ている。


 猫が気持ちよさそうに喉を鳴らすときの。


「猫じゃん」


「セナ!」


「いや、待って、怒ってないから……っ」


 また頭を押しつけられ、身体がよろけた。


「重い!」


 何だこれ。


 完全に甘えている。


 ただし馬くらいでかい。


 一頭がオレに触れた途端、残りも動き出した。


「え、ちょっと」


 一頭が肩口へ鼻を押しつける。


 別の一頭が髪を嗅ぐ。


「待てって」


 背中側から身体を擦りつけられる。


 前からも来る。


「重い、重い!」


「無事か!」


 騎士たちのほうが大騒ぎしている。


 でも、こっちは別の意味で大変だった。


 押される。


 嗅がれる。


 擦りつけられる。


 普通の動物だってオレには寄ってくる。


 でもここまでじゃない。


「お前ら、何なんだよ」


 顔を上げる。


 巨大な瞳がすぐ目の前にある。


 妙に嬉しそうに見えた。


「そんなに好きか、オレの匂い」


 答えるように鼻を鳴らされた。


「そうかよ」


 変な奴らだ。


 人間なら嫌な顔をする匂いなのに。


 そのときだった。


「ん?」


 一頭がオレの服の襟元へ顔を近づけた。


 大きな口が開く。


「ちょっ――」


 牙が見える。


 噛まれる、


 と思った。


 でも牙は身体には触れなかった。


 服だけ咥えられる。


「え?」


 次の瞬間、身体が浮いた。


「は?」


 足が地面から離れる。


「待っ――」


 巨大な獣が向きを変えた。


「おい!」


 そのまま森へ歩き出す。


「セナ!」


「ちょっと! 下ろせ!」


 走り出した。


「下ろせって!」


 当然聞かない。


 咥えられたまま運ばれる。


 残りの獣たちも後についてくる。


「待て!」


 後ろからカイルの声。


 枝が流れていく。


 木々がどんどん後ろへ消える。


「何でこうなるんだよ!」


 初めての外国。


 初めての仕事。


 その仕事場に着いたと思ったら、まだ名前も知らない巨大な猫に攫われている。


 そんなこと、誰が想像できる。



 ◇



「……もう好きにしろ」


 森の中。


 ようやく地面へ下ろされたオレは、その場に座り込んでいた。


 逃げたいわけじゃないけど、


 逃げられない。


 右に一頭。


 左にも一頭。


 後ろには巨大な身体。


 さっきオレを運んできた一頭は満足したのか、すぐ隣に伏せている。


 別の奴は頭を擦りつけてくる。


「だから重いって」


 押し返す。


 当然びくともしない。


 一頭はもう目を閉じ始めていた。


 何なんだ、本当に。


 やがて、木々の向こうから複数の足音が聞こえた。


「セナ!」


 カイルたちだ。


 相当急いだらしい。


 息を切らしている騎士もいる。


「こっちです」


 手を上げる。


 一斉に足を止めた。


「……」


 誰も何も言わない。


「何ですか?」


 カイルまで黙っている。


 オレの周囲を見ていた。


 巨大な獣たちは、さっきまでの緊張が嘘みたいに地面へ伏せている。


 一頭なんて完全に寝ている。


「これ」


 隣の大きな頭を軽く叩く。


「世話してほしい動物?」


 少し間があった。


「……そうだ」


「先に言ってくださいよ」


「言っても信じなかっただろう」


「でかい猫って言ってくれれば」


「猫……?」


 騎士の一人が小さく呟いた。


 何でそんな顔するんだ。


 どう見ても猫の仲間だろ。


 でかすぎるけど。


 カイルが獣たちを見ながら言った。


「ラグナだ」


「ラグナ?」


「ああ。この国の国獣だ」


「国獣?」


「ルヴェリアにとって、最も大切な獣と言っていい」


 オレは撫でていた手を止めた。


「……そんな大事な動物を、オレに?」


「だから外国まで迎えに行った」


 そう言われると急に話が重くなった気がする。


 王国が正式に雇う。


 騎士が何人も迎えに来る。


 森の入口は厳重に警備されている。


 今になって全部つながった。


「最近、このラグナたちが不安定だった」


 カイルが続ける。


「不安定?」


「人間が近づけば威嚇する。餌を十分に食べない個体もいる。個体同士で争い、傷を負うことも増えた」


 騎士たちにも怪我人が出ているらしい。


 オレは周囲を見る。


「これが?」


「ああ」


 信じられない。


 さっきから一頭は寝ている。


 別の一頭も地面に身体を投げ出している。


 オレの隣にいる奴なんて、撫でるのをやめたら頭を押しつけて催促してきた。


「全然荒れてないですけど」


「それを見て、俺たちも困惑している」


「オレが来たから?」


「おそらく」


 カイルがオレを見る。


「君の匂いが、ラグナに何か作用しているらしい」


「匂い……」


 自分の服を見る。


 今日も何枚か重ね着をしている。


 人間に嫌がられないようにするためだ。


 暑くても我慢してきた。


 近づけば鼻を押さえられる。


 くしゃみをされる。


 涙目になる奴もいる。


 だから距離を取る。


 それが普通だった。


 でも、


 こいつらは違う。


 むしろ自分から寄ってくる。


 服越しでは足りないみたいに、鼻先を押しつけてくる。

 オレは隣のラグナの頭を撫でた。


 巨大な目が細くなる。


 こいつらの前なら、


 臭いを気にしなくていいのか。


 ほんの少しだけ、そんなことを思った。


「……で、オレは何をすればいいんですか?」


 カイルがしばらく黙った。


 そして言う。


「まずは――」


 一度、オレの周囲を見る。


「そこから出てきてくれ」


「え?」


 改めて自分の状況を確認する。


 右、


 ラグナ。


 左、


 ラグナ。


 後ろ、


 でかいラグナ。


 前にも一頭が伏せている。


 立ち上がる隙間すらほとんどない。


「……無理じゃないですか?」


 誰も答えなかった。


 隣のラグナだけが、満足そうに喉を鳴らしている。


 数日前まで、オレはこの匂いを消すために金を貯めていた。


 その匂いを目当てに、今は国で一番大事らしい獣たちが集まっている。


 人生、何が役に立つか分からない。




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