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第15話

 血統の儀から数日。


 ラグナの森は、


 相変わらずだった。


「ドルガ、それお前のじゃない」


 隣の餌へ鼻を突っ込もうとした巨大な頭を押し戻す。


「自分の食べたでしょ」


 ぐい。


「駄目」


 ぐい。


「駄目って」


 さらに押してくる。


「重い!」


 朝から、


 いつも通り。


 ちびも元気。


 ミアナも問題なし。


 ドルガは食欲旺盛。


 ラグナたちは、


 リリアナの血がルカリオと同じくらい濃かったことなんて、


 当然、


 何も知らない。


 変わったのは、


 人間のほうだった。


「セナ」


 森の入口から騎士団員に呼ばれる。


「またお前に客だ」


「……また?」


 最近、


 これが多い。


「今日は?」


「侯爵家の使い」


「知らないです」


「向こうはお前を知ってる」


「何で」


「ルカリオ殿下の婚約者だから」


「それだけで?」


「それだけじゃないだろ」


 ラグナを落ち着かせる。


 国獣の血が濃いルカリオにも影響する。


 外国人の平民なのに、


 ルカリオの婚約者。


 血統の儀が終わってから、


 そういうオレと、


 知り合いになりたい人間が、


 急に増えた。


「何の用です?」


「茶会への招待だと」


「行きません」


「早いな」


「仕事あるんで」


「あと贈り物」


「返してください」


「普通は喜ぶところだぞ」


「何で知らない人から物もらわなきゃいけないんです?」


「……まあ」


 騎士団員も箱を見る。


「言われると不気味か」


「でしょ」


 この前は、


『我が家にも動物がおりまして、ぜひ一度お話を』


 だった。


 その前は食事。


 その前は菓子。


 みんな、


 急に、


 動物好きになったらしい。


 絶対嘘だ。



 ◇



「受け取らないのは正解です」


 横から聞き覚えのある声がした。


「ユリウスさん」


 また来ていた。


 国獣院の監察。


「出所の分からないものを不用意に受け取らないことです」


「毒とか?」


「それもあります」


「それもあるんだ……」


「ですが、今のあなたにとってもっと面倒なのは借りでしょうね」


「借り?」


「贈ったという事実そのものが使えます」


 ユリウスが箱を見る。


「後になって、『セナ・ロウとは懇意にしている』『こちらの贈答を受け取った』と言い広めることもできる」


「……面倒くさ」


「だから申し上げたでしょう」


 呆れた顔をされる。


「自分が何者か理解したほうがいい、と」


「飼育官じゃ駄目なんですか」


「あなたがどう思うかだけで立場が決まるなら、世の中はもっと簡単でしょうね」


「オレは飼育官でいいんですけど」


「そうでしょうね」


 なぜか、


 ため息をつかれた。


「少なくとも、今後届くものは騎士団か王宮を通してください」


「ユリウスさん、最近オレに親切ですね」


「問題を起こされると国獣院にも面倒が増えるだけです」


「やっぱり親切じゃなかった」


「何を期待しているのです」


 でも、


 言われたこと自体は、


 覚えておいたほうがよさそうだ。


 知らない人から物をもらわない。


 子供みたいだけど、


 今のオレには、


 本当に必要らしい。



 ◇



「そういえば」


 昼、


 騎士団員たちと食事をしながら、


 ふと思った。


「ルカリオ、最近来ないですね」


 いつもなら、


 数日おきに、


 ちびを見に来ていた。


 婚約してからは、


 余計に、


 何だかんだ理由をつけて、


 森へ来ていたのに。


 血統の儀以来、


 一度も見ていない。


 少し離れた席にいたカイルが答えた。


「今は難しい」


「何で?」


「予定が増えている」


「予定?」


「教育。儀礼。貴族との面会。公務」


「五歳なのに?」


「ああ」


「増やす必要あります?」


 カイルが少し黙る。


「リリアナ王女殿下と血の濃さに優劣がつけられなかった」


「それで?」


「だからこそ、殿下には第一位としてふさわしい姿を示してほしいと考える者がいる」


「……」


「王族としての教育も、以前より厳しくなっている」


「マリエル王妃がやらせてるんですか?」


「王妃殿下だけではない」


 カイルはすぐ否定した。


「王宮。支持する貴族。官僚。王家そのものだ」


「……」


「王妃殿下も、殿下を守るために必要だと考えている部分はあるだろう」


「でも」


 昨日まで、


 森へ遊びに来られた。


「血が同じだっただけで、昨日までできてたことができなくなるんですか」


「そういうものだ」


「変なの」


 カイルが、


 少しだけ苦そうな顔をした。


「俺も、そう思わないわけじゃない」


 五歳。


 ただそれだけなのに、


 王になるかもしれないから、


 遊ぶ時間まで、


 削られる。


 やっぱり、


 変だ。



 ◇



 それから数日後、


 王宮から正式に連絡が来た。


「ルカリオが来る?」


「ああ。ただし短時間だ」


「遊びに?」


「まあ」


 騎士団員が紙を見る。


「訪問時間まで決まってる」


「遊びに来るだけですよね?」


「今は遊びでも予定表に載るんだろ」


「……」


 ますます、


 変だ。



 ◇



 ルカリオが来た。


 護衛、


 多い。


 服も、


 森へ来るだけなのに、


 前よりずっと正式。


「久しぶり」


「ああ」


「元気でした?」


「元気だ」


「本当に?」


「十三日ぶりだ」


「そんな経ってました?」


「僕は毎日数えていた」


「……」


 それは、


 ちょっとかわいい。


 でも、


 顔は、


 前より硬い。


「ちび見ます?」


「ああ」


 その一言で、


 少しだけ、


 いつものルカリオに戻った。



 ◇



 ちびが、


 先にルカリオを見つけた。


 ててて。


 もう、


 生まれたころの、


 よたよた歩きじゃない。


 かなり速い。


「大きくなった!」


 ルカリオの顔が、


 一気に明るくなる。


「十三日でそんな変わりませんよ」


「大きくなった」


「毎日見てるから分かんないのかな」


 ちびが、


 ルカリオへ飛びつく。


「うわっ」


 服の袖へ、


 じゃれる。


 護衛が動いた。


「殿下!」


「いい。触るな」


 ルカリオが手で制する。


「こいつは遊んでいるだけだ」


 また、


 ちびが飛びつく。


 ルカリオも笑う。


 この顔、


 久しぶりに見た。


「ほら」


 ちびの頭を撫でる。


「噛むな」


 でも、


 ちょっと嬉しそう。


 やっぱり、


 五歳だ。



 ◇



 しばらくして、


 気づいた。


 動きが、


 少し鈍い。


「ルカリオ」


「何だ?」


「眠い?」


「眠くない」


 即答。


「今あくび我慢したでしょ」


「していない」


「した」


「していない」


「昨日何時に寝た?」


「……」


「何時?」


「分からない」


「それ絶対遅かったやつ」


「眠くない」


「休憩」


「まだ遊べる」


「駄目です」


「僕は――」


「王子でも眠いものは眠い」


「……」


「ほら」


 木陰へ連れていく。


 ちびも、


 当然ついてきた。


「座る」


「命令するな」


「じゃあ倒れるまで遊ぶ?」


「……座る」


 素直じゃない。



 ◇



「殿下」


 護衛が声をかける。


「このあとは王宮へお戻りいただき、教師との講義がございます」


「今日も?」


 思わずオレが聞く。


「はい」


「今日くらい休ませたら?」


「それは……」


 護衛が困る。


 この人に、


 決める権限はないらしい。


「行かなければならない」


 ルカリオが言った。


「でも眠いでしょ」


「眠くない」


「まだ言う」


「行かなければならないんだ」


 今度は、


 少し違う声だった。


「……リリアナが生まれたから?」


「違う」


 返事は、


 早い。


 でも、


 顔が硬くなった。


「……そう」


 それ以上、


 聞かなかった。


 動物でも、


 人でも、


 近づかれたくないときに、


 無理に追いかけるのは、


 好きじゃない。



 ◇



 少し、


 離れることにした。


 オレは近くで記録。


 ルカリオは、


 ちびと一緒。


 ちびが、


 膝へ頭を乗せている。


 ルカリオが、


 小声で何か話していた。


 聞こえない。


 しばらくすると、


 ちびが眠る。


 その横で、


 ルカリオも、


 少しぼんやりしていた。


「セナ」


「何です?」


「こっちに来い」


「婚約者だから?」


「違う」


 一拍。


「話がある」


 記録帳を置く。


 隣へ座る。


 カイルと護衛は、


 少し離れたところにいる。



 ◇



「最近」


 ルカリオが、


 ちびの頭を撫でながら言った。


「皆が僕を見る」


「前から見られてたんじゃないですか?」


「違う」


 きっぱり。


「今は」


 言葉を探す。


「間違えないか見ている」


「……」


「怒らないか」


「うん」


「威圧を出さないか」


「……うん」


「リリアナの話をされたとき、何を言うか」


 小さな手が、


 ちびの毛を握る。


「全部、見られている」


「……」


「僕が失敗すると」


 ルカリオが、


 誰かから聞いた言葉を、


 そのまま覚えたみたいに言った。


「リリアナのほうが王に向いていると言われる」


 五歳の子供に、


 誰が、


 そんなこと言ったんだ。


「それで」


 聞く。


「妹のこと嫌いになった?」


「ならない」


 即答だった。


「リリアナは何もしていない」


「……そう」


 少し、


 安心した。


 でも、


 ルカリオは、


 俯いたまま。


「でも」


 小さな声。


「怖い」


 初めて、


 聞いた気がする。


 ルカリオが、


 こんなふうに言うのを。


「何が?」


「……分からない」


「分かんない?」


「ああ」


 王位を取られること。


 マリエル王妃が困ること。


 周りの人が離れること。


 たぶん、


 いろいろ、


 混ざっている。


「僕は」


 ルカリオが続ける。


「王になるんだと言われてきた」


「うん」


「ずっと」


 物心ついたころから、


 そうなのかもしれない。


 血が濃い、


 第一位、


 だから、


 正しく、


 強く、


 威圧を制御して、


 王になる。


「だから」


 ルカリオが、


 少しだけ、


 困ったような顔をした。


「もしリリアナが王になったら」


「うん」


「僕はどうなる?」


「王子のままじゃないんですか?」


「そうじゃない」


「じゃあ?」


 ルカリオが、


 静かに、


 本気で分からない顔で、


 聞いた。


「王じゃなくなったら」


 少し間。


「僕は何になる?」



 ◇



「ルカリオでしょ」


「……」


 即答した。


 何を聞かれているのか、


 最初、


 分からなかったくらいだ。


「王になってもルカリオだし」


「……」


「ならなくてもルカリオ」


 ルカリオが、


 こっちを見る。


「何になるって」


 考える。


「別に、何にもならなくていいんじゃないですか」


「でも僕は王子だ」


「それは立場でしょ」


「立場?」


「うん」


 難しい説明、


 オレにはできない。


「オレだって今は飼育官で」


「うん」


「ルカリオの婚約者で」


「うん」


「変な匂い持ってて」


「変な匂いではない」


「お前にはな」


 話が逸れた。


「とにかく」


 戻す。


「飼育官じゃなくなっても。婚約がなくなっても。匂いがどうなっても」


 胸を指す。


「オレがオレじゃなくなるわけじゃないでしょ」


「……」


「それと同じ」


 言いながら、


 自分にも、


 少し返ってくる。


 外国人。


 平民。


 飼育官。


 ルカリオの婚約者。


 特殊な匂いを持つ人間。


 最近、


 いろんな名前を、


 勝手につけられる。


 でも、


 どれか一つが、


 オレそのものじゃない。


「ルカリオは」


 もう一度言う。


「最初からルカリオでしょ」


「……そうなのか?」


「そうだと思いますよ」


 少なくとも、


 オレは、


 そう思う。



 ◇



「じゃあ」


 聞いてみる。


「ルカリオは、王になりたいの?」


「……」


 黙った。


「なりたい?」


「……分からない」


 それで、


 いいと思う。


 五歳なんだから。


「じゃあ今は分からなくていいんじゃない?」


「でも」


「何?」


「母上が困る」


「マリエル王妃?」


「ああ」


「僕が王にならなかったら、母上が困る」


「……」


 簡単に、


 気にするな、


 とは言えない。


 あの人が、


 どれだけルカリオを守ろうとしているか、


 少しは知っている。


「それは」


 考えて。


「マリエル王妃が考えることでしょ」


「でも」


「お前が全部一人で考えなくていい」


「……」


「五歳なんだから」


「また子供扱いする」


「子供でしょ」


「僕は王子だ」


「王子でも五歳です」


 いつもの顔が、


 少し戻った。



 ◇



「セナは?」


「何?」


「僕が王じゃなくなっても」


 ルカリオが、


 少しだけ、


 不安そうに見る。


「困らない?」


「別に」


 即答した。


「婚約なくなったら、それはそれでいいし」


「……ひどい」


「だって最初から本当に結婚しない約束だろ」


「そうだが」


「何が困るんです?」


「……」


 また、


 黙る。


「婚約者じゃなくなっても」


 声が、


 少し小さくなった。


「森に来たら会う?」


「……」


 ああ、


 怖いの、


 そっちか。


 王位だけじゃない。


 第一位じゃなくなったら、


 今あるものまで、


 全部なくなると思っている。


「当たり前でしょ」


「本当か?」


「何で婚約なくなったくらいで会わなくなるんですか?」


「でも」


「ちび見に来るんでしょ?」


「来る」


「じゃあ会うでしょ」


「……そうか」


 やっと、


 少しだけ、


 安心した顔をした。


 そのとき、


 寝ていたちびが、


 もぞ、


 動いた。


 そのまま、


 ルカリオの膝へ頭を乗せ直す。


「ほら」


 笑う。


「こいつも、お前が王になるかなんて知らないですよ」


「聞いても分からないだろう」


「そういう意味じゃないです」


「?」


「まあ、いいです」


 ルカリオも、


 少し笑った。



 ◇



 顔を上げると、


 少し離れたところに、


 カイルがいた。


 いつから、


 どこまで聞いていたのか、


 分からない。


 目が合う。


「……」


 なんとなく、


 恥ずかしい。


 でも、


 カイルの顔は、


 少し柔らかかった。


 すぐに、


 いつもの距離へ戻る。


 それでも、


 前より、


 少しだけ、


 近く感じた。



 ◇



「殿下、お時間です」


 護衛の声。


 ルカリオの顔が、


 また曇る。


 でも。


「分かった」


 立ち上がった。


 ちびを撫でる。


「また来る」


「ちゃんと寝てから来てください」


「分かった」


「本当に?」


「努力する」


「寝るのに努力必要なの?」


「予定がある」


「……」


 本当に、


 どうにかならないのか。



 ◇



 ルカリオが帰ったあと。


「隊長」


「何だ?」


「あれ、どうにかならないんですか」


「簡単ではない」


「五歳ですよ」


「分かっている」


 カイルも、


 苦そうだ。


「分かってるのに?」


「俺一人で変えられるものではない」


「……そうですか」


 団長でも、


 貴族でも、


 できないことはある。


「ただ」


 カイルが、


 森の出口を見る。


「今日、ここへ来られてよかった」


「ちび見られたから?」


「それもある」


 一拍。


「お前と話せたからだ」


「……」


 心臓が、


 また、


 変に鳴った。


「ルカリオが?」


「ああ」


「……そういう意味」


「他に何だと思った?」


「何でもないです」


 勝手に、


 変な意味に取りかけただけだ。


 最悪。



 ◇



「記録は?」


「ここです」


 帳面を出す。


 カイルが、


 確認するため、


 近づいてきた。


「……」


 近い。


 ルカリオと婚約してからずっと、


 必要以上には近づかなかった。


 今も、


 仕事だから、


 それだけ。


 肩が触れるほどじゃない。


 でも、


 帳面を、


 一緒に見られるくらい、


 近い。


「幼獣の食事量は?」


「ここ」


「増えているな」


「先生から、成長に合わせて少し増やしていいって」


「ああ」


 普通の会話。


 なのに、


 嬉しい。


「……」


 カイルが、


 帳面から顔を上げる。


「何だ?」


「何でもないです」


 すぐに、


 また、


 少し離れた。


 胸の奥に、


 残念、


 が、


 はっきり残った。


 ……これ、


 たぶん、


 ルカリオが言ってたやつなんだろうな。


 好き。


 まだ、


 口に出すのは、


 何となく怖い。


 でも、


 前ほど、


 違うとも思えなくなっていた。



 ◇



「隊長」


「何だ?」


「今度ルカリオが来るとき」


「ああ」


「何もしない日にしたらどうです?」


「何もしない?」


「勉強なし。公務なし。偉い人に会うのもなし」


「……」


「ちびと遊ぶだけ」


 カイルが、


 少し考える。


「俺に決められることではない」


「ですよね」


「だが」


「?」


「王宮には話してみる」


「本当?」


「ああ」


「お願いします」


 半日でも、


 いい。


 王子じゃなくて、


 第一位でもなくて、


 ただ、


 五歳のルカリオが、


 森で遊ぶだけの日。


 それくらい、


 あってもいい。



 ◇



 夜、


 今日の記録を書く。


『幼獣 食欲あり』


『ミアナ 異常なし』


 いつもの記録。


 その横に、


 昼間のことが、


 頭に残っている。


『王じゃなくなったら、僕は何になる?』


 オレにとって、


 答えは、


 簡単だった。


 王でも、


 王じゃなくても、


 ルカリオはルカリオだ。


 そんな当たり前のことを、


 どうして、


 誰も、


 あいつに言ってやらなかったんだろう。


 ペンを置く、


 次に来る日は、


 何もしない日にしよう。


 王子でも、


 婚約者でもなく、


 五歳のルカリオが、


 森で、


 ただ遊ぶだけの日。


 それくらい、


 あってもいいはずだ。




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