第14話
リリアナが生まれて、
二十一日目。
「昼までには戻るから」
ちびの頭を撫でる。
当然、
言葉が分かっているかは知らない。
でも、
言っておく。
ちびはそんなオレの事情なんてどうでもよさそうに、指を舐めた。
「お前はいいな」
今日も、
飯を食って、
遊んで、
寝る。
それだけだ。
「セナ」
後ろから声がした。
「王宮へ行くのに遅れるな」
「分かってます」
カイルだ。
今日は、
オレだけじゃなく
カイルも王宮へ行く。
護獣騎士団長として。
王家と国獣に関わる儀式だかららしい。
「それも忘れるな」
カイルの視線が、
オレの胸元へ向く。
王家から支給された抑香魔道具。
「つけてます」
「ならいい」
「オレがいる必要あります?」
「お前は殿下の婚約者だ」
「まだそれ慣れないんですけど」
「慣れてくれ」
「無理かも」
ちびから離れる。
ミアナも、
他のラグナたちも、
今日が何の日かなんて知らない。
オレは、
そのほうが少し羨ましかった。
◇
王宮へ向かう道。
カイルは、
やっぱり少し離れて歩く。
今日は公の場だから、
なおさら、
仕方ない。
分かっている。
でも、
祭りの日なら、
もっと近かった。
「……」
「どうした?」
「何でもないです」
今日は、
それどころじゃない。
王宮が見えてくる。
リリアナの誕生を祝いに来たときは、
花も、
笑い声も、
たくさんあった。
今日は、
静かだった。
人は多い。
むしろ、
前より多いくらいなのに。
貴族。
王宮の役人。
国獣院の人間。
儀礼を担当する者。
医官。
全員が、
何かを待っている。
「……静かですね」
「ああ」
二週間前までは、
みんな、
おめでとう、
と言っていた。
今日は、
赤ちゃんが元気かどうかより、
血がどれくらい濃いか、
それを待っている。
◇
「ユリウスさんも来でたんですね」
「当然でしょう」
見覚えのある金髪。
ユリウスが書類を持って立っていた。
「国獣の血統に関わる儀式ですよ」
「こういうのも国獣院の仕事なんですか?」
「直接測定するのは専門官です」
ユリウスが手元の書類を見る。
「記録と認証は我々の管轄です」
「何でもやるんですね」
「何でもではありません」
「結構何でもやってる気がする」
「セナ・ロウ」
「はい」
「今日は余計なことを言わないように」
「それ、オレに言います?」
「あなた以外に誰がいるのです」
失礼な。
横を見ると、
カイルが少しだけ口元を緩めていた。
「隊長、笑いました?」
「いや」
「笑ったでしょ」
「静かにしろ」
ユリウスのほうが。
ため息をついた。
◇
ルカリオも、
今日はいつもと違った。
森で、
ちびに服を噛まれている子供じゃない。
正式な衣装。
背筋を伸ばして、
大人たちの間に立っている。
小さい。
やっぱり、
どう見ても五歳だ。
なのに、
王位継承権第一位の王子として、
そこにいる。
ルカリオが、
オレを見つけた。
一瞬だけ、
表情が緩む。
でも、
すぐに戻った。
「……」
五歳なのに。
大変だな。
それしか思えない。
◇
マリエル王妃、
ヴィオラ王妃、
二人ともいる。
ヴィオラ王妃は、
まだ出産から二十一日しか経っていない。
少し疲れて見えた。
それでも、
姿勢は崩さない。
リリアナは、
乳母に抱かれている。
途中でヴィオラ王妃が受け取った。
小さい、
二週間前と、
何も変わっていないように見える。
あの子が、
今日、
血を調べられる。
◇
儀式は、
思っていたより静かに始まった。
中央に置かれた古い装置。
石なのか、
結晶なのか、
よく分からないものが組み込まれている。
周りには、
細かな魔法陣。
でも、
派手な感じはしない。
むしろ、
皆が黙って見ているから、
余計に緊張する。
「隊長」
「何だ?」
小声で聞く。
「これで能力も分かるんですか?」
「いや」
カイルも声を落とした。
「分かるのは、国獣の血の濃さだけだ」
「威圧とかは?」
「成長して、実際に力が現れてからだ」
「じゃあ今日は」
「どれだけ濃い血を持っているか。それだけだ」
それだけ、
なのに、
この空気。
◇
王宮の医官が、
リリアナの小さな手を取った。
「……」
針、
ほんの少し、
赤いものが滲む。
次の瞬間。
「ふぇ……」
泣いた。
当たり前だ。
「痛そう……」
思わず呟く。
周りは、
みんな装置を見ている。
オレだけ、
赤ちゃんの手を見ている気がした。
一滴、
血が落ちる。
魔法陣が、
薄く光った。
中央の結晶にも、
光が宿る。
最初は、
静か。
でも、
少しずつ、
光が強くなる。
「……?」
測定官の顔が変わった。
一人。
もう一人。
記録を取っていた人まで、
何かを確認し始める。
「……隊長」
「ああ」
カイルの表情も、
硬い。
オレには、
何が普通なのか分からない。
でも、
これだけは分かる。
普通じゃない。
◇
「極めて高い濃度です」
測定官が告げた。
ざわ、
小さな声が、
広がる。
ヴィオラ王妃に近い場所にいた貴族たち、
表情が変わる。
喜んだ、
ように見えた。
逆に、
マリエル王妃の周囲は、
硬くなる。
「ルカリオ殿下との比較を」
誰かが言った。
すぐに、
過去の記録が用意される。
「そこまでやるんだ……」
生後二十一日の赤ちゃんと、
五歳の兄、
どっちの血が濃いか。
そんなことを、
大勢の大人が、
息を止めるみたいに待っている。
測定官が確認する。
止まる、
もう一度見る。
誰も喋らない。
そして。
「ルカリオ殿下の記録値との差を確認できません」
「……」
一瞬。
本当に、
何の音もしなくなった。
「同等ということか?」
誰かが聞く。
「現行の測定法では」
測定官が慎重に答える。
「優劣を判定できません」
同じ。
いや。
正確には、
どちらが濃いか、
今の方法では分からない。
◇
「再測定を」
すぐに声が上がる。
「誤差の可能性は?」
反対側からも、
声。
ヴィオラ王妃も、
マリエル王妃も、
何も叫ばない。
ただ、
見ている。
「規定に基づき再測定します」
最初に採った血の残りを使い。
もう一度、
確認が始まる。
また、
光。
沈黙。
そして。
「……結果に変化はありません」
ざわめきが、
今度は、
もっと大きくなった。
ルカリオ、
リリアナ、
どちらが、
国獣の血を濃く持つのか、
決められない。
「では、王位継承順位は?」
当然、
その質問が出た。
でも、
すぐに答えは出なかった。
既に第一位であるルカリオの順位を、
この場で変えるわけではない。
かといって、
リリアナを、
単純に第二位に置くとも言えない。
同等値の場合の扱いについて、
国王と、
王宮の評議で協議する。
そういう話になった。
つまり、
何も決まらなかった。
だからこそ、
たぶん、
一番面倒なことになった。
◇
マリエル王妃を見る。
穏やかな顔。
でも、
目だけは、
全然穏やかじゃない。
「……」
ヴィオラ王妃が、
まだ出産する前。
リリアナの血が、
どうなるか分かる前。
マリエル王妃は、
オレとルカリオを婚約させた。
『あなたには、ルカリオと婚約していただきます』
あのとき、
ヴィオラ王妃の子が、
ルカリオより濃いかもしれない。
同程度かもしれない、
そう言っていた。
「……もしかして」
最初から、
これを考えてたのか。
結果が出てから動くんじゃなく、
出る前に、
オレを、
ルカリオ側へ置いた。
初めて、
マリエル王妃の先の読み方が、
少し怖くなった。
◇
ヴィオラ王妃を見る。
喜んでいる、
ようには見えなかった。
かといって、
困っているとも、
分からない。
腕の中の、
リリアナを見ている。
その周りでは、
もう、
王女殿下が、
血が、
継承が、
そんな言葉が飛んでいる。
でも、
本人は、
泣き疲れたのか、
眠り始めていた。
◇
「思いがけない結果となりましたわね」
儀式が終わったあと、
ヴィオラ王妃が、
マリエル王妃へ言った。
「ええ」
「今後については、陛下と評議の判断を待つことになります」
「そうなりますね」
二人とも、
笑っている。
言葉も丁寧。
でも、
「……怖」
小さく言う。
「セナ」
小さい声で、隣のカイルに呼ばれた。
「聞こえます」
「黙ってます」
本当に、
直接怒鳴り合ってくれたほうが、
まだ分かりやすい。
◇
人の動きは、
儀式が終わった途端に変わった。
今まで、
マリエル王妃の近くにいた人、
ヴィオラ王妃へ挨拶に行く人、
小声で何か話す人、
目だけで合図する人、
急いで出ていく人。
「……」
政治が、
分かるわけじゃない。
でも、
変わったことだけは分かる。
さっきまで、
ただの赤ちゃんだったのに。
リリアナは、
何もしていない。
泣いて、
眠ってるだけ。
それなのに。
「あれがセナ・ロウか」
「ルカリオ殿下の……」
今度は、
オレを見る声まで聞こえた。
「……何でオレまで」
「当然でしょう」
横から、
ユリウス。
「何が当然なんです?」
「今後、不用意な申し出には返事をしないことです」
「申し出?」
「あなたに接触しようとする者が増えるでしょう」
「何で」
ユリウスが、
呆れたようにオレを見る。
「自分が何者か、そろそろ理解したほうがいい」
「飼育官ですけど」
「……それだけで済めばよいのですがね」
「オレ、ルカリオの婚約者ではありますけど」
「ええ」
「ルカリオの所有物になったつもりないですよ」
本人にも言った。
婚約者になったからといって、
相手が自分のものになるわけじゃない。
「その理屈が」
ユリウスが小さく息を吐く。
「王宮でも通れば楽なのですがね」
「……」
面倒くさい、
本当に。
◇
人が少し引いたあと、
ルカリオが、
リリアナのそばへ行った。
周りが、
また、
見る。
何を言うのか、
どんな顔をするのか、
それを、
待ってる。
嫌な感じだ。
ルカリオは、
そんな視線を気にする様子もなく、
眠っているリリアナを見る。
「泣いていたな」
「血取られましたからね」
「痛かったのか」
「たぶん」
小さな手を見る。
「かわいそうだ」
それだけ。
王位は、
出てこない。
血が同じだった、
とも、
言わない。
妹が、
痛かったことを気にしてる。
「殿下、ご心配には及びません」
近くにいた男が声をかけた。
「王位継承順位につきましては、現時点では殿下が――」
「今はそんな話をしていない」
ルカリオが遮った。
威圧は、
使っていない。
でも、
男は口を閉じた。
「リリアナが痛かったかを聞いている」
「……失礼いたしました」
五歳。
でも、
こういうときは、
ちゃんと王子なんだな。
◇
少しして、
二人だけで話せる時間ができた。
「みんな変だ」
また、
ルカリオが言った。
でも、
以前のときとは、
少し違う。
「昨日まで、リリアナをかわいいと言っていた者が」
俯く。
「今日は僕の顔を見る」
「……」
「僕とリリアナ」
ルカリオが言う。
「どっちが上か、気にしている」
もう、
分かってしまった。
「でも」
オレは言う。
「リリアナは妹なんですよね?」
「そうだ」
「だったら、そこは変わらないでしょ」
「……ああ」
頷く。
でも。
「僕はそう思う」
「うん」
「でも、みんなもそう思うとは限らない」
「……」
五歳なのに、
そんなことまで、
分かるんだ。
◇
帰り道。
「隊長」
「何だ?」
「王位って、そんなに大事なんですか?」
カイルが、
少し考える。
「この国を誰が治めるか、という意味ではな」
「でも」
今日のことを思い出す。
「五歳と、生後二十一日の子供が争うことなんですか?」
「本人たちが争わなくても」
カイルが言った。
「周囲が争うことはある」
「……」
たぶん、
今日見たのは、
それなんだ。
「だから」
少し考える。
「マリエル王妃は、先にオレをルカリオと婚約させた?」
カイルが黙る。
「……おそらく」
「やっぱり」
本人から、
囲い込みだとは聞いていた。
でも、
今日初めて、
意味が分かった気がする。
オレは、
結果が出る前に、
もう、
盤の上に置かれていた。
「隊長はどう思います?」
「何を」
「マリエル王妃のやり方」
少し、
間。
「王妃殿下には、王妃殿下の理由がある」
「それだけ?」
「……」
人通りの少ないところまで来る。
カイルの声が、
少しだけ変わった。
「俺なら」
公の顔じゃない。
「お前自身の意思を、もっと聞く」
「……」
思わず、
カイルを見る。
目が合った。
でも、
それ以上、
何も言わない。
距離も、
まだある。
それでも、
少しだけ、
胸の奥が軽くなった。
カイルは、
ちゃんと、
オレを見てる。
そこは、
変わっていない。
◇
森へ戻る。
ちびが、
オレを見つけて走ってきた。
「おっと」
しゃがんで受け止める。
少し重くなった。
「またでかくなった?」
ちびは、
そんなこと知らないとでも言うみたいに、
身体を押しつけてくる。
その向こうでは、
ミアナ、
ルウ、
ドルガ。
他のラグナたちもいる。
幼獣は、
母親だけじゃなく、
群れの中で、
見守られている。
「……」
誰が一番。
誰が上。
そんなこと、
ちびの周りでは、
誰も言わない。
「お前らは」
頭を撫でる。
「誰が一番とか、気にしないよな」
ちびが、
オレの手を舐めた。
◇
夜、
机に向かう。
今日の記録。
覚えた字で、
一つずつ書く。
『幼獣 食欲あり』
『母獣 異常なし』
少し考えて。
睡眠。
排泄。
体重。
今日あったこと。
書くのは、
そんなことばかり。
食べた。
眠った。
元気だった。
森では、
それが大事だ。
今日、
王宮では、
たった一滴の血で、
大勢の顔色が変わった。
昨日まで、
王女が生まれたと喜んでいた人たちが、
今日は、
次の王になるかもしれない赤ちゃんを見る目で、
リリアナを見ていた、
でも、
リリアナは、
昨日と、
何も変わっていない。
生まれて二十一日目の、
小さな赤ん坊だ。
変わったのは、
あの子じゃない。
あの子を見る、
大人たちのほうだった。




