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第13話

 王宮からの知らせが届いてから、


 しばらく経ったころだった。


 森の奥まで、


 鐘の音が響いた。


 一度、


 間を置いて、


 また。


 普段聞く鐘とは違う。


 決められた間隔で、何度も鳴る。


「……何ですか?」


 餌の桶を持ったまま顔を上げる。


 周りにいた騎士団員たちも、


 一斉に王宮の方向を見ていた。


「生まれた」


「え?」


「王妃殿下だ」


「あ」


 ヴィオラ王妃。


 昨日、


 産気づいたと聞いた。


「無事なんですか?」


「この鐘ならな」


 まだ、


 男の子か女の子かは分からないらしい。


 でも、


 母親も、


 生まれた子供も、


 無事。


「……よかった」


 それでいい、


 そう思った。


 少し前、


 ミアナの出産に立ち会ったときも、


 生まれた瞬間は、


 男か女かなんて考えなかった。


 国獣だからとか、


 国の宝だからとか、


 そんなことも。


 まず、


 息をしているか、


 動くか、


 母親は無事か、


 それだけだった。


 王族だって、


 同じじゃないんだろうか。



 ◇



 正式な知らせが届いたのは、そのあとだった。


「ヴィオラ王妃殿下、王女をご出産」


「女の子なんですね」


「ああ」


「名前はリリアナ殿下だそうだ」


「リリアナ」


 新しい王女。


「じゃあ」


 少し考える。


「女の子なら、ルカリオの王位には関係ないとか?」


 騎士団員がこっちを見る。


「男女は関係ないぞ」


「……あ」


 そうだった。


 マリエル王妃から聞いた。


「殿下より国獣の血が濃ければ、王女殿下の順位が上になる可能性もある」


「生まれた順でもないんですね」


「血が一番だ」


「変なの」


「この国じゃ普通だ」


 オレには、


 やっぱり少し変に感じる。


「じゃあ、今すぐ調べるんですか?」


「いや。二十一日後だ」


「二十一日?」


「血統の儀がある」


 母子の状態が落ち着く、


 生後二十一日目。


 王族の赤ん坊から、一滴だけ血を採る。


 それを儀式で調べ、


 王家に受け継がれている国獣の血が、


 どの程度濃いのか測るらしい。


「一滴で分かるんだ」


「ああ」


「能力も?」


「そこまでは分からない。能力が出るなら、成長してからだ」


 ルカリオの「威圧」も。


 生まれたときから、どういう力か分かっていたわけではないらしい。


「じゃあ」


 三週間。


「みんな三週間、結果待ち?」


「まあな」


「長くないです?」


「王宮の人間はそう思ってるだろうな」


 街では、


 王女誕生を祝っている。


 でも、


 王宮では、


 二十一日後の一滴を、


 もう待っている。


 何だか、


 赤ちゃんが生まれたばかりなのに、


 変な話だ。



 ◇



 王都は、


 純粋に浮かれていた。


 仕事で街へ出たとき、


 あちこちに花が飾られている。


 王女誕生を記した布。


 祝い菓子。


「リリアナ王女様がお生まれになったんだって」


「かわいらしいお姫様でしょうねえ」


「元気に育ってくださるといいね」


 そんな声が聞こえる。


「……」


 誰も、


 血が濃いといいですね、


 なんて言わない。


 王位がどうなる、


 なんて話も、


 少なくとも、


 オレの周りでは聞かなかった。


 元気に育ってほしい、


 それだけ。


 普通は、


 そうだよな。



 ◇



 その日のラグナたちは、


 少しだけ、


 変だった。


「先生」


「何?」


「今日、ちょっと変じゃない?」


「誰が?」


「みんな」


 ミレーヌが森を見る。


 ルウ。


 ネーヴェ。


 ドルガ。


 別に暴れているわけじゃない。


 具合が悪いようにも見えない。


 ただ、


 少し落ち着かないような。


 逆に、


 急に静かになるような。


「そう?」


「……いや」


 もう一度見る。


 ドルガは座っている。


 ルウも伏せた。


「気のせいかも」


「気になるなら記録しておきなさい」


「はい」


 それだけ。


 大きな変化じゃない。


 オレ自身も、


 その日の夜にはほとんど忘れていた。



 ◇



 数日後、


 ルカリオが森へ来た。


「妹できたんですよね」


「ああ」


 少し胸を張る。


「会った?」


「会った」


「どうでした?」


 ルカリオが、


 真剣に考える。


「……小さかった」


「ちびのときも同じこと言ってましたよ」


「本当に小さい」


「赤ちゃんですからね」


「ずっと寝ていた」


「赤ちゃんですからね」


「手も小さい」


「赤ちゃんですからね」


 全部同じ答えになる。


「僕の指を握った」


 そこで、


 少しだけ、


 顔が緩んだ。


「へえ」


「強かった」


「赤ちゃんなのに?」


「ああ」


 嬉しそうだ。


 ちゃんと、


 兄の顔をしている。


「妹できて嬉しい?」


「嬉しい」


 迷いもしなかった。


 それだけで、


 少し安心した。


 でも、


 ルカリオの表情が変わる。


「ただ」


「何?」


「皆が変だ」


「変?」


「僕の前でリリアナの話をすると」


 ルカリオが眉を寄せる。


「僕の顔を見る」


「……」


「何か言うか待ってるみたいに」


 五歳でも、


 分かるんだ。


「妹なのに」


 ルカリオが言う。


「なぜ僕が怒ると思うんだ」


 答えに困った。


 大人たちが、


 何を考えているかは分かる。


 リリアナの血が、


 ルカリオより濃いかもしれない。


 そうなれば、


 王位継承順位が変わるかもしれない。


 だから、


 ルカリオが、


 妹をどう思うか、


 見ている。


 でも、


 そんなこと、


 五歳の子供に言いたくない。


「大人はいろいろ考えすぎるんですよ」


「セナも大人になるのか?」


「もちろん」


 言ってから。


「って、まだ十八ですけど」


「子供なのか?」


「ルカリオよりは大人です」


「僕はもう五歳だ」


「知ってます」


 そのとき、


 ちびが寄ってきた。


 前より、


 かなり足取りがしっかりしている。


「リリアナもこんな感じなのか?」


「人間の赤ちゃんとラグナの赤ちゃん一緒にしないでください」


「でも小さい」


「そこは同じかもしれないけど」


 ちびの頭を、


 ルカリオが撫でる。


「この子も守る」


 ぽつりと、


 言う。


「リリアナも守る」


「……そうですね」


 前に、


 生まれたばかりのちびを見て、


『守らないとな』


 と言った。


 今は、


 守るものが一つ増えたらしい。


 このまま、


 妹を妹として好きでいられればいいのに。


 そんなことを思った。



 ◇



「オレも行くんですか?」


「行く」


「何で?」


「殿下の婚約者だからだ」


 またそれ。


 七日後、


 リリアナ誕生の正式な祝賀と挨拶のため、


 王宮へ行くことになった。


 今までなら、


 国獣飼育官のオレには関係のない話だ。


 でも、


 今は、


 ルカリオの婚約者。


「便利な言葉ですね、婚約者」


「便利で済ませるな」


 カイルに言われる。


 王宮へ入る前。


 最低限の礼儀を確認される。


「ヴィオラ王妃殿下には――」


「頭下げる」


「言葉遣い」


「気をつけます」


「王女殿下には勝手に近づくな」


「分かってます」


「抑香魔道具は外すな」


「はい」


 カイルは、


 少し離れたところから話す。


 以前なら、


 襟元が乱れていれば、


 手を伸ばして直したかもしれない。


 今は、


「襟」


 言うだけ。


「あ」


 自分で直す。


「これでいい?」


「ああ」


 やっぱり、


 距離はそのままだ。


 気にしない。


 そう思ってるのに。


 気になる。


「隊長」


「何だ?」


「王女殿下の血が濃かったら、どうなると思います?」


「政治は動くだろうな」


「ルカリオは?」


 少し、


 間があった。


「……殿下自身が変わるわけではない」


「……」


 順位が変わっても、


 ルカリオはルカリオ。


 たぶん、


 そういう意味。


「そうですよね」


「ああ」


 何となく、


 その答えが、


 一番しっくりきた。



 ◇



 王宮は、


 祝っているはずなのに、


 前と違った。


 花、


 飾り、


 人、


 どこを見ても、


 王女誕生を祝っている。


 でも、


 視線が多い。


 貴族。


 侍従。


 役人。


 オレを見る目。


 別の人を見る目。


 誰が、


 誰と話しているか。


 そんなことまで、


 見られている気がする。


「……」


 まだ、


 何も決まってないのに。


 生まれた赤ちゃんは、


 寝てるだけなのに。


 大人だけが、


 先に動いている。



 ◇



「ルカリオが、リリアナのことを話していましたか?」


 マリエル王妃と再会した。


「はい」


「何と?」


「小さいって」


 王妃が、


 一瞬、


 目を丸くする。


「それから、手も小さいって」


「……そう」


「指握られたのが嬉しかったみたいです」


 ほんの少し、


 表情が緩んだ。


「そうですか」


「妹できて嬉しいって言ってましたよ」


「……ええ」


 短い返事。


 でも、


 母親としては、


 たぶん、


 安心したんだと思う。


 すぐに、


 いつもの王妃の顔へ戻ったけど。


 この人も、


 大変なんだな。



 ◇



 ヴィオラ王妃と、


 ちゃんと会うのは初めてだった。


 出産からまだ日が浅い。


 だから、


 大勢が集まるような場所じゃない。


 限られた人間だけ。


「あなたがセナ・ロウね」


「……オレのこと知ってるんですか?」


「噂は聞いています」


 まただ。


 知らないところで、


 オレの話だけが広がっている。


 ラグナを落ち着かせる外国人。


 ルカリオの婚約者。


 たぶん、


 王宮では、


 もうそれなりに有名なんだろう。


「国獣の森では、随分活躍しているそうですね」


「活躍ってほどじゃないです」


 ヴィオラ王妃は、


 思っていたより、


 普通に話す人だった。


 マリエル王妃と争う側、


 そんなふうに聞いていたから、


 もっと、


 怖いとか、


 嫌な人を想像していた。


 でも、


 少し離れた場所で赤ん坊が動くと、


 すぐに、


 視線がそちらへ向く。


 泣き声がすると。


 会話より先に、


「リリアナ」


 そちらへ行き、


 抱き上げる。


 疲れているだろうに、


 なかなか人へ渡そうとしない。


「……」


 普通に、


 母親なんだ。


 当たり前のことを、


 今さら思った。



 ◇



 リリアナを、


 少し離れたところから見る。


「……小さい」


 ルカリオと、


 同じ感想になった。


 仕方ない。


 本当に小さい。


 ちびとは、


 全然違う。


 小さな手。


 小さな顔。


 閉じた目。


 柔らかそうな肌。


 赤ちゃんって、


 どれもこんなに頼りないんだな。


 王位継承候補。


 国獣の血。


 そんな話を、


 あれこれ聞いた。


 でも、


 今、


 目の前にいるのは、


 ただ眠っている赤ちゃんだ。


 今日は、


 王家から支給された抑香魔道具を使っている。


 ルカリオのときのことがある。


 リリアナが、


 もし国獣の血を濃く持っているなら、


 不用意にオレの匂いへ近づけるのは危ない。


 だから、


 距離も取っている。


 そのとき、


 少しだけ風が入った。


「……?」


 眠っていたリリアナの手が、


 動いた。


 小さな顔が、


 ほんの少し、


 こっちへ向く。


「……」


 まさか。


 でも、


 すぐに、


 また眠った。


 赤ちゃんだから、


 動いただけか、


 そう思った。



 ◇



 しばらくして、


 リリアナがぐずり始めた。


 小さな泣き声。


 ヴィオラ王妃が抱いても、


 なかなか落ち着かない。


 そのとき、


 部屋の隅にある器具へ目が行った。


「これ」


 見覚えがある。


「人工香ですよね」


 王宮の医官が頷く。


「はい。王女殿下のため、医官の管理下でごく薄く使用しております」


「赤ちゃんにも?」


「国獣の血が濃い可能性がありますので。慎重に濃度を調整しております」


 香りが、


 僅かに変わる。


 人工的に作った、


 ラグナを落ち着かせるための香り。


 しばらくすると、


 リリアナの泣き声が、


 少しずつ小さくなった。


 やがて、


 眠る。


「……本当に効くんだ」


 思わず呟いた。


 森で、


 話には何度も出ていた。


 実際に効果もあると聞いていた。


 でも、


 こうやって見るのは初めてだった。


「よかった……」


 ヴィオラ王妃が、


 小さく息を吐いた。


 腕の中のリリアナを見る。


 本当に、


 ただ、


 母親の顔だった。



 ◇



「ご出産、おめでとうございます」


 マリエル王妃が言う。


「ありがとうございます」


 ヴィオラ王妃が微笑む。


 言葉だけなら、


 普通。


 でも、


 空気が、


 少し硬い。


 喧嘩しているわけじゃない。


 嫌味もない。


 二人とも、


 礼儀正しい。


 なのに、


 何となく、


 近づきづらい。


「あと二週間後ですね」


 誰かが言った。


 血統の儀。


 ヴィオラ王妃の表情が、


 僅かに変わる。


「ええ」


 マリエル王妃が続けた。


「健やかな結果を願っています」


「ありがとうございます」


 笑顔。


 でも、


 二週間後。


 その結果次第で、


 この二人の立場まで、


 変わるかもしれない。


 仲悪いんだろうな。


 今のオレには、


 それくらいしか分からなかった。



 ◇



「疲れたか?」


 王宮の長い廊下、


 人通りが少なくなった頃、


 カイルに聞かれた。


「ラグナ八頭の世話してるほうが楽です」


 カイルが、


 少し笑った。


「そうか」


「何で笑うんです?」


「いや。お前らしいと思ってな」


「そうですか」


 その顔、


 久しぶりな気がした。


 祭りのとき、


 仕事じゃないところで笑っていた、


 あの顔。


 距離は、


 まだ少しある。


 でも、


 それだけで、


 少し嬉しい。


「隊長」


「何だ?」


「血が濃かったら、リリアナ殿下は嬉しいんですかね」


「本人は何も分からないだろうな」


「ですよね」


 赤ちゃんだ。


「だったら」


 王宮を振り返る。


「大人が勝手に喜んだり、困ったりするんですね」


 カイルは、


 否定しなかった。


「まだ何もしてないのに」


「ああ」


 王位を欲しいとも、


 いらないとも、


 言っていない。


 言えるわけもない。


 ただ、


 生まれただけ。


 それでも、


 もう、


 周りの大人は、


 その子の血を待っている。



 ◇



 帰る前、


 ルカリオのところへ寄った。


「妹、元気そうでしたよ」


「知っている」


「会ったんですか?」


「毎日会いに行っている」


「結構お兄ちゃんしてますね」


「兄だからな」


 少し誇らしそう。


「王女が生まれて二十一日目に、血を調べるんですよね」


「そうだ」


 ルカリオの顔が、


 少しだけ、


 大人びて見えた。


「気になる?」


「……」


 考える。


「血が?」


「うん」


「……濃くても薄くても」


 ルカリオが言う。


「リリアナは僕の妹だ」


「……」


「そこは変わらない」


 そうだ、


 それでいい。


「でも」


 ルカリオは、


 少しだけ視線を落とした。


「皆がどうなるかは、分からない」


 五歳でも、


 周りの空気は分かる。


 何かが、


 変わるかもしれない、


 そう感じている。



 ◇



 生後二十一日目、


 血統の儀。


 リリアナが、


 どれほど国獣の血を受け継いでいるのか、


 それが分かる。


 ルカリオより薄いか、


 濃いか。


 オレには、


 どっちでも、


 あの小さな赤ちゃんには変わらないと思う。


 リリアナは眠っていた。


 ルカリオは、


 妹だと言った。


 それだけで、


 十分なんじゃないかと、


 オレは思う。


 でも、


 この国では二週間後、


 その子の、


 たった一滴の血が、


 大勢の未来を決めるらしい。




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