第12話
婚約者というものは、
思っていたより、物が届くらしい。
「……また?」
朝、
騎士団の詰所へ行くと、机の上に大きな包みが置いてあった。
「お前宛てだぞ、婚約者殿」
「その呼び方やめてください」
「セナ様よりいいだろ?」
「どっちも嫌です」
包みを見る。
王宮の印。
嫌な予感がする。
「誰から?」
「殿下」
「やっぱり」
この前も菓子と花が届いた。
手紙には、婚約者には贈り物をするものだと習った、と書いてあった。
まさか、
続くのか。
包みを開ける。
まず出てきたのは菓子、
次に花、
その次は、
「……何これ」
細長い箱。
開けると、上等そうな筆記具が入っていた。
「高そうだな」
「いらないんだけど」
「売るなよ」
「売りませんよ」
さらに、
小さな装飾品。
「これ何に使うんです?」
「飾るんじゃないか?」
「どこに?」
「知らん」
「じゃあいらない」
「王子殿下からの贈り物に容赦ないな、お前」
最後に、
一冊の小さな筆記帳が出てきた。
表紙には、
ラグナの絵。
少し丸っこい。
「……」
開く、
中は普通の紙だ。
読み書きの練習にも、飼育記録の下書きにも使えそう。
小さな紙が挟まっていた。
そこには侍従の字で、
『セナは文字を練習していると聞いた。これを使え』
その下に、
少し歪んだ字で、
『ルカリオ』
「……」
「どうした?」
「いや」
筆記帳を閉じる。
「これなら使える」
「お」
「殿下、やるじゃないか」
「でも他はいらないです」
「そこは変わらんのか」
花を見る。
派手。
大きい。
「これ、食べられます?」
「食うな」
即答された。
「じゃあ本当にどうすればいいんです?」
「飾れ!」
婚約者、
面倒くさいかもしれない。
◇
「届いたか?」
午後、
噂をすれば、
本人が来た。
護衛付き。
もちろん、オレとは決められた距離を取っている。
オレのほうも、ルカリオが来る日は匂いを抑えるよう気をつけている。
「届きましたけど」
「そうか」
満足そうだ。
「毎回いらないですよ」
「なぜだ」
「多いから」
「婚約者には贈り物をするものだ」
「誰に聞いたんです?」
「母上と侍従だ」
やっぱり。
「だからって毎回送らなくても」
「嫌だったのか?」
急に、
顔が曇った。
「あ」
本気でショックを受けている。
「嫌っていうか……」
言い方、
間違えたか。
「欲しくないものを毎回もらっても困るっていうか」
「……欲しくなかったのか」
さらに沈む。
「全部じゃないです」
「どれならよかった?」
「筆記帳」
顔が上がった。
「あれは嬉しかったです」
「本当か?」
「はい。使えるし」
「僕が選んだ」
「そうなんです?」
「ああ」
急に胸を張る。
「セナが字を練習していると聞いたから」
「……そうですか」
何だ、
ちゃんと考えて選んだんだ。
豪華な花や飾りより、
そっちのほうがずっと嬉しい。
「じゃあ」
少し考える。
「婚約者とか関係なく、相手が嫌がることはしないほうがいいと思いますよ」
「嫌がること?」
「欲しくないもの毎日送るとか」
「……」
「でも筆記帳は嬉しかったです」
「分かった」
素直に頷く。
「次も筆記帳にする」
「そういう意味じゃない」
伝わってない。
◇
「ルカリオ」
「何だ?」
「婚約者って、何だと思ってる?」
前から気になっていた。
本人がどこまで理解しているのか。
「将来、結婚する相手だ」
「……一応知ってるんだ」
「失礼だな」
「じゃあ分かってると思いますけど、オレたちは結婚しませんからね?」
「知っている」
あっさり。
「母上から聞いている。この婚約は、僕が大きくなる前になくなる」
「そう」
「でも今は婚約者だ」
「……まあ」
「だから役目は果たす」
やけに真面目だ。
「役目って?」
ルカリオが指を折り始めた。
「贈り物をする」
「はい」
「困っていたら助ける」
「まあ」
「一緒に出かける」
「……そういうのもあるか」
「相手を守る」
「はい」
「他の者に侮辱させない」
「なんか最後のほう重くない?」
「大切なことだ」
本気らしい。
五歳、
なのに、
妙なところだけ立派な婚約者だ。
「でも」
指を一本立てる。
「一番大事なのは、婚約者とか関係なく、相手が嫌がることをしないことだと思いますよ」
「さっきも言ったな」
「大事だから」
「分かった」
本当に分かったのか、
少し怪しい。
◇
ルカリオを連れて、ちびのところへ向かう。
ちびは、
また大きくなった。
生まれたときは、あんなに頼りなかったのに、
足取りもしっかりしてきた。
好奇心も、
さらに増えた。
「あ」
ルカリオを見つける。
鼻を動かし、
ちびのほうから歩いてきた。
「来た」
ルカリオの声が弾む。
以前は、
オレにばかり寄ると言って拗ねていたのに。
今では、
ちゃんとルカリオのことも覚えている。
「ほら」
ルカリオがしゃがむ。
ちびが近づく。
鼻を寄せる。
次の瞬間、
ぱく。
「……」
ルカリオの服の裾を噛んだ。
「セナ」
「何です?」
「取れ」
「自分でやってください」
「破れる」
「高そうですもんね」
「取れ」
ちびは離さない。
ぐい、
ルカリオが引っ張られる。
「こら。離せ」
ちびは、
遊んでもらっていると思ったのか、
さらに引く。
「セナ!」
「はいはい」
さすがに助ける。
口元を見ながら、無理に引っ張らず外す。
「ほら」
裾を解放する。
ルカリオが服を見る。
「穴は?」
「ないですね」
「よかった」
ほっとしている。
「王子でも、ちびには関係ないですね」
「こいつは僕が王子だと知らないからな」
「知ってても同じじゃないです?」
「……そうなのか?」
またちびがルカリオへ飛びつく。
「うわっ」
今度はバランスを崩して、
尻餅。
「……」
「大丈夫?」
「大丈夫だ」
「痛そう」
「大丈夫だ!」
顔が赤い。
恥ずかしいらしい。
思わず笑った。
「笑うな」
「だって」
王宮では、
王位継承権第一位。
未来の王になるかもしれない子供。
誰もが、
たぶん、
そういうものとして扱う。
でも、
ここでは、
ちびに服を噛まれる。
転ばされる。
オレに叱られる。
それでいい気がした。
ここにいるときくらい、
普通の五歳児で。
◇
「殿下」
声がして振り向く。
カイルだった。
胸が、
少しだけ跳ねる。
まただ。
オレは、
カイルが自分から距離を取っていることを知った。
その理由も聞いた。
『あれ以上、近づくべきじゃない』
それから、
前より、
余計に意識するようになった。
「本日は、そろそろここまでにされたほうがよろしいかと」
ルカリオが露骨に嫌そうな顔をする。
「まだ帰らない」
「母獣も休ませる必要があります」
カイルがミアナを見る。
「幼獣も遊び続ければ疲れます」
「……」
ルカリオも見る。
少し考えて、
「分かった」
ちゃんと聞く。
偉い、
と、
思ったところで。
「カイル」
「はい」
「なぜそんなところにいる?」
「……はい?」
オレも見る。
カイルは、
少し離れたところにいる。
「前はもっとセナの近くにいた」
「……」
「……」
オレとカイル、
二人とも止まった。
何で、
五歳児は、
そういうところだけよく見てるんだ。
「ルカリオ」
「何だ?」
「ちび見ててください」
「見ている」
「じゃあそっち集中して」
「セナが変だ」
「変じゃないです」
「顔が変だ」
「変じゃない」
「赤いぞ」
「暑いだけです」
絶対違う。
でも認めない。
「殿下」
カイルが助けるように口を挟む。
「幼獣の体重について、少し確認のためセナをお借りします」
仕事の話へ逃げた。
ずるい。
◇
「セナ」
「何です?」
「僕と幼獣を見に来たんだろう」
カイルと記録の確認を始めた途端、
ルカリオが間に入ってきた。
「オレ、仕事中なんですけど」
「でも僕の婚約者でもある」
「仕事中は飼育官です」
「……」
「婚約者だからって、仕事放り出して遊びません」
ルカリオが不満そうだ。
その向こうで、
カイルが一歩、
下がった。
「……」
また、
胸の奥がもやっとする。
『僕の婚約者』
たぶん、
カイルはそれを聞くたびに、
離れる。
「ルカリオ」
「何だ?」
「ちょっと来て」
腕は引っ張らない。
少し離れたところまで連れていく。
「何だ?」
「“僕の婚約者”って言えば、オレが何でも言うこと聞くと思ってる?」
「……思っていない」
目が少し泳いだ。
「本当に?」
「少ししか思っていない」
「思ってるじゃないですか」
「少しだ」
「少しでも駄目です」
しゃがんで、目線を近づける。
「オレはオレです。婚約してても変わらない」
「分かっている」
「婚約者になったからって、相手が自分のものになるわけじゃないですよ」
「……違うのか?」
今度は、
本当に知らなそうだった。
「違います」
「じゃあ何になる?」
「何って……」
困る。
この婚約自体、
普通の婚約じゃない。
「……約束してる相手?」
「何を?」
「それは……」
何だろう。
ルカリオのそばにいる。
必要なとき助ける。
でも結婚はしない。
「とにかく、人は物じゃないんです」
「それは分かる」
「なら、“僕の”って言って何でも決めようとしない」
「……分かった」
「本当に?」
「ああ」
少しして。
「悪かった」
ちゃんと謝る。
こういうところは、
やっぱり偉い。
「分かればいいです」
「でも」
「まだある?」
「セナが僕の婚約者なのは本当だ」
「……まあ、それはそうですけど」
そこは譲らないらしい。
少し笑ってしまった。
◇
「では」
ルカリオが突然言った。
「カイルは?」
「何が?」
「セナの何だ?」
「……」
何だ、
その質問。
「隊長です」
「それだけか?」
「何でそんなこと聞くんですか?」
「セナはカイルを見ると変だから」
「……」
また、
それ。
「どこが変なんだ」
つい聞いた。
聞かなきゃいいのに。
「よく見る」
「……」
「カイルがいないと探す」
「探してません」
「探している」
「探してない」
「いるときも見る」
「見てません」
「今も見た」
「……」
振り返りかけた顔を戻す。
何なんだ、
この五歳児は。
「婚約者は、好きな人とするものだとも習った」
「オレたちは違うでしょ」
「そうだ」
あっさり、
そこは迷わないのか。
「僕はセナが好きだ」
「はい」
「でも、結婚したいわけじゃない」
「オレもです」
よかった。
その認識は同じだ。
ルカリオにとって、
オレはたぶん、
特別ではある。
でも、
恋愛じゃない。
オレも、
弟みたいなものだと思っている。
「では」
ルカリオが続ける。
「セナには結婚したい人がいるのか?」
「いません」
答える、
はずだった。
なのに、
一瞬、
カイルの顔が浮かんだ。
「……いません」
返事が遅れた。
ルカリオの目が細くなる。
「いるんだな」
「いません」
「なぜ、隠すのだ」
「いないって!」
「今、考えていた」
「何も考えてません」
「嘘だ」
「五歳児が人を嘘つき呼ばわりしない」
「年齢は関係ない」
正論っぽく言うな。
いや、正論だけど。
◇
「仮にですよ」
自分でも、
何でこんな話を始めたのか分からない。
「好きな人がいたとして」
「いるんだな」
「仮にです」
「うん?」
絶対信じてない顔。
「その人が」
ちらりと、
離れたところにいるカイルを見る。
すぐ戻す。
「オレが婚約したから、距離取ってるとして」
「うん」
「前は普通だったのに、今は避けられて」
「うん」
「……」
何を、
五歳児相手に相談してるんだ、オレ。
ルカリオはしばらく考えた。
それから、
「カイルじゃないのか?」
「……」
頭が真っ白になる。
「違うのか?」
「……なんで分かったんです?」
言った。
言ってから、
気づいた。
「……あ」
「やっぱりカイルなんだな」
「今のなし!」
「なぜだ」
「忘れて」
「無理だ」
「そこは子供らしく忘れてください!」
「僕は記憶力がいい」
「こういう時だけ!」
最悪だ。
完全に自爆した。
「ならカイルに言えばいい」
ルカリオは簡単に言う。
「何を」
「好きだと」
「言えたら相談してません」
「なぜ言えない?」
「オレがお前の婚約者だからですよ!」
「でも本当には結婚しない」
「そういう問題じゃないんです」
「では何が問題なんだ?」
「立場とか。噂とか。隊長は貴族で団長だし」
「問題なのか?」
「問題なんです」
「では」
また、
真っ直ぐ聞いてくる。
「婚約がなくなったら言えるのか?」
「……」
止まった。
婚約が、
なかったら、
オレは、
カイルに、
好きだって、
言える?
「……」
分からない。
そもそも、
好きなのかどうかすら、
まだ、
ちゃんと考えたことがない。
人に近くにいてほしいと思ったことがない。
離れられて嫌だと思ったこともない。
そんなオレが、
誰かを好きになって、
その人に自分も好きだと言ってほしいなんて、
そんなこと、
できるのか。
「……分かりません」
「変なの」
「子供には分かりません」
「僕はもう五歳だ」
「まだ五歳です」
むっとされた。
でも、
答えられないのは。
オレのほうだった。
◇
「セナ」
カイルがこちらへ来る。
その瞬間、
ルカリオが、
カイルを見る。
オレを見る。
またカイルを見る。
やめろ、
その顔。
「絶対言うなよ」
小声で言う。
「何を?」
「今の話全部」
「分かった」
本当か?
ルカリオが真面目に頷く。
「婚約者との約束は守る」
「こういう時だけ婚約者使うな」
「殿下?」
カイルが不思議そうに見る。
「何のお話ですか?」
「秘密だ」
「ルカリオ!」
「言っていない」
「そうだけど!」
カイルがますます分からない顔をしている。
「カイル」
「はい」
「セナの隣が空いているぞ」
「余計なことしなくていいです!」
「何が余計なんだ?」
本気で分かっていない。
頭を抱えたくなる。
でも、
幼獣の身体を確認するため、
結局、
オレとカイルが並ぶことになった。
「……」
近い。
婚約が決まってから、
ずっと少し離れていた。
そのカイルが、
今はすぐ隣。
仕事だから。
必要な距離だから。
カイルも一瞬下がろうとしたけれど、
幼獣を見るには離れすぎる。
だから、
そのまま止まった。
肩が触れるほどではない。
でも、
祭りの日を思い出すくらいには近い。
「体重は?」
「朝の記録だと――」
筆記帳を開く。
説明する。
内容は普通の仕事。
ただ、
それだけなのに。
少し、
嬉しい。
そんな自分に気づいて、
困る。
◇
カイルが離れたあと、
ルカリオに言われた言葉を思い出す。
『カイルじゃないのか?』
否定、
できなかった。
それどころか、
『なんで分かったんです?』
なんて、
自分から答えを教えた。
「……オレ」
ちびの頭を撫でる。
好き。
その言葉を、
初めて、
カイルに重ねてみる。
祭りへ誘われたのが嬉しかった。
食べられる店を調べてくれたのも、
手をつないだのも、
『お前と』
と言われたのも、
全部、
何度も思い出す。
離れられたら嫌だった。
近くにいたら嬉しい。
「……オレ、隊長のこと好きなのか?」
小さく口にする。
ちびが顔を上げた。
「お前に聞いても分かんないよな」
鼻先を押しつけられる。
「……いや」
まだ、
分からない。
尊敬してるだけかもしれない。
一緒にいて楽だから、
それだけかもしれない。
そう思おうとする。
でも、
もう、
ただの隊長だと、
言い切るのは難しかった。
◇
「セナ」
帰る時間になったルカリオが呼ぶ。
「何?」
「次も筆記帳にする」
「いや、贈り物はもうそんなに送らなくていいですからね」
「分かった」
「本当に?」
「筆記帳ならいいんだろう?」
「そういう意味じゃない」
やっぱり分かっていない。
「また幼獣を見に来る」
「仕事の邪魔しないなら」
「しない」
「今日、かなり邪魔しましたよ」
「していない」
「しました」
「幼獣と遊んだだけだ」
「オレの仕事にも口出した」
「婚約者だから」
「さっき話したこと忘れた?」
「忘れていない」
本当か?
でも、
楽しそうだ。
それなら、
まあいい。
「じゃあ、また」
「ああ」
護衛と一緒に森を出ていく。
その背中を見送った。
◇
婚約してから数か月が経った。
ある日、森に王宮から使者が来た。
少し慌ただしい。
カイルが報告を受ける。
表情が変わった。
「隊長?」
「何かあったんですか?」
「ああ」
カイルが王宮の方向を見る。
「ヴィオラ王妃殿下だ」
「王妃?」
「産気づかれたそうだ」
「あ」
ここに連れてこられた時、
王都中が懐妊を祝っていた王妃。
「もう生まれるんですね」
「ああ」
めでたいこと。
そう思った。
でも、
カイルの顔は、
喜んでいるだけには見えない。
近くにいた貴族出身の騎士たちも、
少しだけ、
空気が硬い。
マリエル王妃から聞いた話を思い出す。
生まれてくる子供の、
国獣の血、
その濃さによって、
王位継承順位が変わる。
ルカリオの立場も、
変わるかもしれない。
「……」
森を見る。
少し前、
ここでも、
一つの命が生まれるのを、
みんなで待った。
ミアナが無事で、
ちびが無事で、
それだけで、
よかった。
王宮でも、
同じじゃ駄目なんだろうか。
男でも、
女でも、
血が濃くても、
薄くても、
元気に生まれれば、
それでいいような気がする。
でも、
この国では、
そう簡単ではないらしい。
オレには、
今から生まれてくる一人の子供が、
王宮をどれだけ変えることになるのか、
まだ、
分かっていなかった。




