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第9話

 幼獣が生まれてから、しばらく経った。


 ミアナも元気。


 ちびも順調。


 最初はまともに歩けなかったのに、今では少しずつ動き回るようになっている。


 そのせいで、森の中は前より騒がしい。


 主にルカリオとちびが。


 でも最近騒がしいのは、ラグナの森だけじゃなかった。


「俺、明日の夕方から休みだからな」


「お前この前も休んだだろ」


「交代表見ろ。正式な休みだ」


「ずるくないか?」


「何がだよ」


 朝から騎士団員たちがそんな話をしている。


 休み。


 交代。


 誰と行く。


 何時に行く。


「何かあるんですか?」


 聞くと、


 全員に見られた。


「お前、知らないのか?」


「何を?」


「祭りだよ」


「祭り?」


「この国に来てまだ日が浅いんだったな」


 一人が教えてくれた。


 ルヴェリアでは毎年この時期、建国にまつわる大きな祭りが開かれるらしい。


 昔、


 この国の王家の祖先がラグナに認められたこと。


 そこからルヴェリアが始まったこと。


 それを祝う祭り。


「建国祭みたいなもの?」


「みたいな、じゃなくて建国祭だ」


「そうなんだ」


「王都なんてすごいぞ。夜まで店出るし、最後は光も上がる」


「今年は特にすごいだろうな」


「何で?」


「幼獣が生まれただろ」


「ああ」


「縁起がいいって、街中その話だぞ」


 オレが毎日見ているあのちびが、


 街ではそんなことになっているらしい。


「セナも行くだろ?」


「行かないです」


 即答した。


「早っ」


「何で?」


「人多いから」


 それだけで十分な理由だ。


「せっかく外国まで来たのに?」


「人が多いところに行くために外国来たわけじゃないんで」


「祭りくらい見とけよ」


「遠くからでも見えるなら、それでいいです」


 人混み、


 昔から一番避けてきた場所だ。


 近くに人が多ければ、それだけオレの匂いで困る人も増える。


 相手が嫌な顔をする前に、最初から行かなければいい。


 それで何も困らなかった。



 ◇



「本当に行かないのか?」


 仕事が終わったあと、


 カイルに聞かれた。


「行きませんよ」


「見たことは?」


「祭りならあります」


「行ったことは?」


「……ほとんどないです」


 少し間が空いた。


 理由くらい、カイルなら分かるだろう。


「人多いし。匂い、どうしようもないんで」


「なら」


 カイルが何かを差し出した。


「これを使えばいい」


「何です?」


 小さな留め具のような魔道具だった。


 手のひらに乗るくらい。


 でも見覚えがある。


「抑香魔道具?」


「ああ。簡易型だがな」


「……これ、高いやつじゃ」


「お前が欲しがっていた常用型とは違う。数時間しか保たない」


 護獣騎士団で導入が検討されているらしい。


 完全に匂いを消すわけではない。


 効果時間も短い。


 毎日使うには金がかかりすぎる。


 だからオレが昔から欲しかったものとは別物だ。


「これ、仕事用ですよね?」


「ああ。俺が借りてきた」


「祭りって仕事ですか?」


「国民文化の視察だ」


「今考えましたよね」


「……」


「隊長?」


 答えない。


 何なんだ。


「他の人は?」


「それぞれ行くんじゃないか」


「……じゃあ」


 二人?


 そう思ったところで、カイルがこちらを見る。


「俺とでは嫌か?」


「別に」


 即答してから。


 少しだけ自分で引っかかった。


 返事、


 早くなかったか?


「なら決まりだ」


「……はい」


 まあ。


 嫌じゃないなら、それでいい。



 ◇



 祭りの日。


 待ち合わせ場所へ行くと。


 一瞬、カイルだと分からなかった。


「何だ?」


「いえ」


 いつもの騎士団の制服じゃない。


 剣は持っている。


 でも服はもっと軽い。


 華美ではないけれど、生地は明らかに上等だ。


 黒い髪もいつもより少し整って見える。


「制服じゃないと、別人みたいで」


「そうか?」


「はい」


「お前もだろう」


「オレ?」


 今日は抑香魔道具を使っているから、何枚も服を重ねていない。


 身体が軽い。


 暑くない。


 それだけでも変な感じだ。


「行くぞ」


「はい」


 王都の中心へ向かう。


 近づくほど人が増える。


 最初は、


 いつもの癖で、誰かが来るたびに横へ避けた。


 一歩。


 また一歩。


「セナ」


「何ですか?」


「そんなに端を歩かなくても大丈夫だ」


「あ」


 そうだった。


 今日は、


 試しに、人の流れへ入ってみる。


 誰かとすれ違う。


 何も起きない。


 次の人。


 その次。


 鼻を押さえない。


 顔をしかめない。


 振り返りもしない。


「……」


「どうだ?」


「人多いです」


「それは見れば分かる」


「でも……思ったより平気です」


 こんなものなのか。


 祭りより、


 最初はそっちのほうが気になった。


 普通に人の横を歩く。


 それだけのことが、


 今までほとんどなかった。



 ◇



「……ラグナばっかり」


 街中、ラグナだらけだった。


 旗にも。


 飾りにも。


 店にも。


 子供が被っているお面まで。


「あれ、全然似てない」


「子供向けだからな」


「耳の形違うし」


「細かいな」


 別の店には、ラグナの足跡を模したパンが並んでいる。


 子供たちは猫みたいな動きをしながら走り回っていた。


「あれも似てない」


「本人たちに似せる必要はないだろう」


「あ」


 焼き菓子を見る。


 丸いラグナ。


「これドルガに似てる」


「どこがだ」


「丸いところ」


「ドルガはあそこまで丸くない」


「最近太ったって先生が」


「セナ」


「何ですか?」


「本人には言うな」


「本人ってドルガ?」


「そうだ」


「気にしますかね」


 本当にドルガには甘い。



 ◇



 露店の前で、


 親子連れが話していた。


「今年はいい年だねえ」


「どうして?」


「ラグナの赤ちゃんが生まれたでしょう?」


「うん!」


「きっと国にもいいことがあるよ」


 子供がラグナの飾りを見上げる。


「早く大きくなるといいね」


「……」


 思わず足が止まった。


 あの子は、


 ちびを見たことがない。


 触ったこともない。


 それでも、


 大きくなるといい、と言う。


「どうした?」


「いえ」


 街を見る。


 あちこちにラグナ。


 幼獣誕生を祝う飾りまである。


「本当に国の宝なんですね」


「ああ」


「毎日見てると、あんまり分からなくなる」


「お前の場合、ドルガに餌を取られそうになったりしてるからな」


「隊長が追加でやるせいですよ」


「まだ言うのか」


 でも少し分かった。


 この国の人たちにとって、


 ラグナは本当に特別なんだ。



 ◇



「腹は?」


「減りました」


「なら、こっちだ」


 カイルが迷わず歩いていく。


「何かあるんです?」


「ああ」


 着いた先には、いくつか料理が並んでいた。


 焼いた野菜。


 香辛料を混ぜた穀物料理。


 チーズを使った焼き菓子。


「……肉がない」


「向こうの串は肉だ。こっちならお前も食べられる」


「よく知ってますね」


「調べた」


「え?」


「昨日」


 さらっと言われた。


「オレのために?」


「他に誰がいる」


「……」


「何だ?」


「いえ」


 何でもない。


 何でもないけど。


 何で、


 わざわざ調べたんだろう。


「食べないのか?」


「食べます」


 考えるのをやめて、野菜の串を取った。


 隣ではカイルが笑っている。


 仕事中にも笑う。


 でも今日は少し違う。


 責任者の顔じゃない。


 露店の遊びで外した子供を見て笑ったり。


 店主と軽口を言ったり。


 オレが変な形のラグナ菓子を見つけると、本気で呆れたり。


 こんな顔するんだ。


 何となく、


 何度も見てしまった。



 ◇



 夜が近づくと。


 人はさらに増えた。


 街中に灯りがつく。


「すごいですね」


「ああ。このあとが一番混む」


「これ以上?」


 言った直後、


 横から人の波が来た。


「うわ」


 肩がぶつかりそうになる。


 腕を掴まれた。


「離れるな」


「子供じゃないです」


「この人数ではぐれたら探すのが面倒だ」


「ならもう少し人いないところ――」


「もうすぐだ」


 手首を掴まれたまま進む。


 何度も人に押される。


 途中で、


 何かが変わった。


「……」


 手首じゃない。


 カイルの手が。


 オレの手を握っている。


 指まで、


 ちゃんと、


 握ってる。


「……」


 はぐれないため。


 そうだ。


 この人数だから。


 それだけ。


 なのに、


 心臓が少し速い。


 何だこれ。


 人混みを抜ける。


 少し人の少ない通りに入る。


 でも、


 まだ握ったまま。


「……隊長」


「何だ?」


「もう、人いませんけど」


 カイルが止まる。


 つないでいる手を見る。


 一拍。


「ああ」


 手が離れた。


「そうだな」


「……はい」


 それだけ。


 なのに、


 少しだけ、


 何かが足りなくなった気がした。


 何で?


 分からない。



 ◇



 祭りの一番大きな催しは、日が落ちてからだった。


 広場で人々が灯りを掲げる。


 一つ。


 二つ。


 数え切れない光が浮かび。


 やがて、


 空へ上がっていく。


「……すご」


 夜空に、


 幾つもの光。


 その中に、巨大なラグナをかたどった光まで浮かび上がった。


 歓声。


 鐘。


 音楽。


 今まで祭りなんて、行かなくても困らないと思っていた。


 実際、


 困らなかった。


 でも。


「来てよかったかも」


 気づけば、


 横を見ていた。


 祭りじゃなく、


 カイルを。


 カイルは光を見ていた。


 その横顔を見て、


 何でオレ、今こっち見たんだ、


 そう思ったとき。


「……?」


 自分の匂いに気づいた。


 薄い。


 でも、


 さっきまでより明らかに分かる。


「まずい」


「どうした?」


 近くにいた人が鼻を気にした。


「何か匂わない?」


 別の誰かがくしゃみをする。


 身体が先に動いた。


「隊長」


「何だ?」


「オレ、戻ります」


「なぜ?」


「魔道具、切れてきてるから」


「だから?」


「だからって……」


 何で分からないんだ。


 臭う。


 人が困る。


 なら離れる。


 それだけ。


「隊長は見ていってください」


「お前は?」


「帰ります」


「一人で?」


「いつもそうなんで」


 昔の祭りも、


 少し見たことはある。


 でも、人が増えたら帰る。


 匂いを気にする人が出たら離れる。


 別に、


 それが悲しいと思ったこともない。


「じゃ」


 歩き出す。


 後ろから足音がついてきた。


「……何で来るんですか?」


「お前が行くから」


「オレは帰るんですよ」


「俺はまだ帰らない」


「じゃあ何で」


 カイルが止まった。


「俺はまだ祭りを見たい」


「なら戻れば――」


「お前と」


「……」


 何を、


 言われたのか、


 一瞬分からなかった。


「人混みが駄目なら、人の少ないところから見ればいい」


「……」


「それで済むだろ」


「……臭いですよ」


 何でそんなことしか言えないんだろう。


「知ってる」


 あっさり返ってくる。


 前も似たようなことを言われた。


「もっときつくなるかもしれない」


「そのときは少し離れる」


「……」


「でも帰る必要はないだろ」


 何なんだ、


 この人。


 臭わないとは言わない。


 平気だとも言わない。


 近すぎてきつければ、離れる。


 ただ、


 帰らなくていいと言う。


「……じゃあ」


「行くか」


「はい」


 カイルから、


 離れろとは言わなかった。



 ◇



 連れていかれたのは、祭りの中心から少し離れた高台だった。


 人はほとんどいない。


 でも、


 王都全体が見える。


 街いっぱいの灯り。


 空に浮かぶ光。


 遠くから祭りの音も聞こえてくる。


「ここなら大丈夫だろ」


「……はい」


 二人で座る。


 魔道具の効果はもうほとんど残っていない。


 だから、


 少し距離を取ったほうがいい。


 分かっているのに。


 肩が触れた。


「……」


 カイルも動かない。


 オレも、


 動かなかった。


 昔なら、


 絶対に離れていた。


 でも今は、


 別に、


 このままでいい気がした。


「祭り」


「ん?」


「ちゃんと見たの、初めてかも」


「そうなのか?」


「人多いの、避けてたから」


 夜空を見る。


「……結構、楽しいですね」


「なら誘ってよかった」


 横を見る。


 カイルもこっちを見た。


 目が合う。


「……」


 何となく、


 先に逸らした。


 また心臓が速い。


 今日、


 祭りは楽しかった。


 食べたものも、


 露店も、


 灯りも、


 全部。


 でも、


 一人で来ていたら、


 同じだった?


 分からない。


 ただ、


 野菜の店を調べてくれたのも、


 人混みで手をつないだのも、


 ここに連れてきたのも、


 全部、


 カイルだった。


 隣を見る。


 地面に置かれた手。


 少しだけ手を伸ばせば、


 触れられる。


「……」


 見ただけ。


 触らない。


 向こうも何もしない。


 でも、


 さっき手を離されたとき、


 少し残念だった。


 その理由だけは、


 まだ考えたくなかった。



 ◇



 祭りが終わるころ。


 人通りも減っていた。


 帰り道、


 手はつながなかった。


 でも、


 オレは自然にカイルの隣を歩いていた。


 前みたいに、


 距離を計ることもない。


 隊長、


 そう呼んでいる人。


 でも、


 頭の中では、


 カイル。


 その名前が妙に残る。


 今日楽しかったのは、


 祭りだったから、


 それだけなのか。


 それとも、


 カイルがいたから?


「セナ」


「はい」


 住居の近くで足を止める。


「今日は楽しかったか?」


「……はい」


 少し迷ってから。


「また、行ってもいいかも」


 カイルが笑った。


「来年もある」


「……来年」


「ああ」


 来年。


 今まで、


 考えたこともなかった。


 一年後。


 オレがどこで何をしているのかなんて、


 別にどこでもよかった。


 なのに、


 一瞬だけ、


 来年もこの国にいて、


 また、


 カイルと祭りを歩いている自分を想像した。


「……」


 何で。


 自分でも驚く。


「どうした?」


「何でもないです」


「そうか」


「じゃあ、おやすみなさい」


「ああ。おやすみ」


 離れていく背中を見る。


 来年のことなんて、


 今まで考えたこともなかった。


 なのに、


 不思議と、


 その言葉は嫌じゃなかった。



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