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3 クラスター領の光と陰


「ごってぃす……呼びづらい名前」


 館の図書室で、少女アイリことセツナは本を読み漁っていた。


 この世界に来たのは一週間ほど前のことだが、異世界の生活に苦労はなかった。貴族の生まれであるために衣食住すべてが保障されているということもあったが、なによりも“常識”に事欠かなかったのが起因している。この少女の身体に転生した時点で、彼女は少女の記憶をすべて把握していた。それでも不足している情報は、こうして本を読むことで収集している。


アイリは十五の少女。セツナの年齢とほとんど差がないこともあって、この身体は顔つきを除いてほとんど違いがない。身体能力はちょっとばかし女子高生の頃より劣っている気がするが、シンプルに運動不足によるなまりがあるのだろう。


彼女の生活は不自由なく、また館のなかだけで完結している。与えられた食事を気品よく召し上がって、侍女からピアノにダンスにと手解きを受けて、決まった時間にお風呂に入って人形のように深ーい眠りにつく。


「なんて上品な生き方……畳で雑魚寝とかしたことないんだろうな……」


まず畳がないか、自身の推察に一人でツッコミを入れる。アイリがこの生活に満足しているかは置いといて、セツナ本人はこのあまりにインドアな日々に辟易していた。窓から覗く華やかな街は、市民たちの活気に溢れている。まるで西の国に旅行に来たかのようだ。それなのに、いくら豪華とはいえホテルに引き篭もるのは動きたがりのセツナには性が合わない。


そんな時に、図書室のドアを叩く音が響いた。

アイリの記憶によれば、お父様とお兄様はノックなんてしない。となると、これは使用人の誰かだろう。


「アイリ様、お求めの品のご用意ができました」


「えっ、今すぐいくー!」


セツナは散らかした本を急いで本棚の隙間に捩じ込み、図書室を後にした。

使用人に頼んでいたそれは、街に出歩くためのパスポート。一種のドレスコードを守るためのものだった。


「こちらでよろしいでしょうか」


使用人に案内され、セツナは館の一室に入る。

扉を開けて一番に目に入ったのはのっぺらぼうの木彫りのマネキン。お目当ては、物言わぬ彼女が着ている衣装だった。


シンプルなシャツと刺繍の入ったフリルのロングスカート。フードのついた外出用のクロークでシルエットがまとまった、一般的な衣服の一式。


「アイリ様のために一から仕立てた特注品でございます。見た目は領民の方々がよく着ているものに似せましたが、素材から機能性まで一般の品のそれとは天と地の差が……」


使用人の声はセツナには聞こえていない。すでに心はこの館の外にまで踊っている。

早速使用人を追い出し、目立つ貴族の服装から、特注品の“お外探検コーデ”に着替えた。

その足で部屋を飛び出す。使用人の静止を振り切り、館の扉を開けた。


 丘の上で町を見下ろすように立つ館から飛び出したセツナ。あの町に行くまでに随分と待たされた彼女は、さながらジェットコースターで急降下をするが如く、丘を下っていった。


父であるハロン・クラスター伯が統治するクラスター領は、広大な農地と数百人の領民が暮らす町である。聖都をはじめとする都市に食糧を供給する場所でもあるため、多くの商人が行き交うということもあり、いつしか市場が形成され、領外からも人が来るようになった。


革靴の底で石畳を強く蹴りながら、セツナは風のように坂道を駆け抜けていく。青い髪が背中でぴょんぴょんと跳ね、彼女の視界の中で、クラスター領の景色がめまぐるしく移り変わっていく。たどり着いた場所は、ただの“数百人の領民が暮らす静かな町”ではなかった。

食糧を求めて集まる商人たちがいつしか作り上げた巨大な市場が、波のような熱気がセツナを包み込む。


「さあ寄ってらっしゃい! 聖都の司祭も御用達の極上ハーブだよ!」


「南方のスパイスはどうだい? 国外から仕入れた一級品は、ウチでしか買えないぜ!」


 あちこちから飛び交う呼び込みの声、見たこともない異国風の衣装をまとった旅商人の姿。


行き交う人々が話す言葉も、聖都の洗練された話し言葉から、遠く離れた交易都市の訛りまで様々だ。


出店には、真っ赤に熟したトマトや、本でしか見たことのない果実、きらきら光るガラスの小物が山積みにされている。


「わあ……っ!」


 走りながらも、少女の目はあちこちに奪われる。出店の中には料理を提供するものもあり、スパイスのツンとした香りと、肉を焼く香ばしい煙が混ざり合い、自然と唾液が湧いてくる。


目も鼻も耳もなにもかも、現代日本とは違う要素で満たされ、セツナの好奇心はさらに加速していく。

にぎやかな市場の声を背に、セツナはさらに細い路地へと勢いよく飛び込んだ。


「もっと町の奥まで見てこよう!」


しかし、一歩足を踏み入れた瞬間、肌を刺す空気がガラリと変わった。


高くそびえる石造りの家々に挟まれた路地は、太陽の光がほとんど届かない深い日陰になっていた。


さっきまで鼻をくすぐっていた食事の香りはかき消され、代わりに湿った土と、どこかすえたカビの匂いが立ち込めている。


「おっとっと……」


急な薄暗さに目を細め、セツナは弾むように走っていた速度を落とした。


賑やかな喧騒が遠くでくぐもって聞こえる。まるで、町そのものがここだけ息を潜めているかのようだった。


奥に進みつれて、パタパタと響く自分の足音に混じって、かすかな音が聞こえた。衣服が擦れるような、小さく、弱い音。


思わず足を止め、音の方に視線を向ける。

そこには小さい影があった。


「……子供?」


差しのべる光すらない暗がりのなかで、その子供は小さく震えていた。


ボロきれのように汚れたズボンから突き出た手足は痛々しいほど細く、枯れ木のようだった。何日もまともな食事にありついていないのだろう。頬はこけ、肌は土埃で薄汚れている。


セツナの足音が止まったことに気づいたのか、子供がうずくまった姿勢から、ゆっくりと顔を上げるようにして、こちらを見る。


乱れた髪の隙間から覗いた瞳を、セツナは見ることができなかった。ひどいやつれによって落ち窪んだ眼孔に影ができて、暗いこの路地ではとてもその瞳の奥を覗けなかった。


セツナは息を呑み、言葉を失った。

ここは広大な農地を持つクラスター領だ。すぐ表通りに出れば、溢れんばかりの新鮮な野菜や果物、商人たちの上げる景気のいい声、そして富の象徴であるクラスター伯爵の屋敷……アイリの住む屋敷そびえ立っている。


そんな“豊かな町”の、ほんの数歩またいだ裏路地に、今にも消え入りそうな飢えが転がっている。

子供は少女に助けを求めるでもなく、ただ怯えたようにさらに体を縮こまらせ、壁のシミに同化しようとする。


セツナの胸に、冷たい塊がすとんと落ちてきた。さっきまであんなに黄金色に輝いて見えた町が、急に全く別の姿を見せたかのように思えて、立ちすくんでしまう。


この子供の存在は、転生体であるアイリのどの記憶を手繰っても姿がない。これは裕福な貴族の娘が知らない、この町の陰だった。


「うーん……助けたいけど、うーん」


重い足取りで市場に戻ってきたセツナ。

魅力的な食事の匂いが漂うが、食欲は湧いてこない。


「あの子のごはん。買ってこようかな。あ、でもお金持ってたかな……」


スカートのポケットに触れると、指先がなにか硬いものに触れる。硬貨かと期待したが、それはただのブローチだった。


「これも衣装の一部ってわけね。

……いっそのこと売れないかな」


これをお金にして、食事を買って、あの子供に買い与える。


「それなら今の私にもできそう……」


しかし、胸中にあるものはそんな対処療法では解決しそうにないものだった。


「でもそれって、その場しのぎじゃん。

あの子がお腹を空かせるたびに私が与えるの?

それに、このブローチも元はクラスター伯のお金で買ったようなもんだし……。

なんかそれで人助けってのも、なんかヘン……」


悩み抜いた末に、セツナは一つの結論を導き出す。


「それならいっそのこと……」


◆◆◆


 最初に向かったのは、大勢の男たちが汗を流す荷馬車の発着所だった。セツナは目立つ青い髪をクロークのフードで隠して、働く男たちに声をかけた。


「おじさん! 何でも手伝うから、仕事ちょうだい! お礼は食べ物がいい!」


小柄な少女の突然の直訴に、農作物を運んでいた農夫の男は目を丸くした。周囲の男たちから

“おいおい、お嬢ちゃんには無理だろ”と笑い声が上がる。しかし、その程度のことで折れるような精神なら、こんなことをしようとは思っていない。


「なんでもやる! 荷運びでも、片付けでも!」


そんなセツナの熱意に根負けしたのか、一人の男が言った。


「じゃあ、あのジャガイモの籠を荷台まで運んでみな」


男が髭の目立つ顎で指したのは、大きな籠の群れだった。セツナは意気揚々に抱えてみるが、ずっしりと重く、腕がちぎれそうになる。泥のついた石畳に靴をめり込ませ、よろめきながらも一歩一歩進む。額から流れる汗が目に入ってくるが、両手がこうでは拭えない。


「うぅ、重い……。重いッ……けど!」


 何度も往復するうちに、男たちの目は嘲笑から驚き、そして感心へと変わっていく。


「若者のフィジカル、舐めんなぁぁぁ!」


最後の籠は一際重かったが、それも気合と根性で運び切る。


「やるなぁ嬢ちゃん。助かったぜ」


背後から髭の男の声がしたので振り返る。

男は小ぶりな籠に、トマトやジャガイモといった野菜と、ひとつのパンが入っていた。


「パンはオマケな。俺の昼飯だったが、ボーナスってことで」


「本当に!? ありがとう!」


セツナはまっすぐな感謝を伝え、その場を去る。籠にはまだ食料を詰める余裕があった。

次に目をつけたのは、客足が途絶えて店主が不機嫌そうに葉巻をふかしている干し肉の露店だった。


「おじさん、私がお客さんを引き込むよ!

売れたら干し肉を一切れちょうだい!」


店主が呆気にとられている間に、セツナは店先に立ち、腹に力を込めた。


(カラオケみたいに全力でやってみる!)


「さあさあ、いらっしゃい! クラスター領の豊かな大地が育んだ、最高にジューシーな干し肉だよ! 旅のお供に、聖都への手土産にどうですか!」


セツナは知っている。この町の“広大さ”と“豊かさ”。それをそのまま言葉に乗せて、がむしゃらに叫ぶ。

そのひたむきな姿と、小さな体に見合わない大きな声に、通りかかる商人たちが足を止め始めた。


「おいおい、元気な売り子だな。じゃあ、それを三人前もらおうか」


「毎度ありっ!」


店主の口元が、みるみるうちに綻んでいく。セツナの額には、いつの間にかたくさんの埃と汗が混じって汚れていたが、その瞳はこれまでになく輝いていた。


 そうしていくつかの店の手伝いを終える頃には、夕闇が本格的に町を包み込もうとしていた。セツナの持つ籠の中にはいくつもの成果が握られていた。

腕の筋肉は引き攣るように痛み、足は棒のようだった。それでも、少女の心は不思議なほど高揚していた。

今度は走らない。抱えた大切な食べ物を落とさないよう、しかし一刻も早くあの場所へ届けるため、少女は夕暮れの長い影を引き連れて、静かな裏路地へと急ぎ足で引き返していった。


◆◆◆


 夜の帳が完全に降りたころ、セツナは空になった籠を持って館に続く丘を上っていた。


食事を与えることには成功したが、すっかり日が暮れてしまった。クラスター伯は現在、聖都に出払っているため、彼に咎められる心配はない。


もし、誰かが館を飛び出した公女アイリことセツナを咎めるのなら、それは……。


「こんな時間までなにをしていた、アイリ」


おそるおそる玄関をくぐったところ、案の定、セツナは記憶通りの人物に声をかけられた。


「ケ、ケネスお兄様……」


汚れた顔をあげて見れば、完璧に整えられた美しい、アイリと同じ青い髪が真っ先に目に飛び込んでくる。

さらに、一分の隙もない仕立ての夜会服が、クラスター家の本来の姿を示している。

年の頃は二十歳前後。クラスター家の長男であり、アイリの兄──ケネス・クラスターがそこにいた。


(なーにがお兄様じゃ、むず痒い!)


セツナはこの男が嫌いだった。それは、アイリの記憶にあるケネスの立ち振る舞いに理由があった。

ケネスは貴族であることに誇りを持っている。しかしそれゆえ、他人を見下し、自身の立場にかこつけて、平気で傷つける。


使用人が作った料理を不味いと言い放って棄てるのは当たり前。領民に対してもその姿勢は変わらないため、父であるハロン・クラスター伯を慕っていても、その息子であるケネス・クラスターを嫌う領民は少なくない。


「それになんだその姿は。

よもや領民でもあるまいのに、なにをしたらそこまで汚れる?」


(なんて嫌味ったらしいヤツ。

絶対好きになれないわ)


憤る本性を抑え、セツナは記憶のアイリの振る舞いを真似る。


「ごめんなさい。町でお腹を空かせた子供を見かけて……どうしても放っておけなかったから、いろんな人のお仕事を手伝って、それで得た食事を子供に恵んでいたの」


正直にすべてを兄に打ち明ける。しかしながら、その言葉を紡ぐたびに、兄の視線は冷たくなっていった。


「違うだろう。お前が子供に恵んだのではない。領民がお前に食事を恵んだんだ。

汚れながら働くお前を哀れに想って、食事を与えたんだ。

本来はこの地と民を正しく導き、秩序を保つことが責務である我らクラスター家の人間が、そんな“管理”しなければならない外民に紛れ、あろうことか肉体労働で食事を恵んでもらうなど、正気の沙汰か!」


冷たい視線は明確な怒りへと変わり、叱責に熱が籠り始める。


「今までクラスター家の公女としてこの館で暮らしてきたというのに、血迷ったのか?

お前の行いは、クラスター家の名を貶める行為だ。

もし。その子供がお前の正体に気づいて町で吹聴したり、この館に食事をたかりに来てみろ。その子供を追放して、お前もこの館から出られないようにしてやるからな」


散々言いたいことを言って、ケネスは自室へと帰っていった。セツナは表情こそ反省の面で聞いていたが、ケネスが何かを言うたびに、怒る心に薪が焚べられていく感覚を覚えていた。


「チッ、そんなんだからさ、お兄様」


誰もいなくなった玄関でセツナは語る。


「アイリはあんたのこと、心底嫌いなんだよ」


記憶の中のアイリが隠していた、兄への嫌悪を漏らした。


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