第23話 事件前夜
後年の歴史家はどう評価するかはわからない。プライドが高い我が国のことだから、イランに非があるように御託を述べるだろう。反省が苦手な風土があるからかもだが、それは仕方がないことだ。一つ確実に言えることがあるのは、当時の大部分の人たちは「飼い犬に噛まれた」と言うのが正直な感想と思われる。
シャーがアメリカに亡命した。そのニュースはイラン全国に瞬く間に広がった。それまではアメリカに好感を持っている人間、反感を持っている人間が半々という印象だったが、一気に反米の機運が高まった。大使館の人間はイランの街中を歩くのは難しくなり、できる限り外出は控えるようになった。
「本国は少しは現場の空気を汲み取って欲しいよ。微妙な時期にやっかい者を受け入れるなよ」
コリン先輩がテレビを観ながらぼやいていた。ここ最近はこの話題で持ちきりだった。
「まあ、名目上は『癌の治療』のためですからね。そりゃ無碍には断れませんよ」
本当かどうかは分からないがね。少なくともイラン人たちは言葉通りに受け取ってないことは間違いない。
「今日もみなさん元気だねえ」
アメリカ大使館の前には連日大勢の人が集まり、シャーの引渡しを要求していた。ある程度は奥まった場所に位置するこの部屋にさえ、デモの声は響いていた。その勢いは衰えることなく、連日強まるばかりである。
業務が終わり部屋に帰ると、倒れ込むようにベッドに横になった。仕事の忙しさに加え、連日のイラン人の気迫に当てられて神経がすり減っていった。ホスローさんたちの気苦労も実感できるようになった。よくあんなデモを食らっても、ぴんぴんといられるな。まだ早いが少し寝て気持ちを和らげようかと考えていると、
ージリリー・ジリリー
こんなときに誰だよ。もうこちとら営業終了だよ。投げやりな気分で無視していても、
ージリリー・ジリリー
一向に止む気配がなかった。ああ、うるさいな! さっさと切るつもりで取り上げると、
「もしもし……」
遠慮がちな女性の声が聞こえた。すぐには声の主を判別できなかったが、
「えっと、ファティ?」
こんな時間にかけてくるのは珍しかった。
「どうかした?」
尋ねてみるも、すぐには返事がなかった。少し間を置いて、
「あんた……大丈夫?」
すぐにデモのことだと気がついた。彼女にとってはアメリカは敵だろうが、俺には友情めいたのを感じていると思われる。
「……まあ、なんとか」
正直、気が滅入っているところだが、空元気で返事をした。こちらの真意が見え空いたのかどうか知らないが、
「……そう」
俺の言葉に納得しているように感じなかった。また向こうからためらいがちな沈黙が流れ、
「……いつまでこの国にいるの?」
唐突な問いかけが来た。
「本国へのローテーションは当分先だから、まだまだいるんじゃないのかな」
そもそもこの状況下での帰国なんてありえないし。努めて気持ち明るい声で応えるも、
「……」
彼女のお気に召す回答ではなかった模様だ。
「なに? 俺に帰って欲しいの?」
喧嘩腰に聞こえるだろうなと思いつつも、あまり取り繕う余裕はなかった。
「正直に言うと……そう」
まじか。地味に傷つくな。
「……あんたも感じてるでしょ? アメリカに対しての敵対心の強さを」
勤務場所に対してあんなに集まられると否が応でもな。
「大学仲間でも日に日に気性が荒くなっているわ。普段は落ち着いた人もここ最近は言動が激しくなっている。革命が成功したことで気が大きくなっている部分もあるみたい」
ああ、なるほど。そんな見方もできるのね。いったん大きくなった衝動は簡単には鎮まらないと。
「あとアメリカに対して焦燥感を覚えてるわ。モサデグの頃みたいに自立しようとしたところで潰されるんじゃないかって」
ああ、この国の人はちゃんと認識しているんだ。二十五年前の戦いを潰したのはアメリカだってことに。
「あいつらを見ていると何を仕出かすかわかったもんじゃないわ。逃げられるのであれば逃げた方が身のためよ」
はっきり言うなあ。確かに客観的に見ればこれは良くない兆候に見える。暴徒らしき人たちに囲まれ、本国は逆撫でする態度ばかり取り続ける。何も起きないと想像する方が難しい状況だ。だが、
「ないわな。いまここで逃げるとこの仕事を始めた自分を裏切ることになる。そしたらたとえ生き残ったとしても、後の人生を死んだように生きることになるだろう。プリンシプルは大切にしなきゃだな」
つい最近までブレていたことを棚に上げて、女友達にカッコつけた。その心意気が伝わったのか、
「……そう、わたしも無理に止めることはしないわ。あんたの人生だもの。ただ、気をつけてね」
返事も待たずにガチャリと切られた。あとはツーツーという無機質な音だけが残った。俺は警告してくれた友人に感謝しつつ、今後向かってくるであろう困難に腹をくくることにした。




