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ペルシャの友人  作者: 永岡萌
第5章 1978年 テヘラン
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第20話 不協和音

 革命が達成されて古い君主は去っていった。倒すべき敵がいなくなり、イランに平穏が訪れた。しかし、彼らにとってはもう一人大きな「敵」が存在した。今後は本当の「敵」との戦いのフェーズにシフトしていった。それは俺らアメリカ大使館に取ってもさらなる激動の日々の始まりだった。



 勤務地へ向かう途中、いつもの道をゆったりと歩んでいた。砂埃が舞う建物たちを目にしつつ、時折イラン人とすれ違うことがあった。視線を合わせない人、あからさまに避ける人、舌打ちをする人。いろんな人がいるが共通するのは「明確な敵意」を向けてくる人が圧倒的に増えた。素知らぬ顔で過ごしているが、内心辟易していた。



 大使館の中はバタバタしていた。次々と電話がなり、スタッフの手は回っていない。その表情にはどこかしら追い詰められている。


「はい、日に日にデモは過激になっています。イランの方々も我々アメリカ人に対して敵意のある視線を見せるようになっています」


「はい、ぜひ帰国をお勧めします。事業の都合もありますでしょうが、何かあった時は遅いです」


 とフォローを次々と入れていた。革命が達成され、政情は一つの区切りを迎えた。しかしデモがなくなったというとそうではなく、ターゲットはアメリカ側の方へと向かった。パフレヴィー王朝を長年支援した国として、憎悪の対象となっていた。大使館前では群衆が集まることが多くなり、剣呑な空気に包まれていた。今日も今日とて突き刺さるような視線を無視しつつ、職場にたどり着いた。


「……よお。無事に出社できたみたいだな」


 いつものように飄々しつつコリン先輩が迎え入れた。


「おはようございます……。一難去ってまた一難ですね。なんか大変な場所になっちゃいましたね……」


 安定した国との関係を強化し、世界の発展に貢献したいと語ってた頃は遠い昔のようだ。


「まあ、あれだ。これだけの修羅場を経験する人生はそうない。天命だと思ってベストを尽くそうぜ」


 とたしなめられた。付け加えて、


「まあ、気持ちはわからないでもないが。明日の情勢がどうなるか、なんていう世界は正直言ってあんまし経験したい代物ではないわな」


 先輩の顔を見ると頬がこけ、イラン人並みのヒゲの濃さになっていた。シャツは皺だらけになり、パフラヴィー王がいた頃よりもさらに荒んだ身なりとなっていた。歓迎会の清涼さはもう遠い昔のようだ。


「臨時ニュースです」


 今までやっていた映像から、突然アナウンサーが出てきた。重大な情報が出るのを察ししたのか、みなじっとテレビに目を向けた。


「イスラームに則った統治を進めるホメイニ師は次に、服装を有るべき姿にしたいとのことです。特に女性に関していま巷で流行っている欧米のような服をやめ、髪を隠し、肌も見せない服を着るよう政策を改めるとのことです」


 直感的に開放的な世界から、暗く陰湿な世界になるのを想像した。今まで彼女達は好きな服装をしていたのに、それができなくなる。時計の針を逆転させようとしているのか。


「おい、ジョン。覚えておけ。これが革命だ。良くも悪くも理を一気にひっくり返すことだ。俺たちは今、歴史の証人になっている。よく見ておくことだな」


 若干の高揚感を持ったアナウンサーの言葉は遠い世界のもののように思えた。この国の人たちが選んだ政策を祝福しなければいけないのに、どこからとなく不協和音が聞こえてきた。



 あっという間に街は色鮮やかなアメリカンスタイルから、黒いヒジャブに纏わられたイスラミックスタイルに着飾られていた。世相の移り変わりの早さを痛烈に感じる。気になるのは険しい表情の人がいる一方で、リラックスした表情の人も街を歩いている。


 不思議な気持ちを抱きつつも、目的地であるカフェにたどり着いた。店内は革命前と変わらない落ち着いた穏やかな時間が流れていた。待ち人がどこにいるか探していると、


「ジョン、こっちこっち」


 左端の方からファティの声が聞こえてきたので目を向けると、一瞬固まってしまった。活発さの溢れるショートヘアはスカーフにまとわれ、健康さがみなぎる細い手足も黒い布で覆われていた。もう見慣れた光景だが、知人がその姿をしていると、すぐには消化できなかった。


「どう。そっちは忙しいでしょ?」


 俺の戸惑いについて露知らないかのような普段通りの声で話しかけてきた。心持ちいつもよりも楽しそうにすら聞こえる。


「あ、うん。もうあっちこっちでやることがたくさんあって。今日も仕事を切り上げて来た感じ」


「あら、ありがとう。仕方ないわよね、こう国が混乱してちゃねー」


 彼女の声には悲壮感はなく、むしろ未来への希望に満ちている気配すらある。


「うん……。その、大丈夫? そんな服を着ちゃって……」


 どうしても旧時代の遺物のような制度で、抑圧が始まっているように見られる。


「え? なんで?」


 キョトンとした顔で言った後、


「結構便利なのよ、このスタイル。今までのファッションみたいに体の線や肌が出ないし。髪型とかも隠せるから男からジロジロみられないでいいし」


 意外な見解が口から出た。アクティブな印象があったから、


「……アメリカンスタイルが気に入ってたと思ってた」


 反射的に彼女はウゲッという表情をした。すぐに、


「本当は昔ながらのこの格好の方が好きなのよ。アメリカンスタイルを魅力的だと思う人の気持ちはわからないでもないけどさあ。あれ嫌だったのよ。流行りに合わせるために渋々着てたのよ」


 ファティは『はあ……』と大きなため息をついた後、ジト目を俺に向け、


「なに? あんたもまさか前の方がよかったなんていうんじゃないでしょうね?」


 図星だったが正直に答えると気分を害すのが目に見えたので、


「あんたもって。他にも同じ意見の人がいたのか?」


 話題をずらしてかつ、他の人のせいにしようとした。


「まわりの学生とかバンドメンバーとかよ。けっこうこの政策は不評なのよ、デモに参加しているたち含めてね」


 それは意外だ。革命には若い人たちが多く参加していたから、この政策にも賛成だと思っていたが。


「目の保養がなくなったとかが理由よ。アメリカ風のファッションって男は好きだからね。

鎖骨やヘソとかが見えてるものがさ」


 そういうものでもないが、そんなことないと即答できるほど下心がないわけではないので。とにかく何を言っても良い結果が出ないことがわかったが、


「たぶん。好きな服を選べる自由とかがいいんじゃない?」


 アメリカ市民としての一般的な見解を述べると、


「はあ!?」


 眉毛を吊り上げられ、


「なにが自由よ。わたしたちは今までヒジャブをつけるのを禁止されてたのよ。あなたたちの言う自由が取り上げられてたのよ。それであんな服を着ていたのよ! 下着姿のポスターが並んでいる国の文化と、基本的に肌を隠すわたしたちの国の文化と合うわけないでしょ!? 革命が起きてやっとスカーフを堂々と着れるようになったのよ! 男どもは本当にそれがわからなくて!」


 よほど腹に据え兼ねてたのか、男に対する悪態を突きまくっていた。ふうっとため息をついて、


「あんた多分この国に来た時、アメリカみたいだ思わなかった?」


 唐突な質問だが、記憶を掘り返してみると、たしかに思ったより異国感はあまりなかった。むしろアメリカの一つの地方を訪れた感覚すら抱いた。


「本当のところはこういう服装をしたい人たちもいたのよ。特に地方とかになると敬虔なムスリムの方々が多いからね。そんな人たちに対しても『ヒジャブの着用の禁止』が法律として定められていた。アメリカにどんどん近づこうとしてたシャー政権の意向によってね。形から真似ようって魂胆だったのかもね」


 ぬるくなっているであろう紅茶をいっぱい口に注ぎ、


「そう。今まで『不自由』を強いられて来たわたし達が、改めてやっと『自由』を手に入れることができた。あんたには実感が湧かないかもしれないけど、この革命ではそういう面もあるのよ」


「……」


 今回の革命は外国が介入したとか、権力闘争で負けた人が焚きつけたという訳ではない。いや、一部にはいたのだろうが、彼らだけでは大きなうねりを引き起こせなかったのは間違いない。イランでしばしば感じた積もり積もった怒り、それが大爆発を起こしたというのが印象だ。


「モサデグ首相から失脚してから四半世紀が経ったけど、やっと自分たちの足で立てる。多かれ少なかれイラン人の人たちが感じてることよ」


 彼女の瞳には決意の色が見えた。反動的に見えるこの革命は、あくまでも「市民が選んだ」ものだ。自分はフラットな目で見ているつもりでも、知らず知らずのうちにアメリカのレンズを通して彼らを見ているのだろう。


「……それとね。本音を言うとシャー政権はアメリカの後ろ盾があるから偉そうにしていた。そう思っている人たちがたくさんいるわ。国王が失脚することでアメリカに意趣返しできたと感じてスカッとしている人たちは思った以上にいるわ」


 その後も彼女は何か言っているが上の空となっていた。彼女が口にした「アメリカに対して苦々しく思っている」ことについて、頭の中で何度も何度も反駁していた。それは自分の中でも「薄々」感じ始めていたことでもあった。

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