第六話
遠藤の家は、比較的新しめの八階建てマンションの五階にあった。マンションはオートロックをはじめとした、セキュリティで厳重に守られている。駅前の市街地にあり、立地は良さそうだ。
遠藤とは警察署や、かつての自宅で何度か話をしたことはあるが、遠藤の自宅に招かれるのはこれが初めてである。遠藤は慣れた手つきでエントランスのセキュリティを解除し、赤西をマンションに招き入れた。
エレベーターで五階まで上がると、玄関の鍵を開けた遠藤に、居間に通される。
そこには、短く切りそろえた髪型の、よく鍛えたしなやかな体つきをした青年が、居間のソファーに座っていた。名門私立大学の名前が書かれた、ジャージを着ているその細身な青年は、テレビのニュースを真剣なまなざしで見つめている。
青年は遠藤に気づくと、表情を変えないまま、こちらを見て尋ねてきた。
「父さん、その人……知り合い?」
独身のはずの遠藤に、大学生の息子がいると思わなかったから、赤西は驚いてしまう。遠藤は青年に柔和な笑みを見せる。
「父さんの仕事の知り合いだよ。京くん、これが僕の息子の要だ」
そう言って赤西に、要を紹介してくれた。遠藤は要に挨拶するように促す。
「……どうも」
そう要はボソッと呟いて、別の部屋へ足早に去っていった。重度の人見知りなのだろうか。それにしても初対面なら、もう少し体裁ぐらい整えると思うのだが。赤西が疑問に思っていると、遠藤は気まずそうにしながら、こう意味ありげに呟く。
「悪いね、愛想悪くて。誰にでも最初から、心を開けるタイプじゃないんだ……過去も過去だし」
赤西に手のジェスチャーで、ソファーに座るように促す。
遠藤が気にするほど、赤西は要の態度を気にしていなかった。初対面の相手が苦手な人間だって、世の中には少なからずいるだろう。
赤西は要の過去が気になる気持ちもあったが、ここに来た目的を果たしたい思いのほうが勝つ。赤西はソファーに座ると、こう遠藤に問いかける。
「いいんですよ、気にしてないですし。そういえば、ここで話したいことって?」
遠藤はダイニングテーブルを挟んで、向かいの椅子に腰を下ろした。遠藤は深く息を吸って、重苦しく息を吐き出しながら、覚悟を決めて重い口を開く。
「中央省庁同時爆破事件、は知ってるかい?」
そう赤西に問いかける。
「もちろん知ってますよ。十年前に霞が関の主要な省庁が、頭のおかしい宗教団体に一斉に爆破された事件……たくさん巻き込まれた人がいて、あの頃は毎日このニュースやっていましたよね」
赤西は当たり前のことを今更答えた。赤西が中学生のころにあった大事件だから、よく覚えている。
当時は連日事件について、テレビをつければ大々的に報道されていて、犠牲者も多数出ていた。省庁が爆破されたことで、政務官や大臣も爆破事件の被害者となり、政治的にも大きな影響が出たらしい。
国家の中枢がテロリストに狙われて、当時はだれもが混乱し、社会全体が未知のテロ組織に怯えていた。捜査が進んでとある新興宗教が、関与していたことが分かった。
爆破事件の首謀者が分かって、無事に逮捕されたときは、心から安心した記憶がある。そのあと犯人たちがどうなったのか、赤西は詳しく知らなかった。逮捕された犯人たちの裁判の報道も、日々更新される大きなニュースで、かき消されていた印象がある。
遠藤は唐突に昔の大事件について、なぜこんなことを赤西に聞くのだろうか。赤西は頭に疑問符を浮かべる。遠藤は深刻な顔を崩さないまま、こう言った。
「さすがに知ってるよね、そりゃそうか。大きな事件だもんね」
「もう! 俺のこと、どんだけ無知だと思ってるんですか!」
赤西が茶化しながら明るく言う。遠藤の発言に本当に怒っているわけでもないし、気を悪くした、なんてこともない。
それに、やけに深刻そうな遠藤の醸し出す空気に、厳粛な空気が苦手な赤西が耐えられなかったのもある。赤西の言葉と態度に、緊張感に満ちた表情をしていた遠藤が、ふっと綻ぶ。
「ならいいんだ。実はあの事件の後、例の事件を実行した宗教団体の『王の帰還』の一斉捜査に、僕も参加したんだ」
赤西はその言葉に驚いて、言葉も出ない。事故担当である警察官である遠藤が、あんな大きな事件の捜査に、関わっているとは思わなかったからだ。
「今の部署に異動したのは、この事件の捜査の後だったからね。異動した理由で一番大きかったのは、要の存在が大きいけれど……」
遠藤はそんな赤西の疑問を、表情から察したようで、過去を懐かしんで言った。赤西はここで、遠藤の息子の名前が出てくることに違和感を覚える。
「要君? 何か関係あるんですか?」
赤西は遠藤をまっすぐに見つめて、そう尋ねた。沈黙が部屋の中を包み込む。赤西のまっすぐな瞳に見つめられた遠藤は、決心したように、こう重い口を開いた。
「……要は、『王の帰還』で育てられていた子供なんだ」
「どういう、ことですか?」
赤西は遠藤の言葉をうまく飲み込めず、遠藤に説明を求めた。宗教団体が子供を育てるなんて、どういうことなのだろう。ますます訳が分からない。遠藤は暗い顔で続けた。
「あの教団は、教祖と信者の女性との子供を、教団内の施設で世間と隔離して育てていたんだ。親とも会えないし、学校にも行かせてもらえない。その子供たちは、教団の教えだけを詰め込まれる生活を強要された。しかもそのような子供が数十人いた……要は十年前まで、そのように育てられていたんだ」
あまりにも衝撃的な話に、赤西の表情が曇る。あまりの情報量に、頭で情報を処理しきれていない。
虐待じみているようなこんな仕打ち、一介の宗教団体がしていいことの範疇を超えている。どうしてこんな酷いことができるのだろう。
子供を親と引き離して、学校にも行かせず、教団の教えだけを詰め込むだなんて。そんなことを思いついてしまう「王の帰還」の人間は、人の心を持っているのか、甚だ疑問だ。
そのような状況に置かれた子供たちのことを思うと、赤西の握った拳が怒りで震える。重苦しい表情の遠藤が、さらに続けた。
「一斉捜査の後、教団に育てられた子供たちは、養護施設に引き取られたんだ。でも要をはじめ、何人かの子供たちは、里親が見つからなくて……要は僕が引き取ることにしたんだ。でも教団で育てられた要と、コミュニケーションをとるのは、簡単なことじゃなかったんだ。生まれてからずっと、教団に洗脳されていたわけだし。だから要とゆっくり向き合う時間を作るために、今の部署へ異動させてもらったんだ」
「……そんな、過去が」
赤西は要のあまりにも重い過去に、言葉が出なかった。親元から離され、学校にも行けずに教団の中で育てられる……あまりにも普通の子供とかけ離れた境遇に、想像力が追い付かない。
母子家庭とはいえ、母の愛情を一身に受けて育った赤西。そんな自分と比べ、親を知らずに教団だけを、世界のすべてだと思わされていたなんて。そんな子供たちが可哀そうで仕方なかった。
そんな環境で育てられた要を育てることになった、遠藤の苦労も大きかっただろう。赤西には世間と隔離された生活なんて、想像することも出来ない。子供をそんな環境に置くなんて、赤西の価値観では考えられなかった。
そういう環境で育てられた子どもと一緒に暮らすのは、想像を絶する苦労があったに違いない。そんな苦労を抱えていても遠藤は、親を亡くした自分に明るく接してくれた。そんな前向きな遠藤が、たくましく思えた。
遠藤は一回咳払いをしてから赤西に、こう話を切り出す。
「ここからが本題なんだけどね」
遠藤の顔は真剣そのもので、赤西も思わず身が引き締まる思いがした。遠藤はさらにこう続ける。
「黄瀬愛美は、教団で育てられていた子供たちの一人なんだ。芸能界にいた経緯はわからないけれど、教団で育てられていた子供たちの名簿の中に、名前が記載されていた記憶があるんだよね」
衝撃の新事実に赤西の思考が停止したが、遠藤の顔と言葉には、嘘があるようには見えなかった。黄瀬愛美がそんな過去を持っていたかもしれないなんて。
赤西は芸能人にはあまり興味がなかったが、そんな自分でも黄瀬の存在は知っていた。そんな黄瀬愛美が、あんな風に育てられていたかもしれないなんて、信じられないことだ。テレビでたまに見る彼女は、そんな過去を持っていることを、微塵も見せていなかったから。
しかし赤西には一つ、疑問が残る。
「黄瀬愛美が教団と関係がある件と、俺の母の件に……何の繋がりが?」
赤西は生唾を飲み込み、遠藤の言葉を待つ。
「決めつけるわけじゃないんだけどね……」
と、前置きしたうえで、遠藤は続けた。赤西は思わず、姿勢を正して身構える。
「京くんや京くんのお母さんは本当に、『王の帰還』とは何の関係もないのかい?」
そう赤西に問いかけてくる遠藤の顔は、真剣だ。しかしあんな大事件を起こした教団の名前すら、覚えていなかった自分が、そのような宗教団体と関係があるなんて思えない。
「どうしてそんなことを?」
赤西は至極真っ当な疑問を遠藤にぶつける。それに母だって、帰る実家がなく身寄りがないだけで、普通の女性だったと思う。
それに、特定の宗教を信仰することもなかったはずだ。むしろ一般的な日本人と同じように、クリスマスにサンタからプレゼントをもらってチキンを食べ、正月が来れば神社へ初詣に行っていた。赤西は、神社に立ち入ることも出来ない、新興宗教の存在も噂程度だが知っている。
だが自分の家庭では、そんな変なことを強制された覚えもない。遠藤は難しい顔をして、こう言った。
「京くんが黄瀬愛美の件を、京くんのお母さんの話と関連がありそうって思ったんなら、京くんのお母さんも、黄瀬愛美と同じように『王の帰還』と、関係があったんじゃないかなって思ったんだ。京くん、当時も色々調べていたよな、って思って。僕もそんな京くんの直感を、信じてみたい気持ちがあったんだ。京くんのお母さんが亡くなった当時の捜査も、僕としては不完全燃焼だったしね……」
京は、母が亡くなった当時のことを思い出した。自分でも現場に足を運んだり、事件の担当刑事だった遠藤に、もう一度調べてくれ、と嘆願していた。
赤西が現場を見た限り、不注意の事故にしては、作為的に柵が壊れている気がしたのだ。遠藤は赤西に寄り添ってくれたが、母の不審な死を単純な不注意の事故として処理した、警察に対し赤西は当時不信感を抱いていた。
しかし赤西は宗教なんて、自分の生活に無縁だと思っていた。そのせいかいきなり、あまりよく知らない宗教と関係があるか、なんて聞かれて、赤西の思考は停止してしまっている。
「何もわからないですね……」
頭があまり働かないまま、赤西は遠藤の問いかけに、そう混乱したまま、なんとか答えることしか出来なかった。そう考えると、自分は母のことを、何も知らなかったのかもしれない。母もあまり多くを語る人間でもなかったし、過去の話は聞いたこともなかった。
そんな調子だから今の赤西は、遠藤の望むような答えは出せないだろう。遠藤もそれをわかっているのだろう。
「今日はここまでにしようか。京くんの帰りが遅くなっても困るし」
赤西を深く追求することをせず、この場はお開きとなった。
赤西は帰りの電車の中で、ずっと母との日々を思い返していた。しかし美化された思い出の中からは、遠藤の言うような違和感は、感じ取ることが出来ない。
あの日々の裏に何があったのか考えたくもないが、逃げてばかりではこの疑念は晴らすことは出来ない。それはわかっている。
でも今日は自分の許容範囲を超えて、いろいろ考えたせいで疲れてしまっている。家に着いた赤西は、スーツを手短に脱いで、そのまま寝てしまった。




