第十二話-後
食事の準備が終わり、ソファーの前にある低めのダイニングテーブルには、大皿に乗せられた数々の料理が並んでいた。山盛りに盛られたキャベツたっぷりの回鍋肉からは、味のついた豚肉がいくつも顔を覗かせている。よく炒められたキャベツと香ばしい調味料の香りが、赤西の食欲をそそる。
手元には麻婆豆腐を白米にかけた大きなどんぶりがあり、しっかりとした重量感を感じさせる。麻婆豆腐も豆腐に程よく味が染みていて、美味しそうだ。
これだけでも赤西の普段の食事より量も質も良くて、おなかいっぱいになりそうだ。それに加え要の席の前には、サラダチキンを散らせた、大皿のレタスサラダがある。他にも身体によさそうなメニューが、さらに数皿要の前に並んでいた。
赤西はあまりにも、用意された食事の量が多いことに驚き、こう問いかける。
「遠藤さん、こんなに食っていいんですか? 俺、食べきれる気がしないんですけど……」
男性が三人いるとはいえ、目の前のどんぶりは大きいし、品数も多くて、料理のボリュームが異次元だ。遠藤は要の顔を見ながら、笑ってこうけろっとした顔で言う。
「いや、大丈夫だよ。要はよく食うから」
要も全く動じてない。むしろ早く食わせろ、そう遠藤と赤西に圧をかけている気がした。どうやら不安を感じているのは、赤西だけのようだ。
「じゃあ、食べようか」
その遠藤の声で「いただきます」をして、一斉に箸を動かす。食事をしながら、遠藤親子の様子をうかがっていると、要の一口が人一倍大きい気がした。大学生とはいえ物静かな印象な要が、意外にも大食らいなことに驚く。
赤西は野菜の火加減も味の加減も絶妙な、回鍋肉に舌鼓を打つ。食事が美味しくて忘れていたが、赤西はここに来た本来の目的を思い出した。麻婆豆腐を飲み込んでから、赤西は遠藤に、本題を切り出すことに。
「そういえば、俺の母親のこと……なんかわかりそうですか?」
遠藤は黙って首を横に振る。事前に時間がかかると言っていたのだ、赤西には何の驚きはなかった。
「教団の脱会者のリストがあったはずなんだけど、なかなかその資料も膨大で……京くんが生まれたころまで遡るってなると、時間がかかってしまいそうなんだよね……すまないね」
遠藤は申し訳なさそうに、そう平謝りしてくる。赤西は遠藤に頭を下げられてしまうほど、謝られることだと思わなかったので慌ててこう言った。
「いいんですよ! 俺だって仕事の合間に調べるのが難しくて、何もわかってないんです……会社の芸能部門の方が、一人協力してくれているんですけど、黄瀬愛美の過去のことは何も公表されてないみたいで……今は進展があったら連絡し合おう、って言いあってそのままの状態です」
赤西も頭を深々と下げて謝る。実際、あれ以降インターネットの情報と、遠藤や片桐から教えてもらったこと以外、何もわかっていないのは事実だった。あの時偶然出会った青山からも、あれから何も聞き出せていない。
仕事の合間に独自調査をして、成果を上げることに憧れを持っていたが、いざやってみるとなると本業で精一杯の日も多々あった。スキルアップのための研修が入ることもあるし、新人が本業の片手間に独自調査をするには、あまりにも時間がなさすぎる。
「すみません……何も進展がなくて」
赤西はあまりにも自分が、不甲斐なく思えて、謝罪の言葉が真っ先に出る。
「いいんだよ。僕も何かわかるまでには時間がかかりそう、ってことしか伝えることなかったのに、時間作ってもらったようなものだから……大丈夫、今回は僕の奢りだから、息抜きだと思って、気楽に楽しんでいってよ」
遠藤は苦々しい顔をしている赤西を見て、そう優しく声をかけた。赤西は遠藤から気遣われている、理由が全くわからなかった。今回の食事会は、情報共有のために設けられたのだから、せめて自分が何かしら掴んでないといけなかったのに。遠藤に頼みごとをして迷惑をかけているのは自分なのに、気楽に、と言われている意味が分からない。
難しい顔をして黙り込む赤西を、遠藤は黙って見守る。赤西は自分のせいで、気まずい沈黙が流れている気がした。
要だけは遠藤と赤西の沈黙している様子などお構いなしに、黙々と箸を動かし続けている。要の目の前にあった山盛りのサラダは、もうすでにほぼ無くなっていた。
「そういえば遠藤さん、料理されるんですね」
沈黙が嫌で、赤西は意図的に話題を変えた。気まずい沈黙なんて、赤西にとっては苦痛以外の何物でもなかった。しかもその原因が、自分が気遣われていることへの、返答に困った上での沈黙なんて。
遠藤は突拍子もない話題に驚きつつも、何もなかったかのように、肩をすくめて遠藤がこう言う。
「要を引き取った当初は、僕がやっていたんだけどね。どうやら向いてないみたいで……見かねた要が、料理を覚えて作ってくれるようになったんだよね」
赤西は何事もなかったかのように、日常会話が出来て安堵した。
確かにさっきも遠藤は、出来た料理を盛りつけたり、運んだりしていただけで、普段から料理をしているような素振りはなかった。遠藤家の台所は要が握っているのなら、先ほどの二人の様子にも納得がいく。
一方、話題になっている要は何も言わずに、副菜の小皿を次々と空にしていた。赤西は要の、常人離れした食いっぷりを見ながら、こう要に話しかける。
「要君、料理上手いんだね」
回鍋肉も麻婆豆腐丼も、赤西の人生の中でもトップクラスに美味しい。赤西が普段から外食も手作りもせずに、出来合いのものばかり食べていて、料理に対するハードルが低すぎるのも原因な気もするが。
要は表情を変えないまま、赤西に目も合わせずに、ぼそぼそとした声でこう答える。
「……いやそれレトルト使ってるんで。誰でも作れますよ、このくらい……」
さすがにちょっと声をかけたぐらいでは、心が開かれるわけはないらしい。
それよりも、レトルトを使ってるとはいえ、このクォリティで料理ができることに感嘆する。
確かにレトルト食品なら誰にでも同じ味は作れるかもしれない。しかし要の料理の具材の火の通り具合とか、具材への味の染み込み具合は、誰にでも出せるものではないだろう。赤西は要にこう問いかける。
「でも俺一人暮らししてるけど、料理らしい料理はしてないんだよね。毎日こんなに品数多く作ってるの?」
実際赤西は、総菜パンと値下げされたスーパーの総菜だけで、生きていた。
自炊から逃げている赤西からしたら、毎日台所に立っているだけで賞賛の対象だ。それに加えてあの品数だ。毎日こんなに手の込んだ料理を、学生の身でやっているなんて、尊敬に値する。
だが要は照れくさそうに、こう言って食事を続けた。
「まあ、部活で大学行かせてもらってるものだし、身体が資本なんで……これぐらい普通です」
年上に褒められるのは、気恥ずかしい年頃なのだろう。年上からの褒め言葉に調子に乗らず、謙遜する要の姿勢に赤西は、好感を覚えた。
自分が大学生の頃に、同じことが出来ただろうか。大学生のころから一人暮らしはしていたものの、自炊なんてしていないし、褒められると調子に乗っていたに違いない。
今なら要に話しかけても、会話になりそうな気がする。
「そういえば要君って、何のスポーツしてるの? 前に大学のジャージ着てたけど、有名なところだよね?」
赤西はもっと要と、仲良くなりたいと思って、話題作りと単なる興味で、要に聞いてみることにした。赤西の言葉に要が応えてくれるようになった今なら、少しでも要に心を開いてもらえる気がしたのだ。
「……走り高跳びやってます」
要は箸を動かしたまま、そうそっけなく呟いた。少し料理のことを褒めた程度では、心を開くには値しないらしい。遠藤は要の言葉を聞くとすかさず、こうまくし立てた。
「要はね、高校生のころ日本一になったんだよ! 陸上競技は、中学の時から始めたのに……でもその頃から成績凄かったんだ。大学もスカウトが来て、そのまま推薦で決まったんだよ! 凄いよね!」
凄いことなのはわかるが、それを伝えようとする遠藤の気迫に、赤西は苦笑するしかなかった。親馬鹿にもほどがあるだろう。
赤西は高校時代帰宅部だったし、大学も一般入学なので、推薦で名門大学に入学だなんて、雲の上の話だ。スカウトが来て推薦で大学に合格するなんて、よほどの実力者なのだろう。
要は恥ずかしいのか、こう言って遠藤を睨んだ。
「そんなこと言いふらさないでよ、恥ずかしい」
確かに要の年代なら、親にこんな自慢を他人にされたら、恥ずかしくてしょうがないだろう。赤西はさすがに要に同情した。
遠藤は肩をすくめながら、こう笑う。
「そりゃ自慢の息子だもん。誇らしいんだから、仕方ないでしょ」
要は照れ隠しなのか遠藤から目を背けて、麻婆豆腐を食べ続けている。
まっすぐ自慢の息子だと笑う遠藤と、照れている要のことを、赤西は微笑ましく思った。血の繋がりがなくとも、この二人は本当に親子であることは間違いない。
「走り高跳びは楽しい?」
赤西は純粋に興味を持って、要に問いかける。要はそう問いかけられて箸を止め、真剣なまなざしで赤西を見つめた。
要から赤西と目を合わせてくれたことは、これが初めてである。もしかしたら心を開いてくれているのかもしれない、と赤西は嬉しくなった。
「昔と比べれば……楽しいってことかもしれません」
要は少し考え込んでから、そう答えた。昔、というのは教団にいた頃の話だろう。要がどんな生活をしていたかは、赤西にはわかるはずもない。
だが要が、今の生活の方を気に入っているのは間違いなさそうだ。赤西は要の過去を聞かないことにして、遠藤の方を見ながら、こう言った。
「そうだね、優しいお父さんもいるしね」
赤西が笑いながら言うと、要は視線を赤西と遠藤の二人から逸らす。そして再び大皿の回鍋肉に手を伸ばし、食事に戻った。
「照れないでくれよー」
遠藤はそんな要に向かって、遠藤は茶化して要に言った。要は照れ隠しなのか、二人に構わず黙々と食事を続けている。
自分に父親がいるなら、こんな感じだったんだろうか。赤西は遠藤と要の微笑ましい姿を見て、そんなことを考えた。二人の姿を見た赤西は、一抹の寂しさを感じる。
母しかいない生活に、不満を感じたことはない。父親がいる生活を想像したこともなかったし、父親の必要性を感じたこともなかった。
だが遠藤と要を見ていると嫌でも、父親のいない自分の境遇が思い出される。
「京くん、どうかした? 顔色悪いけど……」
顔色が変わった赤西を見て遠藤が、心配そうに声をかけてきた。赤西は遠藤と要の関係性が羨ましい、なんてことは言えず、わざと明るくこう言う。
「いや、大丈夫です! 昔のことをちょっと思い出しただけなんで!」
こんな自分勝手なことで、二人に気を遣わせたくはなかった。
それに、自分は父親がいないけれども、要には母親がいない。お互いにないものがあるのは、仕方のないことなのだ。自分はもう、母親もこの世にいないのだが。幸せそうな家族の形を見ていると、天涯孤独な自分の立場を、嫌が応にも思い出す。
赤西は気分が暗く沈んでいたが、遠藤と要に母の死を思い出していることを、察知されたくなかった。そのせいか赤西はわざと明るく振舞っていた。
遠藤は無理に明るく振舞っている赤西を、心配そうな顔をして見守ることしか出来ないでいる。そういえば母を亡くした時も、遠藤からそんな顔をされていたのを思い出す。あの時も悲しみを紛らわせるために、遠藤の前でわざと明るく振舞っていた気がした。
そんなちぐはぐなやり取りを、赤西と遠藤がしている間にも、要は料理を食べ続けていた。赤西が何とか自分の分の、麻婆豆腐丼を食べ終わったころには、要が用意されてた料理を全て食べ終わっていた。
食事が終わり夜も更けてきたので、今日のところはこれでお開きとなった。後片付けを二人に任せるのは気が引けたが、赤西は帰宅することに。
「今日はごめんね。京くんが良ければ、またうちに遊びにきてよ……京くんのこと、心配だからさ」
帰り際に遠藤は赤西に、こう声をかけてくれた。赤西は曖昧な返事しか出来なくて、帰り道でずっと、遠藤から言われた言葉の意味を考えていた。片桐にも言われたが、自分は大人二人に真剣に心配されるほど、危なっかしい人間なのだろうか。
赤西はもう自分で金を稼いでいる、立派な大人のはずなのに。確かに母の死に関することになると、周りが見えなくなる自覚はある。
しかし母の死の真相を知るために生きることが、そんなに周りからしたら危なっかしく見えるのだろうか。赤西には、いまいちわからなかった。




