第十一話
赤西が青山と出会ってから数日経った頃。赤西は本社のオフィスで、今日の取材の内容をまとめていた。
青山との出会い以降、研修や取材のせいで、母の件に繋がりそうなことを、調べる余裕がなかった。青山と会える水曜日にはまだ日付が遠いし、赤西は焦りを抱えながら目の前の仕事をこなしていた。
今日の仕事がひと段落して、会社のパソコンで「王の帰還」について、調べ物をしようと思っていた時だった。
「よお、元気か? 新人は仕事詰め込まれて大変だな」
赤西の隣にいつの間にか片桐が立っていて、そう声をかけてきた。
「あ、どうも……」
赤西は突然のことに驚いて、そう返すことしかできなかった。
「こいつ、借りてくぞ!」
片桐は戸惑っている赤西を気にも留めず、上司の方に向かって一言だけ断り、赤西に席から立つよう促す。赤西は本当に意味が分からなかった。しかし協力関係を築いている以上、片桐を無下にも出来ない。赤西は片桐の後を、追いかけるしかなかった。
片桐に着いてきて、たどり着いたのは屋上だった。勤務時間中のせいか、屋上には片桐と赤西以外誰もいない。片桐は灰皿の近くまで行って、煙草をふかしてから赤西に、こう聞いてきた。
「お前、何で黄瀬愛美の件に、こんなにこだわってるんだ?」
赤西は正直に、すべてを言うか迷った。こんな私的な事情、会社の人間に言うのは気が引けたのだ。
しかし協力してもらっている立場上、片桐には言っておかなければならない気がする。赤西は深呼吸して、こう言った。
「俺の母は事故で亡くなりました。黄瀬愛美と同じ、人気のない高所からの落下事故で。でも用心深い母が、そんなところに行って亡くなったなんて、俺には信じられなくて。だから黄瀬愛美の件も、裏に何かあるんじゃないか、と気になってしまったんです……」
一気に言い終えると、赤西は俯いてしまった。母の死を口に出すのは、どうも苦手だ。どうしても母の死に納得がいっていないせいか、辛くて苦しい気持ちになってしまう。
「そうか。そんなことがあったんじゃ、気になってしまうのも仕方ないな」
片桐はそんな赤西の様子を見て何かを感じたのか、そう静かに答えた。赤西は相手が他人に話したくないことを、深く聞かない、片桐の態度に好感を覚える。今まで強引なところのある人間だと思っていたが、気遣いもできる柔軟な人物だったのだと、赤西は片桐の印象を改めた。
そこでふと赤西は、片桐に聞いてみたいことが出来たので、口を開く。
「片桐さんはどうして、俺に協力してくれるんですか? 部署違うから、面識だって今までほとんどなかったのに……」
片桐は煙草を吸いながら、赤西の方を見る。いつもよりも真剣なまなざしで、片桐はこう言った。
「娘が、黄瀬愛美の大ファンだったんだよ」
赤西はその言葉に目を丸くする。驚く赤西をよそに、片桐はさらに続けた。
「いつでもかっこよくて、たまに見せる可愛いところが、大好きだったんだとよ。だから事件の時ショックを受けて……そんな娘の姿を見たら、親として何もしないわけにはいかないだろ?」
赤西は黙って頷く。片桐に娘がいることにも驚いたが、片桐個人に、黄瀬愛美へ入れ込むだけの理由があることにも驚く。自分の娘のために、黄瀬愛美の件を調べようとしてるなんて、意外にも人情味がある人間だな、と赤西は思った。
赤西はしばらく悩んだ後、こう口を開く。
「俺、父親がいなくて。ずっと母に一人で育てられてたんです。だから、父親がいる人が羨ましく感じてしまって……別に父親がいなくて不自由だとか、感じたことはないんですけどね」
それを聞いた片桐は、ばつの悪い顔をして、こう呟く。
「……そうか」
片桐は近くにあった自販機へ向かう。片桐は自販機で缶コーヒーを買って、赤西に手渡す。
「俺みたいにだらしのない人間が、父親代わりになれるかはわからん。だけど、周りの人間に頼ることも覚えた方がいいと思うぞ、お前は」
赤西にそう語り掛ける。片桐から受け取った缶コーヒーが冷たい。片桐から気にかけてもらえてるのはわかる。
しかし赤西は、同性の年上への甘え方がわからなかった。元より他人に頼ることが、苦手なのかもしれないが。赤西が何を返せばいいかわからず、缶コーヒーを握ったまま黙っている。
「人間はそう簡単に、生き方は変えられねえけどよ……まあ、肩の力抜くことも大事だと思うぜ? 自分が壊れちまってからじゃ、遅いからな」
片桐は赤西をまっすぐ見て言ったかと思うと、屋上から去っていった。赤西は片桐から言われた言葉を反芻する。
自分はそんなに無理をして、生きているように見えるのだろうか。確かに母の死が関わると、周りが見えなくなる自覚はある。常識から考えれば強引なことも、やってしまっているかもしれない。
しかし亡くなった母のための赤西の生き方に、「肩の力を抜いてもいい」なんて言われたことはなかった。
いや、もしかしたら自分の人付き合いの中で、今の片桐のように自分に入れ込んで、真剣に考えてくれる人が、いなかっただけかもしれない。友人がいないわけではないが、心を許せる人間がその中に居るか、と言われると疑問が残る。
ひょっとすると、赤西の心に踏み込んでまで、他人に気にかけてもらえたのなんて、初めてだったのかもしれない。
そもそも赤西は他人の心の深いところまで、踏み込むのが苦手だった。だからこそ赤西は、他人と一定の距離を取って生きてきた。
そのせいで赤西は片桐の言葉に、どう反応すればいいのか、わからないのが本音だったのかもしれない。
赤西はしばらく呆然としていた。しかし今は就業時間真っ只中だったことを思い出し、慌ててオフィスの中に戻った。




