09.『氷の王子』フェリクスが語る真相
「オレーリア嬢、寒いのか?これを羽織るか?」
そう声をかけながら、フェリクスが上着を脱ぐ仕草を見せた。
「いいえ、もう大丈夫です。お気遣いなく」
スッと素早く両手を上げて、オレーリアはフェリクスを止める。
彼のを見ていたらガチ系チョコミントアイスを思い出して、少しスースーした気分になっただけだ。本当に寒いわけではない。
けれど――
(前だったら歓喜してたでしょうね)
もし、フェリクスを愛していると思っていた頃のオレーリアだったら、今の言葉に感激していただろう。
『やっぱりフェリクス様は私を愛していたのね!次期王妃に相応しいのは私よ!』
そんなふうに都合よく解釈していたに違いない。
(危ないところだったわ……)
勘違いのその先に待っているのは、断罪だ。
思わず身を震わせた。
そっとフェリクスに視線を向けると、甘さなど微塵も感じさせないビターショコラ・ブラウンの瞳が、オレーリアに向けられていた。
その瞳に、アイスペパーミント・カラーの前髪が風にサラリとかかる。
(前は、『クールでそこがフェリクス様らしくて素敵』って思ってたけど……)
冷ややかな色だ。
なぜ以前のオレーリアは、自分に向けられるこの冷たささえ愛だと思っていたのだろう。
フェリクスは『氷冠の王子と翡翠の乙女』のヒーローだ。誰もが見とれる完璧な美貌だが、決して甘くない。
涼やかな風すら凍らせそうな男だ。
そんなフェリクスがわざわざ気遣ってくれたのに、反射的に断ってしまった。
(まずかったかしら……)
未来の国王候補を雑にあしらったように見えたかもしれない。
「フェリクス様。ディラン様。領地にまで来ていただいて、ありがとうございます。学園であった話は、先日テオドールから聞きました。お心遣いに感謝しますわ」
ここでしっかりと、心遣いに感謝していることをアピールする。
前世を思い出した今のオレーリアは、自分より上の立場に立つ者を軽んじるほど愚かではない。
「いや……感謝などしないでほしい。今回の件は私の落ち度だ。もっと早くに調査すべきだった」
そう言ってフェリクスは、隣に座るディランへ一瞬だけ視線を向けた。
「ディランからはあまり話ができていないと聞いている。テオドールとオレーリア嬢は幼馴染だったな。今回の件をどこまで聞いているだろう」
「そうですね……。ほぼ全てを聞いていると思いますよ」
報告・連絡・相談。
ホウレンソウは社会人の基本だ。
前世の記憶を取り戻したオレーリアの脳裏に、社畜時代に何度も叩き込まれた言葉が蘇る。
それを怠ることは、後で『それ聞いてなかったぞ』と責められる原因になる。
オレーリアにとって都合の悪い部分だけを伏せて、テオドールから聞いた話を思い出しながら、慎重に伝えた。
やがて話を聞き終えたフェリクスが、静かに息をはく。
「そうか……。全部聞いたようだな」
フェリクスの瞳が軽く伏せられ、再びオレーリアを見る。
「私も調査するまでは、学園に回るオレーリア嬢の噂を疑いもしなかった。……すまない。これまでオレーリア嬢にひどい態度を取ってしまっていたな」
「オレーリア嬢。私からも謝らせてほしい。本当に申し訳なかった」
二人に頭を下げられる。
「フェリクス様。ディラン様。どうぞ頭を上げてください。そう思わせる私の態度にも原因があると思っておりますし、誤解されても仕方のないことでしたので、お気になさらないでください」
誤解されても仕方がない。
シルフィの嫌がらせの犯人はオレーリアだと、オレーリア自身も信じていたし、疑いもしなかった。
それに実際、嫉妬に駆られてシルフィを疎ましく思っていたのは事実だ。
改まって謝られるほどのことではない。
「……私は本当にオレーリア嬢を見ていなかったのだな」
「フェリクス様はお忙しいですから。過ぎた話ですし、私自身も気にしておりません」
(だってそう決まっていたんだもの)
ここは『氷冠の王子と翡翠の乙女』の世界だ。
オレーリアもフェリクスたちも、それぞれ与えられた役割を演じていただけだ。
しみじみと呟くフェリクスに、オレーリアは静かに微笑んだ。
「ですから、本当にお気になさらず、シルフィ様とどうぞお幸せに」
悪役令嬢が断罪され舞台から退場したその後に、ヒーローとヒロインは晴れて結ばれる。
オレーリアは断罪という形こそ免れたものの、すでに彼らの前から退散している。
悪役令嬢は去ったのだ。
あとはもう、舞台に残されたヒーローとヒロインが、エンディングへ向かって順調に愛を育んでいくだけなのだ。
「……待て。シルフィ嬢はただの生徒会役員だ。オレーリア嬢は、エルザ嬢の流させた噂をまだ信じているのか?」
「え?」
(まだ早かったのかしら?)
まだフェリクスは、シルフィへの想いさえ自覚していないようだ。
エルザの取り巻きから聞いた、あの噂。
『シルフィ嬢は「フェリクス様と想い合っている」と周りに話しているそうですよ。どんな育ち方をしたら、そんな勘違いができるのでしょうね』
――あの噂は、どうやらまだ事実ではないらしい。
「失礼しました。私が耳にした噂話は、嘘が混じったものだと聞いておりましたのに」
コホンと小さくオレーリアは咳をする。
「とにかく、シルフィ嬢に関する噂は全てオレーリア嬢を陥れるための偽りだ。『オレーリア嬢に嘘の噂を信じさせて、シルフィ嬢に憎悪を向けさせようとした』とエルザも白状している」
「あ……では『シルフィ嬢が、手作りのお菓子をフェリクス様に食べさせた』という噂も偽りだったんですね。生徒会室でそのようなことをされるはずがないのに……申し訳ありません。つい信じてしまっておりました」
その噂が原因で、オレーリアはシルフィを階段から突き落とそうとしたのだ。
『シルフィ嬢ったら、今度は手作りのお菓子をフェリクス様に食べさせたみたいですのよ』
マルタからその話を聞いた瞬間、カッと頭に血が上った。
そして、そのままシルフィの元へ向かってしまった。
――まさかあれも偽りの噂だったとは。
(取り巻きだと思ってた子に騙されるって。ほんとに私って、まともに悪役令嬢もできてないじゃない)
オレーリアは情けなさに眉を下げた。
「あ、いや……それは……。シルフィ嬢が『たくさん焼いたから』とクッキーを配ったことはあるが、あれは私へというより生徒会役員の者たち皆へのものだったから……」
ビターショコラ・ブラウンの瞳が揺れていた。
――その噂は真実だったらしい。
シン……と部屋に静寂が広がる。
窓から吹き込む風が、アイスペパーミント・グリーンの髪を揺らしている。
夕暮れ時の涼しい風が、さらに気まずさを際立たせる。
「疲れた時には甘いものが一番ですよね。……ああ、そういえば今日、うちの料理人がクッキーをたくさん焼いてくれましたの。ニナ、持ってきてもらえる?」
気まずい空気を断ち切るように指示を出したが、珍しくニナがすぐに動かない。
「何よ。今日はちゃんと夕食も食べるわよ。少しくらい今食べてもいいじゃない」
フェリクスたちに聞こえないよう声を潜めて文句を言って、「なるべく早く戻ってね」とニナを下がらせる。
そんなオレーリアたちのやり取りを、甘さなど微塵も感じさせないビターショコラ・ブラウンの瞳が見つめていた。
(寒いわ……)
『氷の王子』フェリクスの沈黙は、とにかく落ち着かない。
(ニナ、早く戻ってきて……!)
いつも側に控える侍女の名を、オレーリアは心の中で呼びかける。




