10.気まずい時間
テーブルに置かれたクッキーを見て、ディランがフッと口元を緩ませる。
「今日はネコなんだな」
「はい。ちょうど今朝、庭で猫を見かけたもので」
今日のクッキーはネコの形をしたものだ。
以前ディランに、『心穏やかに過ごしているから、直接の謝罪は結構』の意味を込めて、領地での日々を綴る手紙を送っていた。
思い浮かぶままに書き綴った手紙の中で、クッキーの話にも触れていたようだ。その日の気分で形を命じていることまで、書いていたのだろう。
『あのネコにするわ。今のポーズでお願いね』
今朝、料理人にそう言いつけて、今目の前にあるのは、伸びをしたネコの形のクッキーだった。
前足をぐっと伸ばしお尻を高く上げた一瞬を切り取ったその姿は、前世の高級クッキー缶に入っていても違和感のない出来栄えだ。
「今日は?」
片眉を上げたフェリクスに、ディランが説明する。
「いや、前に受け取ったオレーリア嬢からの手紙に書いてあったんだ。その日はウサギの形だったが、『日によって形を変えている』って話だった」
「よく覚えてますね」
暇に任せて書き綴った長い手紙を、ディランは律儀にも読んでくれたらしい。
「なかなか面白い手紙だったからな」
「そんな面白いこと、書きましたっけ?」
無口で無愛想な男だと思っていたディランが、鋭い目を細めている。
「絵付きの手紙など、初めて受け取ったからな。ウサギの絵を描いて、『ここが焦げやすい』とか解説してただろう?」
「ああ……そういえば」
『ウサギのクッキー』と書き流すには、惜しいくらいに良くできた形のクッキーだったのだ。
後ろ脚でスッと立ち上がった、スタイリッシュでリアルウサギの形を手紙に描き、さりげなく公爵家お抱え料理人の腕を自慢した……気がする。
悪役令嬢は承認欲求が強いものだ。
前世を思い出したとはいえ、自分は特別な物を持っていると自慢せずにはいられない。
「手紙……か」
そう呟いたフェリクスの眼が、何かを思い出すかのように伏せられた。
(マズいわ……)
今彼は、以前オレーリアが毎日送りつけていた手紙を思い出している気がする。
婚約していた頃、嫌いな女から毎日のように誘いの手紙が届くなんて、どれだけ彼を苛立たせただろう。
(話題を変えなきゃ)
今すぐに話題を変えなければ、また面倒なやり取りが始まる。
『その節はお忙しいことを知りながら、毎日手紙を送ってしまい、失礼いたしました』
『過ぎたことだ。気にしないでくれ』
そんなやり取りなら、まだいい。
だが――
『あのときは、本当に大変だった』
そう言われて深々とため息をつかれたら、さらに平謝りするしかないではないか。
――想像するだけで気が重い。
そんな気まずい謝罪の応酬は、できれば避けたかった。
何か話題を見つけなければ。
(あ)
「そういえばテオドールに聞きましたが、今年の創立記念祭の夜会はなくなったのですね」
それは先日テオドールとの雑談で聞いた話だった。
毎年恒例だった創立記念祭の夜会は、今年は中止になったらしい。
創立記念祭の夜会には、他国の王族や保護者たちも訪れる。
学園最大級の社交の場だけに、参加する生徒たちも皆、正装で臨む一大イベントだった。
去年まではオレーリアも、ドレス選びから化粧まで張り切って準備したものだ。
休学するオレーリアには、もう関係のない話だった。
それでもふと思い出し、何気なく尋ねたのだ。
『テオ、今年は誰を誘うのよ』
『今年は取りやめになったんだよ。どうせリアもいないし、行くつもりもなかったけど』
(相変わらず取り巻きの鑑ね)
そう思いながら、『ふうん』と答えて、そのまま興味を失くした話題だった。
この話も、話題を逸らすために何気なく尋ねただけだった。
――だというのに。
「今年はこんな騒動があったからな。華やかな行事は取りやめることにしたんだ」
「あ、そうなんですね……」
また『私のせいで申し訳ありません』という気まずいやり取りが始まりそうだった。
「夜会は取りやめて、今年は生徒会主催の研究報告会を開くことになったんだ」
「ああ…… 領地間の流通についての研究でしたね」
そう答えると、なぜか二人の視線がこちらに向いた。
そのまま沈黙が流れる。
(何? 何なの? 止めてよ、気まずいじゃない!)
耐えきれず、オレーリアは口を開いた。
「生徒会の今年の研究テーマは、掲示板に貼り出してましたよね?」
生徒会の研究テーマは事前に掲示板で公開されていた。
オレーリア自身がこの目で確認していたのだから、間違ってはいないはず。
以前はフェリクスとの話題作りのために、関連資料まで読み漁ったものだ。
結局得た知識を話す機会もないままに婚約は解消されたが、広大な領地を持つローゼンベルク公爵家の者としては、なかなか興味深いテーマだった。
「領地を持つ貴族にとっては、とても興味深いテーマではないでしょうか。来賓の方もきっと報告会を楽しみにされてますわね。……あ。そろそろ日が暮れそうですわ」
気まずさに耐えきれず、オレーリアは窓の外へ視線を向けた。
そこには薄闇に沈み始めた空が広がっている。
「ああ……そろそろ失礼しなければならない時間だな」
フェリクスも窓の外に視線を送り、オレーリアは内心ホッと息をつく。
「日が暮れてからの移動は危険ですから」
どう考えても近く日は暮れそうだったが、そう言ってオレーリアは帰りを促した。
「オレーリア嬢にとっても、興味があるテーマだったのか?」
玄関へと続く廊下を歩きながら、フェリクスに問われる。
「それは……まあ。領地間の流通については、実際の領地経営に関わるものですから。以前学んだことが、こうして領地で暮らす今になって、より身近な問題として感じられるようになりましたし」
以前学んだ領地間の流通。
それは『街道を整備して荷物を早く運ぶ方法』や『馬車により多くの荷物を積む工夫』、『中継となる都市を活用する方法』などだ。
どれも領地経営において重要なテーマである。
そして――
『王都から取り寄せた品を、いかに早く手元へ届けるか』
今のオレーリアにとっては、それもまた切実な問題だった。
公爵令嬢である以上、欲しい物の大半は手に入る。
問題は、それがいつ届くかだ。
当時はフェリクスとの話題作りのために覚えた知識だったが、まさか今になって、自分の通販生活を支える知識になるとは思わなかった。
「王都から取り寄せる品が、より早く届くようになる仕組みはありがたいものですからね」
しみじみと頷くと、フェリクスの足が止まった。
――しまった。
今の言い方では、贅沢品を大量に取り寄せているように聞こえただろうか。
甘さなど微塵も感じさせないビターショコラ・ブラウンの瞳が、考え込むように伏せられている。
――まさか。
『この女は、相変わらず贅沢三昧な生活をしているようだな』
そう思われたのなら、まだいい。
問題は、その先だ。
『そんなに余裕があるのなら、ローゼンベルク公爵家には、もう少し税を負担してもらっても構わないな』
――などと思われたら、たまったものじゃない。
(追徴課税とか言い出さないわよね……?)
「領地で暮らしてみると、流通の大切さがよく分かりますもの。……あら、もうこんな時間なのですね」
窓の外に視線を送り、これ以上面倒なことを言われないよう、オレーリアはフェリクスの帰りを促した。




