04.ディラン・クロムウェル伯爵令息
(これでもう、やり取りはおしまいね)
そう思っていた。
だが、そう日も経たないうちに、再びオレーリアはディランからの手紙を受け取った。
『近くそちらを訪問したい』
相変わらず几帳面に綴られた文字で、訪問日を伺う内容に、オレーリアは『いつでもどうぞ』と返事を返していた。
この領地で過ごす日々に、予定は何もない。
前回の訪問も短いものだったし、ほんのしばらくの訪問客だ。特に気にすることは何もなかった。
そして返事を出してから三日後の夕方。
なぜか目の前にディランがいた。
オレーリアからの返事を今朝受け取るなり、すぐに馬を走らせてきたらしい。
「あの、ディラン様……?」
会うなり目を見開いたまま何も言わないディランに、オレーリアは戸惑いながら名を呼んだ。
「あ……いや。今日は、その……いつもと雰囲気が違うんだなと思って……」
「ああ……」
オレーリアは今、化粧をしていない。
ちょうどゆっくりと温泉を満喫したところに、ディランの訪問を告げられたのだ。
せっかくの温泉水でお肌が磨かれた後に、化粧をしたいはずがない。
(15分くらいの訪問だし、わざわざフルメイクする方が面倒だわ)
どうせ前回のように、改めての謝罪だろうと予想して、わざわざ化粧をしなかったのだ。
バッチリメイクのオレーリアしか見たことがないディランには、すっぴんの顔は確かに衝撃だろう。
気合いを入れた化粧は、別人級の顔を作る。
今は息を呑まない程度の美貌を見せているはずだ。
「ちょうど温泉療養をしておりまして」
温泉というものは、24時間で楽しむものだ。
だが、『療養』を建前に休学扱いとしている身としては、『昼の温泉はいいものですから』などと口を滑らせるわけにはいかない。
にこりと微笑むと、ディランの顔が曇った。
「あ、いえ。もう怪我の具合はだいぶ良いんですよ。あの、それより今日は何かご用があったのではないですか?」
これ以上謝罪が欲しいわけではない。
面倒くさいやり取りにならないよう、オレーリアは話題を変えた。
「少し長い話になるのだが……」
話を振ると、珍しくディランが口篭った。
どうやら言いにくい話らしい。
考え込むディランを、オレーリアはじっと見つめた。
ディランは、クロムウェル伯爵家の三男だ。
幼少期からフェリクスの「ご学友」兼「護衛」として育てられた若き天才騎士であり、学園では王子の影として、騎士科の特権で帯剣を許されている。
以前のオレーリアは、『伯爵家の、しかも三男なんて』とディランを鼻にもかけなかったが、こうして改めて彼を正面から見つめると、彼はなかなか美しい。
以前は『図体が大きくて目つきの悪い男』だと思っていた。
だが見方を変えれば、それは『背が高く、鋭い眼光を持つクールな男性』とも言える。
学園で女生徒が騒ぐ気持ちが当時は分からなかったが、今なら深く頷けた。
だいたい伯爵家生まれだけでも高貴な身分だ。
前世の身分のままこの世界に生まれ変わっていたら、オレーリアなど町娘にもなれなかったかもしれない社畜だ。
(そう考えると、十分すぎるほどハイスペックよね)
よほど話しにくい内容なんだろうか。
まだ彼は口を開かない。
口を開くのを待つ間、オレーリアは何となくディランを眺めていた。
これまで黒髪黒目だと思っていたディランの髪は、こうして窓から差し込む日の元では、違う印象を受ける。
深く青艶めく濃紺の髪。
少し伏せられた瞳は、黒に近い濃厚なワインレッドだ。
ブルーベリー・ネイビーの髪。
カシス・パープルの瞳。
『氷冠の王子と翡翠の乙女』の中で、作者がディランの色をそう表現していた。
(カシス……)
深く吸い込まれそうなカシスパープルの瞳に、オレーリアの脳裏に前世の記憶が蘇った。
それは、前世で死ぬほど残業した過労死寸前の金曜日、帰り道のバーで自分へのご褒美に奮発して飲んだ、グラスの底で妖しく揺らめいていたカクテルの色だ。
「カシスジュースが飲みたいわ……」
「すぐに用意いたします」
思わず呟いた言葉に、ニナがすぐに部屋を下がった。
「……実は」
改まった声に、オレーリアはカシスジュースの入ったグラスをテーブルに置いた。
伏せられていたカシス・パープルの瞳が、今はオレーリアに向けられている。
「学園の噂を聞いたことがあるだろうか?」
「噂?」
(なんの噂かしら?)
学園にいた頃は、常に取り巻きたちに囲まれていた。
毎日のように噂話が耳に入ってきていたので、心当たりが多すぎて、ディランが何を話したいのかが分からない。
首を傾げたオレーリアに、ディランが話を続ける。
「その……シルフィ嬢が学園で数々の嫌がらせを受けていたのだが……」
「ああ……」
再び言い淀んだディランに、オレーリアは頷く。
噂どころか、それは事実だ。
十分すぎるほど心当たりがあった。
「シルフィさんのノートが破られたり、落としたハンカチが裂かれていたり、靴が隠されたりしていたことでしょう?」
それは全てオレーリアが取り巻きに命じたことだった。
シルフィへの嫌がらせは、隠していたつもりなどない。
オレーリアは隠すこともなく口にした。
前世を思い出したからといって、過去の行いが消えるわけではない。
改心するつもりもない。
『氷冠の王子と翡翠の乙女』の中でも、ディランはフェリクスに命じられ、オレーリアの動向を見張っていた。
今さら誤魔化したところでしょうがない。
「……その犯人がオレーリア嬢だと、皆が噂していたんだ」
「えっ!!」
思わず声が出た。
話の流れがおかしい。
(え、何?今さら何言ってるの?そんなの真実だって、とっくに知ってることでしょう?)
何を言い出すのだと、オレーリアは目を瞬かせた。
「犯人はエルザ・アイゼンベルク侯爵令嬢だったんだ」
「え?エルザ嬢?!」
なぜそこでエルザの名が出るのだ。
「どうして……」
わけが分からな過ぎて、オレーリアは思わず動揺する。
アイゼンベルク侯爵家のエルザは、オレーリアの派閥の者ではない。
もう何年も前に結ばれたオレーリアとフェリクスの婚約だが、エルザもその座を狙っていたことは知っている。
美貌も成績も身分も彼女より格上のオレーリアは、エルザなんて全く相手にしていなかった。だが、エルザがオレーリアに向けられる視線にはいつも、静かな敵意が含まれていた。
エルザを使った覚えはない。
そもそも、あのエルザが誰かの指示で動くような性格ではない。
それなのにどうしてエルザが嫌がらせの犯人になるのだ。
オレーリアの罪を被ろうと名乗り出たのだろうか。
――いや、それはあり得ない。
エルザが、オレーリアのためにシルフィに嫌がらせをしたのだろうか。
――いや、それも絶対にない。
あの傲慢で我儘な女は、オレーリアと同じくらい自尊心が高い。
誰かのために泥を被るなんて、あり得ない。
「――リア嬢?……オレーリア嬢」
「ああ、ごめんなさい。なんでしたっけ?」
自分の中の思考に入り、ディランの呼びかけに気づかなかった。
目の前に意識を戻したオレーリアは、気遣わしげに声をかけたディランを見つめた。
「――すまない。俺は愚かにも、オレーリア嬢が犯人だというその噂を信じていた」
「あ、いえ……そのことは」
再び目を伏せたディランに、オレーリアは一瞬言葉を探した。
「それより、どうしてエルザ嬢が犯人だと?」
噂は事実だ。そんなことは今はどうでもいい。
それより、どうしてそんなことになっているのだ。
「フェリクスの指示で、階段から落ちた日のことを改めて調査したんだ。……シルフィ嬢も、今になって話してくれたんだ。あのとき、階段でオレーリア嬢に押されたわけではなく、名を呼ばれて驚いて足を滑らせたと。そのとき周りにいた者の証言も取れている」
「まあ……そうね」
あのときシルフィが階段を踏み外したのは、実はオレーリアが彼女を押したからではない。
階段から突き落とそうと声をかけたとき、シルフィが振り向きざまに足を滑らせたのだ。
結果的に押してはいないが、押したようなものだ。
これまでオレーリアがシルフィを押したと思われていたとしても、そこは別に問題ない。
頷くオレーリアに、ディランは言葉を続けた。
「それで、これまでオレーリア嬢だと思われていたシルフィ嬢への嫌がらせの件も、改めて調査されたんだ。数々の目撃情報を元に調べた結果、エルザ嬢の取り巻きたちの名が浮上してね。エルザ嬢自身も、今は認めている」
「そう……なのね」
どんなずさんな調査なんだろう。
そこにオレーリアの名前は浮かばなかったのか。
(テオ……あの子)
オレーリアが指図した取り巻きは、どうやら誰にも尻尾を掴ませることなくシルフィへの嫌がらせを重ねていたらしい。
色々と衝撃的な事実が、オレーリアの目の前で明かされようとしていた。




