39.悪役令嬢は鈍感なもの
翌日。
いつもの時間に学園へ向かうと、今日もセドリックは生徒会室に続く階段の下に立っていた。
いつものように差し出された腕に捕まり、階段を上りながら、オレーリアはセドリックに話しかける。
「テオに聞きましたよ。ベアトリス王女の新しい護衛が、グラン国から来るそうですね」
それは昨日、王宮帰りのテオドールから聞いた話だ。
昨日生徒会室を出たベアトリス王女は、王宮に着くなり、お茶会の席でグラン国王宛に手紙を書いたらしい。
『この手紙を今日中にお父様に届けに行きなさい。明日から学園に連れて行く護衛を頼んでいるから、明日の朝までに必ず連れてくるのよ』
そうグラン国の従者に、きつく言いつけていたようだ。
「今日、ベアトリス王女様は新しい護衛を連れているのですか?」
「いますよ。これまでの者のように、静かな護衛なので気になりませんが」
「そうなんですね」
メルバ国に来て七人目となる王女の護衛は、もう生徒会室にいるらしい。
なんでもないことのように答えたセドリックに、オレーリアも軽く相槌を返し、生徒会に向かった。
「あら。オレーリア嬢ったら、相変わらず今日も卑しい身分の護衛を連れてるのね」
生徒会室に入るなり、ベアトリス王女が嬉々とした声で話しかけてきた。
「ベアトリス王女様、ごきげんよう」
軽く流して、書類を受け取るためにセドリックの背中に続くと、王女の声が鋭くなった。
「待ちなさいよ!私が話しかけてるのに、無視する気?ほんと無礼な女ね。そんなだからフェリクス様にも呆れられて、無視されてたんじゃない!」
「……はあ」
(ほんとめんどくさい悪役令嬢ね。話があるなら早く話しなさいよ)
そうは思うが、相手は王族だ。
気のない返事をしながら、微笑みで王女の話を促した。
「ふん、礼儀のなってない女ね。でも、まあ、私の新しい護衛を紹介してあげるわ。この男はね、グラン国の公爵令息なの。私の側に仕えることができるのは、本来、こういう身分の者なのよ」
オレーリアは、ベアトリス王女の傍に立つ男に目を向ける。
「そうですか。こちらの方は、グラン国の公爵家のご子息様なんですね」
オレーリアがじっと見つめても、男は決して目を合わせようとしない。
(『私なんて無視してやりなさい』とか言いつけてそうね)
悪役令嬢の手の内なんて、考えるまでもない。
金髪碧眼の、華やかな雰囲気の美しい男だった。
グラン王宮騎士団が誇る、深紅の華美な制服が似合っている。
(公爵令息……にしては見たことがない顔ね。庶子、ってところかしら?)
他国とはいえ、グラン国の高位貴族であれば、顔くらいはある程度知っている。だが、初めて見る顔だった。
彼は、公の社交場に立てない立場なのかもしれない。
(でも、だから何?って感じよね。私だってローゼンベルク公爵家の一人娘だし。権力も財力も私の方が上じゃない)
身分がある見目麗しい男を側に置いていることを自慢したいのだということは分かるが、そこに1ミリも対抗心は湧かなかった。
オレーリアにとって、そこに価値はない。
(護衛の価値は、どんな環境でも生き抜く力よ。身分や見た目が、国外追放後になんの役に立つのよ。公爵家の一人娘の私だって、『氷冠の王子と翡翠の乙女』の中では、きっと路頭に迷ってたわ。平民で最強のガゼルの方が、はるかに格上じゃない)
特に何の感情も湧かず、とりあえず微笑んでおく。
「ご紹介ありがとうございます。では、仕事に入らせていただきますね」
相手にするまでもない話に、オレーリアは微笑みで軽くあしらった。
それで終わる話だった。
だが――
オレーリアの言葉に、プッとベアトリス王女が吹き出した。
「オレーリア嬢ったら、そんなに悔しがらなくてもいいじゃない。嫉妬してるのが見え見えよ。醜いわね」
(はあ?!)
カッと頭に血が上る。
(話にもならないから流したのよ!悔しいから流したんじゃないわ!どれだけ鈍感なのよ!)
悪役令嬢は鈍感だと決まっている。
その鈍感さゆえに身を滅ぼすものだ。
でもだからといって、鈍感過ぎるだろう。
「嫉妬だなんて。私にはとても頼りになるガゼルとカミラが付いていますもの。ベアトリス王女様の護衛を見て、悔しがる必要などありませんわ」
(ここで怒っちゃ負けよ!)
ここで苛立ちを見せれば、ベアトリス王女の思う壺だ。
オレーリアは苛立ちを飲み込み、ほほほと余裕で笑って見せた。
そして――ガゼルに、静かに視線を送る。
オレーリアの視線の意図に気づいたのだろう。
ガゼルが目に鋭い光を宿らせ、ベアトリス王女の護衛を見据えた。
途端、ベアトリス王女の護衛が肩を揺らす。
(やるわね。ガゼルもわかってるじゃない!)
ガゼルの勘の良さに満足して、オレーリアはベアトリスに視線を向ける。
『あなたのその貴族の護衛、私の平民の護衛に怯えてるわよ』
言外にそれを伝え、勝利の喜びを噛み締めた。
今回もまた、オレーリアの圧勝だ。
――だというのに。
ベアトリス王女は再び吹き出した。
「どんな負け惜しみよ。みっともないくらいね」
(ちょっと!今の見てなかったわけ?どんな節穴よ!私の方がどう見ても勝ってたじゃない!)
どうやらベアトリス王女は、自分の護衛がガゼルに怯えたことに気づいていないらしい。
王女は強さ勝負ではなく、見目麗しさ勝負に勝ち誇っていた。
オレーリアはぐっと奥歯を噛み締める。
「ほんと今日は気分がいいわね。ゆっくりお茶を飲みたい気分だわ。――フェリクス様、そろそろ王宮に帰りましょう?ディラン、テオドール、早く用意しなさい」
満面の笑みで、そうフェリクスたちに声をかけた。
「ベアトリス王女。今日こそは仕事を優先させてもらうと、昨日約束したはずだ」
返されたフェリクスの声は、これまでにないくらい低かった。
ベアトリス王女に向けた視線が、ドライアイスのように極限の冷たさを放っている。
触れた瞬間、凍傷になりそうだ。
(寒いの通り越して、痛いじゃない……)
部屋の中が寒々しさを越え、ヒリヒリしている。
だが、やはりベアトリス王女はその痛みすら気づかない。変わらず、フェリクスに満面の笑みを返していた。
「大丈夫よ。仕事なんてオレーリア嬢にさせればいいじゃない。これまでフェリクス様を散々振り回してきたんですもの。それくらいやらせて当然よ。
それに王宮に帰って、早くお父様にお手紙を書きたいの。メルバ国で手厚くもてなしてもらえてるって聞いたら、お父様もお喜びになると思うわ」
その言葉にフェリクスが口を引き結んだ。
メルバ国とグラン国の通商条約の締結は、目前に迫っている。
王女に振り回されて、フェリクスたちも限界に近いようだが、テオドールは『より有利な条件を引き出すために、条約締結までもう少し我慢してくれ、って国王からも言われてるみたいだよ』と話していた。
『氷の王子』と呼ばれる冷徹なフェリクスだが、今は一国の王子として、王女に強く出ることができないのだろう。
誰にでも平等に嫌味を言うセドリックが黙っているのも、そのためかもしれない。
やがてフェリクスが長く息をつく。
「オレーリア嬢。悪いが頼めるだろうか」
「構いませんよ。お任せください」
オレーリアは穏やかな声で答えた。
(私だってこれ以上ベアトリス王女の顔なんて見たくないもの)
内心では、今にも怒りで暴れ出しそうだった。
それでも――これ以上、この王女を喜ばせるわけにはいかない。
オレーリアは優雅に微笑んでみせた。




