26.領地から王都へ
その日の夜。
オレーリアはベッドの上で、温泉街でのフェリクスとディランの様子を思い返していた。
二人とも屋台の食べ物がすっかり気に入ったらしい。
オレーリアが勧める物をあれもこれもと買った上に、別れ際にオレーリアにも持たせてくれた。
ニナの前で『私からだ』と言って渡してくれたおかげで、堂々と部屋で食べることもできた。おかげで夕食は食べられなかったが、怒られることはなかった。
ニナですら何も言えなかったのだ。
(これが最高権力ってやつね)
公爵家よりも上の、国の最高の権力。
以前はどうしても手に入れたかったものだ。
『絶対に次期王妃になってみせる』
そう思っていたからこそ、フェリクスに執着した。
けれど必死になっていた頃よりも、他人になった今の方が、フェリクスと話せているような気がする。
今日も『どうせ適当に流されるだろう』と思いながらかけた言葉にも、彼はきちんと答えていた。
これまでは、オレーリアの気負いが彼を警戒させていたのだろうか。
そう考えると、以前の自分はずいぶん肩に力が入っていたのかもしれない。
婚約解消してからは、できればもう関わりたくない相手だったが――今日のフェリクスを見る限り、思っていたより話しやすい人だった。
(ある程度距離がある方が上手くいく関係もあるものね)
きっと自分とフェリクスは、最初から恋愛に向かない関係だったのだろう。
――政略結婚とはそもそもそういうものかもしれないが。
それでもオレーリアは、両親のように愛し合う人と結婚したいと思っている。
最高権力は魅力的だが、それだけでは足りない。
『フェリクス様は私を愛しているはず』と思い込んだまま結婚していたら、お互い不幸だっただろう。
(ほんと前世を思い出しただけで、万事がうまく行ったわね……あら?)
ふと改めて思い出す。
『氷冠の王子と翡翠の乙女』のエンディングの時期も、もう近い――はずだ。
(セドリック様の話に浮かれて忘れてたけど、シルフィ嬢もヒロインを降りたのかしら……?)
降りたかもしれない。
この流れでフェリクスとハッピーエンドは、さすがに無理がある気がしてきている。
(それでも――それを選んだのは、シルフィ嬢よね)
たとえ転落事故以前からシルフィがオレーリアを陥れようとしていたとしても、あの時点で手を引いていれば、明るみに出ることはなかったかもしれない。
シルフィの行為は腹立たしいが、噂の誘導くらいなら珍しくない。表沙汰になりにくいだけで、よくある話だ。
けれど、特待生という立場でありながら、シルフィは引き際を誤った。
(テオが来なかったのは、シルフィ嬢の証拠を集めるためだった……のよね?じゃあ、シルフィ嬢に処分も下ったし、もしかしたら今週末も来るかもしれないわね)
そう思うと、胸の奥の重たいものが少しだけ軽くなった。
そのおかげか、よく眠れる夜だった。
そしてその週末の早朝。
テオドールがオレーリアを訪れた。
ここに来れなかったのは、やはり証拠集めで忙しかったかららしい。
機嫌良く迎えたオレーリアだが、顔を合わせた瞬間から、テオドールは明らかに機嫌が悪かった。
「フェリクス様、あの人なんなんだよ。あの女に処分を下したのはいいとして。なんで関係のない僕に生徒会のゴタゴタを押し付けて、リアのとこ来てんだよ」
「え?そうなの?」
「そうだよ!」
『何があったの?』と問いかける隙もなかった。
「証拠を集めたのは僕だけど、それを裏付ける証言取ったのはあの人なのにさ。『この件に関してはテオドールの方が詳しいから』とか言って、一連の経緯をまとめる報告書まで押し付けて、自分は大騒動の中学園抜け出して、ここに来て屋台まで回ってるなんて、どう考えても頭イカれてるだろ。なんなんだよ、アイツ」
話しているうちに腹が立ってきたのか、だんだん口調が荒くなっていく。
「ネチネチネチネチあの女に嫌味を言うセドリック様と生徒会室に残されてさ、あの女も泣いてばかりで引き継ぎも進まないし。結局最後に手伝わされてほんと最悪だよ」
テオドールの愚痴が止まらない。
「おまけに、フェリクス様たちが夜遅くに戻ってきたと思ったら、『ご苦労だったな、土産だ』ってリアのクッキーと、見覚えある屋台の物渡されてさ。あの人が生徒会長だろ、なんで全く関係ない僕が生徒会室なんかで居残りさせられてんだよ」
「それは……本当にお疲れさまね……」
それはさすがに不幸だ。
地獄絵図を見たのはシルフィではなく、テオドールだったようだ。
「ほら、今日のミルクティーはいつもよりハチミツたっぷり入れたから」
テオドールの話を聞きながら、グルグルとハチミツを混ぜていた手を止め、オレーリアはテオドールにミルクティーを差し出した。
「おまけにさ……」
カップを見つめながら、テオドールの声が低くなる。
「書記の引き継ぎなんて手伝ったせいで、『これなら任せられるな』って勝手に生徒会役員に入れられるしさ……」
「あら?テオ、生徒会入ったの?良かったじゃない」
生徒会役員を務めたという履歴は、エリートへの道を約束されたようなものだ。
経験して損はない。
「良いわけないだろ?!あんなとこ入ったら、ここに来る時間もなくなるし」
「え?なんでよ。フェリクス様たちだって日帰りで来てたじゃない」
「それ、王家の馬車だからできることだろ?前日まで生徒会で居残りしてたら、そもそも出発が遅くなるに決まってるし。ここに来ても、お茶を飲む暇があるかどうかって話だよ」
「それは……」
(確かにそうね)と納得しかない。
だが、生徒会役員は指名制だ。特待生に加えて、生徒会会長に認められた者だけが入ることができる。
名誉ある指名を断ることなどできるはずがない。
(テオが生徒会に入らなくてすむように、お父様に頼んでみようかしら?)
父のローゼンベルク公爵であれば、たいがいのことは通るだろう。
学園のこととはいえ、娘に激甘な父なら何とかしてくれそうな気がする。
(でも……)
王子であるフェリクスに指名を断るなど、テオドールにとっても、ヴェスター子爵家にとっても、この先貴族社会で不利になる。
「しょうがないわね。生徒会役員、頑張りなさい」
「なんだよ。ほんとリアは冷たいな」
「しょうがないでしょ?断れないんだから」
「……そうだけどさ」
拗ねたように口を閉じたテオドールを見つめながら、オレーリアは思う。
(これからテオはここに来れなくなるのかしら?)
先週や先々週のような、どこかつまらない日々が続くのだろうか。
(それなら――)
「私が王都に行くわよ。王都にいる主治医のところに私が通うなら、『療養中』でしょ?」
うっすらと左腕に傷跡は残っているが、怪我はとっくに完治している。主治医は王都にいるままだが、オレーリアが通うという体を取れば問題はない。
「え……ほんとに?リア、王都に戻るの?」
パッとテオドールの顔が明るくなる。
「戻るってわけじゃないけど」
「いいよ。ずっとじゃなくてもさ。リアが王都にいるなら、学園帰りに寄れるし。……あ。王都に戻ったら特に、フェリクス様たちの訪問は断りなよ。婚約解消してるんだし。王都で、リアの屋敷前に王家の馬車なんて止まってたら、また変な噂流そうとする奴らも出るだろうし」
「分かってるわよ」
そう答えて、ふと思い出す。
「テオ。シルフィ嬢の件で、証拠まで集めてくれたんでしょう?ありがとう」
「え……急にどうしたのさ」
(何よ。私がお礼を言ったらおかしいわけ?これまでだって……)
目を丸くしたテオドールに、ムッとしながら気がついた。
(言ったことなかったかも?)
これまで、テオドールは自分のために動いて当然と思ってきたので、思い返すとお礼など伝えたことはなかった……気がする。
テオドールはそんなオレーリアをじっと見つめていた。
「いつも言い忘れてるだけで、感謝してたのよ」
「そうだったんだ」
視線に気まずくなって言った言葉に、テオドールは嬉しそうに笑う。
どうやら空気を読んで騙されてくれるらしい。
次回より王都編です!




