24.思いがけない訪問者
それは思いがけない訪問客だった。
テオドールからの手紙を受け取った翌日。
昼下がりに、突然フェリクスの来訪を告げられた。
なんの前触れもなく訪れたフェリクスに、不吉な予感が走る。
(まさか……テオに何かあったの?!)
研究報告会はもう目前だ。
生徒会長として準備に追われているはずのフェリクスが、平日にわざわざオレーリアの領地に出向くなど、よほど緊急の連絡に違いない。
(それなのに私ったら、のんきに温泉なんかに浸かってたなんて!)
髪も乾き切らないままに、フェリクスとディランの待つ応接室へと急いだ。
「何かあったのですか?」
部屋に入って顔を合わせるなり問いかけると、軽く目を見開いたフェリクスが、視線を逸らした。
「前触れもなくすまない。急ぎで伝えたい話ではあるが、もう解決した話だ。話はその……身支度を整えてかでいい。髪が濡れていては風邪を引くだろう」
(髪がなによ!そんなことより、解決した話ってなに?!なにが起きたのよ!)
温泉上がりだと気がついたのだろう。
けれど髪が濡れているからなんだというのだ。
前世では髪も乾かさず寝落ちすることなど珍しくなかった。濡れた髪より気になることなど、世の中にはいくらでもある。
「温泉療養中だったので、このような格好で失礼しました。でも、髪はこうして窓から吹き込む風ですぐ乾きますから。気になさらないでください」
「――オレーリアお嬢様」
フェリクスに笑顔を向けると、オレーリアを追って部屋に入ったニナに、低い声で名を呼ばれた。
「……なによ。今はお昼よ?」
いつも『もうその辺でいいわよ』と声をかけるオレーリアに、ニナはいつも『風邪を引きますから』と完全に髪が乾くまで、決して引き下がることはない。
けれど今は昼だ。
優しく吹き込む風は、すぐに髪を乾かしてくれるだろう。
「今すぐ、お部屋にお戻りください」
「……わかったわよ」
――昼でもニナは引き下がらないようだ。
とても優秀なオレーリアの侍女は、時折頑固な一面を見せる。
ニナの眉間にはうっすらと皺が寄っていたが、髪を乾かすくらいで大袈裟だと思う。
けれど、ここでゴネては後々面倒なことになると悟り、「うちの侍女が我儘を申しましてすみません」と断って、ひとまず部屋に下がることにした。
その後、髪を乾かされ、着替えさせられ、軽く化粧まで施されてから、ようやく解放された。
『そのような格好で人前に出られてはいけません。いいですか、次また同じようなことがありましたら……』と一通り怒られたせいで、少し面白くない気分で応接室に戻る。
「お待たせいたしました。……それで、なにがあったのでしょうか」
早速フェリクスに問いかけると、オレーリアの様子を見てわずかに口元を緩めていたフェリクスが、スッと表情を引き締めた。
「実は今日づけで、シルフィ嬢の特待生の資格を取り消されることになった」
「え?シルフィ嬢?」
(テオの話じゃなかったのね)
シルフィの名前が出た瞬間、オレーリアはホッとする。
(……待って。シルフィ嬢?)
「シルフィ嬢って……あのシルフィ嬢でしょうか?」
(シャインマスカット・カラーの?)
まさか、とは思う。
「オレーリア嬢の知る、シルフィ・ルミエール男爵令嬢の話だ」
「……ルミエール男爵令嬢?」
「そうだ」
「生徒会役員の?」
「元、になるが」
さらりと返された言葉に、オレーリアは目を瞬かせた。
「特待生の資格取り消しと同時に、生徒会役員の資格も失うことになる。生徒会の入会は、特待生だからこその義務だからな」
特待生資格の剥奪だけでも前代未聞だというのに、生徒会まで追われるなどあるのだろうか。
「学園始まって以来の醜聞だ」
「ええええ……」
(ヒロインなのに、何やってるのよ……)
混乱するオレーリアをよそに、フェリクスが話を続けた。
「前にオレーリア嬢と別れてからすぐ、また学園に悪質な噂が広まっていると報告が入ったんだ」
「悪質な噂……ですか?」
「ああ。オレーリア嬢に関する噂だ」
(前にテオに、シルフィ嬢に嫌がらせを命じていたことがバレたのかしら?)
――心当たりはあった。
「はあ……」と曖昧にオレーリアは頷く。
「その……オレーリア嬢が婚約解消された今も、私につきまとっていると。――ああ、もちろんそんな事実があるはずはない。だから報告を受け次第、徹底的な調査を命じたんだ。以前調査した時に疑念が残った点も、突き詰めた」
「疑念が残った点、ですか?」
「……ああ。前回どの噂を辿っても、最終的にはシルフィ嬢の言葉が発端だったんだ」
そこまで言って、フェリクスは苦い顔で口を閉ざした。
(なに?ヒロインがなに言ったのよ)
オレーリアが、フェリクスを見つめて先を促すと、代わりにディランが口を開いた。
「シルフィ嬢は、『フェリクス様がお疲れのようで心配です』とか『公務もあるのに大丈夫でしょうか』とか、いつも誰かの気を引くようなことを口にしていたんだ。そうして周囲が『またオレーリア様が何かしたのか?』と騒ぎ始めると、シルフィ嬢は否定もせず、困ったように曖昧に頷いていたらしい」
「ああ……噂ってそういうところがありますからね」
オレーリアは頷く。
噂は回り回って大きくなっていくものだ。
そして悪い噂ほど、面白おかしく広がっていく。
(前世の職場もそうだったわ……)
もう顔も忘れてしまったが、当時感じていたもやもやした気持ちがふと胸に蘇った。
ディランが続ける。
「エルザの件は、『取り巻きたちを使ってシルフィ嬢にした仕打ちをオレーリア嬢に被せる』と、罪がハッキリ見えていたし証拠もあった。エルザが中心になって流していた噂話も、証言が取れていたから、処罰することができたんだ」
「そうでしたね」
エルザの件については、すでに聞いている。
驚くようなことではなかった。
フェリクスがどこか気まずそうに口を開く。
「前回の調査でも、シルフィ嬢が誘導したという疑念の声はあったが、確証はなかったんだ。……シルフィ嬢は長らく生徒会役員として過ごしてきたから、私自身も彼女にそんな一面があると信じられなくてな。『生徒会役員であるならば、そんなことはしないはず』という思い込みもあった。……私は本当に真実が見えていないな」
オレーリアはフェリクスをじっと見つめる。
確かに、フェリクスは真実が見えていない。
(ヒーローがヒロインを疑ってどうするのよ。フェリクス様の運命の相手はシルフィ嬢なのよ?それなのに『学園始まって以来の醜聞』なんて言い切った上に、処罰までしちゃったら、後で『誤解だったんだ』じゃ済まないわよ?ハッピーエンドはどうするのよ。エンディングは近いのよ?)
だいたい、やたらと人を見る目が鋭いテオドールの言葉ならともかく、数回話しただけのフェリクスがそう言ったところで、そのまま鵜呑みにできるはずがない。
「あの……今回も何か行き違いがあったのではありませんか?もちろん調査の上だとわかってはいますが、シルフィ嬢はそんな悪質なことを考えるような女性ではないですよ」
(ヒロインだし、裏があるわけないじゃない)
もしフェリクスの言うように、シルフィが本当に噂を誘導したのなら。
それは悪役令嬢超えの陰湿さだ。
もはや誰が悪役なのか分からない。
この世界は『氷冠の王子と翡翠の乙女』の舞台だ。
そんな陰湿な女が、ヒロインを務めるような世界ではない。
このままでは、二人の運命に取り返しがつかなくなる。
決して二人の幸せを願っているわけではないが、あまり世界観を壊さないでほしい。
そのうち自分にまで影響しそうで怖いのだ。
――そんな思いでかけた言葉だというのに。
「オレーリア嬢は、自分を貶める噂の話だというのに、それでもシルフィ嬢を信じるのか?」
フェリクスは驚いたように目を見開いた。
「君は……本当に心根が優しいな」
『氷の王子』であるはずのフェリクスが目元をやわらげた。
(だからそれが節穴なのよ)
喉元まで込み上げた言葉をグッと飲み込む。
そんなオレーリアの思いに気づかず、フェリクスは続ける。
「だが、最初にテオドールから入った報告通り、シルフィ嬢が元々の根源だったんだ。テオドールもずっと証拠を集めていたようでな。今回の調査で、それを裏付ける証言も複数取れた。それも踏まえて、今朝付でシルフィ嬢に処分が下されたんだ」
「テオが……」
どうやらテオドールのタレコミから調査が始まったらしい。
(あの子が言うなら……本当なのかも?)
未だに信じられない思いだが、テオドールが証拠を揃えたなら、おそらくそれは真実だ。
(ヒロインを処罰に追い込むなんて……)
エンディングの時期を迎えようとしている今、テオドールがこの世界の未来を変えようとしていた。




