22.領地からの帰りの馬車で
「フェリクス様、今日も送っていただいてありがとうございます」
かけられた声に、いつの間にか馬車が停まっていたことにフェリクスは気づく。
「……ああ。もう着いたのか。シルフィ嬢、今日は先週より遅くなってすまなかったな」
「いえ、ご一緒できて楽しかったです。……あの。今日のように遠出をするときは、またぜひご一緒させてください」
その言葉に、フェリクスは返事をすることができなかった。
「シルフィ嬢の家族も心配してるだろう。早く家に入ったほうがいい」
答えにもならない言葉をかけ、馬車をまた走らせる。
(今日のような遠出……か)
二週続けて訪れたオレーリアの領地だが、この先はもう訪れる必要はなくなった。
報告会資料に不備はない。
婚約を解消した身で、用もないのに会いに行くわけにはいかない。
別れ際に告げられた言葉を思い出す。
『研究報告会の成功を、心よりお祈り申し上げます。フェリクス様の歩まれる未来が、光に満ちた健やかなるものでありますよう、遠くより願っております』
そう言って、最後に恭しく一礼したオレーリアの姿は、一人の貴族として完璧なものだった。
だからこそ分かる。
そこには、かつて自分へ向けられていた熱も残っていなかった。
自分たちを繋いでいた糸は、もう完全に切れているのだ。
フェリクスは、落としそうになったため息を飲み込んだ。
(婚約解消が成立した時は、『これでやっと解放された』と思っていたが……)
婚約解消を申し出たのはオレーリア側だが、迷うことなく受け入れて、あっさりとオレーリアを手放したのは自分だ。
王子とはいえ、今さらオレーリアに何かを言える立場ではない。
「オレーリア嬢は、研究報告会にも出席する気はないようだな」
別れの挨拶を聞いた瞬間、フェリクスは思わずオレーリアに報告会への参加を勧めていた。
『今回の報告会は、オレーリア嬢の意見あってのものだ。ぜひ参加をしてほしい。体調が万全ではないことはわかっている。宮廷医を同行させた上で迎えに来よう』
気づけばそんな言葉を並べていたが、『主治医と父に、長距離移動は止められているもので』と、あっさり断られてしまった。
婚約中オレーリアを顧みようともしなかったフェリクスが、学園行事を理由に申し出たところで、ローゼンベルク公爵の許しを得られるとは思えない。
「そのようですね。オレーリア嬢の最後の挨拶には品格がありましたが……」
『最後の挨拶』というセドリックの言葉に、ズキリと胸が痛む。
「ドレスに付いたソースに恥じらいもせず、堂々としているところは、やはり品格に欠けるものがありましたね。王都にいたころ、叔母のブティックで見かけた姿と重なりましたよ」
やれやれといった様子で首を振るセドリックに、思わず口元が綻んだ。
「その姿は私も見てみたかったな。もし見ていれば……いや」
言いかけて、言葉を止める。
領地で再開したオレーリアは、フェリクスの知る婚約者とはまるで別人だった。
だが――
たとえそんな姿を見ていたとしても、あの頃の自分が、彼女を見ようとしていただろうか。
答えは分からない。
フェリクスは、その考えごと飲み込むように視線を伏せた。
「それより。セドリックはずいぶんオレーリア嬢に気に入られたものだな。彼女は温泉街でもセドリックばかり気にしてただろう?」
オレーリアは屋台で注文するたびに、『この方は立派な紳士様だけど、苦いものがダメなのよ。気をつけてね』と言いながら、セドリックを揶揄っていた。
「ああ、苦いものが関係のない菓子屋でも言ってたな。それにオレーリア嬢は、セドリックの方ばかり見ていたが、あれはセドリックが服を汚さないか期待してる目だったな。何かを食べ終えるたびに残念そうな顔してただろう?」
ディランもその様子を思い出したのか、おかしそうに笑う。
「全くあの人は……王都にいるときと見た目が変わっても、人を振り回すところは変わらないようですね」
セドリックの表情こそいつも通りだったが、その声音に棘はなかった。
二人とも、温泉街での出来事を面白がっているようだった。
だが、その輪の中にいるはずのフェリクスだけは、胸の奥が重く沈んでいくのを感じていた。
温泉街を回りながら、オレーリアが見ていたのはセドリックだけで、フェリクスが話しかけるまで自分を気にする様子は見られなかった。
婚約中の王宮でのお茶会で、熱心に話しかけてきた時の温度は消えていた。
派手な化粧も、露出の多い衣装も、贅を尽くした宝飾も。
あれが自分への想いの表れだったなど、思いもしなかった。
何も答えないあの頃の自分に、オレーリアは何を思っていただろう。
無関心がこれほど傷つくものだと初めて知ったが、これも自業自得だと受け入れるしかないのか。
抑えられず、長くため息をついた。
「元気そうに見えたから、すっかり彼女の怪我を思いやることができなかったな。……街歩きで今ごろ足を痛めてないだろうか」
「痛めてないでしょう。彼女、『今日は無理しすぎた』と言いながら、左足首見てましたよ。腕の怪我は左腕ですが、捻挫は右足でしたから。どう考えても完治してるでしょうね」
セドリックの呆れたような声に、フェリクスは一瞬言葉を失った。
「……そうなのか?」
『無理をさせた』という後悔ばかりが先に立ち、捻挫していたのが右足だったことすら、頭から抜け落ちていた。
「オレーリア嬢が神妙な顔しているから、私も指摘できなかったんだ」
「……そうか」
続いたディランの声に、フェリクスは力無く笑う。
『本気の化粧なんて、好きな人がいないとできないもの。まあ、そのうち見せる機会もあるかもしれないわね』
また、一番胸を突かれた言葉が脳裏を走る。
屋台の者に軽口を叩いたその言葉は、聞いた瞬間に思わず拳を握らせた。
願わくば――そんな日が来ないでほしい。
(……何を考えてるんだ、私は)
オレーリアを想うなら、彼女の幸せを願うべきだ。
それでも。もしそんな日が来るとしても。
王都で見せていた派手な化粧と豪奢な装いだけを見ていればいい。
子どもたちに慕われる姿も。
屋台で串焼きを頬張る姿も。
努力を重ねる姿も。
私が知らなかった彼女を、知る必要などない。
――そんなことを願ってしまう。




