21.温泉街で②
立ち寄った屋台で、店の主人がセドリックに串焼きを手渡そうとしていた。
その串には、色鮮やかな野菜がいくつか刺さっている。
(今ね)
「ちょっとおじさん。その串焼き、セロリは入っていないでしょうね? そちらの方は立派な貴族様だけど、苦いものが苦手なのよ」
「大丈夫ですよ。ご注文通り、セロリ抜きで焼いておりますから」
屋台の主人の言葉に、オレーリアは頷く。
「セドリック様、ご安心ください。そちらの串焼きだけ、セロリ抜きですの」
「……見ればわかりますが」
「まあ、そうでしたか」
深々とため息をついたセドリックに、オレーリアは満面の笑みを向ける。
ずっとタイミングを図るためにセドリックを見ていたからだろうか。
屋台の女将が楽しそうに口を開いた。
「まあまあ、今日のオレーリア様はお化粧もされて、いつもよりとてもお綺麗だと思っていましたが……もしかしてそちらのお方が、オレーリア様の大切な方なんですか?」
屋台の女将が、意味ありげに笑う。
貴族社会においては公然の事実であったフェリクスとの婚約だが、一般の領地民にまでその事実が周知されているわけではない。
王族との婚姻は正式なお披露目を経て、初めて国中に知らされるものだ。
だから彼女たちにとって、フェリクスとの婚約も、解消も――最初から存在しない話だった。
「違うよ、おばさん」
『違うわよ』とオレーリアが答える前に、テオドールに先を越された。
(さすがテオドールね。取り巻きの鏡だわ)
オレーリアもテオドールに続いて答える。
「違うわよ。軽く化粧はしているけれど、今日は学園の方を迎えるから少し整えただけよ。それに――私が本気で着飾ったら、こんなものじゃないわ」
この温泉街で会うのは、領民たちだ。
王都ほど気を張って着飾る必要はない。
だから普段は、軽く身支度を整える程度で『少し散歩してくるわ』とテオドールと訪れている。
もちろん今日の姿は普段よりは整えているが――自分で言うのもなんだが、本気で着飾れば近寄りがたいほどの美貌になる。
こんなものじゃない。
「今日でもオレーリア様が綺麗すぎて、この人ったら緊張してるのに、本気でお化粧をされたら、この人倒れちまいますね」
屋台の女将が主人を指しておかしそうに笑う。
「大丈夫よ。本気の化粧なんて、好きな人がいないとできないもの。まあ、そのうち見せる機会もあるかもしれないわね。その時はみんなにも紹介するわね」
オレーリアも軽口を返して、串焼きにかじりつく。
口いっぱいに広がったのは、炭火で少し焦げた甘辛いタレの香ばしさだ。醤油とニンニク、それに隠し味のスパイスが効いたガツンと濃い味付けが効いている。普段屋敷で口にする、上品な料理とはまるで違う庶民の味だ。
(これ、前世で金曜の夜に居酒屋で食べた、あの焼肉のタレ味だわ)
前世を思い出した今なら分かる。
(そりゃ好きになるわよね)
屋台に来るたび、つい買い過ぎてしまっていた理由に、ようやく納得した。
「なかなかおいしいものだな」
「私も好きな味だ」
「まあ……悪くないですね」
フェリクスとディランに続いて、セドリックも串焼きを気に入ったようだ。
「シルフィ嬢はどう?ああ、早く食べないと、タレがドレスに落ちるわよ」
串焼きを見つめたままのシルフィに声をかけると、オレーリアが手に持つ串焼きのタレがポタリとドレスに落ちた。
「ほら、リア。よそ見なんてしてるから、またタレ落としてるだろ?」
テオドールにハンカチを渡され、拭いてみたが染みは取れそうにない。
「まあいいわ。今日はちゃんとニナに屋台で食べることは言ってるんだから。怒られないわよ」
そこまで答えて、ふと視線を感じてセドリックを見ると、もの言いたげな目でオレーリアを見ていた。
(なによ。その顔。王都のブティックで会った時のことでも思い出してるわけ?セドリック様だって、一度くらい盛大にソースをこぼしてしまえばいいのに)
「ほら。ちゃんと前見なよ」
またテオに同じことを言われ、おとなしく串焼きに集中することにした。
いくつかの屋台を回っただけで、すでに昼を大きく過ぎていた。
「みんな、この方たちは今から王都まで帰らなきゃいけないの。だから今日はそろそろ帰るわね」
抱えきれないほど買い込んだ包みを子どもたちへ押し付けるように渡す。
「これみんなで仲良く食べるのよ」
「また来てくれる?」
「今度は私のお店にも来てね」
「約束だよ」
「またそのうちテオと来るわよ。ニナが温泉街に買い物に来ても、私が屋台で買い食いしてることは、絶対に言っちゃダメよ」
「わかってる!」
「絶対言わない!」
いつものように子供たちとやり取りをして、馬車に乗り込んだ。
「前より帰りの時間が遅くなってしまいましたね。別荘まではすぐそこですが、御者には急ぐよう伝えましたから」
窓の外を見ながら考え込む様子を見せるフェリクスに声をかけると、彼がオレーリアに視線を向けた。
「いや、時間を気にしていたわけではない。温泉街で過ごすオレーリア嬢を見て、私は本当に君のことを知らなかったんだなと思ってたんだ」
「ああ……まあ。王都では気を張っていましたからね。学園に通うようになるまでは、ほとんど領地で暮らしていましたし、こちらの方が慣れているんです」
「気を張る?」
「未来の王妃候補が地味だと思われるわけにもいきませんもの。化粧も服も、それなりに頑張っていましたから」
オレーリアは肩をすくめた。
「こうして領地に戻ってくると、やっぱりこちらの生活の方が性に合っている気がします。ですから――結果的には、こうなって良かったのだと思っています」
次期王妃にはなれなかったが、国外追放の断罪は免れた。
それに前世を思い出したことで、フェリクスへの執着も、シルフィへの憎しみも手放せた。
王都のような華やかさはないが、温泉がある。
週末を心待ちにしながら働いていた前世を思えば、それだけでも十分だ。
気持ちはすっかり凪いでいた。
「ここで気楽に――いえ、ゆっくり『療養生活』を送るのも悪くないですわ」
『気楽に過ごすのも悪くないですわ』と答えようとして、さり気なく言い換える。
(私、そういえば『療養中』だったわ)
怪我などすっかり完治していて、『療養のための休学』を建前にしていることをすっかり忘れてしまっていた。
「今日はちょっと無理しすぎたかしら……」
小さく呟いて、オレーリアは神妙な顔で左足首を見つめた。




