19.今なお脳裏に刻まれる世界
ここは、ネット小説『氷冠の王子と翡翠の乙女』の世界だ。
王子とヒロイン、そして二人の恋を邪魔する悪役令嬢が登場する――そんな王道の恋愛小説だった。
『氷の王子』と呼ばれるフェリクスが、ヒロインのシルフィにだけ心を開き、最後には二人が結ばれる。
その恋を邪魔する存在として描かれていたのがオレーリアだった。
――よくある悪役令嬢ものだ。
それでも今なお鮮明に覚えているのは、『氷冠の王子と翡翠の乙女』の登場人物たちが、それぞれ印象的な色を持っていたからだ。
シャインマスカットの瞳を持つシルフィ。
ペパーミントグリーンの髪にビターブラウンの瞳を持つフェリクス。
ショコラ・オランジュの髪と瞳を持つオレーリア。
ハニーミルクティのような色合いのテオドール。
ブルーベリー・ネイビーの髪にカシス・パープルの瞳のディラン。
そして――セロリ・ゴールドのセドリック。
前世、買い物先でスイーツやフルーツを見るたびに、彼らを思い出した。
どこへ行っても、『氷冠の王子と翡翠の乙女』が頭の片隅をよぎっていたから、生まれ変わった今でも覚えているのだろう。
(あの話の中に、『ヒーローが氷のような視線をヒロインに送る』なんてシーンはなかったと思うのよね……)
――今のフェリクスが、俯くシルフィに向けている視線のように。
(気まずいじゃない……)
すでに舞台を降りたオレーリアとしては、二人のハッピーエンドまでの筋書きが変わったとしても、特に問題はないが、部屋の空気が寒すぎる。
テオドールはともかくとして、ディランとセドリックも何も言わない。
寒さなど感じないかのように、平然とカップに口を付けている。
(ちょっと。この空気なんとかしなさいよ。なんで何も言わないのよ……って、あら?そういえば……)
ふと思い出す。
(セドリック様とディラン様もシルフィ嬢に好意を持っていたはずよね?)
『氷冠の王子と翡翠の乙女』の中では、厳格な補佐役のセドリックも、寡黙な護衛のディランも、純真でまっすぐなシルフィに少しずつ惹かれていった。
忠誠心の強い二人は、その想いを胸に秘めたまま、フェリクスたちの恋を見守っていたはずだ。
今ディランとセドリックが何も言わないのは、二人の恋に口出ししないことを決めているからだろうか。
(だからって、胸に秘めすぎじゃない?)
せっかくの温かいミルクティーまで冷めてしまいそうだ。
(しょうがないわね)
不本意だが、ここは少しくらい手を貸すべきだろう。
「そうだわ。話していた温泉街はすぐそこですし、これから少し立ち寄ってみませんか?領地名物の屋台もありますから、よろしければ案内しますよ」
「ローゼンベルク公爵家領の名物か。それは興味あるな。お願いしようか」
空気を断ち切るように声をかけると、フェリクスがふっと瞳を緩ませた。
(意外ね……)
『いや、時間がない』と断られる前提での誘いの言葉だった。
そう言われたら、『では帰りの馬車で召し上がってください』と答え、様々なお菓子を運ばせるつもりだったのだ。
シルフィの手作りのお菓子ほど皆を和ませることはできないかもしれないが、せめて甘い物でも並べれば、少しは場も和むだろう。
そんなつもりで口にした誘いだった。
少し予想とは流れが変わったが、とにかく場の空気は和らいだようだ。
「では、帰りが遅くならないよう、早速向かいましょう。――ニナ、少し出かけてくるわ。テオドールもいるから、付き添いは大丈夫よ」
ニナにそう声をかけると、ニナが何か言いたげにオレーリアを見つめた。
何も言わなくても、言いたいことはわかっている。
ニナはオレーリアが屋台で買い食いをすることに、良い顔をしない。
たまにテオドールと温泉街へも出かけるが、必ず『絶対に買い食いをしないでくださいね』と声をかけてくるのだ。
「ニナ。フェリクス様が、うちの領地の名物に興味を持ったと仰ってるのよ?それに今の時代、貴族令嬢だって普通に屋台で買い食いもするわ。――ねえ、シルフィ嬢もそうでしょう?」
(シルフィはヒロインだし、『平民の食べ物なんて』なんて悪役令嬢みたいな高飛車なことは言わないで、気さくな姿を見せるはずよね?)
「買い食い……?オレーリア様が話している屋台って、まさか平民が買い食いするようなお店ですか?私はローゼンベルク公爵家領ならば、屋台といっても立派なお店を想像していたのですが……」
動揺を見せながらシルフィが続けた。
「ええ?そんなお店とも呼べないような場所で売られている物を食べるのですか?」
(この世界のヒロインは違うのね……)
どうやら『氷冠の王子と翡翠の乙女』のヒロインは、屋台の買い食いに対して、悪役令嬢以上の辛辣な言葉を投げつけるようだ。
とはいえ、それが一般的な貴族令嬢の反応だということは、オレーリアだって知っている。
だから王都でも、高級ブティックの一室を貸し切って、隠れて屋台の買い食いをしていたのだ。
「屋台が嫌なら、ちゃんとしたお店を紹介するわ。お父様も行く名物料理のコースもある店だから、安心していいわよ。私とテオは領民への挨拶ついでに屋台を回るから、二手に別れてもいいと思うもの」
屋台の食べ歩きは『領民の挨拶ついでだから』とニナに言い訳しながら、シルフィに微笑んだ。
「私はオレーリア嬢と回ろう。案内される屋台に興味があるからな」
「私も興味ありますね」
フェリクスにディランも続く。
「私はどちらでも構いませんが……」
「少し不安ですが、フェリクス様がそうお話しされるなら……私も挑戦してみたいです」
セドリックのどちらとも言えない返事に続き、シルフィも買い食い参加を申し出た。
(まあ、そう言うわよね)
シルフィがセドリックとの食事を選ぶはずがない。
ヒロインが、ヒーロー以外を特別視することなどないものなのだから。
それに――
どれだけ高級レストランでも、セドリックと二人きりの食事の席で、『これを機会にお話させていただきますが、あなたには品格というものが……』などと話されたら、料理の味もしないだろう。
(セドリック様への、ヒロインの好感度は低いみたいね)
シルフィは、セドリックとの食事の席を選ぶくらいなら、嫌がっていた屋台を選ぶようだ。
「セドリック様もぜひ一緒に回りましょう」
「……なぜ私を誘うのですか?」
胡乱な目を返されたて、オレーリアは微笑んだ。
「生徒会活動中に単独行動を取るなんて、役員としての品格を問われてしまいますから」
(また言ってやったわ!)
黙り込んだセドリックに、晴れ晴れとした気分で「さあ、お時間もありますから」と皆に笑顔を向ける。




