17.領地の彼女を訪ねたあとに
「シルフィ嬢。今日はこんな時間まですまなかったな」
馬車を降りるシルフィに、フェリクスは手を貸しながら声をかける。
外には、すでに薄闇が広がっていた。
生徒会役員の一員とはいえ、貴族令嬢をこんな時間まで付き合わせるべきではなかった。
本来ならば、報告会にまとめた資料について感想を聞き、昼前には向こうを発つつもりだったのだ。
だが、オレーリアの意見は予想以上に得るものが多く、話を重ねるうちに時間を忘れ、気づけば軽食の時間まで滞在してしまった。
その結果、予定より遅い帰路につくことになったのだ。
「シルフィ嬢のご家族も心配してるだろう。これからはこういった遠出に付き合わなくとも、内容は学園の会議で共有するから大丈夫だ」
元々、オレーリアの領地行きは、シルフィに強制したわけではない。
生徒会室で『まとめた報告会資料について、オレーリア嬢の意見を聞きに行くつもりだ』と話したところ、『共に研究に打ち込んできた一員として、私も同行させてください』と、シルフィが強く願い出たのだ。
今日はシルフィも同行していたため、帰宅が遅くならないよう夜も明けないうちから出発している。
それでも帰路は予定より遅くなってしまった。
(帰りを急ぐ必要がなければ、もう少しオレーリア嬢の話を聞いていたかったのだが)
そう考えての声かけでもあったが、シルフィは悲しそうに眉を下げた。
「お気遣いありがとうございます。でも、私も生徒会の一員です。次にまた遠出する時は、ぜひ私も参加させてください」
「……わかった。だが、移動時間が長くて大変だろう?」
それ以上は言えず、フェリクスは頷く。
特待生のシルフィは、細やかな気配りのできる令嬢で、これまで研究にも真摯に取り組んできた。
研究熱心な彼女をないがしろにするわけにはいかない。
フェリクスの言葉に、シルフィがパッと顔を輝かせた。
「いいえ!皆さんと一緒ですから。今日は小旅行のようで、とても楽しかったです」
フェリクスが「……そうか」と口を開きかけた、そのとき。
セドリックの声が割り込んだ。
「シルフィ嬢。生徒会の活動をそのような心持ちで取り組むなど、役員としての品格に欠けるのではないでしょうか。あなたは少々軽率な発言が見られます。気をつけるように」
「私……そんなつもりじゃ……」
セドリックの言葉に、シルフィが傷ついたように視線を伏せる。その瞳は、今にも涙が零れそうに潤んでいた。
(全く。言い方というものがあるだろう)
セドリックは、フェリクスが最も信頼する補佐役だ。
宰相の長男として完璧に教育され、その実務能力に疑いを挟む余地はない。
ただし、融通は利かない。
規律と品格を何より重んじるため、相手が誰であろうと容赦なく正論を叩きつける。
時折フェリクスですら頭を抱えるほどだ。
「シルフィ嬢。私も今日は存外に有意義な時間を過ごせた。とにかく長旅で疲れただろう。今日はゆっくり休んでくれ」
これ以上話を長引かせるつもりはなく、話を切り上げ、フェリクスは馬車に乗り込んだ。
「しかし今日は驚かされたな。思っていた令嬢とは全く違った」
「そうですか?彼女は元からあんな感じでしょう。泣けばなんとかなると振る舞う姿は、生徒会役員としての品位に欠けるものだと、常々私は思っておりましたよ」
「……シルフィ嬢のことか?」
王宮へ向かう馬車の中でフェリクスが発した言葉に、セドリックが半ば呆れを含んだ声で答えた。
だがフェリクスは、シルフィの話をしたつもりはない。
「確かにシルフィ嬢は涙脆くはあるが……彼女なりに精一杯頑張っているからこそ、感情が昂るんだろう。私はそこを責めるつもりはない」
「セドリック、お前はシルフィ嬢に厳しすぎる。真面目だからこそ、涙脆い一面があることを認めてやったらどうだ?」
フェリクスに続いたディランに、セドリックがため息をつく。
「ディラン。フェリクス様の側近たるあなたが、そんな節穴でどうするのですか。剣の腕だけではなく、もう少し人の本質を見抜く目を養ってはいかがでしょう」
「お前は……本当に言い方というものを知らない奴だな」
ウンザリしたように言葉を返したディランたちのやり取りを、フェリクスは眺める。
ディランは、フェリクスが最も信頼する護衛騎士だ。
セドリックと共に幼い頃から傍らにあり、その剣技と忠誠心に疑いはない。
だが人を判断する際は、証拠よりも己の直感を重んじる傾向がある。その勘は驚くほどよく当たるのだが、時には思い込みに引きずられることもあった。
(私が見ているシルフィ嬢も、私の思い込みなのだろうか……?)
ふとフェリクスの胸に疑問が走る。
(いや、まさかな)
シルフィとは生徒会で長らくの時間を共にしてきた。彼女は生徒会役員として模範的な令嬢だ。
「セドリック。私はシルフィ嬢ではなく、オレーリア嬢のことを話したつもりだ。領地に帰った彼女は、どう見てもこれまでの印象と違いすぎるだろう?」
「まあ、確かに今日のオレーリア嬢の印象は違いましたね。最初からああいう格好をしていれば、誰にも誤解されることなく、時期王妃として相応しく見られていたでしょうに。ですが、変わったのは外見だけだったようですが」
(……それだけか?)
落ち着いた様子で答えたセドリックを、思わずフェリクスは見つめた。
セドリックにとっては、オレーリアの外見だけが以前と違って見えたらしい。
だが、フェリクスが言いたかったのは、外見だけではない。
確かに今日の彼女と見た瞬間、言葉を失くすほど驚いた。
以前会ったときの、素顔のままの姿もとても愛らしかったが、今日の控えめな化粧と上品なデザインのドレス姿が、見惚れるほどの美しさだったからだ。
さらに驚かされたのは、彼女の聡明さと優しさだ。
今年の生徒会の研究テーマの『領地間の流通』については.役員全員で研究に取り組んできた。
すでにまとめた資料は、念入りに検討を重ねたものだった。
だというのに、オレーリアは自分たちですら気付かなった視点で現実を見ていた。
どれだけ彼女が広い視野を持って、これまで学んでいたかが分かる。
そして何より驚いたのは、その知識を誇ることもなく、自分たちに向ける態度に棘がなかったことだ。
学園に出回っていた悪質な噂を信じてきた自分たちに対しても、彼女は恨み言ひとつ口にせず、自分たちをあっさりと許した。
その態度からも、許す言葉に偽りはなく本心だと分かる。
(どれだけ優しい令嬢なんだ)
フェリクスは、かつてのオレーリアの派手な外見から、彼女を傲慢で我儘な公爵令嬢だと思い込んでいた。
耳に入る噂も、(見た目そのものだな)と、疑うことなく信じて、彼女を疎んできた。
『オレーリア嬢は、シルフィ嬢を階段から落とそうとして、勝手に足を滑らせた』
転落事故の後に学園で流れたその噂も、当然疑うことなく信じていた。
だからローゼンベルク公爵から、傷跡を理由に婚約解消を申し出られたとき、その場で迷わず頷いたのだ。
(もし、事故があった後すぐに調査を入れていれば)
今になってフェリクスは、時折りそう考える。
事故後すぐに調査して、オレーリアがシルフィを庇う形で階段から落ちた事実を知っていれば、婚約解消の申し出にその場で頷くことなどなかっただろう。少なくとも、一度立ち止まり、セドリックに相談していたはずだ。
『フェリクス様はいずれ王という立場に立たれるお方なのですから。周囲の言葉に惑わされず、ご自身の目でその真意を確かめてこそ、王なる品格というものです』
――セドリックから常々、そう諭されていたというのに。
(……今さらの話だな)
オレーリアとの婚約は、すでに解消されている。
そしてそれを受け入れたのは、自分だ。
フェリクスは苦々しい思いで軽く頭を振った。
「セドリックが認めるのは、彼女の外見だけなんだな。だがセドリックは前に、『オレーリア嬢は、内面的にも次期王妃としての品位が足りない』と話していただろう?」
セドリックがそう話していたからこそ、彼女の噂に真実味を感じていたこともある。
「今日のオレーリア嬢の姿が彼女の本質と知っていたなら、そんな言葉など出なかったはずだ。セドリックはオレーリア嬢に、学園の噂は信じていなかったと話していたが、本当なのか?」
少し恨みがましい思いで、セドリックに声をかけた。
「私は確証もない噂を闇雲に信じたりはしませんよ。彼女が努力家なのは、王宮図書館で山積みにした資料を前に学ぶ姿を何度も見て知っていましたし、学業成績を見てもそれは明らかではないですか。学びの姿勢には、確かに品格はあります」
(それすらも知らなかった。――いや、知ろうともしなかった)
オレーリアの成績が良いことは知っていたが、努力あってのものだとは知ろうともしなかった。
フェリクスが返す言葉を失っていると、セドリックはさらに続けた。
「私が品位を疑うのは、彼女の生活態度です。だいたい、学園帰りにブティックの一室を貸し切って、テオドールに買わせた屋台の物を買い食いしている時点で、貴族令嬢としての品位が問われるでしょう。
その店は私の叔母が経営する店ですから。たまたま店に立ち寄ったとき、『ソースをこぼしたから、早く適当なドレスを用意しなさい』と叔母に言い付ける姿を見たときは、愕然としましたよ」
「屋台……?街の外れにある露店の話か?そんなものを貴族令嬢が口にするものなのか?」
信じられない思いで思わず呟くと、セドリックが深々とため息をついた。
「私だって信じられませんでしたよ。『学園帰りに、高級ブティックで贅沢三昧している』という噂を耳にしたものですから。たまたま叔母の店だったこともあり、実際どうなのか確認したのですが。まさかローゼンベルク公爵に見つからないよう、買い食いの隠れ部屋として部屋を押さえているなんて」
フェリクスは思わず黙り込んだ。
「買い食い……?」
呟くことしかできない。
「私が見ていることに気づいた瞬間、『私の侍女は買い食いにうるさいんだから、絶対言わないでよ。もしこのことで侍女に怒られたら、お父様を通じて、グランディエ宰相に抗議文送ってやるんだから』と彼女に脅されましたよ。相手にするのもバカバカしくて、この件に関しては、放っておくことにしました」
その時を思い出したのか、セドリックが長々とため息をついた。
もはや『ですから品格が足りないと申し上げたのです』と言葉を続ける気も削がれているらしい。
聡明な彼女も。
寛容な心で自分たちを許した彼女も。
屋台の買い食いを侍女に隠そうとする彼女も。
それがすべて彼女の本質なら――
(なぜ私はもっと彼女の話を聞かなかったのだろう)
すでに婚約を解消された今だからこそ、フェリクスの胸に深く重い後悔の念が刻まれていく。




