13. 研究報告会資料
「オレーリア嬢。それは報告会にまとめた資料だ。先に目を通してくれないか?」
フェリクスに視線で合図を送られて、セドリックがオレーリアの前に置いたのは、分厚い書類だった。
持ち上げればズシリと手に響きそうな量だ。
(前世で見たわ……)
それは前世に見慣れた光景だった。
『明日までに頼むよ』と分厚い書類を渡されて、日々絶望したものだ。
とはいえ、今目の前に積まれた資料は、『領地間の流通』がテーマだ。
通販環境をさらに良いものにする情報が、創立記念祭を待たずして得られるかもしれない。
内心少しワクワクしながら、早速最初の一枚を手に取ろうとして、ふと、皆の視線がオレーリアに集まっていることに気づく。
「私が資料に目を通す間、どうぞお菓子でも召し上がっていてください。――ニナ」
「すぐにご用意いたします」
これから大事な資料を読むというのに、手持ち無沙汰な皆に見つめられていては集中もできない。
そう考えて声をかけたニナが部屋を下がろうとした、そのとき。
可愛い声が割り込んだ。
「あの……!」
シルフィが手に持つ小箱を遠慮がちに差し出した。
「これ、みなさんに食べてもらおうと思って作ったクッキーなんです。よかったらこれも食べてください」
テーブルに置かれたのは、可愛い小箱に詰められたクッキーだった。
蓋が開かれた瞬間、ふわりと甘い香りが広がる。
中には、こんがりと焼かれたチョコチップやナッツ入りのクッキーが綺麗に並べられていた。
一目で丁寧に作られていることが分かる。
(さすがヒロインね……)
甘い香りに包まれた、可憐な少女。
それはヒロインのイメージそのものだ。
恥ずかしそうに頬を染めるシルフィが、ヒロインらしい姿を皆の前で見せていた。
「ひとついただいても?」
「え!?……あ、はい。もちろんどうぞ。食べてください」
なぜか驚かれながら、小箱を差し出される。
(フェリクス様より先に食べるなんて、とか思ったのかしら?)
だとしても関係ない。
気にせずチョコチップ入りのクッキーを一枚、指先につまんだ。
ザクッ、とした歯応えのクッキーだった。
チョコのアクセントが効いた、素朴な味わいだ。
(このクッキーがそうなのね)
これがフェリクスが話していた、生徒会役員に配られたというクッキーなんだろう。
(……ふうん)
こんなにおいしいクッキーを執務中に差し出されたら、どれだけ癒されるだろう。
口にした皆がその味わいに心を癒され、ガッチリハートを掴まれるに違いない。
フェリクスも、『おいしいよ』と言いながら微笑んだだろう。
『氷の王子様もシルフィ嬢の前でだけは、その表情を溶かすそうよ』
――そう皆が噂していた。
「あの……どうですか?」
思いを巡らせていたら、少しぼんやりしてしまったようだ。
シルフィが不安げにオレーリアを見つめている。
「おいしいわよ」
「え?!」
また驚きの声を上げられる。
そんなにオレーリアの評価が不安だったんだろうか。
確かにシルフィのクッキーは素朴な味わいだ。
ローゼンベルク公爵家お抱えの料理人の作る、最高品質のバターを使用した香り高いクッキーではない。
刻まれたチョコも、普段オレーリアが口にするような、滑らかな口当たりの高級チョコでもない。
けれど、少なくとも前世、仕事帰りに立ち寄った店でついでに買うようなクッキーとは、明らかに違う。
オレーリアは、今度はナッツ入りのクッキーをつまみ、一口かじる。
ザクッとした歯応えと、ローストしたナッツの風味が口の中に広がった。
「これもおいしいわよ。フェリクス様も『おいしい』って微笑みながら褒めていたもの」
「フェリクス様が、オレーリア様にそう話していらっしゃったのですか……?!」
パッとシルフィが顔を輝かせる。
「ええ」
頷いたところに、フェリクスの冷ややかな声が入る。
「そんな話はしてない」
「え?……ああ」
(そういえばそうね)
フェリクスが『おいしいよ』と言いながらシルフィに微笑んだのは、オレーリアが勝手に脳内で思い浮かべたシーンだった。
確かにフェリクスから、そんな話は聞いていない。
そもそもフェリクスの婚約者だったころ、彼からプライベートな話をされたことがない。
フェリクスと話ができたのも、婚約時に決められた月に一度の王宮でのお茶会だけだった。しかもその席では、いつもオレーリアだけが一方的に話していた。
フェリクスは、オレーリアの話に笑みひとつ浮かべることはなかった。
「そうでしたわね。フェリクス様からではなく、学園で聞いた噂話でしたわ」
『勝手に想像しただけ』とも言えず、オレーリアが誤魔化すと、冷ややかな視線が向けられる。
「……噂はエルザが流したものだと話したはずだが?」
「あ……そうでしたね」
どうやらフェリクスは、『おいしい』の言葉ひとつシルフィに伝えていないらしい。
(でもそれってどうなの?)
それはヒーローとして、ヒロインへの配慮が欠けるのではないだろうか。
シルフィは、オレーリアの反応さえ不安そうに窺っていた。
勘違いではあったが、フェリクスの反応を伝えた途端、あれほど顔を輝かせたのだ。
フェリクスの反応をずっと気にしていたに違いない。
ヒロインがこれほど意識しているのに、ヒーローが何の反応も返さないのはどうなのだろう。
オレーリアはフェリクスを見つめる。
その整った顔立ちから、感情を読み取ることはできない。
オレーリアは何年も彼の婚約者だったにも関わらず、何も話してくれなかった彼のことは、いまだに何も知らないのだ。
「一目で丁寧に作られたものだと分かりますし。もし、フェリクス様のお気持ちをひと言でもお伝えになられたら、シルフィ嬢も喜ばれると思いますよ」
フェリクスとシルフィの恋を応援しているわけではない。
だが、彼はもっとヒーローとしての自覚を持つべきだ。
そう思い、オレーリアはさりげなく恋のアドバイスをする。
「「いや……味の感想は、生徒会室では伝えているが……」
「え……」
(じゃあ言ってよ!)
要らぬお節介を焼いてしまったではないか。
どこか気まずそうに瞳を逸らるフェリクスを、思わず信じられない思いで見てしまう。
(なんでそんなに気まずそうなのよ。なにか後ろめたいことでもあるわけ?)
まさか、オレーリアと婚約していた時に、シルフィと二人きりの生徒会室で、耳元で『おいしいよ』と囁いたのだろうか。
(それは浮気寄りじゃない?)
婚約中にそれはない。
不誠実すぎるだろう。
――とは思うものの。
全て今さらだ。
オレーリアは、すでにフェリクスとの婚約を解消している。
「シルフィ嬢が想いを込めて焼いたのだと伝わるおいしさですからね。――あ、すみません。私ばかり食べてしまって」
空気を変えるように皆にクッキーを勧めたが、誰も手を出そうとしない。
「テオも遠慮しないで食べてみたら?おいしいわよ」
「いいよ。僕はこっち食べるよ」
そう言ってテオドールは、テーブルに並べられた別のお菓子を手に取った。
悪役令嬢の取り巻きは、ヒロインの想いを受け取る気はないらしい。
「いけない。皆さんをお待たせしてしまってるわね……」
どこか気まずい空気に、オレーリアは皆に聞こえるように呟いて、改めて書類に手を伸ばす。
余計なお節介は、焼くものではないようだ。




