第三十九話 謎な男
松明の火が揺れ、石壁に影が踊る。
俺とカリナは肩を並べ、黙ったままダンジョンの奥へ進んでいった。
天井からこうもりみたいな魔物が降ってくることもあったけど、正直問題にはならなかった。
カリナの剣が閃き、俺の剣が続く。それだけで終わる。
それでも――胸の奥が、ずっとざわついていた。
(……本当に、俺たちだけでいいのか?)
汗が冷たく背中を伝う。恐怖だけじゃない、これは責任の重さだ。
カリナだって俺が守らないといけないんだ
逃げたい気持ちはある。
でも、強くならなきゃ意味がない。
そうさ、俺が倒さなきゃ誰が魔王を倒す?
倒さないと家族が危ないんだ。
だったらやるしかない。強くなるしかないんだ。
自分のためにも。
その想いは恐怖の奥に、奇妙な静けさを作った――覚悟の静寂を。
汗を拭って一歩踏み出した、その瞬間だった。
空気が変わる。
通路が開け、大きな空間に出る。
奥から漂ってくる、肌を刺すような気配。
「アル……来る」
カリナの声が震えていた。
いつもの自信に満ちた調子じゃない。
次の瞬間――
闇の中から、巨大な影が動いた。
冷たい刃で撫でられたみたいに、全身の毛が逆立つ。
空気が鋭く震え、硫黄のような匂いが鼻を通る。
胸の奥に重く冷たい圧迫感がのしかかり、
黒い霧がゆっくりと揺れた。
その奥から姿を現したのは――鬼だった。
二本の角。鋭い赤い目。
三メートルはある巨体に、岩みたいな筋肉。
ただの獣じゃない。
人間から奪ったらしい服を着ている。
「ひっ……」
カリナが一歩下がる。
目が、完全に縫い止められていた。
鬼はゆっくり頭を下げ、低い声で言った。
「……いただきます」
その声には、殺す前の高揚も、怒りもなかった。
ただ“食事の挨拶”だった。
「カリナ! 逃げよう!」
無理だ。
鬼は強いって授業でやった気がする、強さの基準すら分からない。いや上級ってことは分かるんだけど。
それにしかも喋ってる。
あいつには知能もある。
それだけで格が違う。
命を取られたら、終わりだ。
「ふっ、雑魚が」
鬼が持ち上げたのは――金棒じゃなかった。
人の骨だ。背骨。
それを、投げてきた。速すぎた。
ドン!
音がなる。
(はやすぎだろ、)
投げてきた骨は俺という的を外し、俺の横をすり抜けていった。
鬼はチッと舌打ちをし、次の球を用意する。
反応なんて、できるはずがない。
ああ――終わった。
そう分かった瞬間、心が不気味なほど静かになった。
チラリとカリナを見る。
強く剣を握っているのに、動けないでいる。
だよな、怖くて当然だ。
でも今は恐怖を感じない。
死ぬって、身体が理解してしまったから。
けど、さっきまで動けないでいたカリナは震えながら、強く剣を握り直し
俺よりも半歩前に出た。
守られる覚悟じゃない、
一緒に死ぬ覚悟――そんな気がした。
(あぁ、カリナはすごいな。俺は、俺は……無理だ)
心臓が止まるかと思うほど、恐怖に飲み込まれたその瞬間――空気が裂ける音がした。
「やっと見つけました。ご主人様」
風が裂けた。
飛来していた骨が、白い手袋の指先で止まる。
それ以上、何も起きなかった。
そこにいた男は、世界の暴力をたったそれだけで封じ込めていた。
その男は、骨を止めたまま微動だにしなかった。
乱れたのは、世界の方そう感じさせるまでに。
俺の心臓は、恐怖で止まりそうになったのに、同時に希望と異常なほどの安心感が芽生えた。
思考が追いつかない。体が硬直する。だが、涙目となっていた瞳が引くように落ち着いた。
それよりもだ、俺が絶望している間に骨が飛んできてたってまじかよ。もしこの男がこなかったら俺……。それにカリナだって、
(くそ!ちゃんとしろ。俺!)
俺は剣を構える。
背中に冷たい汗が流れる。
「俺を……見つけたって言ったか?」
「……ええ。ですが、まずは――」
地面が揺れた。
地下全体のダンジョンが、別の咆哮で震える。
鬼が牙を剥き、俺たちに突っ込んでくる。
さっきとは別物みたいな、殺意むき出しの顔。
「アル!!」
カリナの叫び。
カリナは一度だけ、逃げ道の方を見た。
でも、何も言わずに俺の前へ出た。
「か、カリナ?!」
漆黒の影が、俺たちの前に立った。
「お下がりください、ご主人様」
白い手袋の拳が鬼の顎を打ち上げる。
骨が砕ける音がした。
だが、鬼は倒れない。
怒号を上げ、なおも立ち上がろうとする。
「チッ、邪魔だ」
――轟音がする。
次の瞬間、鬼の巨体が宙を舞い、岩壁に叩きつけられた。
壁が砕け、粉塵が舞う。
「……な……」
言葉が出なかった。
(見えなかった、はやすぎて)
執事みたいな服を着た男は、涼しい顔で立っていた。
ほぼ一撃で、あの鬼を……。
「強よ……」
カリナが呟く。
男は柔らかく微笑んだ。それはとても奇妙な笑みで、
「私の名はシリウス。ご主人様――どうか、私にお仕えさせていただけませんか?」
鬼は、呻き声ひとつ残さず崩れ落ちていた。
シリウスは手袋の皺を直し、背筋を伸ばす。
本当に、埃を払った程度の動きだった。
「……今のを、一撃で……それより、さっきの話。もう一度言え」
喉が、ひどく乾いていた。
この男、力だけじゃない。
理性と気品がある。
だからこそ――不気味だった。
「なぜ俺なんだ」
「どうして俺の執事なんだよ。お前ほどなら、誰でも従わせられるだろ」
シリウスは笑った。
人間みたいで、人間じゃない笑み。
「将棋はご存じですか?」
「……多少は」
「王将が尊くとも、歩がなければ戦は始まりません。
ですが歩は、進めば成ることができる」
赤い瞳が、俺を射抜く。
「貴方様は歩であり、王でもある」
胸がざわついた。
未来を覗かれたみたいで、気持ち悪い。
「……俺を利用する気か」
「いいえ。逆です」
シリウスは片膝をついた。
「命も、未来も、選択も。すべてご主人様のために使い切る覚悟は、すでにあります」
(何言ってんだよ、俺に命を捧げる?どこにそんな理由があるんだ)
そんな意味がわからないことに、頭がフリーズして言葉が出なかった。
「私は貴方の金将。右腕です。歩が進むための、ただの補助」
「信用できない」
カリナが小声で言う。
「アル……危ないよ。こいつ、絶対普通じゃないわ」
「うん?……あぁ、そうかもな」
シリウスは、愉快そうに笑った。
「それで結構。疑える主は、良い主です。
ですが――魔王討伐の手伝いはさせていただきます」
「んなっ!なんで知ってる」
「運命ですから」
「英雄の居場所も知ってますよ?」
とあっさり言った。
「ほんとに英雄の場所を知っているのか?」
「はい!」とにこにこしながら答える。
正直、怪しい。いやめちゃくちゃ怪しい。嘘をついていてもおかしくない。
でも――
「……信じてみても、いいかもしれない」
(こいつは強い。俺よりも遥かに、なら)
「アルがそう思うなら信じましょう。利用できるなら利用すればいいだけよ」
「……ああ」
「では! 明日、夜にここ集合で!」
「は?無理に決まってるだろ!!学校あるんだよ!」
その言葉が、この場所ではやけに浮いて聞こえた。
「ただ、その英雄はもう老人です。それにもたもたしてるとすぐに死んでしまうかもしれませんよ?」
「は?」
――結局、返事は保留。
明日考えることにして、俺たちはダンジョンを出た。
夕焼けが、やけに眩しかった。
「帰ろう……今日は疲れた」
カリナは静かにうなずく。
後ろで、シリウスが執事のように一礼した。
――
「才能の種は、水と光がなければ育たない」
シリウスは独り言のように呟き、悲しそうに微笑んだ。
「私は肥料。アル様が咲くための、ただの」
その姿は、闇に溶けて消えた。
家に帰っている時、カリナがこう言った。
「ねぇ、アル。アルは魔王を倒したいの?」
「うん」
「そっか、なら私も手伝う」
「えっ?」
俺はカリナに色々と言いたいことがあった。例えば、シリウスを利用しようって言ったこと。何にだよ。
でも、言葉に出せなかった。
「手伝う。ただそれだけよ」
(教えてくれないよな、多分)
「うん、ありがとう」
その言葉が、なぜか胸に引っかかった。
――この選択が、いつか俺だけじゃなく、
カリナの運命まで変えてしまう。
なぜか、そんな気がして。
後書き
読んでくれてありがとうございます!
※ダンジョン帰還時には、魔獣の匂いを落とすクリアという魔法を使用しています。
アルも、ちゃんと学んでいます。




