第三十八話 異世界
朝、目が覚めた。
視界に最初に入ってきたのは、カリナの顔だった。
(あ、そっか……昨日、泊まってたんだっけ)
安心したような、少し気恥ずかしいような気持ちのまま、俺はもう一度目を閉じた。
二度寝だ。
次に目を開けたとき、そこにカリナはいなかった。
一瞬、胸がひゅっと縮む。
その代わり、どこかから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
……リビングだ。
布団から起き上がり、眠い目をこすりながら向かうと、そこには父さんと母さん、そしてカリナがいた。
三人で楽しそうに話している。
「……なにはなしてるの?」
俺がそう言うと、
「おぉ、起きたか!」
と父さんが笑い、
「おはよ!」
カリナが手を振る。
「今ね、アルの学校の話を聞いてたのよ」
母さんがにっこりした笑顔で言う。
「ふーん……」
(やめてくれ、恥ずかしい)
「じゃ、飯にするか」
「うん」
今日はカリナもいるせいか、食卓がいつもより少し豪華だった。
「いただきます」
「いただきまーす!」
香ばしく焼かれた丸パン、焼いたお肉、湯気の立つ具沢山のスープ。
もぐもぐ食べていると、カリナがふと首をかしげた。
「ねぇアル。このお肉って、なんの肉なの?」
―――その瞬間、時間が止まった。
「な、なんでそんなこと聞くの?」
「え?なんでって……ただ気になっただけだけど?」
(だよね……俺も、気になってた。この世界に来てから、ずっと)
でも、怖くて聞けなかった。
だってもし――
変な名前の肉だったらどうする?
そんな不安があったから。
母さんが口を開く。
「そのお肉はね――」
(いや、)
「あっ……!」
「ん?どうしたの?」
「い、いや、なんでもない……」
「そのお肉はね」
(ぁっ)
「牛のお肉よ」
「……え?」
「へぇー!そうなんですね!」
(な、なんだ……牛かよ……)
一気に力が抜けた。
(よかった……ちゃんと牛いるんだ、この世界)
動物なんて、ほとんど見たことなかった。見たことあるのは、変な鳥とか、そこらへんを這い回る奇妙な虫とか。
あとは……モンスター。
(でも牛がいるなら安心だ。そりゃこのお肉美味しいわけだ。それに牛って感じしてたもん!よかったよかった)
「ってことは、このスープも牛なのか!よかったー!」
俺は安心しきって、スープを一口飲んだ。
その瞬間。
「うん?あぁ、それは牛じゃなくてワニ肉よ?」
―――!?
「ぶっっっ!!」
「ごほっ、ごほっ!!」
喉に直撃した。
(ワニ!?)
「ワニ肉って……あのワニ?」
「うん?えぇ。あの、立ってて筋肉ムキムキのモンスターよ?」
「……モンスター?!」
「そうそう。リザードマンって呼ばれたりするわね」
「ま、マジかよ……」
(俺、今モンスターのスープ飲んでたのか……ワニよりももっと地獄なんだか、)
「なんだアル?いつも食ってるだろ」
と父さんが不思議そうに言う。
「そうよ?美味しいじゃない!」
カリナもあっけらかんとしている。
「い、いや……美味しいよ?美味しいけど」
(こんなのを聞かれされたら、ねぇ?)
カリナが、少し楽しそうに笑った。
「見たことある?」
「……ない」
「じゃあ、今度見に行こうよ!」
「え?」
コソッとカリナが耳で言った。
「ダンジョンもね。強くなるために」
(……強くなる、か)
なんで強くなりたいんだろう。まだよく分からない。
でも、
「……いいよ」
俺はスプーンを置いて、顔を上げた。
「俺も、行きたい」
そう思って母さんの顔を自然と見た時、すごい顔をしていた。なんて表せばいいのか分からないような顔。
一言で言えば嫌そうな顔。何に?
「どうしたの?母さん?」
みんなが母さんを見る。
「いやー別になんもないけどさー、なんて言うのかねー」
「えっ?どういうこよ」
笑ってそう聞いた。
母さんは両手を頬につけて俺を見た。
「早く帰ってきなさいよ」
「うん」
(だからその顔か)
俺たちは学校とは逆方向の道を行っていた。
鳥の声だけだからか、足音がやたら大きい。
「すげ……こんなところに、でかい家あったんだな」
思わず声が漏れる。
「ほんと、大きいわね」
そこには大きな家があった。塀も門も、全部が一回りずつ現実離れしているような、豪邸が。
不思議なくらいに今まで気づかなかった。いや、見えてなかったんだと思う。
この道は来たことがない。
でも今回行く森はレイラと行ったあの森だろうな。
色々あった、あの森。鮮明には思い出せないが嫌な思い出だけはある。
(でも、あそこでレイラとも出会ったんだよな)
家の前を通り過ぎようとしたとき、ふと立ち止まる。
白壁の一部が赤茶けている。門扉の金属は、雨に打たれ続けたみたいに鈍く光っている。
(錆びてるな、ちゃんと手入れされていないんだろうか?)
こんな豪邸なのに?
「整備されてないんだな」
カリナは豪邸をふたたび見る。
「そうね」
「まぁ、いっか」
そして、いつしか森につく。
その森は樹に覆われていて、前を見ても木が邪魔して先が見えない。
「ここなのか?カリナ?」
「そうよ、泳いでるわ」
カリナの一言で、俺は思わず森の奥を見た。すると視界の少し先に緑っぽい感じのものが見えた。
木々の間から、かすかに水の音が聞こえる。ちゃぷ、ちゃぷと、規則的な音。
一歩踏み込むと、空気が変わった。
朝の森のはずなのに、ひんやりしていて、背中に冷たいものが這う感じがする。
鳥の声も、さっきまでより遠い。
先に進むと水辺に出た。そこには小さな湖があり、丸い形をしていた。
けど、喜べない理由があった。
それはあり得ないほどに水が汚いということ、なんと水は濁っていて底が見えない。
そして、なんといっても不快感が残るような匂い。
「もっとこう、ブルーオーシャンみたいな湖かと思ったなのに」
「何言ってんのよ、リザードマンよ?そこにいるわけないじゃない」
カリナは不思議そうにこちらを見る。
(そう言われればそうだよなー、別に遊びにきたってわけじゃないのか)
俺は湖に近寄って観察する。
「……ほんとだ」
水面が、ゆっくり揺れている。
風もないのに。
「いるでしょ?」
「……いるな」
ごくり、と喉が鳴った。
そのとき。
――ざばぁっ!!
水が割れた。
「っ!?」
反射的に一歩下がる。
目の前に現れたのは、緑がかった鱗、太い腕、立ち上がった長い影。
「……ワニ?」
いや、違う。
ワニ“みたいな何か”だ。
二本足で立っている。
胸板は分厚く、腕は丸太みたいで、黄色い目がこちらをじっと見ていた。
「これが……リザードマンか」
「うん。スープの材料」
「最悪な紹介の仕方だな」
こいつはすぐに襲ってこなかった。
水辺に立ったまま、俺たちを観察するように首を傾げている。
――あれ?
「……逃げないのか?」
「多分、様子見ね」
カリナが一歩前に出た。
「アル、見てて。最初はね――」
そう言った次の瞬間だった。
目の前で、カリナの剣が光を反射し、風を切る音が森に響く。
カリナは一歩、また一歩と踏み込んで走った。
瞬きをした瞬間、リザードマンの首が一瞬で吹き飛び、血と水しぶきが空中に飛び散った。
ぽちゃんと小さく池から音が鳴る。
「……え」
あっけなさすぎて、声も出なかった。
リザードマンっていうのは、わざと相手を驚かせて、反応を待つらしい。
で、動揺して攻撃してきたら、向こうも攻撃する。それが、リザードマンの狩り方。
だから――先に、確実に仕留める。
それが、カリナ式。
……どこでそんなの覚えたんだよ。
ほんとに。
それに……
俺は目を閉じた。
(リザードンマンの首が吹き飛んだ。俺はそれをみて思った。やっぱりこの異世界にはまだ馴染めていない気がする)
目を開けると、カリナがニッコリの笑顔でピースしてこちらを見ていた。
(あはははは……)
その後、ダンジョンに向かう予定だったんだけど、
カリナがぽつりと「お腹すいた」と言った。
それで、先にご飯を食べに行くことになった。
お金は、父さんから毎月千マネーもらってる。
ここでは千円=千マネーって言うらしいけど、
名前が違うだけで、ほとんど変わらない。いや、まったく変わらない。
今日は少し多めに持ってきてたし、問題なし。
(よかった一応お金持ってきておいて、それにしても楽しみだな)
俺は胸を馳せていた。
その後は町に出て、店を探した。
するとカリナは何かを見つけたようにずっと店の看板を見つめていた。
「ここ行くか」
「う、うん!」
そんな感じでこの店に入ることにした。
「うわー美味しそうね!アル!」
「ほんとだ、うまそ」
そこには見たことない料理もたくさんあったが、見た目はものすごく美味しそうな料理で埋め尽くされていて、どれも食欲をそそった。それに店の奥から漂ってくる香りだけで、ここがただのお店じゃないって分かる。
ものすごいイタリアンって感じの店だ。
ほどなくして料理が運ばれてきて、向かい合って一緒にご飯を食べる。
「うわーすげ」
到着した料理は見た目だけならイタリアンのパスタに近い。少し太めの麺に、何か分からないが良い匂いの混じった赤い濃厚なソースがたっぷり絡んでいる。ボロネーゼっぽいけど、使われてる香辛料が全然違う。
後正直、肉料理は避けておいた。異世界の肉って聞くと、どうしても正体を考えて気が引けたから。
そのタイミングで、カリナの料理も一緒に運ばれて届く。テーブルに出された料理は堂々たる肉料理。表面はこんがり焼き色がついていて、ナイフを入れなくても分かるくらい柔らかそうだ。照りのあるソースが肉に絡んで、湯気と一緒に香ばしい匂いが立ち上る。
「……それ、すごいな」
「でしょ?」
カリナはちょっと誇らしげに笑って、何の躊躇もなくナイフを入れた。
じゅわっと肉汁が溢れて、思わず喉が鳴る。
「一口、いる?」
そう言われて、俺は少しだけ迷ってから頷いた。異世界料理、恐るべし。
そして少し躊躇いながらも一口を口に含むと、
「うま!」
「ふふ、子供みたい!」
「別に俺らはまだ子供だろ?」
「まぁまだそうかもしないわね」
気づけば、皿はきれいに空になっていた。
「……食ったな」
腹の奥がじんわり温かくて、指一本動かすのも億劫なくらい満たされている。
あの見慣れない麺も、最初は警戒していたあのお肉も、最後には名残惜しくなるほどだった。
カリナの皿も同じだ。さっきまで山みたいに盛られていた肉は跡形もなく、ソースだけが名残みたいに残っている。
「はあ……美味しかった」
カリナが椅子にもたれ、満足そうに息を吐いた。
その顔を見て、なんとなくこっちまで嬉しくなる。
店内は相変わらず賑やかで、食器が触れ合う音と笑い声が混じっている。
さっき食べた料理の匂いも、今は心地いい背景音みたいだ。
「人生で一番うまいかもしれない」
そう言うと、カリナはくすっと笑う。
「それアルのお母さんが可哀想よ?」
「いや、それも美味しいから!でもそれとこれは別よ」
腹も心も満たされて、しばらくは立ち上がる気になれなかった。
でも……問題が起こった。
ちゃんと割り勘にしようとした。
親からもらったお金だし、それが普通だと思ったから。
でも。
カリナの財布を、ちらっと見てしまったとき。
中身は、ほんの少し。一応払える分のお金はある。
ただカリナは財布を見てどこか寂しそうな顔をした。
だから、何も言わずに俺が払った。
「気分いいからさ。今回だけな」
「……うん。ごめん。ありがとう」
そう言ったカリナの顔は、
嬉しそうな顔ではなく、悔しさと、申し訳なさが混ざった、苦しそうな顔だった。
「ほんとに……ごめんなさい。こんな顔するなら、ご飯なんて来なければよかったのに」
「そう?」
俺は首をかしげる。
「俺はさ、ご飯食べれて楽しかったよ。それに、そんな顔するのだって、人それぞれ理由あるんでしょ」
「……うん。ありがとう」
小さな声だった。
「俺さ、今日、なんか気分いいんだよね」
そう言うと、
カリナは少し迷ったあと、何かを思い切ったみたいに口を開いた。
「ねぇ……渡したいものがあるの」
そう言って、
カリナは両耳についていたピアスの片方を外した。
「え?」
「これ、あげる」
手のひらに乗せられた、小さなピアス。
「お母さんにもらった大事なピアスなの。でも……アルにも、つけてほしくて」
一瞬、言葉が出なかった。
「……うん。ありがとう」
「うん!」
その笑顔は、さっきよりずっと自然だった。
「で、その……冗談、二つあるんだけど言ってもいい?」
(やめといた方がいいか、いやでも)
やめとけって思ったけど、口が先に動いた。
「いいけど?」
「冗談だからね。怒らないでよ?」
間を少し置いて、
「まず一つ。ピアスって……痛そうで、正直ちょっと怖いなって思ったわけなんですよ」
眉が、ぴくっと動く。
「で、もう一つね。人がつけてたやつを、そのままつけるのって……どうなんだろーなーって、ね?」
完全に、眉間にしわが寄った。
「な、なによ……ふん!」
「あっ、ちがっ、冗談だから!冗談!」
慌てて手を振る。
「……でも」
カリナは少し考えてから言った。
「着けてくれるんでしょ?」
「うん」
「耳はね、細い針で開けるのよ」
「……いたそー」
「まぁまぁ」
そう言って、カリナは笑った。
「それは後にして。ほら、ダンジョン行きましょ!」
その声は、さっきよりずっと明るかった。
そして俺らはダンジョンへ向かった。
踏み入れたダンジョンの入り口は大きかった。
「ねぇカリナ、地下にダンジョンってあるけどさ、あまりにもここの入り口広くない?」
「そうね、広いかも」
そのダンジョンの入り口は一般の家の玄関五個分くらいの広さをしていて、壁はツルがつたっていて、いつ崩れてもおかしくないようなそんな奇妙さがあった。
「でも前は初級ダンジョン。ここはそれよりも難しいダンジョンだから」
「そっか、ちなみにここのダンジョンは何級?」
「上級」
「はぁ?!めっちゃ飛ばしたな!絶対!その間に!中級あるだろ!」
「しょうがないじゃない!ここの近くには上級と初級しかなかったのよ!」
「まぁ行くか、俺たちならいける?よな」
俺はその入り口へと目を向ける。
このダンジョンに入ったら未来が変わるとも知らずに、




