数字と骨格
視点:古田 麻尋
---
私は言葉が苦手だ。
喋ることが苦手なのではなく、言葉というものが本質的に信用できない。
言葉は意図で歪む。感情で曲がる。同じ言葉が、話す人間によって全く別の意味を持つ。
だから私は数字と骨格を見る。
身長、体重、歩幅、重心の位置、利き手、呼吸のリズム。それらは嘘をつかない。
どんなに言葉で取り繕っても、体は正直だ。
ラルゴという人間を、私は映像でしか見ていない。
でも映像だけで、かなりのことがわかった。
---
朝から画面と向き合っていた。
切り抜き映像だけでは足りないと由紀子さんが言った。
本物の映像が必要だと言った。
私は黙って作業を続けた。
切り抜き映像を何度もコマ送りにした。拡大した。ノイズを処理した。
できる範囲で鮮明にした。
わかったことを順番に書き出した。
身長、百七十二センチ前後。誤差三センチ。
体重、六十五キロから七十キロの間。
年齢、四十代から五十代。姿勢の崩れ方と歩幅から推定。
右膝に古い損傷。疲労時に右足を引きずる。
歩くとき、左腕の振りが右より小さい。右側に何かを携帯する習慣がある。
最後の一点が、気になった。
右側に携帯する習慣。それは右利きの人間が腰の右側に何かを差す場合に出る癖だ。
財布でも、スマホでも、ナイフでも、銃でも、同じ動作になる。
でも財布やスマホなら、あそこまで自然な姿勢にはならない。
長年、体の一部として携帯してきたものだ。
---
昼過ぎ、千紗都が出かけた。
どこへ行くとは言わなかった。由紀子さんも聞かなかった。私も聞かなかった。
三人の間では、そういうことは聞かない。
由紀子さんが私の後ろに立った。画面を覗いた。
「何がわかった」
「体の右側に、長年携帯してきたものがある」
由紀子さんは少し黙った。
「……銃だ」
「そう思います」
「ラルゴは右利きだった。ホルスターは腰の右側につける癖があった」
私はメモに書き加えた。
「他には」
「左腕に古い火傷の痕がある可能性があります。映像では確認できませんでしたが、左腕の動かし方がわずかに硬い。皮膚の引きつれがあると、そういう動きになります」
由紀子さんが息を吸った。短く、でも深く。
「……当たってる」
「知ってましたか」
「左の前腕に、火傷がある。昔の話だ」
私は由紀子さんを見た。由紀子さんは画面を見ていた。
この人は、ラルゴのことを体の細部まで覚えている。
それだけ長く、近くにいた人間だということだ。
私は何も言わなかった。
---
夕方、千紗都が戻ってきた。
「安藤という男が、根古という男とラクカで会っていた」
千紗都が報告した。
「根古の目は、由紀子さんに少し似ていた」
由紀子さんが「似てる?」と聞いた。
「何かを長く見てきた人の目だって」
私は根古親司という名前を検索した。
出てくる情報は少なかった。五十八歳。可児市在住。
職業不明。SNSのアカウントはない。地元のコミュニティサイトに名前が出てくる程度だ。
情報が少ない人間には、二種類いる。
世の中に興味がない人間と、情報を残さないようにしている人間だ。
「根古という男、経歴が薄すぎます」
私が言うと、由紀子さんが「そうか」と答えた。驚いた様子はなかった。
「知っているんですか」
「少し、な」
由紀子さんはそれ以上言わなかった。
私も聞かなかった。
---
夜、私は作業を続けた。
映像の解析だけではなく、爆発そのものの分析も始めた。
ニュースで公開されている情報と、現場映像から読み取れる情報を照合した。
爆発の規模。炎の色。燃え広がり方。
炎の色は、燃料の種類で変わる。映像の炎はオレンジに近かった。
ガソリンだ。量は多くない。車両一台を燃やすのに必要な最低限、という印象だった。
つまり、派手にやりたかったわけではない。
確実に、でも目立ちすぎずに、燃やしたかった。
何を。
車両そのものではないはずだ。廃車に燃やす価値はない。
車両の中にあったものを、燃やしたかった。
私はその仮説をメモに書いた。それから由紀子さんに見せた。
由紀子さんはメモを読んだ。少し考えた。
「証拠隠滅だ」
「何の証拠ですか」
「それがわかれば、この事件の核心に触れる」
私は頷いた。
由紀子さんがメモをテーブルに置いた。
「麻尋」
「はい」
「根古という男に会いに行く」
私は少し意外に思った。由紀子さんが自分から人に会いに行くのは、珍しい。
「一人でですか」
「千紗都も連れていく。お前は引き続き解析を頼む」
「わかりました」
由紀子さんが立ち上がった。千紗都に声をかけた。
私は画面に向き直った。
証拠隠滅。燃やされた何か。ラルゴと、その車両の関係。
数字と骨格では読めない部分が、この事件にはある。
でも数字と骨格から入れる部分は、まだある。
私はキーボードを叩き続けた。
---
深夜、一つのことに気がついた。
映像の人影??ラルゴは、爆発の直前ではなく、直後に歩いていた。
当たり前のように見えるが、違う。
普通、爆発が起きれば人間は驚く。足が止まる。振り返る。あるいは走って逃げる。
ラルゴは歩いていた。
普通の速度で。振り返らずに。
爆発を、知っていた。
いや、それだけではない。
爆発のタイミングを、自分で決めた人間の歩き方だった。
私はその一行をメモの一番上に書いた。
「ラルゴは爆発を起こした側だ。逃げた側ではない。」
それから少し考えて、もう一行書き加えた。
「では、なぜ自分で証拠を燃やした?」
答えはまだなかった。
でも問いが鋭くなった。鋭い問いは、いつか答えに届く。
私はコーヒーを飲んで、作業を続けた。
---
*── 第七話 了 ──*




