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「おそのさんとタヌキ」

十一月の半ば、可児市の西側の山に、タヌキが出た。


 出た、というのは比喩だった。正確には??山の近くを歩いていた人間が、次々と道に迷った。


 最初は一人だった。散歩中の男性、六十代。

スマートフォンのナビの通りに歩いたら、気づいたら山の中にいた。二時間後に自力で下りてきた。


 次は二人。主婦と、その友人。やはりナビの通りに歩いて、山に入った。こちらは三時間かかった。


 三人目は、単独行動の若者だった。翌朝まで帰ってこなかった。消防が出た。


 四件目が起きた時、雨月が工藤に電話した。


「また山です」と雨月は言った。


「また、というのは」と工藤は言った。


「今月で四件目です」と雨月は言った。

「全員、同じ山の近くを歩いていてナビに誘導されて迷い込んでいます」


「おそのさんとタヌキの山ですか」と工藤は言った。


「知っているんですか、その話を」と雨月は言った。


「鳴海さんから聞きました」と工藤は言った。


「……そうですか」と雨月は言った。

「フェルナンドさんも同じことを言っていました。タヌキの祟りだと」


「フェルナンドさんは、もう動いていますか」


「動いています」と雨月は言った。声が少し疲れていた。

「ロドリゲスさんと鳴海さんも一緒です。三人で現地に向かっています。配信しながら」


---


 工藤が安藤に電話した。


「三人が山に入りました」と工藤は言った。


「またですか」と安藤は言った。「フェルナンドさんたちが」


「そうです」


「わかりました。麻尋を呼びます」と安藤は言った。

「あの山の地図は麻尋が一番詳しい」


「お願いします」


---


 その頃、山の中では。


 フェルナンド・村田が、配信を続けていた。


 スマートフォンを自撮り棒に取り付けて、歩きながら話していた。


「今、おそのさんとタヌキの山に来ています。皆さん、見えていますか。電波、ありますね、まだ。ビッグな霊気を感じます。前回の鬼ヶ島以来の、ビッグな??」


「フェルナンドさん」と後ろからロドリゲスが言った。「ナビがおかしいです」


「おかしい?」


「さっきから、同じ場所をぐるぐるしています」とロドリゲスは言った。

スマートフォンの画面を見せた。「ここを右と言ったり、左と言ったり」


「タヌキや」とフェルナンドは言った。


「タヌキがナビを操作するんですか」


「タヌキはなんでもできる」


「それは信じられません」とロドリゲスは言った。「チャンネル登録お願いします」


「今言いますか」とフェルナンドは言った。


 鳴海美佑が前から戻ってきた。「二人とも、道が消えています」


「消えた?」


「さっきまであった踏み跡が、なくなっています。ナビも正確じゃないし??どっちへ行けばいいかわかりません」


 三人が立ち止まった。


 山の木々が、午後の光の中で静かだった。


 遠くで、鳥が鳴いた。


「……タヌキやな」とフェルナンドは言った。


「タヌキじゃないと思います」とロドリゲスは言った。


「タヌキや」


「証拠は」


「雰囲気」


「雰囲気では証拠になりません」


「占い師にとって雰囲気は証拠や」


 美佑が「二人とも」と言った。「どっちでもいいから、出口を探しましょう」


---


 工藤と安藤と麻尋が山の入口に着いたのは、三人が迷子になってから一時間後だった。


 麻尋が手書きの地図を出した。


「この山、以前に二回歩いています」と麻尋は言った。

「北側に、尾根沿いの道があります。そこを上れば見通しが効く」


「三人の位置はわかりますか」と安藤が言った。


「フェルナンドさんが配信しています」と麻尋は言った。

スマートフォンで配信画面を見た。「背景の木の種類と、地形から??たぶん、ここです」と地図を指した。


「配信が役に立ちましたね」と工藤は言った。


「配信は常に役に立ちます」と麻尋は言った。真顔で。


---


 山の中で、フェルナンドがタロットを出した。


「この状況で」とロドリゲスは言った。


「占って出口を探す」とフェルナンドは言った。


「カードが出口を教えてくれるんですか」


「方向性を示してくれる」


「具体的な方角を示してくれますか」


「……それは無理」


「役に立ちませんね」


「役に立つ。精神的に」


 美佑が「精神的に役に立ったとして、物理的に出られますか」と言った。


「物理的には??出られないかもしれん」とフェルナンドは言った。初めて弱気になった。


 三人がその場に座った。


 フェルナンドがカードを引いた。カメラは回っていたが、今はそれどころではなかった。


 出たのは「愚者」だった。


 愚者は始まりの象徴だ。何も持たずに旅に出る人間。無謀だが、純粋。


「愚者や」とフェルナンドは言った。


「どういう意味ですか」とロドリゲスは言った。


「俺たちのことや」とフェルナンドは言った。「準備なしに山に入った」


「それは占わなくてもわかります」と美佑は言った。


「ただ??」とフェルナンドは言った。カードをよく見た。

「愚者は、助けられる。旅の途中で、誰かに助けられて、次の一歩を踏み出す」


「助けが来ますか」


「来る」とフェルナンドは言った。「絶対来る」


---


 安藤が三人を見つけたのは、それから二十分後だった。


 尾根から下りて、声を出しながら歩いて??フェルナンドの「ビッグビッグ」という声が聞こえてきた。


「聞こえました」と安藤は言った。


「どこですか」と麻尋が耳を澄ませた。


「あっちです」と工藤は言った。


---


 三人が合流した時、フェルナンドが「来た! 助けが来た!」と叫んだ。


「言った通りや! 愚者は助けられる!」


「よかったです」と安藤は言った。「怪我はありませんか」


「ありません」とロドリゲスは言った。「チャンネル登録お願いします」


「遭難中にも配信していましたか」と安藤は言った。


「していました」とロドリゲスは言った。「コメントが千件来ています」


「千件」と安藤は言った。


「心配してくれた人と、面白がっている人が、半々くらいです」


「半々」


「コンテンツとしては優良です」


 安藤は工藤を見た。工藤は何も言わなかった。


---


 山を下りながら、工藤が周囲を観察した。


 ナビが誤作動していた、という報告が四件あった。

全員、同じ山の同じ方角から迷い込んでいた。


 山の入口近くに、新しいものがあった。


 鉄塔だった。


 最近建てられた電波塔だった。まだ周囲の草が短かった。

建設から日が浅い証拠だった。


「安藤さん」と工藤は言った。


「はい」


「あの電波塔、いつ建てましたか」


「わかりません。ただ??」と安藤は言った。鉄塔を見た。

「先月はなかったと思います。記憶に残っていない」


「先月から今月にかけて」と工藤は言った。「四件の迷子事件が起きています」


「関係がありますか」


「調べます」と工藤は言った。


---


 ラクカに戻った。


 フェルナンドが「タヌキは実在した」と言った。


「タヌキではありません」と工藤は言った。


「電波のタヌキや」とフェルナンドは言った。

「現代のタヌキ。化かすのが、動物から機械に変わっただけや」


 工藤は少し考えた。


「それは、正しい解釈かもしれません」と工藤は言った。


「ほんまか」とフェルナンドは言った。驚いた顔で。


「民話のタヌキは、人間を道に迷わせた。現代のGPSの誤差も、人間を道に迷わせた。化かす存在の形が変わっただけで、起きていることは同じです」


「ビッグやないか」とフェルナンドは言った。


「ビッグかどうかはわかりませんが」と工藤は言った。

「正しいとは思います」


---


 根古にメッセージを送ると、今回は直接返信が来た。


*「タヌキは化かさない。化かすのは人間だ。その山の近くに、新しい電波塔が建った。

GPSの誤差が出やすい場所になっている??意図的に、かもしれない。建設業者を調べてほしい。??根古」*


「意図的に」と安藤は言った。メッセージを見て。「GPS信号を乱すために電波塔を建てた?」


「山林に近づく人間を、排除するために」と工藤は言った。「第五話の大岩と、似ています」


「また、土地の話ですか」


「土地の不法占拠か、何かの隠蔽か」と工藤は言った。「調べてみなければわかりませんが」


---


 翌日、麻尋が調べてきた。


 電波塔の建設業者は、書類上は存在していた。ただ??連絡先の電話が繋がらなかった。

住所が、実在しない住所だった。


「幽霊会社です」と麻尋は言った。


「山林の所有者は」と工藤は言った。


「個人の名義です」と麻尋は言った。「ただ??この名前、第五話で出た業者と、住所が同じです」


 工藤と安藤が顔を見合わせた。


「繋がっていますか」と安藤は言った。


「調べます」と工藤は言った。


 雨月に連絡した。雨月が動いた。


 電波塔の設置は許可を得ていなかった。山林への不法侵入も確認された。

業者の実態を調べると??第五話の件で関わっていた組織の、別の支部だった。


「同じ組織が、可児の別の場所で動いていた」と雨月は言った。


「タヌキは、一匹じゃなかった」とフェルナンドは言った。ラクカで聞いていた。


「一匹じゃなかった」と工藤は言った。「ただ??また、止められました」


---


 処理が終わった夜、ラクカに全員が集まった。


 フェルナンドが「遭難した話、動画にしていいですか」と工藤に聞いた。


「事件が解決した後なら」と工藤は言った。


「解決しました」


「なら、いいです」


「ビッグビッグ」とフェルナンドは言った。


「チャンネル登録お願いします」とロドリゲスが言った。


「今の瞬間もいいですか」と美佑が言った。カメラを向けた。


「いいです」と工藤は言った。疲れた顔で。


「工藤さん、映っていいんですか」と江戸川が言った。


「たまには、いいです」と工藤は言った。「たまには」


---


 太田からメッセージが来た。


*「根古さんから。フェルナンドさんの愚者のカード??今回も、方向は合っていた。助けが来た。??太田」*


「根古さんが、配信見ていたんですか」と江戸川が言った。


「見ていたんでしょう」と工藤は言った。


「引きこもりで、FXをしながら、遭難配信を見ている」


「そうです」


「……なんか、いいですね」と江戸川は言った。


「いいですね」と工藤は言った。


 フェルナンドがタロットを一枚引いた。今度はカメラが回っていた。


 出たのは「星」だった。


 希望と再生の象徴。


「ええカードや」とフェルナンドは言った。


「何を意味しますか」と美佑が聞いた。配信しながら。


「次が来る、ということや」とフェルナンドは言った。「もう一話、ある」


「それは民話篇が続くということですか」


「それと??」とフェルナンドは言った。「根古さんが、何かを話す。そんな気がする」


 ラクカが少し静かになった。


 太田がカウンターで、次のコーヒーを淹れていた。


 根古のカップが、一杯、出た。

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