「今の団子屋と、消えた常連」
九月の可児は、少し涼しくなっていた。
山から風が下りてきて、可児川の水位が戻り、街の空気が柔らかくなった。
秋の始まりの匂いがした。
その季節に、団子が食べたくなるのは、自然なことだった。
西野千紗都は、月に二度、「今の団子屋」に寄っていた。
今の団子屋??正式な屋号は「今屋」といったが、地元では誰もそう呼ばなかった。
可児川沿いに面した小さな店で、創業が江戸期とも言われていた。
看板は古く、のれんが日に焼けていた。ガラスケースに三種類の団子が並んでいた。
醤油、みたらし、あんこ。値段は三十年変わっていないと店主が言っていた。
千紗都がシロを店の前に停めると、ミケが鼻をひくつかせた。団子の匂いを知っていた。
店に入ると、いつもいるはずの常連の老人がいなかった。
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老人の名前は田中義雄、七十八歳だった。
今の団子屋の一番古い常連で、毎朝九時に来て、みたらし団子を二本食べて、お茶を飲んで、帰っていく??それを十年続けていた。
先週から、来ていなかった。
「どこかへ行ったんですかね」と千紗都が店主に聞いた。
「遠くへ行くって言っていた」と店主は言った。六十代の女性で、三代目だった。「急に。先週の火曜日に来た時、『しばらく来られなくなる』と言って」
「ご家族は何と」
「娘さんに聞いたら??そんな話は聞いていない、って」と店主は言った。
「ご本人からも、娘さんからも、何も言ってこない。心配しているんですが」
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千紗都が工藤に連絡したのは、その日の夕方だった。
「団子屋の常連が一人、消えました」と千紗都は言った。
「一人ですか」と工藤は言った。
「店主に聞くと??田中さんだけじゃなかったみたいで」と千紗都は言った。
「他にも常連が何人か、先月くらいから来なくなっている、と言っていました。みんな、どこかへ行くって言って」
「家族に告げずに」
「そうみたいです」
工藤は手帳を出した。「何人くらいですか」
「店主が覚えているだけで、五人です」と千紗都は言った。「全員、七十代以上の方で」
「共通点がありますね」と工藤は言った。
「高齢者ばかりです」と千紗都は言った。「工藤さん、これは??」
「調べます」と工藤は言った。
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翌朝、工藤と江戸川が今の団子屋に来た。
柊澪と藤原茜も来た。
二人は「私たちも何かできますか」と言い、工藤が「常連客の話を聞いてもらえますか」と言い、二人は「わかりました」と言って団子を注文した。
「仕事しながら食べるんですか」と江戸川が言った。
「団子屋で団子を食べないのは不自然です」と澪が言った。
「正しいです」と工藤は言った。
団子を食べながら、四人は店主から話を聞いた。
消えた常連は、全員で七人だった。
七十代が三人、八十代が三人、九十代が一人。
全員が近隣在住で、全員が「どこかへ行く」と言い残して、姿を消していた。
失踪届は出ていなかった??家族が「本人の意思だから」と思っていたからだった。
「でも??急すぎるんです」と店主は言った。「田中さんなんて、先週まで普通に来ていたのに。急に『遠くへ行く』って」
「引っ越しの話は、事前にありましたか」と工藤は言った。
「まったく」と店主は言った。
「それが一番不思議で。田中さん、ずっとここに住むって言っていたのに」
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古田麻尋が午後に来た。
今朝の街歩きで気になることがあった、と言った。
「団子屋の近くに、引越し業者のトラックが何度か来ていました」と麻尋は言った。
「同じ業者です。先月、三回。今月、二回。
ただ??荷物を運び出しているのではなく、運び入れているように見えました」
「運び入れている」と工藤は言った。
「荷物が少なかったんです」と麻尋は言った。
「本来の引越しにしては。大きいトラックなのに、荷物が少ない。それが気になって」
「業者の名前は」
「わかりませんでした。トラックに社名が入っていなかったので」
「社名なしの引越し業者」と安藤が言った。
「普通ではありませんね」と工藤は言った。
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太田に電話した。
「根古さんに伝えてもらえますか。今の団子屋の常連が七人、家族に告げずに姿を消した。引越し業者のトラックが、社名なしで周辺を往来していた」
「わかりました」と太田は言った。
二十分後、メッセージが来た。
*「根古さんから。団子屋の配達記録を見ろ。常連が消えた日と、配達が増えた日が重なるはずだ。団子屋は関係ない。団子屋を使っている誰かが関係している。??太田」*
「配達記録」と江戸川は言った。「団子屋、配達をしていましたか」
「聞いていませんでした」と工藤は言った。
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店主に聞くと、配達をしていた。
「高齢で外出が難しい方には、届けることがあります」と店主は言った。
「ボランティアみたいなものです。お代はもらっていません」
「配達先の名前と日付を、記録していますか」と工藤は言った。
「手帳に書いています」と店主は言った。
手帳を見た。
工藤が消えた七人の名前と、配達の日付を照合した。
全員、配達を受けていた。
最後の配達から??二週間以内に、消えていた。
「配達に来た人間は、誰ですか」と工藤は言った。
「いつもは私が行きますが」と店主は言った。
「先月から、手伝いに来てくれている人がいて。その人が行くことが多かったです」
「手伝いの人は、今もいますか」
「先週から来ていません」と店主は言った。「急に来なくなって」
「名前を教えてもらえますか」
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手伝いの人間の名前は、架空のものだった。
安藤が調べると、住所も電話番号も存在しなかった。
「仕込まれた人間です」と安藤は言った。
「団子屋に入り込んで、配達を使って高齢者に近づいた」
「配達の時に、何かしたんですね」と江戸川が言った。
「信頼関係を作って??引越しを勧めた、か」と安藤は言った。「あるいは、別の何かを」
「薬、ではないと思います」と工藤は言った。
「第一話や第五話の手口と少し違う。記憶を消しているわけではなく??本人が自分の意思で動いています。『遠くへ行く』と言っている」
「誘導されて、自分の意思だと思わされている」と安藤は言った。
「そうです」と工藤は言った。
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千紗都がシロで動いた。
麻尋が見た「社名なし」のトラックの目撃場所から、配達ルートを推測した。
「ここから、ここへ」と麻尋が地図を示した。
「このルートを通っているとすれば、この方角に何かある」
「行ってみます」と千紗都は言った。
シロに乗った。ミケが助手席にいた。
可児川沿いを北上して、山の手前で右に折れた。細い道を進んだ。
ミケが鼻をひくつかせ始めた。
「どうしたの」と千紗都は言った。
ミケが助手席で立ち上がった。窓の方を向いた。
千紗都がスピードを落とした。
山の斜面に、古い建物があった。廃屋ではなかった。電灯がついていた。
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千紗都が工藤に電話した。
「見つけました」と千紗都は言った。
「山の手前に、建物があります。電灯がついています。ミケが反応しています」
「近づかないでください」と工藤は言った。「場所を送ってください。すぐ行きます」
「わかりました。ただ??工藤さん」
「何ですか」
「建物の前に、トラックが停まっています。社名がありません」
「動かずに待っていてください」と工藤は言った。
「わかりました」と千紗都は言った。「ミケ、集中してください」
ミケは助手席で、建物の方向を見続けていた。
「無理です」と千紗都は言った。一人で。
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工藤、江戸川、安藤が来た。
雨月にも連絡した。雨月が来た。
建物の中に、七人の高齢者がいた。
田中義雄も、いた。
全員、怪我はなかった。意識もあった。
ただ??「なぜここにいるのかわからない」と言った。
「引越しのために来た気がするが、どこへ行くつもりだったか覚えていない」と言った。
建物の中には、高齢者の通帳や印鑑、権利書が保管されていた。
「財産を狙っていた」と雨月は言った。
「誘導して、信頼を得て、財産を移すつもりだった」
「記憶の処理はしていない」と工藤は言った。
「ただ??判断力を低下させる何かを、食べ物や飲み物に」
「団子に」と江戸川が言った。
「配達された団子に、何かが混ぜられていた可能性があります」と工藤は言った。
「団子屋は関係ない」と安藤は言った。「根古さんが言っていた通りだ」
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田中義雄が、工藤に話しかけてきた。
「探してくれましたか」と田中は言った。
「来ました」と工藤は言った。
「どこから来たんですか」
「可児市内です」
「可児の人が来てくれたんですか」と田中は言った。嬉しそうに。「ありがとうございます」
「今の団子屋の店主が、心配していました」と工藤は言った。
「そうですか」と田中は言った。
「あの店主は??三代目なんですよ。私が若い頃から通っている店です。店主のおじいさんの頃から」
「長い付き合いですね」
「可児は、そういう街です」と田中は言った。「長く続くものが、いくつもある。それが??いいことでもあり、狙われることでもありますが」
「そうですね」と工藤は言った。
「また団子を食べに行けますか」と田中は言った。
「行けます」と工藤は言った。「今の団子屋は、明日も開いています」
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夕方、ラクカに集まった。
柊澪が「私、役に立てましたか」と工藤に聞いた。
「常連の話を聞いてくれました」と工藤は言った。「それが最初の情報でした」
「団子を食べながら聞いただけです」と澪は言った。
「それで十分です」と工藤は言った。
「団子、美味しかったです」と茜が言った。
「それも大事です」と工藤は言った。
千紗都がミケを膝に乗せて座っていた。ミケが珍しく、大人しくしていた。
「ミケ、今日はよく頑張りました」と千紗都は言った。
「ミケが見つけたようなものですね」と江戸川は言った。
「ミケは団子の匂いを追っていただけだと思います」と千紗都は言った。
「それでも」と江戸川は言った。「結果は同じです」
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太田がカウンターからメッセージを確認して、工藤に紙を渡した。
*「根古さんから。団子屋に、礼を言っておいてほしい。あの店の味は、可児の記憶だ。??太田」*
工藤はメッセージを読んだ。
「根古さんが、今の団子屋に来たことはあるんですか」と工藤は太田に聞いた。
「さあ」と太田は言った。
「聞いたことはありません。ただ??知っています。可児のことは、全部」
「家から出ないのに」
「出なくても、知ることはできます」と太田は言った。
「ラクカに来る人が、話してくれますから」
工藤は今の団子屋の店主に電話した。
「田中さんが見つかりました」と工藤は言った。「全員、無事です」
電話口で、店主が泣いた。
「よかった」と店主は言った。「本当に、よかった」
「根古さんから伝言があります」と工藤は言った。
「あの店の味は、可児の記憶だ、と」
「根古さん、て」と店主は言った。「あの根古さんですか」
「そうです」
「……根古さんが、そんなことを」と店主は言った。
「知っていてくれたんですね、うちのことを」
「知っています」と工藤は言った。「可児のことは、全部」
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その夜、フェルナンドがラクカでタロットを引いた。
カメラなしで。
出たのは「女帝」だった。
女帝は豊かさと継続の象徴だ。
長く続くもの、育てられてきたもの、守られてきたもの??それが今も生きている、という意味を持つ。
フェルナンドはカードを見た。
今の団子屋のことを、思った。
江戸期から続く味。三代続いた店主。三十年変わらない値段。
守られてきたもの。
「太田さん」とフェルナンドは言った。
「はい」
「ここのコーヒーは、いつから同じ味ですか」
「二十年です」と太田は言った。
「変えないんですか」
「変える必要がないので」と太田は言った。
フェルナンドはコーヒーを飲んだ。
団子屋の団子と、ラクカのコーヒー。
可児には、変わらないものが、いくつかあった。
それが??この街の強さだと、フェルナンドは思った。
「ビッグ」と言った。
今夜は、それだけだった。




