「袈裟斬り地蔵の首」
七月の終わり、可児市内の路地に、地蔵尊があった。
高さ一メートルほどの石造りで、首から斜めに切られた跡があった。
袈裟斬り??剣の袈裟懸けで斬られた形で、首が別に据えてある。
台座に「享保三年」と刻んであった。三百年前の石だった。
地元では「夜中に首が動く」という噂が、昔からあった。
美佑がその噂を動画にしようとしていたのは、六月の話だった。
七月になって??噂が、事件になった。
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最初に倒れていたのは、近所に住む六十代の男性だった。
朝の五時、地蔵の前で仰向けになっているのを、通りかかった人が発見した。
意識はあった。怪我もなかった。ただ??なぜそこにいるのかわからなかった。
「昨夜、家で寝ていた記憶はあります。気づいたら、ここにいました」と男性は言った。
二日後、また別の人間が倒れていた。四十代の女性だった。
やはり地蔵の前で、やはり記憶がなかった。
三日目に、また別の人間が倒れていた。
三日連続、三人。全員、意識あり、怪我なし、記憶なし。
雨月雅之が工藤事務所に来たのは、三日目の昼だった。
「正直、困っています」と雨月は言った。
「事件性の立証ができない。怪我がない、本人は被害を訴えない、目撃者もいない。ただ??三日連続で同じ場所で人が倒れている」
「根古さんに相談しましたか」と工藤は言った。
「昨夜、メッセージを送りました」と雨月は言った。「返信がまだ来ていません」
「来ます」と工藤は言った。
「なぜ断言できるんですか」
「根古さんは、来ると思ったら来ます」
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フェルナンド・村田が事務所に来たのは、雨月が帰った直後だった。
「袈裟斬り地蔵、知ってるか」とフェルナンドは言った。
「知っています。今、調査しています」と工藤は言った。
「霊的現象や」とフェルナンドは言った。断言した。
「地蔵の首が動いて、人間を引き寄せてる。俺、昨夜見てきた」
「何を見ましたか」
「暗くてよくわからんかった」とフェルナンドは言った。
「ただ??雰囲気がビッグやった。ビッグな雰囲気」
「雰囲気だけですか」
「雰囲気は大事や」とフェルナンドは言った。「占いは雰囲気を読む仕事やから」
江戸川が「一緒に行きましょう、現場に」と工藤に言った。
「行きます」と工藤は言った。
「俺も行く」とフェルナンドは言った。
「来てください」と工藤は言った。
「ほんまか」とフェルナンドは少し驚いた。
「現場を見た人間がいた方がいい」と工藤は言った。
「霊的現象かどうかは別として」
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袈裟斬り地蔵は、住宅街の路地の奥にあった。
コンクリートの塀に囲まれた小さな区画に、石の地蔵が座っていた。
首の切断面は、長年の風雨で角が丸くなっていた。台座に小銭と線香の燃え残りがあった。
誰かが今も手を合わせに来ていた。
工藤が地蔵の周りをゆっくり歩いた。
江戸川が台座を見た。「享保三年か。三百年以上、ここにあるんですね」
「袈裟斬りにされた経緯は」と安藤が言った。
「諸説あります」と美佑が言った。いつの間にか来ていた。カメラを持っていた。
「戦国期の戦いで、兵士が斬りつけたという説が一番有名で。ただ??その後も何度か斬られた記録があって、誰が、なぜ、は謎のままです」
「複数回、斬られているんですか」と江戸川が言った。
「少なくとも二回は、記録に残っています」と美佑は言った。
「怨念がこもっている、という話と??守護が強すぎて、力を削ごうとした者がいた、という話と」
「守護が強すぎて」と工藤は言った。
「地蔵は本来、守り神です。強い守護が、何かにとって邪魔だった??そういう解釈もあります」
フェルナンドが「ビッグビッグ」と言った。
「何がビッグですか」と安藤が言った。
「この地蔵、ただの石やないと思う」とフェルナンドは言った。「なんか、ある。下の方に」
全員がフェルナンドを見た。
「下の方、というのは」と工藤は言った。
「勘です」とフェルナンドは言った。
「ただの勘やけど??地蔵より、台座より、下の方が気になる」
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その夜、太田からメッセージが来た。
*「根古さんから。地蔵の首ではなく、足元を見ろ。三百年前の話と、三週間前の話が同じ場所で起きている。地蔵の下に、何かある。??太田」*
工藤はメッセージを江戸川に見せた。
江戸川が「フェルナンドさんと同じことを言いました」と言った。
「フェルナンドさんの勘と、根古さんの分析が、同じ方向を向いている」と工藤は言った。
「それは??信憑性が上がりますか、下がりますか」
「上がります」と工藤は言った。「異なる方法で同じ結論に達した場合は、可能性が高い」
「フェルナンドさんが根拠になるんですね」
「今回は」と工藤は言った。
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翌朝、工藤と安藤が地蔵の足元を調べた。
雨月が許可を取ってくれた。文化財ではないので、調査は可能だった。
台座の周りの地面を、慎重に掘った。
三十センチほど掘ったところで、安藤の手が止まった。
「工藤さん」
「何ですか」
「石が違います」
台座の真下、地面の中に、別の石が並んでいた。切り石だった。
加工された石が、規則的に並んでいた。
「これは」と安藤は言った。
「床です」と工藤は言った。「石畳の床。地下に、空間があります」
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地下道の入口は、台座の裏側にあった。
台座をわずかに動かすと??よく見れば、台座の一部が蓋になっていた。
重い石の蓋だった。一人では動かせない。二人でも難しかった。
雨月が応援を呼んだ。
蓋が開いた。
暗い穴があった。梯子が降りていた。錆びていたが、まだ使えた。
「降ります」と安藤が言った。
「一人では」と工藤は言った。
「一緒に降ります」と安藤は言った。工藤に。
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地下道は、思ったより広かった。
大人が屈まずに歩ける高さがあった。石を積んだ壁が続いていた。
古い石と、新しいコンクリートの補修が混ざっていた。
「補修されています」と工藤は言った。「最近、使われていた」
「戦国期の抜け道が」と安藤は言った。「現代で使われていた」
道の先に、何かがあった。
小さな金属のケースだった。錠前がかかっていた。その隣に、紙袋が二つ。
工藤は紙袋に触れなかった。写真だけ撮った。
「雨月さんを呼びます」と工藤は言った。
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紙袋の中身は、薬だった。
雨月が専門家に確認させた。睡眠作用のある、市販されていない薬物だった。
少量を食べ物や飲み物に混ぜれば、数時間の意識障害を引き起こす。
「三人が倒れていた理由がわかりました」と雨月は言った。
「薬を盛られた。そしてここで保管されていた。ただ??なぜ地蔵の前に人を置いていったのか」
「受け渡し場所の目印として、地蔵を使っていた」と工藤は言った。
「受け渡しを目撃した人間を、薬で眠らせて、地蔵の前に置いた。目撃者への警告です」
「三人全員が、受け渡しを見た人間だった、ということですか」
「確認が必要ですが??そう思います」
雨月が「わかりました。三人に改めて話を聞きます」と言った。
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夕方、ラクカに集まった。
工藤、江戸川、安藤、美佑、雨月。それにフェルナンドとロドリゲスが来ていた。
太田がコーヒーを出した。
フェルナンドが「俺の勘、当たったな」と言った。
「当たりました」と工藤は言った。
「根古さんも同じこと言ったんやろ」
「言いました」
「根古さんと俺、同じやないか」とフェルナンドは言った。
「方法は全く違います」と工藤は言った。「結果が同じだっただけです」
「結果が同じなら、ええやろ」
「それは認めます」と工藤は言った。
フェルナンドが「ビッグビッグ」と言い、ロドリゲスが「チャンネル登録お願いします」と言い、美佑が「今回は配信どうしますか」と言い、工藤が「捜査が終わるまで待ってください」と言った。
そこへ??雨月のスマートフォンが鳴った。
「三人に確認が取れました」と雨月は言った。電話を切って。
「三人とも??地蔵の近くで、夜中に人間が出入りしているのを見ていました。偶然通りかかって、見てしまった」
「警告の意味で眠らされた」と安藤が言った。
「そうです」と雨月は言った。「組織的な薬物の受け渡しです。地下道が長年、ルートとして使われていた」
「根古さんが言っていた」と工藤は言った。
「三百年前の話と、三週間前の話が同じ場所で起きている、と」
「三百年前の抜け道が、現代の密売ルートになっていた」と安藤は言った。
「土地の記憶が、悪い形で使われていた、ということですか」
「そうです」と工藤は言った。「ただ??」
「ただ?」と江戸川が言った。
「地蔵は三百年、この場所を守ってきた」と工藤は言った。
「最終的に、地蔵の下から証拠が出てきた。守護が、今回も働いた、と言えるかもしれません」
フェルナンドが「それや」と言った。「俺が最初に言うた、守護が強すぎる地蔵や、て」
「言っていましたね」と工藤は言った。
「俺、やっぱり当たってた」
「当たっていました」と工藤は言った。
フェルナンドが珍しく、静かな顔をした。
「……タロットも引いてみるか」と言って、カードを出した。カメラなしで。
出たのは「悪魔の逆位置」だった。
逆位置の悪魔は??解放を意味する。縛られていたものが、自由になる。
「地下道が、開いた」とフェルナンドは言った。
「封印が解けた、やない。中身が出てきた。それが解放や」
誰も笑わなかった。
正しかったから。
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翌朝、太田からメッセージが来た。
*「根古さんから。よく見つけた。地蔵に手を合わせておいてほしい、とのことです。??太田」*
工藤はその日の朝、地蔵の前に立った。
一人で、手を合わせた。
首の切断面が、朝の光を受けていた。三百年、ここにあった石だった。
工藤は手を合わせたまま、少しの間、立っていた。
何かを祈ったわけではなかった。
ただ??この場所が、長い時間をかけて、今日に繋がってきたことを、思った。
それで十分だった。




