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死んだ男

視点:星野 由紀子


---


 人は二度死ぬ、と教わった。


 一度目は肉体が死ぬとき。二度目は、死んだことを知っている人間が全員いなくなったとき。


 それを教えてくれたのはラルゴだった。あの男は妙なことをよく知っていた。銃の分解と組み立て、尾行の撒き方、毒の致死量、それから人の死についての哲学。場違いなほど静かな声で、事実を述べるように話した。


 三年前、私はラルゴが死んだという報告を受けた。


 信じた。


 信じるしかなかった。遺体は確認できなかったが、あの組織の報告が嘘だったことは一度もなかった。


 だから私は、ラルゴの一度目の死を、胸の引き出しにしまった。鍵をかけた。


 昨夜、その引き出しが開いた。


---


 テレビで爆発のニュースを見たとき、最初は何も感じなかった。


 可児市。運動公園。放火の疑い。廃車二台。そういう情報が、順番に耳に入ってきた。千紗都が隣でスマホを操作していた。麻尋がお茶を淹れていた。いつもの夜だった。


 ニュースが切り抜き映像に切り替わった。


 炎。煙。逃げ惑う人。


 そしてフレームの端に、一瞬だけ映った人影。


 私の手が止まった。


 画面の人影は暗くて、顔も服も判然としなかった。でも歩き方が見えた。右足をわずかに引きずる、あの歩き方が。


 リモコンを握る手に、知らず力が入っていた。


「由紀子さん」


 麻尋の声だった。


「……なに」


「顔色、悪いですよ」


 私はリモコンでテレビを消した。返事をしなかった。


---


 三人でこの部屋に住み始めて、もうすぐ一年になる。


 千紗都は二十三歳で、麻尋も二十三歳で、私は四十歳だ。年齢も経緯もばらばらな三人が同じ屋根の下にいるのは、互いの過去を知っているからだ。知っているから、踏み込まない。踏み込まないから、一緒にいられる。


 千紗都が静かに聞いた。


「動く?」


 私はしばらく黙っていた。


「まだ」と言った。「でも、目は離さない」


 二人は何も言わなかった。それでいい。


---


 夜中に一人でパソコンを開いた。


 切り抜き映像を探した。すぐに見つかった。再生数が異常に伸びている。私はそれを何度も見た。コマ送りにした。拡大した。


 右足。


 間違いない。


 ラルゴは十八年前、ある仕事で右膝を損傷した。完治はしたが、疲労が溜まると右足をわずかに引きずる癖が残った。本人は気づいていなかった。私は気づいていた。ずっと気づいていたが、言わなかった。


 言う必要がなかった。


 あの頃は。


---


 翌朝、麻尋が映像を解析していた。


 麻尋は無口だが頭が速い。私が何も言わなくても、昨夜の私の様子から何かを感じ取って、朝から作業を始めていた。


「人影、男性。身長百七十から百七十五の間。歩き方に特徴がある??右足をわずかに引きずってる」


 私は黙って聞いていた。


「それだけで分かるの?」


 千紗都が聞いた。


「分かる人間には分かる」


 麻尋が答えた。そして振り返って私を見た。何かを待っていた。


「……ラルゴだ」と私は言った。


 声に出すと、妙な感覚があった。三年間、一度も口にしなかった名前だった。


「昔、一緒に仕事をした。??死んだと聞いていた」


 千紗都が「どうする?」と聞いた。


「本物の映像を手に入れる。切り抜きじゃ足りない」


---


 ラルゴ、という名前は本名じゃない。


 本名は知っている。でもここでは関係ない。


 彼が「ラルゴ」と呼ばれていたのは、仕事が遅かったからだ。始末屋として致命的に思えるその欠点は、しかし彼の場合、最大の武器だった。急がない。焦らない。ターゲットが油断するまで、どこまでも待つ。獲物が完全に無防備になった瞬間だけ、動く。


 私はそのやり方が嫌いだった。でも結果は出していた。


 三年前、彼が死んだという報告を持ってきたのは、組織の上の人間だった。詳細は教えてもらえなかった。遺体は海外で処理された、とだけ言われた。


 私はそのとき、何も聞かなかった。


 聞けばよかったのかもしれない。


 今になって思う。


---


 夜、一人になってからスマホを手に取った。


 ラルゴの連絡先は、三年前に消した。でも番号は覚えている。人間の記憶というのは、消したいものほど残る。


 私はメッセージアプリを開いた。新しい連絡先を登録した。「R」とだけ入力した。


 文面を考えた。


 長い文章は書かなかった。長く書く必要はなかった。あの男に伝えたいことは、一行で足りる。


 送信した。


 画面が暗くなった。既読はつかなかった。


 当然だ。死んだ人間は、メッセージを読まない。


 でも生きているなら??。


 私は画面を伏せてベッドに横になった。眠れないとわかっていた。眠ろうとも思わなかった。


 天井を見ながら、十八年前のことを思った。ラルゴが初めて右足を引きずったあの夜のことを。誰も気づかなかったのに、私だけが気づいた、あの夜のことを。


 あのとき私は、何も言わなかった。


 言う代わりに、少しだけ歩く速度を落とした。ラルゴに合わせた。


 彼は気づいていたと思う。でも何も言わなかった。


 それが私たちのやり方だった。


---


 夜明けごろ、スマホが震えた。


 画面を見た。


 「R」からのメッセージ。


 文字はなかった。


 ただ??既読がついていた。


---


*── 第三話 了 ──*



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