「廃墟と生配信と、骨」 第十話
シーン10 大団円
ラクカにて、
翌日の昼過ぎ、茶店ラクカは満員だった。
といっても、席数は十二。小さな店だ。太田豊がカウンターの中で珈琲を淹れながら、ちらちらと客を見ていた。
五十八歳、この店を二十年やっている。こんなに一度に人が来たのは、いつ以来だろう。
工藤俊一がカウンターの端に座っていた。
その隣に江戸川勉。
窓際のテーブルに、星野・西野・古田の三人。
奥のソファ席に、ロドリゲス斎藤と藤原茜。
茜はロドリゲスの隣に座り、メニューを広げて「これ美味しそうじゃないですか」「これも」「これも全部」と言っていた。
ロドリゲスは「全部頼むのか」と言った。茜は「頼みます」と言った。ロドリゲスは黙った。
北村唯は入口近くの一人席に座り、珈琲を飲みながらスマートフォンを見ていた。
遠藤成気だけは外にいた。店の前の路肩に車を止め、窓を少し開けて座っている。
太田が「中に入らないんですか」と声をかけると、「いいです」と言った。
太田は「珈琲、持っていきましょうか」と言った。遠藤は三秒考えて「お願いします」と言った。
太田はカップを持って外に出た。
「あなた、外国の方ですか」太田は聞いた。
「ハーフです」遠藤は言った。
「どちらの」
「アメリカと日本」
「日本語、お上手ですね」
「日本で育ちましたから」
「そうですか」太田はカップを渡した。「何かあったら声かけてください」
遠藤は珈琲を受け取り、一口飲んだ。
「……美味しい」
「ありがとうございます」太田は言った。「うちの自慢です」
遠藤はもう一口飲んだ。窓の外から、店の中の賑やかな声が聞こえてくる。
珍しい昼だな、と遠藤は思った。
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カウンターで、工藤は珈琲を飲んでいた。
太田が戻ってきて、カウンターを拭きながら言った。
「昨日、何かあったんですか。皆さん、一緒に来るなんて珍しい」
「色々ありました」工藤は言った。
「この辺の方じゃないですよね」
「横浜から来ました」
「観光ですか」
「最初はそのつもりでした」
太田は少し笑った。「そのつもり、ってことは違ったんですね」
「縁というものがあって」
「縁ですか」太田はカウンターを拭く手を止めた。
「この辺は、縁が深い土地ですよ。来た人が、なぜかまた来る」
「そうですか」
「あなたも、また来る気がします」
工藤は珈琲を飲んだ。答えなかった。
太田は笑って、別の客のオーダーを取りに行った。
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江戸川が工藤の隣でホットサンドを食べながら言った。
「工藤さん、横浜に帰るんですか」
「そのうち」
「いつ」
「決めていない」
「決めていないってことは、まだいるってことですか」
「そのうちとはそういう意味だ」
江戸川はホットサンドを一口食べた。「俺、工藤さんが来てよかったと思ってます」
「そうか」
「本当に思ってます」
「わかった」
「……もう少しリアクションしてもらえません?」
「十分リアクションしている」
「どこがですか」
「わかった、と言った」
江戸川は天井を見た。「工藤さんと話してると、なんか鍛えられる気がします」
「何を」
「忍耐力」
工藤は珈琲を置いた。「それは大事だ」
「褒めてますか」
「褒めている」
「また褒めた」江戸川は言った。「今日、調子いいですね」
「もう褒めない」
「なんでですか」
「調子がいいと思われるのが嫌だ」
江戸川は苦笑した。それから、ふと真顔になった。「工藤さん」
「なんだ」
「この仕事、楽しいですか」
工藤は少しの間、答えなかった。
「楽しいというのとは違う」工藤はゆっくり言った。「ただ??」
「ただ」
「向いているとは思う」
江戸川は頷いた。「俺も、そう思いたいですね。自分のことを」
「今日の動きを見た限りでは」工藤は言った。「向いている」
江戸川は黙った。今度は固まらなかった。ただ、静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
工藤は珈琲を飲んだ。
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窓際のテーブルで、三人組は静かに話していた。
「温泉、入れましたね」西野が言った。満足そうだった。「今朝」
「入れた」古田も頷いた。「よかった」
星野は珈琲を飲んだ。「仕事はまだ終わっていません」
「遠峰の件ですか」西野が言った。
「ルートの全体像が見えていない。遠藤さんたちが追っているけど??」星野は窓の外を見た。
遠藤が車の中で珈琲を飲んでいるのが見える。「まだかかる」
「また来ますか、ここ」古田が言った。
「来るかもしれない」
「温泉、また来たいな」西野は言った。「あと、ここの珈琲」
「仕事で来るんです」星野は言った。
「わかってます」西野は笑った。「でも、仕事の合間に温泉入ってもいいじゃないですか」
星野は少し間を置いた。
「……そうね」
古田が言った。「星野さん、今、笑いましたよね」
「笑っていません」
「笑いましたよ」西野も言った。「口の端が動いた」
「気のせいです」
「気のせいじゃないです」
星野は珈琲を飲んだ。「次のオーダー、何にしますか」
話題を変えた。西野と古田は顔を見合わせて、でも何も言わなかった。
メニューを開いた。
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奥のソファ席では、茜がテーブルに並んだ皿を見て満足していた。
ホットサンド、スコーン、チーズケーキ、フルーツのシロップ漬け。
「頼みすぎじゃないか」ロドリゲスは言った。
「食べられます」茜は言った。「ロドリゲスさんの分も確保してあるので」
「俺はそんなに食べない」
食べてください。昨日、ちゃんと食べてないでしょう」
「……まあ」
「まあじゃなくて食べてください」
ロドリゲスはスコーンを一つ取った。食べた。「……美味い」
「でしょう」茜は嬉しそうに言った。「ここ、ずっと来たかったんですよ。ロドリゲスさんと」
ロドリゲスは茜を見た。「俺と来たかったのか」
「そうです」茜はあっさり言った。「ロドリゲスさんが美味しいって顔するの、見たかった」
ロドリゲスは何か言おうとして、やめた。スコーンをもう一つ取った。
茜はそれを見て、にこにこしていた。
「……茜」ロドリゲスは言った。
「はい」
「俺、五十二だぞ」
「知ってます」
「三十二歳、違う」
「知ってます」
「それでも」
「それでも、です」茜は言った。迷いのない目で。「ロドリゲスさんが嫌じゃなければ」
ロドリゲスは長い間、茜を見た。
それからスコーンを食べた。
「……嫌じゃない」
茜は笑った。声には出さなかったが、目が笑っていた。
ロドリゲスは珈琲を飲んだ。耳の先が赤かった。五十二歳の耳が。
テーブルの向こうで、工藤がちらりとこちらを見て、すぐ目を逸らした。
江戸川が小声で「あ、いい感じになってる」と言った。
工藤が小声で「黙れ」と言った。
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そのとき、店のドアが開いた。
黒猫が入ってきた。
するりと、誰にも咎められずに。
太田が「ヤマトか」と言った。「また来たのか」
黒猫??ヤマトは、カウンターの下を通り、テーブルの間を縫い、ソファ席の横を通り、工藤の足元に来て、座った。
工藤は下を見た。黒猫が工藤を見上げた。
「知り合いですか」江戸川が言った。 「根古さんの飼い猫」
「懐かれてますよ」
工藤は黒猫を見た。黒猫は工藤を見た。
それから黒猫は、口を開けた。
何かをくわえていた。
床に落とした。
小さな、汚れた、プラスチックの破片だった。
工藤はそれを拾った。
汚れを拭うと??文字が見えた。
*遠峰一郎 代表取締役*
名刺の、端の欠片だった。
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店が静かになった。
全員がヤマトを見た。
ヤマトは何事もなかったように、前足で顔を洗い始めた。
太田が言った。「ヤマトって、工場跡の周りをよくうろついてるんですよ」
全員がまた顔を見合わせた。
北村がスマートフォンを出した。「写真、撮っていいですか」
「どちらの」江戸川が聞いた。
「名刺の欠片」
「ヤマトじゃないんですね」
「証拠です」
江戸川は頷いた。「そうですね」
工藤は名刺の欠片を北村に渡した。それからヤマトを見た。
ヤマトはあくびをした。
大きな口を開けて、堂々と。
工藤は小さく、ほとんど誰にも気づかれないくらい小さく、笑った。
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昼下がりのラクカに、珈琲の香りが満ちていた。
太田が新しい珈琲を淹れながら、鼻歌を歌っていた。かすかに、聞こえるか聞こえないか程度の。
窓から差し込む光の中で、ヤマトが工藤の足元で丸くなっていた。
茜がロドリゲスに何かを言い、ロドリゲスが短く答え、茜がまた笑った。
星野が窓の外を見て、何かを考えていた。
江戸川がホットサンドの最後の一切れを食べた。
北村は名刺の欠片を小さな袋に入れ、バッグにしまった。
遠藤は外で二杯目の珈琲を飲んでいた。太田が持っていった。断らなかった。
工藤は珈琲を飲み終えて、カップを置いた。
窓の外に、夏の光が広がっている。
可児市の、静かな昼だった。
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工藤のスマートフォンが鳴った。
画面を見た。知らない番号だった。
出た。
「工藤俊一さんですか」
女の声だった。落ち着いた、低い声。
「そうですが」
「北村から紹介を受けました。少し、お力を借りたいことがあって」
工藤は北村を見た。北村は珈琲を飲みながら、こちらを見ていた。
目が合った。
北村は小さく頷いた。
工藤はスマートフォンを持ち直した。「どのような件ですか」
「電話では話しにくい内容です。直接お会いできますか。場所は??」
江戸川が工藤の顔を見て、察したように言った。「また来るんですね、可児に」
工藤は江戸川を見た。
電話の向こうで、女が場所を告げていた。
工藤は手帳を開いた。
「わかりました」工藤は言った。「伺います」
電話を切った。
手帳を閉じた。
足元で、ヤマトが一声、鳴いた。
「また来るんですね」江戸川が言った。今度は確認ではなく、嬉しそうに。
工藤は答えなかった。
ただ、太田に向かって言った。「もう一杯、もらえますか」
太田は笑った。「もちろん」
珈琲が、また淹れられた。
ラクカの昼は、まだ続いていた。
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突然 ラクカに根古が現れた ヤマト居ますか?? 太田が 目くばせして
ヤマトは 根古に抱き上げられる そのまま頭を刷り付け アクビを始める さて ヤマト
お家へ返ろう 根古はお辞儀をして 帰って行った。




