「廃墟と生配信と、骨」 第九話
シーン9
安藤修の家は、夜になると余計に静かだった。
工藤が着いたとき、玄関の電気だけがついていた。
チャイムを押すと、すぐにドアが開いた。待っていたのだろう。
安藤は昼間と同じ服を着ていた。ただ、表情が違った。
昼間は重かった。今は??軽くはないが、何かが決まった顔だった。
「入れ」
工藤は入った。
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リビングに座ると、安藤はすでにお茶を二つ用意していた。
湯呑みだった。缶コーヒーではなく。
工藤はそれに気づいたが、何も言わなかった。
「話す前に、一つ聞かせてくれ」安藤は言った。
「どうぞ」
「遠峰は、捕まったのか」
工藤は安藤を見た。「なぜ知っている」
「夜に動くと思っていた。あの男は夜が好きだ」安藤は湯呑みを持った。「ロドリゲスは」
「無事です」
安藤は目を閉じた。一秒。また開けた。「そうか」
「遠峰は確保されました。今夜、可児署が動きます」
「そうか」安藤は繰り返した。「では、俺が話すべきことは??もう意味がないかもしれないな」
「そんなことはない」工藤は言った。
「あなたが話してくれることで、遠峰の全体像が見える。十年前から今までの繋がりが、証言として残る」
「……俺の罪も、残る」
「そうです」
安藤は工藤を見た。「隠せとは言わないのか」
「言いません」
「なぜ」
工藤は少し考えた。「あなたが隠してほしいとは思っていないからです」
安藤は黙った。湯呑みを両手で包んだ。昼間、缶コーヒーを包んだのと同じ仕草だった。
「……そうだな」安藤はゆっくり言った。「隠したくない。もう」
工藤はメモ帳を出した。「話してください」
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安藤は話した。
昼間よりも、詳しく。昼間は輪郭だけだったものが、今夜は細部まで語られた。
十年前の夜。工場跡で見た取引。トラックから降ろされた荷物。男たちの顔。遠峰が中心にいたこと。
写真が届いた翌日、遠峰から直接電話があったこと。
*見ましたね、安藤さん。賢い方だから、わかりますよね。*
それだけだった。それだけで、十分だった。
三年後、妻と離婚した。娘は小学三年生になっていた。離婚の理由を妻には言えなかった。
「仕事が辛い」とだけ言った。妻はそれ以上聞かなかった。
聞かなかったことが、安藤には今も、感謝なのか悲しみなのかわからない。
「木島健二のことは」工藤は聞いた。
「知らなかった」安藤は言った。「あの工場に遺体があるとは??本当に知らなかった。でも」
「でも」
「俺が動いていれば、木島は死ななかったかもしれない」
工藤は何も言わなかった。
「動けなかった。怖かった。娘の写真を見せられて??それだけで、俺は黙った。十年間、黙り続けた」
「娘さんは今」
「高校一年だ。妻と暮らしている。俺とは、月に一度、飯を食う」安藤は少し笑った。「来月も、約束がある」
「それは」工藤は言った。「大切にしてください」
安藤は工藤を見た。「……警察に話したら、どうなる」
「わかりません。ただ??隠蔽に問われる可能性はある」
「そうだろうな」
「ただ、自首であること、十年間の状況、脅迫の事実??それらは考慮される」
「お前は弁護士じゃないだろう」
「そうです」工藤は言った。
「でも??自分から話す人間と、掘り起こされる人間では、違います。それだけは確かです」
安藤は湯呑みを置いた。
「わかった」安藤は言った。「明日の朝、可児署に行く」
工藤は頷いた。
「一人で行けますか」
「行ける」安藤は言った。「一人で行く。それくらいは、自分でやる」
「わかりました」
工藤は立ち上がった。今夜は名刺を出さなかった。昼間のものがある。
「工藤さん」
ドアへ向かいかけた工藤が、振り返った。
「娘に、何か言った方がいいと思うか」
工藤は少しの間、安藤を見た。
「それは、私には答えられません」工藤は言った。「あなたと娘さんの話です」
「そうだな」
「ただ」工藤は続けた。「来月の約束は、守った方がいいと思います。飯を食う約束は」
安藤は工藤を見た。
「……そうする」
工藤は頷いて、玄関へ向かった。
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外に出ると、江戸川が車の中でスマートフォンを見ていた。
工藤が助手席に乗ると、江戸川が顔を上げた。
「どうでしたか」
「明日の朝、自首する」
江戸川は少し目を見開いた。「……すごいですね」
「そうだな」
「工藤さんが説得したんですか」
「本人が決めた」工藤は言った。「俺はただ、話を聞いた」
江戸川はエンジンをかけた。「事務所、戻りますか」
「茜さんはまだいるか」
「います。ロドリゲスさんも、病院寄ってから来るって言ってました」
工藤は窓の外を見た。安藤の家の電気が、一つ消えた。
寝るのかもしれない。今夜初めて、ちゃんと眠れるかもしれない。
「戻るか」工藤は言った。
「はい」
江戸川は車を出した。
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江戸川の事務所に着いたのは、夜の十時を過ぎた頃だった。
ドアを開けると、茜がデスクの椅子に座っていた。
膝の上に麦わら帽子を置き、背筋を伸ばして??眠っていた。
江戸川が「あ」と言った。
工藤は江戸川に目配せして、静かにドアを開けたままにした。
十五分後、ロドリゲスが来た。口の端に絆創膏を貼っていた。病院で処置したのだろう。
ロドリゲスはドアから入り、茜を見た。
眠っている茜を、三秒、見た。
それから工藤を見た。工藤は何も言わなかった。江戸川も何も言わなかった。
ロドリゲスは茜の近くに椅子を引いて、静かに座った。
茜が目を開けた。
ぼんやりした目で、ロドリゲスを見た。
「……ロドリゲスさん」
「ああ」
「怪我??」茜の目が絆創膏に止まった。
「大したことない」
「大したことあるじゃないですか」茜は言った。眠そうな声で。「病院行きました?」
「行ってきた」
「ちゃんと診てもらいました?」
「診てもらった」
「薬は」
「もらった」
「飲みました?」
「まだ」
茜は立ち上がった。まだ少し眠そうだったが、目は覚めていた。
バッグからペットボトルの水を出した。「飲んでください」
ロドリゲスは水を受け取り、ポケットから薬を出して、飲んだ。
「よし」茜は言った。
ロドリゲスは茜を見た。「……心配をかけた」
「かけましたよ」茜は言った。声が少し震えた。「めちゃくちゃ心配しました」
「そうか」
「そうですよ」
「……すまなかった」
茜は首を振った。「謝らなくていいです。無事だったから」
ロドリゲスは何か言おうとして、やめた。
工藤と江戸川は、二人から目を逸らした。
江戸川が小声で工藤に言った。「なんか、いい感じじゃないですか」
工藤は小声で返した。「黙れ」
「でも??」
「黙れ」
江戸川は黙った。
少しして、茜が言った。「工藤さん」
工藤は振り返った。「なんですか」
「ありがとうございました」
「礼はいらない」
「いります」茜はきっぱり言った。「ロドリゲスさんを助けてくれたから、いります」
工藤は茜を見た。それからロドリゲスを見た。
「怪我が治ったら、ちゃんと話してください。十年前のことを、全部」工藤はロドリゲスに言った。
「警察が来ます。正直に話した方がいい」
「わかってる」ロドリゲスは言った。「今度は、逃げない」
工藤は頷いた。「それでいい」
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夜の十一時。
江戸川の事務所で、工藤はソファに座っていた。
江戸川がコーヒーを出した。缶ではなく、ドリップで淹れたやつだった。
「気が利くな」工藤は言った。
「気を使ってるんです」江戸川は言った。「今日、色々ありすぎて、なんか??」
「なんか」
「感謝してるんで」
工藤はコーヒーを飲んだ。悪くない味だった。
「江戸川」
「はい」
「今日は、よく動いた」
江戸川は少し固まった。「……それ、褒めてますか」
「褒めている」
「工藤さんに褒められると、逆に不安になりますね」
「なぜだ」
「普段言わないから」
工藤はコーヒーを置いた。「普段も思っている」
江戸川は黙った。三秒。
「……ありがとうございます」
「言いすぎた」工藤は言った。「忘れろ」
「忘れません」 「忘れろ」
「一生覚えます」
工藤は窓の外を見た。可児市の夜が広がっている。静かだった。
横浜とは違う静けさだ、と工藤は思った。
悪くない。
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その夜遅く、安藤修は娘にメッセージを送った。
*来月の飯、楽しみにしている。*
返信は翌朝来た。
*私も。どこ行く?*
安藤はそれを読んで、少しの間、スマートフォンを持ったままでいた。
それから、可児署の電話番号を検索した。
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*つづく*




