表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/56

「廃墟と生配信と、骨」 第九話

シーン9


 安藤修の家は、夜になると余計に静かだった。

工藤が着いたとき、玄関の電気だけがついていた。

チャイムを押すと、すぐにドアが開いた。待っていたのだろう。

安藤は昼間と同じ服を着ていた。ただ、表情が違った。

昼間は重かった。今は??軽くはないが、何かが決まった顔だった。

「入れ」

工藤は入った。

---

 リビングに座ると、安藤はすでにお茶を二つ用意していた。

湯呑みだった。缶コーヒーではなく。


 工藤はそれに気づいたが、何も言わなかった。

「話す前に、一つ聞かせてくれ」安藤は言った。

「どうぞ」

「遠峰は、捕まったのか」

工藤は安藤を見た。「なぜ知っている」

「夜に動くと思っていた。あの男は夜が好きだ」安藤は湯呑みを持った。「ロドリゲスは」

「無事です」

安藤は目を閉じた。一秒。また開けた。「そうか」

「遠峰は確保されました。今夜、可児署が動きます」

「そうか」安藤は繰り返した。「では、俺が話すべきことは??もう意味がないかもしれないな」

「そんなことはない」工藤は言った。

「あなたが話してくれることで、遠峰の全体像が見える。十年前から今までの繋がりが、証言として残る」

「……俺の罪も、残る」

「そうです」

安藤は工藤を見た。「隠せとは言わないのか」

「言いません」

「なぜ」

工藤は少し考えた。「あなたが隠してほしいとは思っていないからです」

安藤は黙った。湯呑みを両手で包んだ。昼間、缶コーヒーを包んだのと同じ仕草だった。

「……そうだな」安藤はゆっくり言った。「隠したくない。もう」

工藤はメモ帳を出した。「話してください」

---

 安藤は話した。

昼間よりも、詳しく。昼間は輪郭だけだったものが、今夜は細部まで語られた。

十年前の夜。工場跡で見た取引。トラックから降ろされた荷物。男たちの顔。遠峰が中心にいたこと。

写真が届いた翌日、遠峰から直接電話があったこと。

*見ましたね、安藤さん。賢い方だから、わかりますよね。*

それだけだった。それだけで、十分だった。

三年後、妻と離婚した。娘は小学三年生になっていた。離婚の理由を妻には言えなかった。

「仕事が辛い」とだけ言った。妻はそれ以上聞かなかった。

聞かなかったことが、安藤には今も、感謝なのか悲しみなのかわからない。

「木島健二のことは」工藤は聞いた。

「知らなかった」安藤は言った。「あの工場に遺体があるとは??本当に知らなかった。でも」

「でも」

「俺が動いていれば、木島は死ななかったかもしれない」

工藤は何も言わなかった。

「動けなかった。怖かった。娘の写真を見せられて??それだけで、俺は黙った。十年間、黙り続けた」

「娘さんは今」

「高校一年だ。妻と暮らしている。俺とは、月に一度、飯を食う」安藤は少し笑った。「来月も、約束がある」

「それは」工藤は言った。「大切にしてください」

安藤は工藤を見た。「……警察に話したら、どうなる」

「わかりません。ただ??隠蔽に問われる可能性はある」

「そうだろうな」

「ただ、自首であること、十年間の状況、脅迫の事実??それらは考慮される」

「お前は弁護士じゃないだろう」

「そうです」工藤は言った。

「でも??自分から話す人間と、掘り起こされる人間では、違います。それだけは確かです」

安藤は湯呑みを置いた。

「わかった」安藤は言った。「明日の朝、可児署に行く」

工藤は頷いた。

「一人で行けますか」

「行ける」安藤は言った。「一人で行く。それくらいは、自分でやる」

「わかりました」

工藤は立ち上がった。今夜は名刺を出さなかった。昼間のものがある。

「工藤さん」

ドアへ向かいかけた工藤が、振り返った。

「娘に、何か言った方がいいと思うか」

工藤は少しの間、安藤を見た。

「それは、私には答えられません」工藤は言った。「あなたと娘さんの話です」

「そうだな」

「ただ」工藤は続けた。「来月の約束は、守った方がいいと思います。飯を食う約束は」

安藤は工藤を見た。

「……そうする」

工藤は頷いて、玄関へ向かった。

---

 外に出ると、江戸川が車の中でスマートフォンを見ていた。

工藤が助手席に乗ると、江戸川が顔を上げた。

「どうでしたか」

「明日の朝、自首する」

江戸川は少し目を見開いた。「……すごいですね」

「そうだな」

「工藤さんが説得したんですか」

「本人が決めた」工藤は言った。「俺はただ、話を聞いた」

江戸川はエンジンをかけた。「事務所、戻りますか」

「茜さんはまだいるか」

「います。ロドリゲスさんも、病院寄ってから来るって言ってました」

工藤は窓の外を見た。安藤の家の電気が、一つ消えた。

寝るのかもしれない。今夜初めて、ちゃんと眠れるかもしれない。

「戻るか」工藤は言った。

「はい」

江戸川は車を出した。

---

 江戸川の事務所に着いたのは、夜の十時を過ぎた頃だった。

ドアを開けると、茜がデスクの椅子に座っていた。

膝の上に麦わら帽子を置き、背筋を伸ばして??眠っていた。

江戸川が「あ」と言った。

工藤は江戸川に目配せして、静かにドアを開けたままにした。

十五分後、ロドリゲスが来た。口の端に絆創膏を貼っていた。病院で処置したのだろう。

ロドリゲスはドアから入り、茜を見た。

眠っている茜を、三秒、見た。

それから工藤を見た。工藤は何も言わなかった。江戸川も何も言わなかった。

ロドリゲスは茜の近くに椅子を引いて、静かに座った。

茜が目を開けた。

ぼんやりした目で、ロドリゲスを見た。

「……ロドリゲスさん」

「ああ」

「怪我??」茜の目が絆創膏に止まった。

「大したことない」

「大したことあるじゃないですか」茜は言った。眠そうな声で。「病院行きました?」

「行ってきた」

「ちゃんと診てもらいました?」

「診てもらった」

「薬は」

「もらった」

「飲みました?」

「まだ」

茜は立ち上がった。まだ少し眠そうだったが、目は覚めていた。

バッグからペットボトルの水を出した。「飲んでください」

ロドリゲスは水を受け取り、ポケットから薬を出して、飲んだ。

「よし」茜は言った。

ロドリゲスは茜を見た。「……心配をかけた」

「かけましたよ」茜は言った。声が少し震えた。「めちゃくちゃ心配しました」

「そうか」

「そうですよ」

「……すまなかった」

茜は首を振った。「謝らなくていいです。無事だったから」

ロドリゲスは何か言おうとして、やめた。

工藤と江戸川は、二人から目を逸らした。

江戸川が小声で工藤に言った。「なんか、いい感じじゃないですか」

工藤は小声で返した。「黙れ」

「でも??」

「黙れ」

江戸川は黙った。

少しして、茜が言った。「工藤さん」

工藤は振り返った。「なんですか」

「ありがとうございました」

「礼はいらない」

「いります」茜はきっぱり言った。「ロドリゲスさんを助けてくれたから、いります」

工藤は茜を見た。それからロドリゲスを見た。

「怪我が治ったら、ちゃんと話してください。十年前のことを、全部」工藤はロドリゲスに言った。

「警察が来ます。正直に話した方がいい」

「わかってる」ロドリゲスは言った。「今度は、逃げない」

工藤は頷いた。「それでいい」

---

 夜の十一時。

江戸川の事務所で、工藤はソファに座っていた。

江戸川がコーヒーを出した。缶ではなく、ドリップで淹れたやつだった。

「気が利くな」工藤は言った。

「気を使ってるんです」江戸川は言った。「今日、色々ありすぎて、なんか??」

「なんか」

「感謝してるんで」

工藤はコーヒーを飲んだ。悪くない味だった。

「江戸川」

「はい」

「今日は、よく動いた」

江戸川は少し固まった。「……それ、褒めてますか」

「褒めている」

「工藤さんに褒められると、逆に不安になりますね」

「なぜだ」

「普段言わないから」

工藤はコーヒーを置いた。「普段も思っている」

江戸川は黙った。三秒。

「……ありがとうございます」

「言いすぎた」工藤は言った。「忘れろ」

「忘れません」 「忘れろ」

「一生覚えます」

工藤は窓の外を見た。可児市の夜が広がっている。静かだった。

横浜とは違う静けさだ、と工藤は思った。

悪くない。

---

 その夜遅く、安藤修は娘にメッセージを送った。

*来月の飯、楽しみにしている。*

返信は翌朝来た。

*私も。どこ行く?*

安藤はそれを読んで、少しの間、スマートフォンを持ったままでいた。

それから、可児署の電話番号を検索した。

---

*つづく*


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ