「廃墟と生配信と、骨」 第八話
## シーン8
ロドリゲスの家に着いたとき、工藤はドアを開けた瞬間に状況を読んだ。
コーヒーカップが床に落ちている。中身が広がり、乾きかけている。
二時間以内。椅子が一脚、テーブルから離れている。引きずられた跡ではなく、立ち上がった跡。
つまりロドリゲスは自分で立ち上がった??抵抗しようとしたか、促されたか。
玄関の鍵は内側から開けられている。知っている人間が来た、あるいは、開けさせられた。
「工藤さん」江戸川が言った。「どう見ますか」
「二人以上。ロドリゲスさんは抵抗したが、制圧された。大きな争いの跡はない??プロだ」
「プロ」
「慣れている人間の仕事だ」
工藤はリビングを一周した。テーブルの上に、小さなメモ帳があった。
ロドリゲスのものだろう。工藤はページをめくった。
走り書きがあった。
*遠峰??倉庫 旧事務所裏 夜*
工藤は江戸川を見た。「北村さんに送れ。旧事務所裏の倉庫だ」
江戸川はすでにスマートフォンを出していた。
「送ります。……工藤さん、これ、ロドリゲスさんが残したんですかね」
「残したんだろう」
「つまり、わかっていたってこと? 来られることが」
工藤はメモ帳をテーブルに戻した。「十年間、わかっていたんだと思う。いつかこうなると」
江戸川は少し黙った。「……それで、逃げなかったのか」
「逃げられなかったのか、逃げなかったのか」工藤は言った。
「それはロドリゲスさんに聞くしかない」
「聞けますかね」
「聞けるようにする」
工藤は上着の内ポケットを確認し、玄関へ向かった。
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北村からの返信は三分で来た。
*遠峰の旧事務所、現在廃業。裏手に資材倉庫あり。遠藤が現地確認中。合流を。*
工藤と江戸川は車に乗った。江戸川が運転し、工藤が助手席でスマートフォンを見た。
「工藤さん」江戸川は運転しながら言った。
「なんだ」
「俺、こういう、ちゃんとした事件、初めてで」
「そうか」
「怖いか、って聞かれたら??怖いです、正直」
工藤は前を見たまま言った。「当たり前だ」
「工藤さんは」
「俺も怖い」
江戸川は少し驚いたような間を置いた。「……工藤さんでも怖いんですか」
「怖くなくなったら終わりだ」工藤は言った。「怖いから慎重になる。慎重だから生きて帰れる」
江戸川はハンドルを握り直した。「……わかりました」
「飛び込むな。無茶をするな。俺の後ろにいろ」
「はい」
「返事がいいな」
「怖いので素直になってます」
工藤は窓の外を見た。夕暮れの可児市が流れていく。
小さく、ほとんど聞こえない声で、工藤は言った。「……悪くない返事だ」
江戸川は聞こえたかどうか、何も言わなかった。ただ、少しだけ速度を上げた。
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旧事務所は工場跡から車で七分の場所にあった。
もとは二階建ての事務所ビルで、今は窓がベニヤ板で塞がれている。
裏手に回ると、古い資材倉庫が一棟。
金属製のシャッターが下りているが、隙間から光が漏れていた。
工藤と江戸川が到着したとき、遠藤成気がすでに外にいた。
二十八歳。百八十センチを超える長身。
黒人と日本人のハーフで、彫りの深い顔立ちをしている。
スーツではなく、動きやすいジャケット。.
腰に何かある??工藤はそれ以上見なかった。
「工藤俊一さん」遠藤は言った。日本語は流暢だった。「名前は聞いていました」
「遠藤さん」工藤は言った。「中の状況は」
「人の気配が二つから三つ。ロドリゲスさんもおそらく中にいます。シャッター一か所、裏に小さい扉が一か所」
北村が到着したのはそのとき。車から降り、工藤の隣に立った。
「三人組は」工藤は北村に聞いた。
「昨夜の男を追っています。合流できれば、裏扉から入れます」
工藤は倉庫を見た。光の漏れる隙間。中で人の動く気配。
「待ちますか」江戸川が言った。
「状況次第だ」工藤は言った。
そのとき、倉庫の中から声がした。
くぐもっているが、男の声だ。一人が何かを言っている。
もう一人が答える。言葉は聞き取れない。
それから??何かが倒れる音がした。
工藤は遠藤を見た。遠藤は頷いた。
「行きます」工藤は言った。
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シャッターの前に工藤と遠藤が立った。江戸川と北村は両脇に分かれた。
遠藤が三つ数えた。
シャッターを蹴り上げた。
轟音とともに金属が跳ね上がり、工藤が中に飛び込んだ。
倉庫の中は薄暗く、裸電球が一つぶら下がっていた。
中央に、椅子に縛られたロドリゲス斎藤がいた。
その前に男が二人。一人は振り返って工藤を見た。四十代、短い髪??昨夜、三人組が追った男だった。
もう一人は別の男で、背が低く、目が鋭い。
そして、倉庫の奥に、もう一人いた。
六十代くらい。白髪交じりの髪を整え、高価そうなジャケットを着ている。
表情は動じていない。静かな目をしていた。
遠峰一郎だ、と工藤は思った。
「探偵さん」遠峰は言った。穏やかな声だった。
「ずいぶん早かった」
「ロドリゲスさんを解放してください」
「できません」
「なぜ」
「この方には、まだ聞いていないことがあるので」
遠藤が工藤の横に並んだ。北村が左側に入った。
昨夜の男と背の低い男が、じりじりと動いた。
工藤は言った。「ロドリゲスさん、怪我は」
ロドリゲスは顔を上げた。口の端が切れているが、意識はある。「……ない」
「今から出ます」
「わかった」
遠峰が言った。「そうはいきません。この方は十年前のことを知っている。そして??」遠峰は工藤を見た。
「あなたも今、知りすぎた」
「知りすぎた人間をどうするつもりですか」
「困らせたくはない。ただ、少し??時間をもらいたい」
「どのくらいの時間ですか」
「あなたが忘れてくれるまで」
「忘れません」
遠峰は小さく笑った。「では困りましたね」
そのとき、倉庫の裏扉が開いた。
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星野由紀子が最初に入った。
続いて西野千紗都。古田麻尋が最後に入り、裏扉を閉めた。
昨夜の男は星野を見た。星野を見た瞬間、男の目が変わった。昨夜の記憶があるのだろう。
「こんばんは」星野は言った。穏やかに。「また会いましたね」
男は答えなかった。
背の低い男が動いた。西野に向かって突っ込んできた。
西野は横にずれた。来た勢いに乗せて、壁に誘導する。男は壁に手をついて体勢を崩した。
そこへ古田が入り、腕を取った。手際よく、静かに、床に膝をつかせた。
「痛くしたくないので」古田は言った。「動かないでください」
昨夜の男は星野と向き合った。
「降参します」男は言った。
全員が男を見た。
「……降参します」男はもう一度言った。今度は遠峰の方を向いて。「俺は、ここまでです」
遠峰の表情が初めて変わった。「何を言っている」
「木島さんのことは、知っていた」男は言った。
「あの工場に埋められたことも。だから十年間??あなたの仕事を手伝ってきた。怖かったから。でも??」男はロドリゲスを見た。
「これ以上は無理だ」
遠峰は男を見た。静かな、冷たい目で。
「裏切るのか」
「裏切りじゃない」男は言った。「俺はただ、もう終わりにしたい」
遠峰が動こうとした??工藤が前に出た。遠藤も動いた。
遠峰は止まった。
三秒の沈黙があった。
遠峰はゆっくりと、両手を上げた。
「……やれやれ」遠峰は言った。感情のない声で。「探偵一人から、ずいぶん増えたものだ」
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遠藤が遠峰を確保した。
工藤はロドリゲスの縄を解いた。ロドリゲスは立ち上がり、少しよろけた。工藤が腕を支えた。
「歩けますか」
「歩ける」
「口の傷は」
「大したことない」
「病院に行ってください」
「わかった」ロドリゲスは工藤を見た。「……助かった」
「礼は後で」工藤は言った。「茜さんが待っています」
ロドリゲスは一瞬、止まった。
「……そうか」
小さい声だったが、聞こえた。
江戸川が横から言った。「江戸川事務所で待ってます。めちゃくちゃ心配してました」
「……そうか」
「電話番やってもらいながら、ずっと外見てました」
ロドリゲスは何も言わなかった。ただ、口の端が??切れているにもかかわらず??少し動いた。
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倉庫の外に出ると、夜の空気が冷たかった。
雨月雅之が立っていた。
パトカーが二台、サイレントで止まっている。山本彩織と平圭が後ろにいた。
雨月は工藤を見た。工藤は雨月を見た。
「工藤さん」雨月は言った。
「雨月さん」
「観光客の方が、なぜここに」
「廃墟巡りの範囲を広げました」
雨月は三秒、工藤を見た。それから遠峰を見た。
北村を見た。星野・西野・古田を見た。
「……ずいぶんにぎやかな廃墟巡りですね」
「仲間が多くて」
雨月は短く息を吐いた。「後で署で話を聞かせてください」
「ええ」
「今度は観光客ではなく、本当のことを」
工藤は少し間を置いた。「……善処します」
雨月は山本に目配せした。山本がロドリゲスの方へ近づいた。
「お怪我の確認をさせてください」と丁寧に言った。
平が工藤の隣に来た。手帳を持っていた。「工藤さん、少し聞いていいですか」
「どうぞ」
「廃墟巡りって、横浜から来てまでするものですか」
「好きな人は来ます」
「工藤さんはお好きなんですか」
「……まあまあ」
平は何かを書いた。「そうですか」
信じていない目だったが、何も言わなかった。
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江戸川が工藤の隣に来た。
「工藤さん」
「なんだ」
「解決しましたね」
「まだだ」工藤は言った。「遠峰が喋るかどうかわからない。ルートの全体像も見えていない」
「でも、ロドリゲスさんは助かりました」
「そうだな」
「三人組、強かったですね」江戸川は星野たちを見た。「あの人たち、本当に観光客ですか」
「違うだろう」
「何者ですかね」
「知らなくていいことは知らなくていい」
「工藤さんって、そればっかり言いますね」
「そればっかりだからな」
江戸川は苦笑した。「……茜さんに連絡します。ロドリゲスさん、無事だって」
「そうしてくれ」
江戸川がスマートフォンを出した。発信した。一コールで繋がった。
「もしもし、藤原さん??」
電話口から、泣き声が聞こえた。
江戸川は少し困った顔をして、でも優しい声で言った。「大丈夫です。無事です。今から戻ります」
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工藤は夜空を見上げた。
七月の可児市の夜。星が出ていた。
横浜に帰ったら、また寝てばかりになるだろうか。
そうはならないだろうな、と工藤は思った。
スマートフォンが鳴った。
知らない番号だった。出た。
「工藤さん」
聞き覚えのある声だった。
安藤修だった。
「……話があります」安藤は言った。「警察に、自分から話をしようと思う。
その前に、あなたに聞いてほしいことがある」
工藤は夜空から目を戻した。「わかりました。今から行けますか」
「来てください」
「三十分で行きます」
通話を切り、工藤は江戸川を見た。
「もう一件ある」
江戸川は電話を終えたところだった。「え、まだあるんですか」
「安藤修から連絡が来た。警察に話すと言っている」
江戸川の目が丸くなった。「それって??」
「大きい一歩だ」工藤は歩き出した。「行くぞ」
「茜さんへの連絡は」
「お前がしろ」
「え、俺が全部やるんですか」
「運転もしろ」
「……わかりました」
江戸川は走って車に向かった。
工藤はゆっくりと後に続いた。
背後で、雨月が平に何か言っているのが聞こえた。
「観光客が、多いな。今年は」
平が答えた。「本当に廃墟巡りですかね」
「さあ」
「雨月さんは信じますか」
「信じない」雨月は言った。「でも??まあ、いいだろう。今夜は」
---
*つづく*




